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(最悪だ、こんな時に一体何を考えて……)
光汰は頭を振って唇を噛むと、手早く入浴を終え、リビングへと戻った。髪を拭きながらデスクに腰を下ろし、封筒を開け、パソコンで通話アプリを起動させる。チャットを繋げば、自宅らしき風景をバックにした担任の顔が映し出された。
「お、こんばんは篠宮君。送ったテスト用紙あるね? じゃあ早速始めようか。今日は二教科だから……」
画面の向こうで担任が時計を確認しながら大きな欠伸を漏らす。それを見た光汰はシャープペンを強く握り締め、気づけば謝罪の言葉を零していた。
「すいません、こんな特例の対応を……」
「いいんだよー。うちにいたいっていう君の意向を尊重しただけだしさ。理事長も『うちの出身有名人に箔がつく』ってホクホクだしね」
担任は手元の書類を確認しながら、ニコニコと屈託のない笑顔を向ける。
「普通だったら許されないことだけど、お兄さんも凄かったし、君もきっと良い大学に行くに違いないから。多少はね」
その一言。幾度となく投げつけられ、聞き飽きたはずの言葉。それが今の光汰には鋭い刃のように勢いよく心臓を貫いた。
「俺は、俺は兄さんじゃないです! 兄さんなんか嫌いだ! 何でこんなところで、そんなことを言われなきゃならないんだ!」
カッと目の前が真っ赤になった光汰は、感情の昂るままに尖った言葉を口走る。
「えっ……と、篠宮君……?」
次いで困惑したような担任の声が耳に入り、ハッとして息を呑んだ。怒りのままにデスクを殴りつけた手が、ジンジンと痺れて熱を持っている。光汰は慌てて画面に向かって深く頭を下げた。
「すいません、取り乱しました。試験、お願いします」
試験を終えてパソコンの電源を落とした光汰は、鉛のように重い身体を引き摺って寝室へ向かい、ベッドに勢いよく倒れ込む。首だけを横に向ければ、洋画のDVDをコレクションした棚が視界に入った。
(そもそも、洋画を見始めたのも「言葉も文化も違う、自分も兄も誰も知らない別世界に逃げたい」っていう惨めな現実逃避だったな)
その証拠と言わんばかりに、その棚にはゾンビものやB級SFばかりが並んでいる。光汰はひとり乾いた笑いを漏らした。
(俺は、兄さんの歩んだ道を満足に歩くこともできない劣化版だ)
ずっとそう思って生きてきた光汰の人生に転機が訪れたのは、高校一年の夏、東京の小さなミニシアターでしか上映されていないB級洋画を観に出かけた時だった。
『ちょっと君いいかな? 僕、こういう者なんだけど、芸能界に興味あったりしない?』
人混みの中で、突然見知らぬ男に声をかけられ、急に眼前に開けた『兄とは異なる道』。逃げ込むように進んだ先の世界でも、結局光汰は、兄に、そして自分自身に囚われ続けている。
「星……」
光汰は逃げるようにスマホを開き、星とのトーク履歴を読み返した。並ぶのは、「普通」の高校生活を送っている証拠である授業ノートの写真と、賞賛ばかりの感想メッセージ。しかし、今放送されて星の元に届いているのは、まだ光汰の芝居の調子が良かった頃の話だ。星は、今の光汰がこのような壁にぶち当たっていることなど知りもしない。
『見てて欲しい』
いつか連れ出した水族館で星の過去を知り、口をついて飛び出した言葉が蘇る。寝返りを打てば、ベッド脇に飾られた、ノコギリエイのぬいぐるみと目が合った。
「今の俺は……こんな醜い俺は、見られたくない……」
光汰はスマホの電源を落とし、蹲って無理やりにでも目を閉じる。昂った神経は、光汰の眠りさえも妨害した。




