第六話 小谷るかは満喫したい
力は頂くが、イケメンはいらない!
固本の接近を断固拒否する小谷は、一人で獣退治を楽しむが――
「はい、時間だ。ペンを置けぇ。後ろから答案用紙を回して――。田代、今すぐ手を止めないと減点すっぞー」
担任の先生が小テスト終了の合図を出した。
尚明ではポイント加算対象の定期テストのほかに、土曜の午後のコマが全部小テストに振り分けられ、掲示板の順位表も毎週更新される。生徒はみな常に競争を意識し、平常心と向上心を鍛え続けなければならない。
「やっと終わった! 古文の問題、先週よりむずくなかった?」
吉川は空いた左手で斜め前の席の小谷をつついた。
「んん? ああ……そうかな」
「るーちゃん、国語得意だもんね、あたしは古文なんか」
窓の外を眺めていた小谷は急に立ち上がり、吉川に手を合わせた。
「ごめん、ちょっと用事!」
「え? 用事って……」
「すぐ終わる!」
「ちょっ……同好会は?」
「先に行ってて、後で行く――」
吉川は追いかけようと一度席を立ったが、何かをぐっとこらえるように座り直した。
吉川は小谷のことを大親友だと思っている。
彼女は見た目には無頓着でも、吉川のおしゃれには気づいて褒めてくれる。
ヒーローもの大好きなのに、吉川に勧められたラブコメは文句を言いながらちゃんと読んで感想を教えてくれる。
気の利いた話し方はできないけど、人を貶したり悪口を言ったりは絶対にしない。
こんな素敵な大親友に、雲の上のような存在であるイケメン転校生が近付くのは、むしろ当たり前のように思えた。
だから吉川は、二人がくっついたらいいと本気で思ったし、二人の距離を縮めるために手を尽くした。
でもうまくいかなかった。
二人がいい雰囲気になるどころか、小谷が固本に「今後一切近づかないで」と言い切って絶交状態に陥った。
自分のせいで、二人の関係がこじれたかもしれない――
二人の会話を盗み聞きした後ろめたさで、吉川はいつも通り接してくれる小谷に何も聞けず、毎日もやもやしている。
自分のせいで二人が険悪な雰囲気になっているのなら、か仲直りさせてあげたい。でも下手に行動して友だちを失うのは怖い……
葛藤する吉川の心中を知らず、小谷は新たに手に入れた力で日々を満喫していた。
獣が出現するのは、日に一回程度。
獣がいつも学校の中に出現するのは、人が密集している場所に引きつけられるのかもしれない、と小谷は結論付けている。
どこからともなく迷い出た獣は、今のところ三匹とも四本足の肉食獣っぽい姿をしている。
武器が使えないまま戦わされた初陣に比べれば、剣が扱える戦闘は、実に爽快で楽しかった。
棒立ちのままろくに役に立たない固本がいないぶん、いらいらすることもない。とにかく戦いやすい。
小テスト終わりに獣を見かけた小谷は、二階まで降り、中庭で徘徊するその姿を捉えた。
(いっちょショートカットしちゃお~)
肩回りに見える淡い光の渦に手を突っ込むと、左手に着けられた腕輪の石が光り出す。剣を抜くと、人よけの結界が発動している。
そのまま窓の縁に手をかけ、身を翻し、まるで障害走のハードルを乗り越えるような身軽さで、二階の窓から飛び降りた。
滑らかな着地。二階くらいの高さは、軽々と飛び降りられるようになっている。
爆発的に身体能力が上がったわけではない。ただ、体が指示通り動いてくれる。
学校という場所に戸惑い、落ち着きなく徘徊していた獣は、小谷の気配に気づき、振り向く。絡みあうたてがみが、どことなく獅子に似ている。
「やあ、子猫ちゃん」
小谷は獣の目が自分を捉えたのを確認し、不敵な笑顔を浮かべた。
「おいでよ、遊んであげる――」
獣が振り下ろす前足を、逆袈裟でそぎ落とし、持ち上げた剣の柄を一瞬で逆手持ちに変え、上から獣の喉元を刺し貫く――
獣が絶命するまで一分とかからなかった。
固本の言う通り、それから小谷は一度も獣の血を浴びたことはない。血はすべて引き寄せられるように、銀色に輝く剣に吸い込まれていく。吸収されたようにも、蒸発したようにも見える。
仕組みはよくわからないけど、クリーニング代がかからないのはありがたい。
小谷は、地に縫い留めた獣から剣を抜き、少し名残惜しいような気持ちが芽生えた。
(いけない! これくらいで調子に乗ったらあとで痛い目に遭うやつじゃん、気を引き締めよ! 油断禁物……!)
あたりを見回し、もう一度足元の獣の死体に目を落とす。
この死体は、誰が片付けるのだろう。普通に放置して、そのうちに消えてなくなるのかな――
わずかに引っ掛かりを覚え、小谷は部活棟に向かった。
手芸同好会に足を踏み入れると、ミシン作業に没頭している佐山と吉川がいた。
「今日も同好会は立派に活動してるんだね」
椅子に腰かけた小谷は、カバンから宿題のプリントを出す。
「今演劇部の衣装直しを手伝ってる」
佐山は作業を止めずに答えた。
「るーちゃん宿題やるのぉ? 日曜あるのに?」
「宵越しの宿題は持たぬ主義なの、私」
言い終わるや、また同好会のドアが勢いよく開かれた。
「佐山! 直しが必要な衣装、追加分」
衣装の山の向こう側からくぐもった演劇部部員の声が聞こえた。
九月第三週末に行われる尚明学校祭に向け、演劇部は劇の準備でてんやわんやしている。
「……今年量が多いな」
「五年ぶりのリバイバル上演でさ、衣装の状態があんま良くなくて……」
目の下のクマがひどい男子部員は大きくため息をついて続けた。
「骨折した準主役の代役は見つかったけど、体格差えぐくて……今衣装付き稽古中だけど、ちょっとサイズ確認に来てくれない?」
「サイズ直しが必要なのは?」
「帽子、ジャケットとズボン」
「……一式全部か」
佐山は小谷を見やった。「小谷、こっちは手が離せねえ。採寸を頼んでいいか」
「ええ……メジャーで測ればいいの? 私、細かい作業は自信ないよ」
小谷は文句を言いながらもペンを置き、道具箱に手を伸ばす。幽霊部員とはいえ、彼女も時々同好会活動を手伝っている。
「前に教えただろ。メジャーとピンとチャコ、あとメモな」
「ちぇっ、分かったよ。プロはこだわってらっしゃるな」
自分には一生できそうにないミシンさばきを見て、裁縫針は佐山にとっての剣なのかもしれないな、と小谷はふと思った。
階段を降り、二階にある演劇部の部室を開けたとたん、手芸同好会とは大違いの熱気が雪崩のように襲いかかった。
「さっきのシーン、かなり良かったよ!」
「そこに立ったら下手にはける時渋滞しちゃう。場ミリ、ちゃんと確認して」
「わりぃ、言い合いのところ、もう一回練習付き合ってくれねえ? 言い方変えたらいい感じにかみ合うと思うんだよ」
ひっきりなしに飛び交う人の声。演者の間を縫うように片付けをする小道具係。
若干押され気味の小谷をよそに、一緒に戻った男子生徒が声を張り上げる。
「フユキさんいますか? 手芸同好会の子連れてきました」
「来てくれたの? 助かる!」
屈託のない明るい声に目を向けると、稽古場の隅の椅子に腰かけていた男子生徒がすっくと立ち上がり、満面の笑顔で駆け寄ってきた。
大きなたれ目に、やや薄い鼻筋。きれいな弧を描く唇からこぼれる無邪気な笑みはどこか幼く見える。地毛と思われる金髪はやや猫っ毛で、汗のせいで丸みのある顎にくっ付いている。
「代役を引き受けてくれた救世主のフユキさん、三年の先輩です。こっちは採寸しに来た小谷です。俺は片付けに戻りますんで、あとはよろしくお願いします」
男子生徒はすぐに離れた。
「初めまして、ご紹介にあずかりました冬輝詩音だ。冬の輝き、詩人の詩に音。君は?」
冬輝は人懐こい笑顔で小谷に話しかけてきた。その名の通り、冬の日差しのようにほかほかと温かい声には、聞く人の耳をくすぐるような甘みがにじみ出ている。
(ああ、この先輩……モテるわね)
女子部員らが自分の頭越しに冬輝に視線を寄越すのを、小谷は感じ取った。視線の矢に刺される前に、仕事を終わらせよう。
「小谷るかです。まずジャケットのサイズ確認をしますので、腕を上げてくれますか」
「小谷ちゃんね! 字はどう書くの?」
冬輝は腕を伸ばしながら、袖口と手首の間の距離を測る小谷に話しかけ続けた。
「小さい谷です。三センチ足りないと……次、横幅、腰回り失礼します」
「るかは? 下の名前はどう書く?」
「ひらがなでそのまま。……今待ち針で留めてみたけど、どうですか?」
「うん、これくらいで大丈夫そう、ありがとう~」
冬輝は小谷の生返事を気にも留めず、楽しそうに続けている。
「そっかぁ、『るか』は漢字じゃないんだ、いろいろ合いそうな字、思い浮かべたんだけどな……」
小谷は七分丈のように見えるズボンの裾からはみ出る脛にメジャーを当てる。色白でもしっかりと筋肉がついている男の足だ。
「自己紹介でいちいち字の説明はしないと思いますけど……」
つぶやく小谷に、冬輝は大きな目をさらに大きく見開いた。
「えっ? 字は大事だよ! 名前は人を表すから、まず名前の書き方からその人を知ってかないと」
「へえ、そういう考え方もあるんですね」
メモを書き留めて立ち上がると、しゅんとした冬輝の顔が目に入った。
「流された。本当に大事なことなのに……。」
コロコロ変わる表情に、強い既視感を覚えた。ほっとくのは忍びないような、でもやっぱりちょっとめんどくさいような。
小谷はとりあえず先輩のメンツを立てるようにフォローを入れてみた。
「えっと、素敵な考え方だと思ってますよ。先輩の名前も、響きがキレイで似合ってると思います」
途端に冬輝の顔がぱっと明るくなった。
「分かるぅ? ぼくも自分の名前が大好きなんだ!」
(あっ、男版の陽葵だ、この人)
ピンときた。話し方も感情表現も、吉川に似ている。
「帽子も合わないと聞きましたけど……」
上を向いても、帽子どころか、彼のあごあたりで視界が塞がる。身長による圧迫感を柔和な雰囲気がカバーして気づけなかったが、冬輝は実は固本以上の長身で、間近に立たれるとてっぺんが見えない。
(だから何であいつを思い出したの⁉)
ふと食堂で空気の読めない固本にぐいぐい迫られた光景が蘇り、小谷は慌てて首を振った。
すると目の前の冬輝は、まるで小谷の記憶をなぞるかのように、固本そっくりの滑らかさで片膝をつき――
「――⁉⁉⁉」
トラウマシーンの完全再現に、小谷は条件反射で後ろへ飛びすさった。




