第七話 小谷るかは切り抜けたい
演劇部で出会った先輩は、固本に負けないユニークな性格の持ち主。
前門の虎後門の狼、獣も人もなかなか手ごわい。
我らが小谷は勝利の道筋を辿れるのか――
「あれ? 小谷ちゃん?」
床に片膝ついたままの冬輝は、三メートル先で防御態勢に入った後輩女子に首を傾げた。
「えっと……レッサーパンダの威嚇のポーズ……?」
「そそそ、そっちこそ、いきなりなんなんですか⁉」
声が裏返った。
「なにって……。頭囲を測るよね? ぼくの身長だと小谷ちゃんが大変じゃん、この体勢ならやりやすいかなって……」
「だったら椅子! 椅子を! おかけください」
小谷は光速で椅子を冬輝の背後に持っていき、座らせた。
「ごめんね、気を使うつもりで逆に気を使われちゃった……」
いたずらを叱られた園児のように、冬輝は両手を揃えてひざに置き、しょんぼり詫びた。
一度ならず、二度も人気者を跪かせては、どんな目に遭うか分かったものではない。小谷だって命は惜しい。
「男子たるものは! 簡単に膝をつくものではありませんっ」
一瞬の間。
「ぷっ、ははは! 侍だ! 侍がいる! 小谷ちゃん、おもしろー」
帽子からはみ出る柔らかそうな金髪を揺らしながら笑う冬輝先輩が、一瞬尻尾を振ってはしゃぐゴールデンレトリバーに見えた。
突拍子のない行動でトラウマを掘り起こされたのに、そんな無邪気な笑顔を見せられては、怒る自分が子供みたいで情けなくなる。
小谷はとにかく採寸を全速で終わらせ、演劇部を逃げ出した。
~~~~~
月曜日の朝。校内の掲示板には、先週土曜日に行われたテストの順位表が張り出された。
小谷は吉川と一緒に、自分の名前を探した。
【143 小谷るか】
【203 吉川陽葵】
小谷は順位の変動がほぼなかったことに安心したが、吉川はなかなか順位表から離れようとしない。深刻な顔で順位表の上位を指している。
「上を見て」
吉川の指さす方向を見ると、
【004 固本レイ】
とあった。
(そういえば、あれから一度も顔を合わせてないな……)
「レイ様目当てで、女子たちは特進クラス進出を狙うと見た。今後の順位、荒れるわよ」
「……陽葵は普通クラスに落ちないように気を付けて。順位的にギリギリよ」
「くっ、るーちゃん、容赦なくて好き……。あとで国語教えて……」
固本の話に触れても拒絶反応が薄い小谷を見て、吉川はさらに踏み込んでみた。
「実はね、固本の話なんだけどさ……。土曜の授業中に倒れて保健室に運ばれたらしいの、それがなかったら一位は確実だったって噂が」
「体調を崩して四位? 訳アリ転校生、眉目秀麗、成績抜群の設定、盛りすぎじゃない?」
やっぱりてんこ盛り系は苦手だな、と小谷は改めて思った。
「でもさ、心配にならない? 袖振り合うも、多少の縁が生まれるっていうじゃない」
「それ、たぶん多かれ少なかれの多少じゃなくて、前世を意味する他生ね……まあ、(異世界から)引っ越してきたばかりで、気候とかが合わなかったかもね」
「でもぉ、お見舞いとか、行ってみてもいいんじゃないかな」
吉川は遠回りに説得を頑張ったが、
「陽葵くらいの仲良しだったら行くよ。でも彼はほぼ他人じゃん」
バッサリ斬られ、そこで断念するしかなかった。
踵を返すと、三年の順位表が小谷の目に飛び込んだ。
【001 夏野 誉
002 福田 一子
003 冬輝 詩音】
眩しいほど人懐っこい笑顔が頭をよぎり、小谷は思わず小さくツッコミを入れた。
「どいつもこいつも、設定盛りすぎよ……」
~~~~~
昼休み前の四限目。
グラウンドをうろつく獣を見かけ、小谷は授業どころではなくなった。
いくら一般人には干渉できないとはいえ、体育の授業を受けている生徒たちの間を闊歩する怪物を野放しにはできず、とりあえず腹痛を理由に教室を抜け出た。
小谷は獣をグラウンドから引き離し、一、二年が使う西棟と三年が使う東棟の間にある道路まで誘導した。
ガチャン!
「くっ、またっ」
のどを狙う小谷の剣撃を、獣はまたも両目の間に生やしたサイのような角で弾いた。強い振動で、柄を握る手がしびれる。
今回の獣は想像以上に用心深く、角で防御を決め込み、決して背後を取らせない。小谷が進めば後退し、小谷が引くと迫る。
体格の大きい獣相手の消耗戦は、明らかに小谷には不利だった。
(あの角の守備範囲を突破しないと……)
小谷は周囲を見渡し、建物の壁際に立つ木に視線を定めた。
(よし、これなら行ける!)
小谷は獣を視界に置きつつ、右斜め前の壁目がけて走り出し、追いつかれる前に跳躍した。
壁を蹴って体を横へ流し、その反動で大木の幹に足をかけ、ウォールランの要領で一気に木のてっぺんまで登った。
「おお、やっぱり上からの景色は気持ちいいね~」
威嚇の唸りを上げながら悔しそうに足踏みする獣を見下ろし、小谷は得意げな笑みを浮かべた。
「ここならご自慢の角も届かないでしょ? 大人しく狩られなさいっ」
巨体の背中を目がけて飛び降りようとした瞬間、視界が翳った。
地面にある自分の影を、より大きな影が覆い隠す。
「っ⁉」
背中に吹き付ける風を感じ、小谷はとっさに身をかがめた。
右肩に強い衝撃が走り、木から落とされそうになったのを、枝に縋ってなんとか防いだ。
痛みは衝撃に数秒遅れてやってくる。やけどのようなひりひりする痛み。右肩に手をやると、裂かれたシャツの下からぬめりとした感触があった。
翼竜のような長いくちばしを持つ怪鳥が、近くの上空に旋回している。
「ちょっと待って、二匹なんて……聞いてない」
木の上にいては怪鳥の格好の的になる。小谷は飛び降りるしかなかった。
獣を狙えば怪鳥が襲い掛かり、怪鳥を警戒すると獣が付け入る。時間が経つと右肩が痺れ、腕が上がりにくくなってきた。
(埒が明かない。一匹ずつ撃破してかないとっ……!)
小谷は二匹を牽制しながら、東棟の駐輪場に入っていく。
ピロティ構造の建物は怪鳥にとって飛び込みづらい高さで、空からの攻撃をかなり制限してくれる。
小谷は地の利を利用し、先に四本足の獣を片付けることに決めた。
半分くらい自転車で埋まった駐輪場は、案外戦いやすい地形だった。自転車という鉄の塊を警戒する獣はそれには触れたがらず、間の通路しか通らない。そのおかげで行動範囲がかなり狭まれ、小谷はその隙をつき、何台もの自転車を踏み台に突っ切り、もたつく獣の背中に飛び乗った。
あとは目の前にあるうなじに剣を突き差せば終わる――
しかし、姿勢を整えるより早く、怒り狂った獣は小谷を振り落とそうと巨体を跳ねさせた。
「うわっ!」
大きくバランスを崩した小谷は、そのまま滑り落ち――
(ダメ、落ちたら踏みつぶされる!)
小谷は逆さまになりながら、両足で獣の胴体を挟み、なんとか落ちずに済んでいる。
跳ね回る衝撃に耐えながら、やみくもに手を伸ばす。足の付け根でも脇腹でも、どこか掴めたら体勢を立て直せるはず。
獣は腹に邪魔な荷物をぶら下げたまま、駐輪場を抜けて外へ駆けだした。
待ち構えていた怪鳥が飛び掛かってくるのが、逆さまになった視界に見えた。
あっ、これ、殺られる――
くちばしの中にびっしり生えている鋸歯まで見て取り、実感が湧かないまま、小谷はただ死が迫りくるのを見ていた。
「噛み砕け、ビャクガ!」
突然声が響き渡った。冷徹で苛烈な響き。
その指示に呼応するように、三つの光点が突如中空に現れ、怪鳥の嘴を囲み、ギロチンのように両断した。
続いて金色の矢が二本、空気を切り裂く小さな破裂音と共に、それぞれ鳥の足と右翼を貫いた。鳥の獣が悲鳴を上げた。
「小谷ちゃん、大丈夫⁉」
三本目の矢をつがえて鳥をけん制する人の姿が逆さまの視界に入る。血が頭にのぼったせいで目がぼんやりしていても、猫っ毛の金髪が日光を浴びて輝いているのが見て取れた。
冬輝詩音だ。
その隣に立つもう一人の男子生徒が、射抜くような眼差しを小谷に向けた。
「鳥はこっちで対処する。お前はあの四本足にとどめを刺せ」
思わぬ援軍の登場で、萎えかけていた気力が一気に湧き上がってくる。
「言われなくてもっ」
ぐっと腹に力を入れ、逆上がりするように落ちかけた上半身を引き戻し、小谷は獣に馬乗りのまま、首めがけて剣を振り下ろした。
「――そうするわ!」
くずおれた獣が確実に息絶えたのを確かめて剣を抜くと、後ろから怪鳥がどさりと地に落ちる音が聞こえた。あんなに長引いていた戦闘が、あっさり終わった。
「小谷ちゃん、肩ケガしてる! すぐに手当てを!」
小谷の負傷を目ざとく見つけた冬輝は、心配の表情を浮かべて駆け寄った。
「ちょっと油断しちゃいました……。ごめんなさい」
「謝るのはこっちだよ、もっと早く来ればこんなケガさせずに済んだのに」
冬輝はいたずらを咎められた犬のような顔で、素早くガーゼと小瓶を取り出して処置を始めた。
「おお、意外とアナログ。回復呪文とか唱えるかと思ってました」
小谷は痛みも忘れ、冬輝の手元を珍しそうに覗き込む。
「回復呪文はサカエケの専売特許だよ。一応、これもサカエケが開発した獣の毒素を浄化する専用薬。傷跡は残らないから安心して」
手慣れた様子で手当てをする冬輝の声を、後ろからついてきた黒縁メガネの男子生徒が遮った。
「おい、お前の相棒は? 腹でも壊して便所にこもってんのか」
「なっちゃん、言い方! 相手は女の子だよ」
冬輝は咎めるように口を尖らせた。
(なっちゃん……?)
改めて目の前の男子を見る。
冬輝よりやや低めで肩回りのしっかりした体格。暑いのに制服のボタンを上まで留め、黒縁メガネに切れ長の目は、近寄りがたさを際立たせている。
冬輝がゴールデンレトリバーなら、彼はハイイロオオカミといったところか。
(これのどこが「ちゃん」……?)
なんとなく話しづらそうな彼ではなく、小谷は冬輝のほうに話を振った。
「冬輝先輩も、こっち側だったんですね」
「小谷ちゃんもね」
冬輝はお茶目なウィンクを返し、小谷の耳元で囁いた。「ちょっと口が悪いけど、先に小谷ちゃんのピンチに気付いて、椅子をけ飛ばす勢いで教室を飛び出したの、なっちゃんだから」
「そうなんですか」
見かけで人を判断してはいけないな、と小谷はちょっと反省した。
ケガの処置を終えた冬輝は、心配そうに小谷に聞いた。
「クラスまで送ろっか?」
「あっ、結構です! 熊出没の山道じゃあるまいし」
こういう乙女チックなシチュエーションは、断固拒否である。
小谷は礼を言い、踵を返したが、急に後ろ襟を掴まれ、引き留められた。
「それを着てけ」
ばさっと肩に掛けられたのは、持ち主の体温が残っているブレザーだった。
なっちゃんと呼ばれた男子生徒は小谷の右肩を指し、ぶっきらぼうに付け足した。
「ケガ、目立つだろ。隠しとけ」
「あっ、ありがとうございます……」
メガネの先輩も実は優しい人なんだ、と思い直したのも一瞬だった。
「次からはズボン履け。また逆さまになってパンツ晒すことになるぞ」
「――っ⁉」
絶句する小谷の代わりに、冬輝は相棒の頭にげんこつを喰らわせた。




