24
『ねぇ光汰くん、炎神ブレイズのオーディション受けてみない? 受かった場合のスケジュール、滅茶苦茶大変だけどさ』
事務所の一角にある小さな打ち合わせスペースにて。呼び出しに応じた光汰は、向かいに座る朝野の唐突な一言に思わず顔を上げた。彼女が手にしたタブレットには、既に募集要項らしきページが表示されている。
『炎神ブレイズ、ですか?』
子供向けのヒーロー番組であり、イケメン若手俳優の登竜門だ。皆が憧れるその名を聞いて光汰の脳裏をよぎるのは、幼い頃に少しだけ見ていた眩しいヒーローの姿。あまりに自分とはかけ離れた存在に、光汰は無意識のうちに視線を膝の上に落とし、小さく首を横に振った。
『俺はヒーローって柄じゃ……』
『何言ってるの! 昨今ヒーローらしいキャラだけじゃないし。制作陣に顔を売ると思って! 敵役とかでも人気出たら儲けモンだよ?』
朝野はそう強く言い放つと、タブレットの画面をくるりと光汰へ向けてスワイプする。ここ数年のシリーズに出演したキャストの一覧には、最近ブレイクし「売れっ子」と呼ばれるようになった俳優たちの名があった。登竜門というブランドは本物らしい。光汰は思わずゴクリと喉を鳴らす。
『まぁ受かる確率の方が低いよ。実力と、向こうが求めるキャラに合うかって運があるし』
乗り気でない光汰を前に、朝野はあっけらかんと厳しい現実を突きつけた。
(ヒーロー、か……)
光汰は膝の上で拳をきつく握りしめる。もしも、自分が炎神ブレイズの役を掴むことができたのなら。それこそ兄にはない自分だけの価値を手に入れることが出来るのではないか。そこまで考えて、光汰は自分の浅ましさに乾いた笑い声を上げる。
『これに受かったら、売れるんですかね、俺……』
そんな卑しい問いがぽつりと光汰の口から零れ、朝野は一瞬だけ目を見開いた後、いつもの調子に戻って肩をすくめてみせた。
『勿論、100パーじゃない。その後の努力の方が大事。でも、皆に名前と顔を知ってもらえる。それは大きい。売れるための足掛かりになるね』
光汰は膝の上の手を握り直すと、しばらく視線を彷徨わせて黙り込む。
(でも、俺にヒーローの役なんて……)
朝野は眉間に皺を寄せる光汰を前に、そっと微笑んで肩を叩いた。
『迷うならやってみればいい。新しい自分に出会えるかもしれないし』
朝野の底抜けに明るく、楽観的な言葉が、狭い打ち合わせスペースに響く。光汰は思わず目を見開くと、まるで背中を押されるようにそっと首を縦に振った。
『……やってみます』
★★★
オーディションは書類選考を通過し、対面で制作陣との面接の段階まで進んだ。扉を開けた瞬間から、見定めるような鋭い視線が光汰たち若手俳優の全身に突き刺さる。
(落ち着け……。何度もイメージしただろ)
ぞろぞろと列をなして用意された椅子に腰を下ろす中、光汰は準備してきた受け答えを頭の中で確認した。一人一人その顔を見ていた監督が、手元の書類に目を落としたままぽつりと呟く。
『篠宮光汰君。16歳。高校二年生か。若いねー』
『よろしくお願いします』
独特の緊張感が横たわる雰囲気に呑まれないよう、光汰は声を張り上げて深く礼をした。頭を上げた瞬間、監督やプロデューサー、脚本家たちの視線が改めて全身を突き刺す。息が止まるような気がして、光汰は必死に息を吸い込んだ。
『君は何でヒーローになりたいの?』
順繰りに自己PRや質疑応答が行われる中、光汰にもありがちな問いが投げかけられる。
(売れたいから。とは言えないよな……)
光汰は何度も反芻して澱みなく言えるようにしてきた言葉を唱えた。
『幼いころから憧れているからで、芸能界に入ったからには、ヒーローになりたいと』
セリフを読み上げているような様子に、監督は書類から顔を上げて鋭い視線を光汰に投げる。
『御託はいいよ。君、本心があるでしょ?』
その逃げ場のない眼差しに、光汰は自分の仮面や演技がここでは一切通用しないことを感じた。見透かされたと思った途端、心臓が早鐘を打ち、掌の汗が滲む。光汰は視線を彷徨わせて戸惑いの声を上げた。
『……え』
次の言葉が出てこない。長机の向こうで、監督たちが静かに反応を窺っている。誰も急かすことなく、しかし逃がすこともせず、ただじっと光汰の言葉を待った。数十秒後、光汰は沈黙を引き裂くようにゆっくりと顔を上げる。
『……自分自身が、ヒーローとかけ離れている人間だからこそ、演じたいのかもしれません』
絞り出すように紡がれたその言葉は、思いがけず零れた本音だった。震える声を隠しきれないまま、光汰は真っ直ぐに監督を見つめる。
『かけ離れている、とは』
監督と脚本家が興味を引かれたように、頷き合って身を乗り出した。光汰はしどろもどろになりながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
『俗にいうヒーローのように、俺は根から明るくも無ければ……真っ直ぐな人間でもありません』
誰にも見せたことのない自分の暗部を、見ず知らずの人間の前で思いがけず曝け出した恐怖で指先が震えた。
『それでも、人に勇気を与えるヒーローになれるならば、そういう自分があると信じたいんだと思います』
言い終えた瞬間、沈黙が部屋を満たす。取り返しのつかないことを口にしてしまったのではないかという不安が押し寄せ、光汰は思わず俯いた。しかし監督はふっと表情を緩めると、あっさりとした調子で次の問いに移る。
『……ふーん。じゃあ篠宮君、好きな食べ物なに?』
『……へ?』
あまりに脈絡のない質問に、光汰は気の抜けた声を漏らした。先ほどまでの重苦しい緊張が、その一言で嘘のように解けていく。何が何が求められていたのか、光汰にはまるで見当がつかなかった。
『お疲れー……大丈夫?』
会場を出るなり、光汰を待っていた朝野が声を掛けた。心配そうに眉を寄せたその表情から、光汰は自分が酷い顔をしているのだろうと勘付く。そして、力なく首を横に振って苦笑いを見せた。
『落ちましたね、多分』
『え! そんなに手応えなかった?!』
『やっぱり、俺には荷が重かったのかもしれません』
朝野は大袈裟に肩を落とし、光汰はただ黙って俯く。それから数日、光汰はすっぱりオーディションのことなど諦め、今ある仕事に向き合っていた。しかし、光汰へ届いた報せは、通過という予想外の結果だった。
『行けたじゃん! アクションはできるし無問題! このまま行っちゃおう!』
朝野から電話越しに弾んだ声で告げられた朗報に、光汰は目を見開く。信じられない、という思いが先に立ち、くらくらと眩暈がした。
『あんなことを言っても通してくれたのなら、最後まで進むしかないですね』
光汰は電話口でそう呟きながら、そっと口元を引き結ぶ。
★★★
「夢……」
目を覚ました瞬間、光汰はしばらくの間、ぼんやりと視界に映る天井を睨んだ。
「全然寝た気がしない……」
瞼を擦り、光汰はのろのろと身を起こす。汗ばんだ首筋に手を当てながら、スマホで時刻を確認した。数時間寝た筈の身体は、鉛のように重く光汰を追い詰める。カーテンを開けた窓の外はまだ薄暗く、微かな朝の気配だけが忍び寄っていた。




