五十人とお祝い
「五十人だよ。登録者、五十人!」
白石楓の声がDiscordから弾けた。六月の頭、梅雨に入る直前の晴れた夜だった。配信が終わったばかりで、楓の声にはまだ興奮が残っている。
瀬川湊は事務所のモニターでYouTubeのチャンネルダッシュボードを確認した。登録者数の欄に「50」と表示されている。配信中に届いた通知で楓が気づき、みやびとして『あら、五十人になったのね。みなさん、ありがとう』と伝えたところ、コメント欄がお祝いの言葉で埋まった。
桐谷凛がスマートフォンを操作しながら言った。
「Xでも反応来てるよ。常連の何人かがお祝いポストしてくれてる」
「ほんとに? 見せて見せて」
凛がスマートフォンの画面をDiscordの画面共有に切り替えた。楓の自宅のモニターにXのタイムラインが映る。
三、四人のアカウントがポストしていた。「初配信から見てます」「これからもずっと応援する」。フォロワーの少ないアカウントばかりだが、言葉は短くて温かかった。
「ねえねえ、記念配信やろうよ」
楓が食い気味に言った。凛は少し考えてから頷いた。
「いいんじゃない? 百人とか千人じゃなくても、節目は祝ったほうがいい。リスナーも一緒に祝えるし」
「湊くん、技術的に何か特別なことできたりする?」
「うーん、大きなことは難しいですけど——たとえば配信画面に記念のフレームを出すとか。OBSのオーバーレイで、五十人ありがとうみたいなバナーを表示するのは簡単です」
「やって! かわいいのがいい」
「かわいいかどうかはわかりませんけど、まあ、なんとかなりますよ」
楓が笑った。Discordのスピーカーから弾けるような声が流れてくる。凛もスマートフォンの画面を見ながら口角を上げていた。
「じゃあ記念配信は来週の土曜日にしよう。質問コーナーとか、リスナー参加型の企画で」
「いいね! 事前にXで質問募集する?」
「そうしよう。あたしが告知文作る」
話がひと段落したところで、凛が画面共有を切った。少し間があいた。
「五十人。……まだ、五十人だけど」
凛が呟いた。いつもの飄々とした口調ではなく、噛みしめるような声だった。
「まだ、じゃないよ。もう五十人だよ」
楓が即座に返した。
凛が黙った。湊も黙った。Discordのスピーカーから、かすかなノイズだけが流れる。楓の部屋のエアコンの音かもしれなかった。
「初配信のとき、同接五人だったでしょ」
楓の声が静かになっていた。さっきの弾ける声とは違う、低い声だった。
「凛ちゃんが言ったよね。五人がいたんだよって。あのとき私は、五人しかいなかったって思ってた。五人じゃ少なすぎるって」
湊は覚えていた。打ち上げの夜、コンビニ弁当を広げた六畳の床で、凛と楓の間にあった温度差を。同じ数字を肯定と否定に分けた、あの瞬間を。
「でもさ、あの五人の中に——今も見てくれてる人がいるの。最初の配信からずっと通ってくれてる人が。さっきのXのポスト、見た? 初配信から見てますって書いてくれてた。あの人、ほんとに最初からいたんだよ」
楓の声が僅かに揺れた。泣いているわけではなかった。でもDiscordの音声には、声の揺れまで乗る。
「五人が五十人になった。一ヶ月半で。——それって、すごいことだと思うの。数字だけ見たら小さいけど、一人一人がわざわざ登録ボタンを押してくれたんだよ。名前も顔も知らない人が、みやびの配信をまた見たいって思ってくれたってことでしょ」
凛は何も言わなかった。湊もキーボードに置いた手を動かさないまま、楓の声を聞いていた。
「だから、まだ、じゃない。もう五十人もいるの」
楓がそう言い切った。声は明るかった。でも打ち上げの夜の、明るすぎる「よし」とは違う種類の明るさだった。力みがなくて、そのぶん芯が通っていた。
凛が鼻で笑った。皮肉ではなく、照れ隠しの笑いだった。
「楓ちゃんに言われるとは思わなかったな。——うん、そうだね。五十人もいる」
「でしょ?」
「でしょって——あたしが言ったことそのまま返されてるんだけど」
「だって、凛ちゃんが最初に教えてくれたんだもん。五人がいたんだよって。あの言葉のおかげで、私は次の配信ができたんだよ」
凛が何か言いかけて、やめた。Discordの画面に凛のアイコンが光ったまま、沈黙だけが流れた。
湊はチャンネルダッシュボードをもう一度見た。登録者50人。チャンネル開設からおよそ一ヶ月半。バズもなく、炎上もなく、週三回の配信を積み重ねた五十人だった。
「あとさ、湊くんが投稿したShorts、見た?」
湊の手が止まった。
「あ——見ました?」
「見たよ。ゲーム実況のとき、みやびが『きたっ!』って叫んだところを切り出したやつでしょ。六十秒くらいの」
「はい。配信アーカイブから面白い場面を切り出して、まだ試しに一本だけ投稿しただけなんですけど」
「再生数どのくらい?」
「まだ二桁です。八十回くらい。——Shortsは数千回いかないと意味がないんで、まだ全然ですけど」
「八十回もあるじゃん。登録者五十人のチャンネルで、配信以外から来てくれてる人がいるってことでしょ」
楓の言い方には、さっきの「五十人もいる」と同じ温度があった。凛がスマートフォンの画面を見ながら口を挟んだ。
「Shortsは認知拡大のツールだから、再生数は気にしなくていいよ。回数よりも、みやびの名前を知ってもらう入り口になることが大事。湊、もう何本か作れる?」
「テンプレートを作れば、一本三十分くらいで制作できます」
「じゃあ週一ペースで投稿していこう。素材には困らないでしょ」
楓が「よし」と小さく言った。
「ところで」と凛が言った。「お祝い、しない? コンビニでケーキ買ってきたんだけど」
湊は凛の机の上に視線を移した。コンビニの袋が置いてある。中に白い箱が二つ見えていた。
「凛さん、いつ買ったんですか」
「今日の帰りに。五十人はたぶん今日か明日だと思ってたから。——ほら、楓ちゃんの分もあるから、明日事務所で」
「えー、今日食べたかったなあ」
「明日おいで。三人で食べよう」
楓が「はーい」と答えて、Discordが賑やかになった。記念配信の企画、Shorts制作、ケーキ。話があちこちに飛びながら、三人の声が重なっていく。
二十分ほど話して通話が終わった。楓のDiscordが切断され、凛もスマートフォンをテーブルに置いて伸びをした。
「湊、バナーはいつまでにできる?」
「明日の夜には。そんなに手間じゃないです」
「ありがと。——ねえ、さっきの楓ちゃんの話」
「はい」
「成長したよね、あの子」
凛は立ち上がって窓のほうを見た。六月の夜空は曇り始めていた。明日あたりから雨が降るかもしれない。
「初配信のとき、五人しかいなかったって言ってた子が——五十人を、もうって言えるようになった」
湊は頷いた。帰り道で楓が呟いた言葉を思い出していた。配信の五人は遠い気がする。拍手が聞こえない、顔が見えない。あの不安を抱えたまま、楓は一ヶ月半の配信を続けてきた。
「数字の受け止め方が変わったのって、大きいと思うんですよね」
「どういうこと?」
「前は数字を壁として見てた。今は数字の向こうにいる人を見てる。——技術者の感覚で言うと、指標の読み方が変わったっていうか」
凛が振り返って、ちょっと笑った。
「技術者の感覚で言うな」
「すみません」
凛はノートPCをバッグにしまって帰り支度を始めた。
「おやすみ、湊。——明日、ケーキ食べよう」
「おやすみなさい」
凛が出ていった後、湊はOBSのオーバーレイ素材の制作に取りかかった。五十人記念のバナーデザイン。みやびの和風な雰囲気に合わせて、桜の花びらを散らしたフレームにする。季節的には桜は終わっているが、みやびのキャラクターには合うだろう。中央に「50人ありがとう」の文字。フォントは明朝体をベースにした。
モニターの光に照らされた六畳一間で、湊は手を動かし続けた。五十人のために、できるだけいいものを作る。それが技術者の祝い方だった。
窓の外で雲が広がっている。明日は雨になるかもしれなかった。でも明日は三人でケーキを食べる。それだけで、六月の始まりとしては悪くなかった。




