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『いやだ! いたいのもこわいのも、もうやだ! かえる!』
白く冷たい病室の隅で、小さな身体を丸めて泣く幼子の声が響く。大人たちがお菓子やぬいぐるみで機嫌を取ろうとしても、暖簾に腕押し。少年はその真ん丸な頬を膨らませて首を振った。駄々をこねる息子を前に、両親は顔を見合わせて溜め息をつく。
『星、これはね、星の身体を治すために必要なことなの』
どれだけ宥められても、星はぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら頑なに説得を拒んだ。
『びょういんやだ。おうちかえりたい』
次の検査の時間が迫っているのか、ドアの隙間から看護師が申し訳なさそうに様子を伺う。その視線に耐えかねた母は、星の腕を掴んで無理矢理にでも立たせようとした。
『やだーっ!』
『ごめんね、ごめんね星……』
星の悲鳴が響き渡る中、騒ぎを聞きつけた主治医が何事かとひょっこりと顔を出す。初老で柔和な雰囲気を纏う彼は、星に合わせて身を屈めると、そっと泣きじゃくる顔を覗き込んだ。
『ねぇ星くん。これからやることはね、星くんの身体にいる悪いやつをやっつけるために必要なことなんだよ』
『わるいやつ……?』
膝を抱えて鼻をすする星は、真っ赤にした目のまま医師を見る。主治医は目元に皺を寄せて微笑むと、柔らかい星の髪を撫でた。
『そう。苦いお薬も全部、星くんの中にいる悪者を倒すため。僕たちは、そのために戦うヒーローだ』
『ひーろー?』
星はキョトンと首を傾げ、その言葉を小さな口で鸚鵡返しする。
『そう。まぁ、一番のヒーローは、頑張ってくれる星くんなんだけどね』
『ぼくが?』
いつの間にか涙は引っ込み、星は興味津々といった様子で彼の話に瞳を輝かせた。主治医の男はズボンのポケットからスマホを取り出すと、椅子に腰掛けて星をそっと抱き上げる。
『そうだよ。ほら、1話見てみる? これを見てから、一緒にかっこよく検査に行こう』
『うん……』
検査という単語に眉をひそめたものの、流れ始めた映像に、一瞬で星は釘付けになった。申し訳なさそうに身を小さくする両親へ、主治医の彼は「大丈夫ですよ」と目配せを送る。
――この世に悪がいる限り、俺たち龍の者はその前に現れる! 我ら、『炎神ブレイズ・ドラゴンテイル』!
紅蓮の炎を背に、立ち塞がる敵の"魔竜軍団"へ向かってヒーローが高らかに名乗りを上げた。星はキラキラと瞳を輝かせ、医師の膝の上でぴょんぴょんと身を弾ませる。
『かっこいい! ねぇ先生! これがヒーロー!?』
星が小さな指先で指し示したのは、光の刃を振るう赤き龍の戦士。医師はゆっくりと頷いて深く微笑んだ。
『そうだよ。みんなの笑顔を守ってくれるんだ。星くんが気に入ったこの戦士は、レッドドラゴンっていうんだよ』
『レッドドラゴン! かっこいい……!』
星は医師の手からスマホを包み込むように受け取ると、画面を一時停止させ、レッドドラゴンの姿を食い入るように見つめる。すっかり機嫌が直った星に、医師も、看護師も、そして両親も、強張らせていた肩の力をようやく緩めたのだった。
★★★
『ゆうきのー、ちからでー、のぼっていけー……』
病床の小さな机で、星は拙い歌声で主題歌を口ずさみながら、紙の上にカラーペンを走らせていた。着替えを抱えて入ってきた母親が、その手元を愛おしそうに覗き込む。
『星、何書いてるの?』
『おてがみ! ぼくもしゅじゅつがんばるから、レッドドラゴンもがんばれってかくの! まっててね、これがおわったら、ちゃんと看護師さんのところいくよ』
『星……』
聞き分けのいい星の言葉を耳にした母の脳裏には、かつて検査のたびに泣き叫び、逃げ回っていた息子の姿が蘇った。しかし、『炎神ブレイズ』に出会ってからの星は、「レッドドラゴンが頑張っているから」と、どんなに過酷な治療にも立ち向かうようになっていた。身につけるパジャマも、枕元に並ぶソフビやぬいぐるみも、すべて炎神ブレイズ。それらを抱きしめて、星は今日も恐怖を乗り越えていくのだ。
『かけた!』
『上手に書けたねぇ』
誇らしげに掲げられた紙には、赤やオレンジのペンで力強くぐちゃぐちゃに塗りつぶされた、幼いイラストが描かれている。ペンをケースに戻した星は、自らベッドから降りると、小さな足取りで病室のドアへと向かった。
『おかあさん、早く行こう? おわったら、ドラゴンテイルもっかいみたい』
『……うん。すぐ行こうね』
自らの足で廊下へと進んでいく息子の小さな背中を見つめ、母はテーブルの上に残された手紙を丁寧に折り畳み、そっと鞄へしまう。
その数日後、病室のベッドの上で、星が合体ロボットのパーツをカチカチと真剣な目つきで組み立てていた時のこと。静かな部屋にドアが開く音が響き、母が息を切らしながら飛び込んできた。その頬は朱をさしたように上気しており、その手には、一通の封筒が固く握りしめられている。
『星、レッドドラゴンから、お返事が届いたよ』
『え! ほんと!? ねぇおかーさん、はやくよんで!!』
星は弾みをつけて身を乗り出した。母はベッドに腰掛けて急かす星を宥めながらゆっくりと封を破る。中に入っていたのは、力強く、どこか温かみの宿った手書きの文字の並ぶ一枚の便箋。母は紡がれた一文字一文字を噛みしめるように、静かに読み上げた。
『星くん、お手紙ありがとう。共に悪と戦っている仲間として、君の頑張りを心から誇りに思う。俺も魔竜軍団に負けずに立ち向かっていく。だから君も病気を治して元気になったら俺たちに会いに来てほしい。 だって!』
星は歓喜の声を上げながら、母の手から手紙を受け取る。胸に強く抱きしめたその一通の手紙は、星が生きていく中で何よりの宝物となったのだった。
『ぼく、がんばる! レッドドラゴンみたいなヒーローになって、皆を救うんだ!』
★★★
「……夢、か」
パチリと目を覚ますと、そこはいつかの病室ではなく、いつもの自分の部屋だった。星は、ほぼ昼となった日差しの中で体を起こし、寝巻から部屋着のキャラTと半ズボンに着替える。そして、重い身体を引きずるようにリビングへと向かった。
「星、おはよう。体調は大丈夫? まだ無理しちゃダメよ」
「おはよ、大丈夫。今日はずっと起きていられるかも」
カレンダーを見れば、今日は終業式の日となっていた。球技大会で倒れてから、いつの間にか一週間以上が経過している。そんな体たらくに、思わず星はため息をついた。そしてコップ一杯の麦茶を喉に流し込み、星はリビングのソファへと腰を下ろす。
「そうだ、先週の回、まだ見れてなかった……」
テレビのリモコンに手を伸ばし、星は録画を再生させた。
「え、誠に、お兄さんが……?!」
そして繰り広げられる怒涛の展開に星はリモコンを持ったまま呆気にとられて固まる。それもそのはず、星が見逃したのは、烈火藍之介が初めて誠の前に姿を現して立ち塞がる回だったからだ。
『俺は、兄さんが大好きなのに!』
喉を引き絞るような誠の悲鳴に、星はギュッと膝の上の拳を握る。一話を通して、その不安定で崩れそうな誠の姿に、星は堪らずスマホを手に取った。
「うわ……すごい通知の数……。ここ一週間、全然見れてなかったから……」
画面を埋め尽くす光汰や駿平からのメッセージと着信履歴の山に、星は目を見開く。
「なにやってんだろ、僕……。光汰くんがこんなに頑張ってるのに……」
身を削るような光汰の姿を見て、星は自らの不甲斐なさにしゅんと肩を丸めた。




