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『篠宮光汰』が、多忙なスケジュールの合間を縫って学業の為に来校していることが知れ渡ったのか、テスト期間にもかかわらず、校内はどこか浮ついていた。廊下からは、女子生徒の間延びした声が響く。
「どこにいるんだろー? 塾サボって出待ちしたら会えるかなー?」
そんな喧騒の中で、星は地に足をつけようと努めていた。彼のことを、自分は少し多く知っている。だからこそ、揺らいではいけないと自分に言い聞かせる。
「……よし」
星は教科書をリュックの中に押し込むと、気合を入れるように両手で頬を軽く叩いて保健室へと向かった。リップサービスかもしれない、彼の言葉を信じて。そして案の定、引き戸を開けた先に光汰の姿はなく、テストのプレッシャーのせいで体調を崩した生徒が何人も項垂れていた。菅原もその対応に慌ただしく追われている。
「あ……」
入口で立ち尽くす星を見つけた菅原は、処置を止めずに白衣のポケットから小さなメモを星へと手渡した。
「あ、雨宮君。これ、君宛て。行ってらっしゃい」
「あ……ありがとう、ございます?」
星は首を傾げながら、そっとその紙を開く。ポールペンで刻まれた、さらさらと整ったその筆跡を読み下し、星はリュックを背負い直すと、踵を返して保健室を飛び出した。
(テスト期間だから、放課後の部活もない。本当に静かだ……)
星が向かっているのは、北校舎と南校舎を繋ぐ特別教室棟だ。普段は生徒が忙しなく行き交うこの棟も、今は完全に無人。階段を上る足音が、全ての階にまで響いてしまいそうだった。星は息を殺しながら手すりを握る力を強め、一歩一歩上っていく。
最上階の4階より先は、屋上へと続く階段があるだけだ。薄暗く埃が積もったようなそこの前に立ち、星は躊躇うように足を止める。
「星」
しかし、頭上からよく通る声で名を呼ばれ、星は弾かれたように上を仰ぎ見た。屋上に向かうだけの薄暗い階段の途中に、制服姿の光汰が立っている。埃っぽい空間がまるで舞台のように見え、その圧倒的なオーラに星は目を見開いた。
「……烈火誠」
そう呟いて階段を上ってきた星に、光汰は面食らったように目を丸くする。それからクツクツと肩を揺らし、苦笑いをしながら階段に腰掛けた。星もそれに倣っておずおずと光汰の隣に座る。
「光汰、だから」
「ご、ごめん……! つい、役と混同しちゃって……」
「気が早いって」
まだ放送開始前だけど、とからかうように光汰は目を細めて笑った。しかしその微笑みはすぐに消え、ふいに、二人の間に静寂が横たわる。纏う空気の色が変わり、星はへらりとしていた背筋が自然と伸びるのを感じた。
「……学校、やめるかも」
ぽつりと光汰の唇から零れ落ちた言葉に、星は息を飲む。
「え……なんで」
「撮影がどうしても忙しいから。事務所からも、通信制の高校に編入したらって」
「そっ、かぁ……」
「もうすぐ三年になるし。丁度いいタイミングだって」
光汰が目を伏せた。長い睫毛がゆったりと頬に影を落とす。星はその彫りの深い横顔をじっと見つめた。
(やっぱ、かっこいい……けど、)
その整った形の唇が、小さくきつく噛み締められている。耳から顎を結ぶフェイスラインの筋肉が強張っている。それに気付いた途端、星の口からは考える間もなく一つの言葉が突いて出た。
「それでいいの?」
「……え」
光汰が驚いたように目を見開く。食い入るように見つめられ、星の身体からはサァと血の気が引いて、全身が縮み上がるような感覚に襲われた。しかし、一度飛び出た言葉は戻せない。星は恐る恐る、必死に言葉を紡いだ。
「頑張って全日制高校を卒業した役者さんもいるよ? 5年前にブラッディグリーンを演じた川根さんとか!」
一気に捲し立てる星に、光汰は目を見張ったまま固まる。星は唇を噛みしめ、光汰の視線から逃げずに次の言葉を待った。やがて、光汰は観念したように小さく息を吐くと、膝の上の拳を握りしめる。
「……ここは、結構こだわって入ったところだし。勉強も仕事も頑張るって言ったから、本当は……」
星はその言葉に目を輝かせると、すっくと立ちあがって光汰を見下ろした。
「じゃ、じゃあ頑張ろうよ! あのね、僕、体育は見学してるんだけど、レポート提出で出席にしてくれるんだ。だから、ちゃんと相談すれば考慮してくれると思う!」
星は一歩階段を上り、光汰の目をまっすぐに見つめる。身振り手振りが止まらない。
「僕も、授業ちゃんと頑張って出るし! 授業ノートだって……!」
そこまで言って、星はハッと我に返った。自分は出席日数の危うい病弱な生徒で、ただのヲタク。そんな自分が何を言っているのだろうと気付き、一気に全身から血の気が引いていく。
「あ、あの……出過ぎた、真似でした、ごめんなさ……」
慌てて階段を下りようとする星の腕を、光汰の長い手が引き留めた。
「わかった。スマホ貸して」
「え、あ」
光汰は星のスラックスからスマホを取り出し、ロックを解除するよう眼前に突き出す。そしてスマートフォンの画面を素早い手つきで操作し、何かを入力して星へと戻した。画面には、新しく登録された『篠宮光汰』の文字。
「はい。ノート書いたら、写真撮って送って」
「え……」
そう言って、光汰は悪戯っぽく笑う。情報過多に陥った星は、どこか冷静になった頭で、階段を一段上ってようやく目線が同じになることに気付いた。
「じゃあね、星、また」
光汰は星の頭をぽん、と小さく叩くと、ひらりと手を振って階段を降りていく。その感触に、星の脳のキャパシティは限界を迎え、光汰が階段を軽やかに下りていく足音を聞きながら、真っ赤になった顔を両手で覆った。
「ふぁ……」
星は登録されたばかりの画面をじっと見つめ、マヌケな声を上げる。




