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病弱ヲタクが推しを前にして褒めちぎったら、来るはずのない青春が始まりました。  作者: 安藤未粋
2章:【5月のはなし】

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 光汰が向かったのは、駅のすぐ隣にある水族館だった。ちょうどイルカショーが始まろうとしているのか、来場者の殆どはスタジアムへ向かっている。そのおかげで、ショーのエリアから離れた水槽は人が疎らとなり、しんと静まり返っていた。


「綺麗……」


 アーチ状の巨大水槽を見上げ、星はカラフルな熱帯魚に駆け寄って顔を綻ばせる。水槽から届く青い光のゆらめきが、星の薄い肌を静かに照らした。


「……」


 その幻想的な横顔に、光汰は思わずスマホを掲げて静かにシャッターを切る。


「わっ、どしたの?」


「……何でも」


 急にカメラを向けられて目を瞬かせる星だったが、今度は頭上を悠々と横切っていく大きなノコギリエイと、それを目で追う光汰に思考を奪われた。青い光のグラデーションに包まれた光汰の美しさに、星は胸を突かれて呟く。


「光汰くんは青も似合うんだ」


「星も、青が似合う」


 光汰はそう言うと、もう一度星の写真を撮った。カシャ、と微かな電子音が響く。


「……光汰くんばっか撮るの、ずるいな」


 思わず頬を膨らませ、ぽろりと漏れた星の不満に、光汰は可笑しそうに目を細めた。そして矢庭に帽子のツバを持ち上げて目元を覆っていたマスクを外すと、「撮っていいよ」と水槽の前で両手を広げる。


「わっ……!」


 まさかのサービスに星は大慌てでスマホを構え、レンズ越しに光汰の姿を収めた。連写の音が響き、光汰は思わず吹き出して笑い声を上げる。そして、ホクホクとした笑顔で写真を確認する星の元へ行こうとしたその時。光汰は、イルカショーに飽きた子供を連れた親子と出くわし、その子供と目が合ってしまった。


「……ふぇにくすれっど?」


「あ……」


 舌っ足らずの幼い声で役名を呼ばれ、光汰の顔が強張る。


「やっぱりレッドだぁ!」


 男の子は爛々と目を輝かせ、母親と繋いでいた手を振り払って光汰の元へ駆け寄った。少年が着ているのは『炎神ブレイズ』のプリントTシャツ。紛うことなきメインターゲットだ。突然走り出した息子に驚いた母親は「ごめんなさい!」と悲鳴を上げる。光汰が戸惑うように星を振り返り、星は自分の我儘で引き起こされてしまったハプニングに顔面蒼白で頭を下げた。


「逃げよう、星」


 大事になる前にと光汰は星の手首を強く引っ張る。しかし、星は必死に足を踏ん張って、光汰の手を引き留めた。


「ごめん! 僕のせいだけど……お願い、少しだけあの子とお話してあげて欲しいんだ」


 まっすぐな星の瞳に見つめられ、光汰は頷いて小さく息を吐吐いた。意を決し、ぴょんぴょんと飛び跳ねる少年の目線に合わせて屈み込む。


「あのね! ぼくレッドがいちばんすき! つよくてかっこいいから! ねぇ、へんしんして!」


「ご、ごめんなさい! お休みですよね?!」


 母親が恐縮しきった様子で頭を下げた。光汰は静かに首を振ると、少年の頭を撫でて優しく語りかける。


「ごめんね。今、ブレスはイエローが預かってるんだ。ブレイズアップのふりでいい?」


「うん!」


 少年が勢いよく頷けば、光汰はゆっくりと立ち上がってすっと背筋を伸ばした。そして、劇中顔負けのキレと迫力溢れる変身ポーズを披露する。


「ブレイズアップ!」


 最後にぐっと握り拳を突き出す光汰。途端、少年はパァと顔を輝かせ、飛び跳ねながら夢中で手を叩いた。


「すごい! すごい! ……あのね、ぼくね、こんど空手のテストがあるから、がんばらないといけないの。ボクも、レッドみたいにつよくなれる?」


「なれるよ。俺も頑張るから、君も頑張れ」


 光汰は再び少年に目線を合わせ、ポンポンと頭を撫でる。少年は自らの手をぎゅっと握り、満面の笑みで頷いた。


「うん!」


「あと、ここで俺と会ったことは、俺と君だけの秘密。約束できる?」


「うん! 約束!」


 光汰は少年と指切りをして立ち上がると、申し訳なさそうに縮こまる母親に向き直って頭を下げる。


「……すいません。プライベートなので、写真とかは……」


「いいえ! 全然大丈夫です! 本当にありがとうございます! こちらこそ邪魔してしまって……!」


 何度も謝り倒す母親に手を引かれ、少年は何度も後ろを振り返りながら元気にその小さな掌を振って去っていった。それと入れ替わるようにイルカショーが終わり、人手が館内に戻り始める。ざわめきが大きくなる中、光汰はマスクをつけ直しながら振り返った。


「この調子だとゆっくりできないかも。ごめん。……って、何で泣いてるの」


 光汰は目の前の光景に思わずギョッとして目を見開く。少年と光汰のやり取りを見守っていたはずの星は、大粒の涙をボロボロと零して号泣していた。


「推しの尊い姿を見られて感無量で……。きっと、あの子にとって今日の約束は一生の宝物になると思う! ありがとう、光汰くん」


「……そうなのかな」


 目元をゴシゴシと拭い、星は光汰に頭を下げる。星の満足げな笑顔を目の当たりにした光汰は、頭を掻いて首を傾げた。そして、しきりに頷く星と周りの人混みを交互に伺い、光汰はパンと手を叩く。


「とにかく予定変更。騒ぎになる前にここを出よう」


 混雑を避けるように歩き出そうとする光汰の服を、星が慌てて引っ張った。


「あ、待って! 売店! お土産欲しいです……」


「……泣き顔で言うことじゃないでしょ」


 懇願する星に呆れつつ、光汰は目元を和らげる。

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