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【連載版】「婚約が決まった」と笑う幼馴染へ。明日から、あなたのお茶は淹れません【全4話】  作者: 堀吉 蔵人


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第3話 二人で決めること

 

 ロゼッタが発った翌日、ニコラはヴィリエ家を訪ねた。

 案内された応接間では、アデルが小さな箱を開けていた。白い布の上に、銀の刺繍が入ったリボンが三本並んでいる。


「式の日につけるものですって。お母様が取り寄せてくださったの」


 アデルは一本を指で持ち上げたが、ニコラの顔を見ると、箱の中へ戻した。


「そのお話ではなさそうね」

「うん。婚約のことで、君と話したい」

「ロゼッタ様は、もうお発ちになったの?」


 旅に出ることは、ニコラから伝えてあった。

 昨日の朝、隣家の門から馬車が出ていくのを、彼は自室の窓から見ていた。見送りに行くつもりはなかった。それでも窓辺には立ってしまった。


「昨日、出発した」

「引き止められなかったのね」


 ニコラは返事に詰まった。

 アデルは箱の蓋を閉めた。留め金が、思ったより大きな音を立てた。


「一昨日、お会いになったのでしょう。謝りに行くと仰っていたけれど、それだけだった?」

「……そばにいてほしいと、言った」


 アデルの指が、留め金を押さえたまま止まった。


「私と婚約したままで?」

「そうだ」

「私には何も仰らずに?」


 頷くことも、言葉を選ぶことも、ずいぶん遅くなった。アデルはその間、目を逸らさなかった。


「君とのことは父にも話すと、その場で言った。先に君に話すべきだった」

「では、ロゼッタ様がお頷きになっていたら、今日は私にお断りを言いにいらしたのね」


 違う、と言えるところを探しかけて、やめた。

 あのとき、ロゼッタが出発を取りやめてくれることばかり考えていた。アデルがどんな顔で自分を待っているかは、考えなかった。


「そうなっていたと思う」

「ずいぶん率直ですこと」


 声が尖った。ニコラは膝の上で手を握った。


「ごめん」

「それで、断られたから、予定どおり私と結婚なさる?」

「そのつもりで来たんじゃない」

「でも、戻ってきてくださったら、とは思っていらっしゃるでしょう」


 ロゼッタは次の約束をしないと言った。ニコラはわかったと答えた。

 それで気持ちまで整ったわけではなかった。今朝も、港町へ着くまで何日かかるのかと考えた。無事に着いたと知りたくて、隣家を訪ねる理由を探しかけた。


「まだ、会いたいと思っている」


 アデルは背もたれから身を起こした。


「それを聞かされる私の気持ちは、お考えにならないのね」

「考えていなかった。だから、今のままで結婚の話を進めてはいけないと思った」


 扉の外で、茶器の触れる音がした。侍女が入ってきて、二人の前にカップを置いた。アデルは礼を言い、ニコラもそれにならった。

 白い皿には、小さな焼き菓子が二つずつ載っていた。アデルは手を伸ばさなかった。


「私、あの夜会では楽しかったのよ」


 侍女が扉を閉めてから、彼女は言った。


「踊りを一度間違えても、あなたは笑わなかった。次の曲も誘ってくださったでしょう。お父様たちのお話が早すぎるとは思ったけれど、あなたなら、と思ったの」

「僕も、君と話すのは楽しかった」

「それなのに、婚約したばかりの私を呼んで、別の女性がどれだけご自分をわかっているか、お聞かせになるのだもの」


 ニコラには、あの席で二人を会わせるのがよいことに思えていた。大事な幼なじみと、これから家族になる人。親しくなってくれれば、それだけで安心できると。


「嫌だったのか」

「ええ。とても」


 アデルはすぐに答えた。


「週に三度もお会いになって、お菓子の中身まで確かめてくださる方がいるなんて。私は、その方の隣で何をすればよかったの?」


 ニコラはあの日の自分の声を思い出した。君といると、いちいち言わなくていいから助かる。そんな言い方を、アデルにも聞かせていた。


「君にも、何も聞かなかったね。あの習慣を続けたいかどうか」

「続けたくなかったわ」


 アデルの目に涙が浮かんだ。彼女はハンカチを取り出し、目尻へ強く当てた。


「でも、嫌だと言えば、私が心の狭い女みたいでしょう。あなたはあんなに嬉しそうでしたし」

「僕に言ってよかったんだ」

「今なら、何とでも仰れるわ」


 そのとおりだった。あの席で言われていたら、気にしなくていい、昔からそうだったのだからと答えたかもしれない。

 ニコラは顔を伏せかけ、もう一度アデルを見た。


「言いにくくしたのは僕だ。君が嫌だったことを、気にしすぎだとは思わない」

「では、どうして私ばかり、意地の悪いことをしたようになるの」

「僕もした。ロゼッタには、そう言って謝った」


 アデルが唇を結んだ。


「あなたが謝ったら、私は何なの」


 ニコラはカップの取っ手から指を離した。


「君の代わりに謝ったわけじゃない。僕が彼女の気持ちを笑おうとしたことを、謝ったんだ」

「子供の約束を持ち出されても、困るでしょう」

「困ったよ。覚えてもいなかった。でも、本気だったと言った人に、そんなはずはないって言うことはなかった」


 アデルは何か言いかけて、やめた。ハンカチを細く折り、また広げた。


「……お茶を頼んだとき、あの方が嫌がるのはわかっていたわ」


 声は小さかったが、ニコラには聞こえた。


「私の席に座る方ではないと、わかってほしかったの。あなたに言うより、簡単だったから」


 あのとき、空のカップを受け取ったロゼッタの顔を、ニコラはよく見ていなかった。自分の腕に添えられたアデルの手を、嬉しく思っていた。


「君が僕に腹を立てるのは当然だ。でも、それを彼女にしたことまで、よかったとは言えない」

「私だって、よかったとは言っていません」


 アデルは顔を背けた。窓の外を庭師が通り、剪定した枝を荷車に積んでいった。

 二人とも黙ったまま、その音を聞いていた。


「このまま、婚約は続けられないわ」


 先に口を開いたのはアデルだった。


「あなたがあの方を諦めるのを待って、それから私を好きになるかどうか確かめるなんて、したくない」

「うん」

「簡単に頷かないで。私、お友達にも話したのよ。式の招待状を楽しみにしているって、昨日も手紙が来たわ」


 ニコラは閉じられた箱を見た。ここへ来るまで、式を取りやめることを、自分の返事一つで終わる話のように考えていた。


「お父上には、僕から話す。僕が、君に黙ってロゼッタを引き止めようとしたことも」

「その話を、よそにまで広めないでくださいな」


 アデルはきっぱりと言った。


「お父様にはお話しください。でも、お友達には私から伝えます。あなたから説明をされるのは嫌よ」

「わかった」

「それと、しばらく夜会でお会いしても、踊りに誘わないで」


 ニコラは頷いた。仲直りをするような言葉を、ここで求めることはできなかった。

 アデルが卓上の鈴を鳴らした。現れた侍女に、父親の都合を確かめてほしいと頼む。その声は、先ほどより少し低かった。


「取り寄せた品のことも、お父様を交えて決めましょう。私たちだけで済ませられないものがあるから」

「僕の父にも来てもらう」


 アデルは箱を自分のほうへ引き寄せ、膝に載せた。

 やがて侍女が戻り、伯爵が書斎で待っていると告げた。

 アデルが立ち上がった。ニコラも席を立ち、冷めたお茶を残して、彼女と一緒に応接間を出た。


 その日の夕方、両家の父親を交えた席で、婚約を解消することが決まった。

 帰りの馬車で、父はニコラに、婚約を知らせた相手を明日までに書き出すように言った。アデルの家と文面を揃えて、取りやめになったことを伝えなければならない。

 家に着くと、ニコラは上着を脱ぎ、机の前に座った。最初の一人の名を書いてから、手帳を開いた。


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