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夏休みの始まりを翌日に控えた高校には、耳を刺すような蝉時雨が容赦なく降り注いでいる。その中で光汰は久々に制服を纏い、普通の高校生として校門をくぐった。芸能人を目にした生徒たちは驚き、歓声を上げ、瞬く間に熱が伝播していく。
「やば……! 本物の篠宮くんだ、超イケメン!」
「背高っ! 顔ちっちゃ!」
すれ違いざまに投げかけられる視線に、光汰は求められるまま微笑みを返し、やっとの思いで3年7組の引き戸を開けた。
(あれ……?)
ぐるりと教室を見渡した時に目に入った空席に、光汰ははてと首を傾げる。そうして立ち尽くす光汰の背後に、お調子者の雰囲気を纏った男子生徒が声を掛けた。
「篠宮ー、学校来るなんて珍しいじゃん。成績表回収しに来た?」
「……まあ、そんな感じ」
光汰はどこか上の空な生返事をし、釈然としないまま己の席へと腰を下ろす。そして制服のポケットからスマホを取り出してメッセージアプリのトーク画面を開いた。多忙を極める中で生まれた貴重な休み。それをわざわざ登校に使おうと思った理由は、成績表という紙切れのためなどではない。
『学校来てない? 大丈夫?』
親指を動かし、星に向けて手早く文字を打つ。トーク画面には、光汰が送信した何個ものメッセージが一方的に並んでいた。それを見下ろす光汰の眉間には深い影が刻まれる。
(……既読すらつかない)
この一週間、星と連絡がつかない。毎週の放送後に必ず送られてきていた画面を埋め尽くすほどの感想文も届かない。よりにもよって先週は、烈火藍之介が初めて誠の前に立ち塞がったあの回が放送されたというのに。周囲に尋ねることもできず悶々としていると、不意にスマホが鈍く震えた。弾かれるように画面を見つめた光汰は、すぐに深いため息をつく。
『明日出張でそっち方面行くから、今日の夕方から実家に顔出すよ』
届いたメッセージは星のものではなく、兄から家族へ向けたものだった。光汰は既読無視を決め込み、諦めるようにスマホをポケットへしまう。ちょうどその時、担任が光汰の登校で浮ついている教室を見兼ねて声を掛けた。
「終業式始まるぞー。廊下に並んで講堂行けー」
生徒たちは口々に不満をこぼしながら、ぞろぞろと形ばかりの式典へと向かっていく。
そして校長の長々と続く挨拶をやり過ごした生徒達は、夏休みの突入に歓喜し、足早に学校から去っていった。一方、光汰は頭を支配する疑問の答えを求めるように、光汰は保健室へと足を運ぶ。
「お、篠宮君、久々だねぇ。さては今回も保健室をエスケープゾーンとして使ってるね? いいよ~」
懐かしい呑気な菅原の声と穏やかな雰囲気に、光汰は強張っていた肩の力を抜く。そして丸椅子に腰掛け、間髪入れずに本題を切り出した。
「菅原先生……星は、学校来てないんですか?」
書類にペンを走らせていた菅原の手がぴたりと止まる。そして気まずそうに眉を下げ、椅子をくるりと回転させて光汰へと向きなおった。
「雨宮君ね……この前の球技大会のとき、熱中症で倒れて自宅療養中なんだ。疲労とか寝不足とか色々重なったみたいでね。ようやく回復してきたって、さっき連絡があったところだよ」
「熱中症!? 大丈夫なんですか!?」
光汰は目を見開き、弾かれたように立ち上がる。勢い余って倒れたパイプ椅子が音を立てて床に転がった。
「医師の診察も受けて、命に別状ないことは分かってるから大丈夫。授業もない時期だし、無理せず休むように言ってあるから」
取り乱す光汰とは対照的に、菅原は諭すような落ち着いたトーンで言葉を紡ぐ。光汰は拳を白くなるまで強く握り締め、菅原をじっと凝視した。
「……そんなに星は身体が弱いんですか? なんでそんな星を球技大会に」
「試合に出場していたわけじゃない。ただ……あの炎天下の中で観戦させたリスクは否めないね。雨宮君は、我々が思っている以上に繊細な子なんだ」
光汰は唇を噛み切らんばかりに強く噛み締める。ふと視線を彷徨わせれば、初めて星と出会ったベッドが視界に入った。あの時も星は、体調を崩して臥せっていたのだ。そして何も知らず無遠慮に踏み入った自身への自己嫌悪が押し寄せ、光汰は顔を覆う。
「……帰ります」
「うん、いい夏休みを」
光汰は素早く踵を返して引き戸を閉めた。その瞬間、それを待ち構えていたかのような低い声が背後を刺す。
「……お前だったんだな。星の『忙しい友達』ってのは」
振り向くと、自分と同じ学年カラーのスリッパを履いた男子生徒が腕を組み、殺気立った目を向けて光汰を睨んでいた。ガンを飛ばされる覚えのない光汰は、困惑を隠せぬまま鋭い声を返す。
「誰……?」
「金田駿平。星の友達だけど」
吐き捨てるように名乗った駿平は、大股で歩み寄るなり、光汰の制服の胸倉を容赦なく鷲掴みにした。
「お前何なの? 星のこと大して知りもしねぇくせに無理させて、無駄な心労かけてさ。星は純粋に『炎神ブレイズ』を楽しみたいだけだ」
光汰は目を丸くして駿平を見下ろす。歯軋りをする駿平の脳裏には、あの球技大会の事件が昨日のことのように鮮明に蘇っていた。
『星! 星! おい、しっかりしろ! 熱っ……!』
駿平がフットサルの試合を投げ出して駆け寄った時、抱き起こした星の身体は驚くほど熱かった。
『とりあえず保健室に運べ!』
『俺が背負います!』
体育教師の指示に、駿平はその身体を背負い込み、揺らさぬよう、しかし一刻も早くと校舎へ走る。その時、意識の朦朧とした星の口から、くぐもった声が漏れた。
『んんっ、……くん』
『星?』
落とさないよう慎重に背負い直した駿平の耳元で、星は確かに呟いた。
『こう……た、くん……』
『……は?』
駿平は自分の耳を疑った。そして、なぜ星が3年になって必死に学校に行こうとしているのか。5月の連休に言っていた「忙しい友達」とは誰のことだったのか。駿平の脳内で全てが繋がった。
「星の領域に踏み入るなよ。からかってるなら今すぐやめろ。あいつは自分の知らない間に無理して勝手にパンクするんだよ!」
駿平の怒号が静かな廊下に響き渡る。その気迫に、光汰は怯むどころか鋭い視線で睨み返した。
「……星は、ちゃんと夢を持って、それに向かって努力してる。それを止める権利は誰にもない。俺は、そんな星の努力を信じてるし、心から尊敬し応援してる」
「は……?」
予想もしなかったまっすぐな返答に、駿平は目を見開き、胸倉を掴む手の力をわずかに緩める。その隙を逃さず、光汰は駿平の手首をむんずと掴んだ。制服の布地と皮膚が擦れ合う鈍い音が響く。
「それに……星は、俺が誠を演じる大切な理由の一つだ。からかってなんかない。星には、誰よりも先に、俺の演じる誠を見ていてほしい」
真っ直ぐに駿平を見下ろす瞳は、強く光を宿していた。
「……そーかよ」
駿平は乱暴に手を振り払うと、背負っていたリュックから学校のプリントと封筒を取り出す。そして廊下の壁に紙を当ててサラサラと何かを書き、光汰の胸元へ押し付けた。受け取った紙切れには、見慣れない住所が記されている。
「それ、今日配られたプリント。先生に届けてって頼まれたけど、俺、忙しくなったから行けねぇわ。お前がポストにでも入れてくれば?」
「分かった。……ありがとう」
そう吐き捨てて踵を返す駿平の背中に、光汰は静かに声をかけた。




