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「微熱だー……」
冷え込みが厳しい冬の朝。星はソファーで項垂れ、手にした体温計の液晶を睨みつけながら呟いた。隣で新聞を広げていた父が顔を上げ、心配そうにその顔を覗き込む。
「大丈夫か? 瞼も腫れてるし、こりゃ完全に泣き過ぎだな」
「原因はアレでしょ? テストは半日だし、気張りなさい。ただでさえ休んでいるんだから、ちゃんと受けないと進級に関わるわよ」
キッチンから母の痛い正論が飛んできて、仰る通りですと星は眉を下げた。ヨボヨボとした足取りで洗面所に向かえば、鏡の中に冴えない顔が映っている。星はそれから目を逸らし、蛇口を捻って冷水で顔を洗い、腫れて熱を持つ瞼を冷やした。
「……よし」
気合を入れるように、両手で己の頬を叩いてダイニングに戻る。朝食を大急ぎで掻き込むと、リュックを掴んで家を飛び出した。
「行ってきます!」
星が『烈火誠』と、それを演じる『篠宮光汰』と出会ってから、一ヶ月が経過しようとしている。あの夢のような日以降、光汰が学校に姿を現した日は一日たりともないようだった。本人がいなければ熱狂は早々に冷め、星をはじめとした生徒たちは平穏な日常を取り戻している。
そして今日から始まるのは、その日常の最たるものである学年末テスト。星はガタゴトと小刻みに揺れる電車の中で単語帳を必死に読み込み、文字通り最後の悪あがきに全てを懸けた。
★★★
(やっぱり、入院していた時期の範囲が抜けてたな……。ちょっとヤバいかも)
テスト終わり、何とか本日の日程を乗り切った星は、疲れ果てて机に突っ伏す。音だけで周囲を伺えば、明日の科目に備えて自習室へ向かう者や、連れ立って昼食へ繰り出すクラスメートたちで教室は騒がしい。
(早く帰って、勉強しないと……)
そんな喧騒の真っ只中、ガラガラと教室の引き戸が開け放たれた。瞬間、まるで潮が引くように談笑が止まり、サァと辺りが静まり返る。全員の視線が、突如現れたその訪問者へと釘付けになった。
「……幽霊、いる?」
そこに立っていたのは、学校のプリンス・篠宮光汰。一カ月ぶりの芸能人に、話しかけられた入り口付近の女子生徒は一気にパニック状態に陥る。
「ゆ、幽霊って、雨宮くんのこと?」
「……多分?」
「え……僕?」
思わぬ呼び出しに顔を上げ、星は目を白黒させながら素っ頓狂な声を上げた。そんな星の姿を捉えた瞬間、光汰はほっと安堵したように肩の力を抜き、わずかに頬を緩める。
「菅原先生が呼んでた。保健室来てって」
常日頃保健室に入り浸っている星であるが、今日呼び出されるような心当たりはない。星は怪訝に思いながらも、促されるまま光汰の背中を追いかけた。光汰が廊下を歩けば、誰からともなく生徒たちが左右の壁へと寄り、道が開けていく。光汰は足早にそのそこを進み、星はその広い背中の後ろを気配を消すように小さくなってついていった。
「雨宮っていうんだ。下の名前は?」
喧騒が少しまばらになった頃。星に歩調を合わせるように歩く速度を落とした光汰が、前を向いたまま淡々と訊ねる。
「せ、せい……。お星さまの、星」
「星」
光汰は、噛み締めるようにその名を呟いた。
(う、うわー! レコーダー! レコーダーください!)
鼓膜を震わせたその声に、星は顔を真っ赤にして俯く。そして行き着いた保健室に駆け込み、いつも通りの呑気な菅原に向かってひっくり返った声を掛けた。
「すっ、菅原先生! 来ました……」
「えー? 私、雨宮君のこと呼んでないよ?」
「へ?」
きょとんと目を丸くする星を見て、菅原は楽しげに悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして、そっと光汰の方へ目配せをした。
「ただ、保健室使うならどうぞって篠宮くんには言ったかな?」
からかうような言葉に、光汰はふいと視線を斜め下に逸らす。どうやら光汰は菅原の名前を騙り、わざわざ星を呼び出したらしい。
「いいよ、座って? せっかく学校に来たんだからお友達と話さないと」
「お友達……」
菅原に促され、星はおずおずと椅子へ腰を下ろした。同じように隣に腰掛けた光汰の眩さに耐えられず、星はそわそわと指を弄る。
「さ、撮影、忙しいんじゃ……」
「うん。だからテストだけ受けに来た。特例で、今日明日で全部やりきる」
「全部って……」
通常4日で行う課程を、僅か2日で詰め込むという過密スケジュールに戦慄する星。その動揺を知ってか知らずか、光汰はじっと星の顔を覗き込んだ。
「それより、何で、目、腫れてんの?」
「い、いや、これは、昨日の最終回でボロ泣きして……」
昨日は、現行作である『炎神ブレイズ・シャイニングタイガー』の最終回の放送日。勿論、星はリアタイで堂々のフィナーレを見届け、身体中の水分が全て抜けるのではと思うほどの大号泣をした。恥ずかしげに目元を隠す星を見て、光汰はそっと口を尖らせる。
「来週から俺が出るから。別に泣かなくてもいい」
「……はは、確かに、寂しいのは一週間だけだね。楽しみにしてるよ」
星は目元を照れくさそうに擦り、目を細めて笑ってみせた。すると光汰はふいと目線を逸らし、制服のポケットから何かを取り出して星の前へと手渡す。
「これ」
差し出されたものを見て、星は弾かれたように立ち上がった。勢い余って、背後の椅子が派手な音を立ててひっくり返る。
「キラキラクリアカード!」
それは、星が入院中でどうしても劇場へ足を運べず、なくなく諦めた1週目の映画特典だった。
「行けなかったって言ってたから」
「お、覚えててくれたの……? あ、ありがとう!」
光汰の言葉に胸がいっぱいになり、星は宝物のようにそれを胸に抱きしめる。そのひたすらに純粋な笑顔を目の前にして、光汰は視線を彷徨わせたあと、すっと立ち上がった。
「次のテストがあるからもう行く。明日も来るから、また、会お」
「う、うん……!」
光汰の背中を見送ったあと、星は再びぎゅっとその小さなカードを抱きしめる。トクトクと小さな鼓動が胸を打ち、星は唇を噛み締めた。




