数字と方針
「雑談の平均視聴時間が三十八分、ゲーム実況が四十二分。歌枠はまだ一回だけなんで参考値ですけど、三十五分」
瀬川湊はスプレッドシートを画面に映しながら説明していた。五月中旬、朝十時の事務所。桐谷凛がコーヒーを飲みながら画面を覗き込んでいる。白石楓はまだ来ていない。自宅配信に移行してから、楓が事務所に顔を出すのは打ち合わせと振り返りの日だけになった。
「ゲーム実況が一番長いんだ。意外だね」
「コメント数もゲーム実況が圧倒的に多いです。雑談が一配信あたり平均五十件に対して、ゲーム実況は八十三件。リスナーが攻略のヒントを出したり突っ込んだりするんで、やりとりが生まれやすい」
湊はグラフを切り替えた。登録者数の折れ線グラフ。ゲーム実況の配信日だけ少し角度が急になっている。
「ゲーム実況の翌日に新規登録が二、三人入る傾向があります。アーカイブもじわじわ伸びてて、ゲームタイトル名で検索するとみやびのアーカイブが表示されるようになってきました」
凛が椅子の背もたれに体を預けた。
「つまり、ゲーム実況を軸にしたほうがいい?」
「データだけ見れば、そうです。ただ——」
湊は言葉を選んだ。
「雑談も大事だと思います。常連が定着してるのは雑談のほうなんで。コメントの中身を見ると、ゲーム実況は一見さんが多くて、雑談は毎回同じ名前が並ぶ。常連を維持しつつ、新規を取りに行く。両方必要です」
「配信の種類を増やす方向がいいってこと?」
「はい。今は雑談が週二、ゲーム実況が週一ですけど、ゲーム実況を週二に増やして雑談を週一に。あと歌枠のデータがまだ一回分しかないんで、もう何回かやって傾向を見たい」
凛はスマートフォンを取り出して、カレンダーアプリを開いた。
「来週のスケジュール、組み直す?」
「はい。月曜にゲーム実況、水曜に歌枠、金曜に雑談。で提案しようと思ってます」
「いいんじゃない? 楓ちゃんに相談しよう」
凛がカレンダーに仮入力しながら、ふと手を止めた。
「ねえ湊。数字見るのは大事だけどさ、楓ちゃんが楽しそうにやれるかも大事だよ。ゲーム実況の数字がいいからって、楓ちゃんが毎回パズルで苦しんでたら続かないでしょ」
「それは——そうですね」
湊はスプレッドシートを見つめた。数字は事実を語る。でも数字が語らないものもある。楓がパズルに詰まって「やだ」と叫んだ瞬間、クリアして「きた!」と声を上げたとき。それが楽しいのか苦しいのか、数字だけでは読み取れなかった。
「楓さんに聞いてみます」
「うん。あとさ、Xのフォロワー推移はどうなってる?」
湊は別のタブを開いた。
「Xフォロワーは現在八十二人。デビュー時が三十七人だったんで、約二倍。増加ペースは週に四、五人。表情バグのクリップが拡散されてからの数日は一日二人増えましたけど、その後は元のペースに戻りました」
「一時的だったか」
「一時的ではありますけど、みやびの名前を知る人は増えてます。クリップを見て配信に来た新規がそのまま定着するケースもある」
凛は窓の外を見た。五月の日差しがフェニックスの幹を照らしている。
「地道だね」
「地道ですね」
「でもさ、あたしは嫌いじゃないよ。一人ずつ増えてく感じ」
凛の声に力みはなかった。経営者として焦ってもおかしくない数字だが、凛はこの成長曲線を受け入れている。宮崎の無名事務所が一ヶ月で何千人も集められるとは、最初から思っていなかったのだろう。
玄関のドアが開いた。楓が入ってくる。
「おはよ! ——何の話してたの?」
「データ分析。楓ちゃん、ちょっと見て」
凛が手招きした。楓はバッグを椅子にかけて、湊のモニターを覗き込んだ。スプレッドシートのグラフ、配信ごとのコメント数、フォロワー推移。
「わあ、こんなに細かく分析してくれてたんだ」
「湊がね。毎回配信の後にデータ入力してくれてるの」
楓が湊を見た。湊は少し居心地が悪そうに椅子を回した。
「ログ取るのは癖みたいなもんなんで」
「でもすごいよ。——あ、ゲーム実況のほうが数字いいんだ? それは、うん、なんとなくわかる。やってて楽しかったもん」
湊と凛が同時に楓を見た。楓は何かに気づいたように首をかしげた。
「え、何?」
「いや——楓さんが楽しいって言ってくれたんで。データと本人の感覚が一致してるのは、いいことです」
凛が笑った。
「ほらね。数字も大事だけど、本人の感覚も大事なの」
楓が凛と湊の間に割って入るように椅子を置いた。三人でモニターを囲む形になる。事務所にいるときのこの距離感は、配信環境が変わっても同じだった。
「で、来週のスケジュールなんだけど」と湊が切り出した。月曜にゲーム実況、水曜に歌枠、金曜に雑談。楓は少し考えてから頷いた。
「歌枠、もっとやりたかったんだよね。水曜にできるの嬉しい」
「歌枠のデータがまだ一回分しかないんで、何回かやって傾向を見たいんです」
「任せて。歌なら自信あるよ」
楓が胸を張った。七年間の舞台経験に裏打ちされた歌唱力は、デビュー直後の歌枠でリスナーを驚かせていた。
「あともう一つ、提案があるんですけど」
湊がスプレッドシートを閉じて、ブラウザを開いた。
「YouTube Shorts。配信のアーカイブから、面白かったところを切り抜いてショート動画にする。六十秒以内の縦型動画で、タイムラインに流れてくるやつです」
「あー、あたしもたまに見るよ。ぱって出てくるやつだよね」
「そうです。Shortsは収益としてはほぼ期待できません。一再生あたりの単価が極端に低いんで。ただ、認知を広げるツールとしては有効です。短い動画がおすすめに流れて、興味を持った人が本チャンネルに来る。新人VTuberの露出を増やす手段として、コストに見合う」
「作るのは大変じゃない?」
「配信のアーカイブから印象的な場面を切り出して、テロップを入れて、縦型に加工するだけです。テンプレを作っておけば一本三十分から一時間で回せます。俺の後処理の延長で」
凛が顎に手を当てた。
「つまり、Shortsで知ってもらって、配信に来てもらう。広告みたいなもの?」
「そんなイメージです。楓さんのゲーム実況、リアクションが面白いんで、切り抜きの素材として向いてます。この前の『やだ、全部消えちゃった!』のところとか、Shortsにしたら伸びそうです」
楓が顔を赤くした。
「あれ、そんなに面白かった?」
「コメント欄が一番動いた瞬間です。ミステリアスなキャラが素に戻る瞬間って、ギャップで引きが強い。見たことない人にも一発で伝わるんで」
凛が楓のほうを向いた。
「どう、楓ちゃん? 切り抜き、やってもらっていい?」
「いいよ! でも恥ずかしいのばっかり切り抜かないでね、湊くん」
「なるべく格好いいところも混ぜます」
三人が笑った。楓がノートを取り出してペンを走らせ始めた。来週の配信で歌いたい曲の候補をリストアップしている。凛はスマートフォンでカレンダーを更新し、湊はスプレッドシートに来週のスケジュールを入力した。三人の手がそれぞれ別のものを動かしながら、同じ方向を向いている。
「ねえ、登録者百人っていつくらいになると思う?」
楓がふと聞いた。湊はグラフの傾きを眺めた。
「このペースなら七月くらいですかね。ゲーム実況を増やして検索流入が伸びれば、もう少し早まるかもしれないです。Shortsが回り始めれば、もうひと押しできるかもしれない」
「七月か。——よし、七月までに百人いこう!」
楓が拳を握った。凛がコーヒーのカップを口に当てたまま「いいね」と笑った。
湊はスプレッドシートを保存して画面を閉じた。数字は指標でしかない。でも三人が同じ数字を見て同じ目標を口にした。それだけで、この小さな事務所は前に進んでいるのだと湊は感じていた。
窓の外で、五月の風がフェニックスの葉を揺らしている。カレンダーには来週の配信予定が三つ、そしてShortsの制作スケジュールが一行加わっていた。




