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(何がヒーローだ……)
朝野の運転する車の後部座席で、光汰は口を噤んでがっくりと項垂れている。時折スマホの画面を睨んでは、強く唇を噛み締めた。
「ねぇ光汰君。最近の演技、お兄さんを意識してる感じ? その気持ちも分かるけど、ちゃんと演じるのがプロだよ」
「……分かってます」
淡々と告げられた朝野の言葉に、光汰はスマホを握り締めたまま、辛うじて掠れた声を返す。あまりに生気がないその声を見兼ね、朝野はバックミラーへ視線を移した。さながら幽霊のように、セットを崩した前髪が揺れてその目元を覆い隠す。車の不規則な振動に身を任せる光汰に、朝野は小さく息を吐き出した。
「明日も4時起き。しょげてる暇なんてない。迎えに行くから、ちゃんと準備しててね」
朝野の声はどこまでも鋭く厳しい。しかし、全て当たり前のことだと分かっている光汰は、静かに首を縦に振った。
「ありがとうございます。……すいません、迷惑かけて」
「何言ってるの。若手なんて迷惑掛けてナンボ。大丈夫。あなたは、数多の役者が喉から手が出るほど欲しがる『炎神ブレイズ』の主演を勝ち取ったの。ちゃんとできるよ」
「……はい」
マンションの前へ車を乗り入れた朝野は、光汰の肩をポンと叩いて送り出す。光汰は深々と頭を下げ、逃げるようにマンションの自動ドアを潜った。
部屋に入るや否や、光汰は荷物をソファに放り投げてキッチンに向かい、ペットボトルの水を飲み干す。大きく息をつきながら、右手で空になったペットボトルを握り潰した。
(はぁ……まだ時間あるな)
ため息をつきながら部屋の端にあるデスクに向かえば、見慣れた高校名が印字された分厚く大きな封筒が置き去りになっている。光汰はそれを一瞥し、乾いた笑い声を上げた。
「……俺は、負け犬だよ」
『兄・烈火藍之介』という存在が劇中に登場した途端、『烈火誠』と『篠宮光汰』の歯車が噛み合わなくなっている。その原因は紛れもなく、光汰の中に燻り続けている、兄に対する歪んだ感情だ。光汰はその醜い炎を消し去ってしまいたい衝動に駆られ、そのままバスルームへ向かった。
蛇口を捻り、温度が上がる前の冷水を頭から被る。きめが細かい筋肉質な肌の上を水滴がするすると滑り落ちた。光汰は真正面に据えられた鏡に手を突き、虚像の己と睨み合う。
――兄は、昔から恐ろしいほど優秀な男だった。テストで県一位を取ったとしても、兄の主戦場は常に全国。スポーツをやっても、兄の残す成績には到底届かない。
そんな完璧な兄の人生における唯一の汚点が、受験当日に体調を崩し、県内随一の公立トップ校に落ちてこの高校の特進に入学したことだった。当然家庭内は酷く荒れたが、兄は腐ることなく学年トップを走り続け、最終的には本校歴代初となる日本最高峰の大学へと進学した。
(だから、高校受験の時、最初は兄さんの行けなかったあの高校に入ってやろうと思ったんだっけ)
ずっと負け続け、比べられ続けてきた兄の鼻を明かす、人生最大のチャンスだと思ったからだ。
しかし、勉強するにつれ、次第に底知れぬ恐怖が全身にまとわりつくようになった。本気で挑戦して落ちたら? それこそ、兄との決定的な差を突きつけられるみたいじゃないか。
だから逃げた。兄と同じ私立高校を『単願』で受けた。首席の挨拶は、単願受験生の中のトップが行うと知っていたから。公立校の受験に失敗して落ちてきたような負け犬じゃない。自分の意志でここを選び、自分で望んで首席になったのだと証明したかったんだ。




