②覚醒
シロやアルハンブラが〈砂盗〉に立ち向かった時、タニアは傍観していた。
いや、ただ立ち尽くしていただけならまだ可愛げがある。あろうことかタニアは、駆け付けられるはずもない〈荊姫〉さまに助けを乞うた。
形だけでも手を合わせておけば、「祈った」と言う免罪符になる。狡猾なタニアは後々みんなから、それ以上に自責の念から批判を浴びたくない一心で、無意味と承知の合掌に逃げたのだ。
そして今夜もまた、タニアは口汚く罵ったばかりのシロに縋ろうとしている。
自分の勝手さに憤りが込み上がると、日和っていた鼓動がぐつぐつと煮えくり返っていく。淑やかに祈りを捧げていたはずの両手は、恐竜のように爪を立てていた。
これから先も、壁が立ち塞がる度に手を合わせるのか?
独力で挑もうとせずに座り込み、手を差し伸べてくれる誰かを待つのか?
それでは避難所でベソをかいていた時代から、何一つ進歩していない。
膝を抱え、項垂れる誰かに手を伸ばす――。
それが、それこそが〈姫〉だ。
〈姫〉自身が情けなく俯いていたら、誰が顔を上げるだろう。
誰に引っ張ってもらったっていい――。
命を落としてしまったら、約束を果たすどころではない――。
自分の無力さを知るもう一人のタニアは、理性的な現実論で意固地なタニアを言いくるめようとする。だが捲し立てるように説かれても、タニアは首を縦に振らない。〈荊姫〉さまが嘘吐き呼ばわりされなければ、それで満足ではなかったのだろうか。
確かにみすみす組み伏せられるのが明らかな抵抗をし、命を危険に晒す必要はない。無尽蔵の知識を持ち、〈砂盗〉を軽くあしらうシロに頼っていれば、遥か遠くの〈姫〉にも辿り着ける気がする。
だがここで楽な道に走れば、ランニングシューズを磨り減らし、参考書に潜む睡魔とやり合った毎日が無意味になる。今さら逃げ出したら、落書きだらけにした教科書に、傷だらけにしたランドセルにどう申し開きすればいい。勇気を振り絞り、嘘偽りのない気持ちをクラスメイトに語った自分を、独力で掴み取れない目標を大言壮語しただけのKYにする気か。
そうだ、自分の始末も付けられない〈姫〉に何が出来る? 約束だけを守り、また〈荊姫〉さまに甲斐甲斐しく世話を焼いてもらうのか?
笑えない。
それでは笑えない。
五歳の頃から少しも成長しなかった姿など晒して、〈荊姫〉さまと笑い合えるはずがない。
タニアは歯を食いしばり、魅力的な輝きを放つシロから視線を逸らしていく。
光明を体現した笑顔が視界から消え、深い暗闇がタニアを包み込む。目の前に広がる景色は、普段の瞼の裏よりずっと濃く、手探りで進めるかも怪しい。だが一寸先も覗かせない景色とは裏腹、タニアの胸には清々しさと力が漲っていた。
「……私はなるんだ」
可能な限りボソッと呟き、タニアは〈砂盗〉たちの注意を引く。
「何だい、ブツクサブツクサと。気でもおかしくなったのかい?」
ギモンはまんまと踵を返し、タニアの口元に耳を寄せた。
「私は〈姫〉になるんだ! こんなとこで売り払われてたまるか!」
全身の力を喉に集約し、タニアは声帯を爆発させる。世界最強の耳打ちを受けたギモンは硬直し、点になった目をしきりに瞬かせる。鼓膜を襲った大音量が、スタングレネードのように働いたのだろう。
チャンスだ!
脳裏に閃いた言葉が、タニアの背中を押し出す。瞬間、タニアは正座の状態から一気に膝を伸ばし、脳天を正面に撃ち出した。
マーシャのお玉に鍛え上げられた石頭が、ギモンの顔面にめり込む。パキッ! と軽快に鳴り響いたのは、軟骨を噛み砕いたような音。ツンと天井を指していた彼女の鼻がL字に曲がり、泡立った鼻血を噴き出す。
着地に関してはノープランだったタニアは、脇腹を地面に打ち付ける。すかさず水泳の飛び込みにしくじったような衝撃が、肋骨ごと胃の中身を揺さ振った。
「あ、姉御っ!」
泡状の唾を吹きながら、〈砂盗〉たちがギモンに駆け寄る。ギモンは鼻を覆うのに使っていた手を鬱陶しげに振り回し、顔面を蒼白にした手下どもを追い払った。
「……よくも、よくもやってくれたねぇ」
激痛のせいで丸めていた背中を伸ばし、ギモンがタニアを見下ろす。滲んだアイラインと鼻血で隈取りを施した顔は、まるで人間の夢想した悪魔。一瞥した瞬間、タニアの身体から根こそぎ体温を奪っていく。
「こんのクソガキがあっ!」
涎と鼻血をまき散らし、ギモンはタニアの腹を蹴り上げた。
ハイヒールの先端を折り目に胴体が曲がり、鋭い衝撃がタニアの臍から背中を貫く。一瞬、頭の回線がショートしたのか、身体が低く浮くと、目の前で鮮烈に火花が弾けた。
真っ白だった視界が元に戻ると、タニアは仰向けになり、穴の空いた天井を見上げていた。
次から次へと血の混じった咳が唇を打ち破り、頭上に赤い霧を広げていく。鼻血と交じり、ピンク色になった鼻水は、逆流した胃液共々タニアの頬をふやけさせていった。
「うあ……あああ……」
潰れ掠れた呻き声とテンポを合わせ、腸を捻られるような痛みが腹の奥を絞り上げる。寄せた眉が搾り出す涙は、砂だらけの涙袋に泥の線を引いていった。
「お前なんかが〈姫〉になれるはずねぇだろ! 小汚いガキ風情がよ!」
激昂するあまり手近な木箱を蹴倒し、ギモンはドラム缶の上から巻き貝型の〈偽装〉を引ったくった。弾倉である殻はサトイモに似た形で、赤褐色に塗られている。アクセントだろう白い鱗模様は、美しい以上にけばけばしい。
「死ね! 死ね! 死ね!」
半狂乱に陥ったギモンは、乳白色の引き金を引き、引き、引きまくる。同時にストロー状の銃口が、細く鋭利な白煙を吹き、吹き、吹きまくる。
ヒュッ! ヒュッ! と風を切る音が連続し、爪楊枝そっくりの銃弾が次々と地面に突き刺さる。着弾する度、砂の積もった地表が破裂し、象牙色の煙がタニアを取り囲む。
威嚇のつもりか、単に狙いが外れているのか、タニアには判らない。だが仮に銃弾が命中したなら、身体に大きな穴が空くのは間違いないだろう。
「どうせ生きてたって、因業ジジィのオモチャになるくらいしか価値がねぇんだ! 慈悲深いこのアタイが、今ここで無意味な人生に終止符を打ってやるよ!」
猛々しく宣告したギモンは、前髪を鷲掴みにし、タニアを引き起こす。力の入らない身体を雑に吊り上げ、膝を着かせると、彼女はタニアの眉間に銃口を押し当てた。
少しでも凶器から離れようとしたのか、タニアの頭の中を巡っていた血が、さあっと足下に引いていく。比例して筋肉が凍結したような強張りが、タニアの顔面に広がっていった。特に巻き貝と密着した額は、銃口以上に硬く冷たい。
まばたき一つ出来ないタニアを嬲るように、ギモンはじわじわと引き金を引いていく。
ごぉぉ……。
巻き貝のノズルが不気味に唸りだし、空気を吸い込んでいく。殻の内部で圧縮されたそれは、銃弾を撃ち出すのに使われるはずだ。
次にそして最期に聞くのは銃声だ――。
絶対的な予感を追い、数秒後の光景が脳裏を過ぎる。壮絶に吹き飛ぶ血飛沫は、木っ端微塵に砕け散り、宙を舞う脳は、未来の映像をフラゲしたように鮮明だった。
実際、次に聞くのが銃声だったなら、タニアは頭の中身をぶちまけていただろう。
だが現実には、タニアの脳が頭蓋骨の外に披露されることはなかった。
銃口の咆哮に先んじて、砂漠から嗄れた嘶きが轟いたから。
嘶き?
いや、唾液塗れの喉を通って来たにしては焦げっぽい。
これは、これは――。
特撮LOVEな誰かが画面の前で正座している時、テレビがかき鳴らす音だ。




