熱と限界
七月に入って、最初に悲鳴を上げたのは人間ではなくPCだった。
「また落ちた……」
湊はノートPCの画面を見つめていた。ブルースクリーン。今週で三回目だ。
七月の宮崎は、容赦がない。最高気温が三十二度を超える日が続き、事務所の六畳間はエアコンを入れても窓際で三十度近い。湊のノートPCは窓側のデスクに置いてあり、直射日光こそ避けているものの、排熱が追いついていない。
ノートPCの底面に触れる。熱い。底面のアルミが、卵焼きでも作れそうな温度になっている。
「湊のPC、大丈夫?」
楓がヘッドセットを外して、肩越しに画面を見た。配信の準備中だった。
「……大丈夫じゃないです」
珍しく、湊が正直に答えた。
「CPU使用率が常時八十パーセント超えてます。OBSで配信のエンコードしながら、裏でLive2Dのモデル表示して、さらにチャット管理ツール走らせると——まあ、こうなります」
湊が再起動したPCのタスクマネージャーを開いた。CPU、メモリ、ディスク、すべてのグラフが赤い。
「前からきつかったんでしょ」
凛がデスクの向こうから言った。
「まあ、梅雨の間はなんとかなってたんですけど。気温が上がると排熱が追いつかなくて。サーマルスロットリングでクロックが下がって、処理が重くなって、さらに発熱して……」
「悪循環ってこと?」
「はい」
湊は頭を掻いた。わかっていた。四月からずっと、一台のノートPCで配信の技術面すべてを賄ってきた。エンコード、モデル表示、音声ミキシング、映像合成。本来なら配信用と作業用でPCを分けるべきだ。
でも、予算がない。
「配信中に落ちたら、まずいよね」
楓が不安そうに言った。
「まずいです。今のところ配信中は持ってますけど、この気温が続くと——」
「今週の土曜、怪談配信やるって告知しちゃったのに」
「怪談の前にPCが逝ったら、それはそれで怖い話になるね」
凛の冗談に、楓が「笑えない!」と声を上げた。
湊は黙って、冷却対策を考え始めた。応急処置ならいくつかある。
まず、ノートPC用の冷却パッドを買う。百均のすのこでもいいが、ファン付きのもののほうが効果は高い。次に、OBSのエンコード設定を見直す。品質を少し落とせば、CPU負荷を下げられる。あとは——
「USB扇風機、百均にあったよね」
「え?」
凛がスマホを見ていた。
「百均にノートPC用の冷却台もあるって。千円くらいのやつ」
「百均じゃないですそれ」
「千均?」
「三百均です。たぶん」
「まあ、買ってきて。とりあえず急場しのぎで」
凛がスマホの画面を湊に見せた。ネットで見つけた冷却パッド。ファン二基搭載、角度調整つき、千五百円。
「これでどうにかなる?」
「ならないです。根本的には」
湊は正直に答えた。凛は少し黙った。
「根本的には?」
「デスクトップPCが要ります。配信用と作業用を分けないと。ノートPC一台で全部は——限界です」
限界、という言葉を湊が口にしたのは初めてだった。いつもなら「まあ、なんとかなりますよ」で済ませるところだ。凛がそれに気づいたのか、少し目を細めた。
「いくらくらい?」
「新品だと厳しいですけど、中古でスペックを選べば——五万円くらいで配信に使えるものは見つかると思います」
「五万か……」
凛の声が、わずかに低くなった。湊はそれ以上追わなかった。事務所の資金状況を、湊は正確には知らない。でも、楽ではないことは察している。
「とりあえず、冷却パッドで急場をしのぎましょう。エンコード設定も見直します。配信の画質を少し落とせば——」
「画質、落としたくないな……」
楓がぽつりと言った。湊は手を止めた。
「落としたくない?」
「だって、湊がいつも綺麗に作ってくれてるの、リスナーさん褒めてくれるんだよ。『画面綺麗ですね』『テロップおしゃれ』って。それが強みなのに……」
「……そうですね」
湊は少し考えた。
「じゃあ、画質は最後の手段にします。先にエンコードのプリセットを変えて、CPU負荷だけ下げる方向で調整します。見た目はほぼ変わらないはずです」
「ほんと?」
「たぶん。——まあ、なんとかなりますよ」
いつもの台詞だ。楓がほっとしたように笑った。
でも、湊はわかっていた。「なんとかなる」の限界が近い。
冷却パッドを買い、エンコード設定を調整し、不要なバックグラウンドプロセスを片っ端から切った。タスクマネージャーのCPU使用率が、八十五パーセントから七十二パーセントに下がった。
十三パーセントの余裕。
それが、この夏を乗り切れるかどうかの差になる。
湊はデスクの下に置いた冷却パッドのファンの回転音を聞きながら、技術ログに書き込んだ。
「配信環境の分離が急務。現状のノートPC一台体制は七月中が限界と判断。デスクトップPC導入の検討を凛さんに打診済み。予算確保の目処は未定」
ファンが回っている。エアコンも回っている。PCも、なんとか回っている。
全部が回り続けるかは——わからない。




