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一ノ瀬は手渡された紙へサラサラとサインを書き上げ、ひょいと星へ差し出した。星は宝物を受け取る子どものようにそれを見つめ、瞳からキラキラと光を弾けさせる。その無邪気な姿に目尻を下げていた一ノ瀬だったが、突如、背後から突き刺さる殺気立った視線を感じて身震いをした。ブリキ人形のようにぎこちなく振り返り、後ろに立つ光汰の顔色を恐る恐る窺う。
「……ごめんね、邪魔した?」
「はい」
「はははー正直」
苦笑いを浮かべた一ノ瀬は、不機嫌を隠そうとしない光汰に肩をすくめる。そして、これ以上留まるのは無粋と判断し、サインを胸に抱えて感無量といった様子の星へ気さくに手を振った。
「じゃあねー星くん! またね!」
「はっ、はい!」
パタンと音を立てて玄関ドアが閉まり、嵐の去った室内には途端に静寂が満ちていく。リビングへと急ぎ足で戻った星は、興奮に目を輝かせながらサインをファイルへ慎重に収めると、愛おしそうに胸元で抱きしめた。
「家宝が増えた……」
その喜びに浸る背中を、光汰は星とは真反対の曇った表情で見つめている。呑気にインフィニティフェニックスの主題歌を口ずさむ星へ、光汰は低い声で静かに問いかけた。
「……翔さんも推しなの?」
光汰の纏う空気が変わったことに気づき、一瞬星の指先を強張る。しかしすぐに明るさを取り戻し、おおげさに腕を組んでうーんと唸ってみせた。
「こう、『推し!』って感じじゃないけど……。僕は、インフェニは皆いいキャラしてると思ってるよ……。フェニクスブルーもかっこいいよね」
作品への愛を純粋に語り、星は無邪気な笑顔を浮かべる。しかし、その言葉が引き金となり、光汰の胸中で燻っていたドロリとした感情が荒波のように押し寄せて光汰自身を攫った。光汰は拳を固く握り締め、迷いのない足取りで星との距離を詰めていく。
「……嫌だ」
「光汰くん……?」
威圧感すら孕んだ光汰の雰囲気に気圧され、星はソファに腰掛けたまま思わず身をすくませた。見下ろしてくる光汰の瞳には、今まで見たこともない熱い感情の炎が揺らいでいる。
「無茶言ってるって分かってる。でも……烈火誠だけ推しでいて。お願い、俺だけを推して」
「え……」
光汰は身を屈めると、星の膝に縋りつくように首を垂れた。自分よりずっと背の高い光汰が、目の前で小さく跪くという光景に、星はぽかんと呆気にとられて息を呑む。乱れた前髪の隙間から見え隠れする光汰の表情は苦しげで、唇を固く噛み締めながら、震える声で次の言葉を紡いだ。
「……俺、星が好きだ」
「え?」
喉の奥から絞り出された告白に、星は素っ頓狂な声を上げる。そして、突きつけられた言葉の意味を少しずつ理解していくにつれ、顔に血液が集まったかのように赤く染まっていった。心臓が激しく脈打つ胸を押さえ、星はぐっと身を小さく丸めながら、静寂を振り払うように必死で言葉を絞り出した。
「ぼ……ぼく、も、好き、だよ?」
「それは推しとして? それとも……」
縋るような眼差しで顔を上げた光汰に迫られ、星は拳を握り締める。ショートしそうな頭をグルグルと回転させながら、絞り出すように本音を紡いだ。
「推しとしても好きだよ。でも……それに収まらないっていうか、なんというか……」
光汰の告白に引っ張られるようにして、胸の奥に閉じ込めていた想いを曝け出す。しかし、その強烈な恥ずかしさに耐えきれなくなった星は、誤魔化すように笑い声を上げた。
「あはは、光汰くんが僕を? 信じられないっていうか……」
困惑して逃げ道を探す星の言葉を遮るように、光汰はゆっくりと立ち上がる。そして逃がすつもりなどないと言わんばかりにソファへと乗り上げ、星を閉じ込めるように背もたれへ両手をついた。
「俺は、俺を見てくれる星が好き。星の全部が欲しい」
「ぜんぶ……?」
覆いかぶさってくる光汰の影の中で、星は呆然とその姿を見上げる。光汰はさらにぐっと顔を近づけ、逃げ場を無くすように力強く頷いた。
「うん。全部」
「う、う、うそ、でしょ……!? 信じられないって……!」
至近距離で浴びせられる推しの顔面と告白に、星の脳内はパニックを起こし、堪らずソファから這い出そうとする。しかし、完全に腰が抜けており、二、三歩進んだ後にドサリと床へ座り込んだ。
「そっ、それは、友達としてってことだよね? まさか恋愛としての、ってこと……?」
ずるずると床を蹴って後退りしながら、星は真っ赤な顔を両手で覆いながらそっと光汰を見上げる。光汰は低く息を吐くと、床に倒れ込む星のもとへ足を進め、目線を合わせるように膝をついた。
「俺は星の全部が欲しい。友達だけじゃ満足できないと思う。だから、確かめたい」
そしてそのまま星へ腕を伸ばすと、その真っ赤な頬にそっと手を添え、親指で薄い唇の輪郭を優しくなぞる。
「え」
突然のことに小さく息を漏らす星の顎を、光汰は指先でクイと持ち上げた。
「……嫌じゃなかったら、受け入れて」
祈るような囁きとともに、光汰は自らの唇を星の唇へと静かに重ねる。熱く、柔らかく吸い付くような触感に、星は全身を強張らせてギュッと目を閉じた。時計の秒針すら聞こえそうなほどの静寂の中、触れ合うところから全身へと熱が伝波していく。そして数十秒後、ゆっくりと離れていく光汰の顔を、星は潤んだ瞳で見つめ返した。
「……いやなわけないじゃん。光汰くんはずるいよ」
「……ごめん」
星は背中を丸めて蹲ると、顔を両手で覆ったまま、くぐもった声を上げる。
「うぅぅ……やっぱり僕は光汰くんが好きなんだ……。身の丈に合わなすぎる……」
あまりのことにキャパオーバーで縮こまる星へ、光汰はさらに距離を縮めた。
「その俺が星がいいって言っているんだけど。だから逃げないで」
「うぅぅ……光汰くんは、嫌じゃなかった? こんな病弱で、幼稚でどうしようもない僕を……」
耳まで真っ赤に染めた星が、おずおずと顔を覆っていた手をどける。そこには、鼻先が触れ合いそうなほど至近距離で自分を見つめる光汰の瞳があった。光汰は逃げ場を与えない眼差しで真っ直ぐに応える。
「嫌じゃなかった」
「……ぼく、も、だから、困ってるんだ」
消え入りそうな星の声を聞き届けると同時に、光汰はもう一度、今度は確かめるように深く口付けを交わした。互いの呼吸が重なり、ゆっくりと唇が離れる。光汰は星の手を引き寄せ、その指の間に自身の指を絡ませた。
「星、付き合って。お願い」
そうして握りしめてくる光汰の手は、その口から出てくる我儘のような懇願とは裏腹に小さく震えている。その震えを感じ取った星は、小さく頷き、ゆっくりと顔を上げた。
「……光汰くんとの関係に、友達の先があるのなら。きみの特別になってもいいんですか……?」
「いいに決まってる。俺が、そう望んでいるんだ」
光汰はその言葉を噛み締めるように強く頷くと、溢れ出る感情に耐えかね、星の身体を力強く引き寄せ、きつく抱きしめた。




