第三十二話 秦諧人はかっこよくなりたい
クセつよのイケメンらに疲れた小谷は、大人しくも可愛い年下の少年の癒しのオーラをたんまり浴び、再び高校生活を謳歌する気力を取り戻せた。
礼儀正しく、控えめなエンジェルちゃん。唯一の難点といえば、度が過ぎた卑屈さくらい――?
「秦くんのところの母親、未婚シンママらしいよ」
「遊びでできちゃった子を仕方なく生んだ感じか」
「片親なんて、あんま関わらないほうがいい」
小さいころからよく耳にする陰口ばかりだ。
詩衣良と出会った時、秦は何かを変えられると夢見た。
特別な力を授って強くなれば、自分も母も、悪口を言われなくなる――
でも夢は、簡単に叶うものではなかった。
秦の力だけでは獣に歯が立たない。獣を追い込み、無力化してくれる詩衣良がいなかったら、とっくに獣に殺されていた。
守られるたびに、自分の不甲斐なさを思い知らされ、いつまでも変われないでいる自分に嫌気がさす。
なんでいつも、こんなにかっこ悪いのだろう。
~~~~~
尚明実験高校についた途端、小指の通信リングに連絡が入った。
「諧人くん、体育館に来てくれる?」
冬輝の声に、秦は体を強張らせた。
「……獣が、出たんですか……?」
「プールの授業、二コマ連続で溺れる生徒が出てさ、獣の仕業かどうか現場検証しようと思って。念のために諧人くんもおいでよ」
「……分かりました」
水抜きされたプールから上がってきた固本に、冬輝は聞いた。
「どうだった?」
「わずかに霊子の残滓は感じ取れますが、本体がここにはいないのは確かです」
「痕跡すらろくに残せない小物が、勝手にどっかに逃げたか、消滅したか……」
冬輝はほっとしたように笑顔を見せた。「ならいいや」
「もう終わったよ」
固本と一緒に体育館を出た冬輝は、入り口で待機してる秦に声をかけた。小柄な少年は驚いた兎のように跳ね上がり、こわごわと顔を上げた。
「けっ、獣、いましたか……?」
「いなかったよ。外で待ってないで、入ってくればよかったのに」
「ごめんなさい……プールが、ちょっと苦手で」
悄然とする秦を、冬輝は少し人の悪そうな笑みを浮かべた。
「もしかして、諧人くん、金づち?」
「ちがっ」
「冗談だよ~」
冬輝はいつもの軽い調子で周りを見渡す。「そういえば、今日も詩衣良ちゃん来てないの?」
「しーちゃん、気分が乗らないから一人で行けって……」
「『気分が乗らない』……?」
秦の言葉を繰り返す彼は、少し奇妙な表情を浮かべた。「……やたら腕組みしたり、下唇を噛んだりとかしなかった?」
「あっ……確かにそうしてた、かも」
言われてみると思い当たる節がいくつもあり、秦はこくこく頷いた。
前へ向き直った冬輝は、固本に話しかけた。
「……固本、ぼくは詩衣良ちゃんの様子を見てくるから、今日はこれで切り上げるよ」
「分かりました」
先を歩く二人の会話を聞き、秦は困惑した。
「もしかして、しーちゃん、体調が悪いの? じゃあ、僕もっ……」
「諧人くんが来てもどうにもならないよ」
突き放すような言葉に、秦は立ち止まる。
また、周りの人をがっかりさせてしまった――
立ち止まった秦の気配に振り返った冬輝は、一瞬怪訝そうな表情を見せ、すぐに自分の言い方の問題に気づいた。
「あっ、そういう意味じゃないよ! 諧人くんは助っ人として派遣されたんでしょ? なっちゃんは、オリンピアードの本選で市外に行くから、小谷ちゃんを守る戦力として諧人だけが頼りだって意味」
「失礼ですが、小谷さんに危機が迫ったら私が守ります」
頼りにされていないと受け取った固本が、ポーカーフェイスでありながら不服そうに横槍を入れた。
「話の腰が複雑骨折しちゃうから、固本は一旦黙って……。諧人くんは、小谷ちゃんが帰るまでここにいて。言い付けを破ったら、詩衣良ちゃんに怒られちゃうよ」
猫かぶりをやめた素の詩衣良の恐ろしさを、秦は誰よりも知っている。
「……分かり、ました……」
「三人とも、巡回お疲れ様~どうでした?」
ガーデンテラスに向かってくる三人に、小谷は陽気に手を振り上げた。
「体育館見てきたよ~獣はいなかった。水抜きで川に流れちゃったかも。……なっちゃんは?」
きょろきょろと相棒の姿を探す冬輝に、小谷は答えた。
「先生のありがた~い激励を受けに、職員室に呼ばれました。なので一人で自主練。夏野先生がいらっしゃらなくても、出された課題はちゃんとクリアする所存ですっ」
小谷は手にした小枝を剣に見立て、さっと切り落とす動きを見せた。
「おお、小谷ちゃん、かっこいい~」
かっこいい――
「進捗はどうですか」
固本の質問に、小谷は背筋を伸ばし、意気揚々と腕を組んだ。
「だいぶコツは掴めてきた。今週末中、目標を達成して見せるから、楽しみにしてて」
自信に満ちた笑顔が眩しくて、秦は心がきゅっと縮まるのを感じた。
かっこいいって、こんな感じなんだ――
~~~~~
ノートに八卦の記号を描き続けていたら、ぽたりと水滴が落ち、字が滲んだ。
雨だ。
「わっ、降ってきた!」
小谷はとっさに秦の手を引いて走り出した。つられた秦も、一緒に走る。
近くの建物に入るや、固本から小谷に連絡が入る。
「もしもし? ……今管理棟。あのさ、雨降ったぐらいで緊急通信で連絡をしなくていいから!
……傘ぁ? 持ってるからご心配なく! そろそろ家に帰るし、じゃあねっ」
さっさと通信を切った小谷はガッツポーズを作った。
「予定通り! 折り畳み傘を常時携帯すれば、相合傘イベントも送迎イベントも防げる! ふっふ~んだ! 私のフラグ折りスキルをなめるな!」
得意げに傘を取り出す小谷を見て、秦ははっとした。
「……どうしよう。傘、学校に忘れてきました」
(これは相合傘イベントじゃない、断じて否だ! 後輩が風邪を引いたら可哀そうだから、先輩として! 彼を風雨から守る責務を果たしているだけだから‼)
秦を傘に入れ、一緒に校門へ向かう小谷は、まるで呪文でも唱えているかのように、頭の中で繰り返した。とはいえ、いつもより浮足立っているのも事実だ。
先輩も固本も長身だから、いつも見上げるように会話するのは、地味に首が疲れるし、フラグ折りに気を張るのも消耗する。
それに比べ、秦は礼儀正しくて利口で、身長の圧もなければ、フラグも立てに来ない。修業で摩耗していたメンタルがぐぐっと回復していく。
(小動物と触れあうとオキシトシンが出るってのは、こういうことなのね……守りたい、この可愛さを……!)
「小谷先輩は、その……髪を伸ばさないんですか」
傘を打つ雨音の中で、秦は口を開いた。
「敬語はいいよ、もっと気軽に話そう~」
「ごめんなさい……えっと……分かった」
(やっぱり素直だ~きゃわわわわっ)
くすぐったさを覚えながら、小谷は聞いた。
「……で、なんで髪の話?」
「髪長いほうが有利だって、しーちゃんが言ってたから……」
「――っ! 何それ初耳! ちょっと詳しく」
秦は急に食いついてきた彼女に戸惑いながらも、自分なんかの話に興味を持つ人がいるのが嬉しかった。
「しーちゃんが教えてくれたんだけど……僕らが使える霊子は基本、体内のものと、外部のものの二種類で、真界の皆は外部から取り込む量を増やす工夫をしてるんだって」
小谷は隣を歩く少年の綺麗に整った髪を見た。
「それと髪とどういう関係が……?」
視線に不慣れな秦は、少し首をすくめて続けた。
「えっと、外部の霊子は体の表面を通して吸収されるから、体表面積が大きいほど有利になる。冬輝さんなら、二平方メートルくらいのはず。でも髪なら、体格差を一気に覆せるし、霊子が付着やすい性質もあって、髪を伸ばすのは一番効率的なんだって」
「たしかに……詩衣良ちゃんも、天道さんも、乙部さんも、髪が長いよね。ちなみに秦くんの髪だと、表面積どれくらい?」
「えっと……三平方メートルくらい……」
「マジで⁉ それだけで一番背の高い冬輝先輩の体表面積を超えるじゃん! 長髪率高いのは真界のファッションじゃなくて、完全に実用主義か! こんな裏技があったら私も伸ばそう!」
秦は慌てて補足した。
「これは空気に霊子が大量ある真界の話で、実際に僕らの世界は、空気中の霊子が薄いから、効果は一割程度しかないって、しーちゃんが……」
「一割だけ? じゃあ効果は微々たるものか……」
小谷は残念そうに自分の前髪を撫で、また秦の髪に視線を戻した。「でも秦くんは髪を伸ばしているよね?」
「……しーちゃんに会うまでは、普通に短かったけど……」
小谷は気の強い詩衣良の姿を思い出す。
「……詩衣良ちゃんに伸ばせって命令されたの?」
秦は慌てて首を横に振った。
「いえ、伸ばそうと決めたのは、僕。……詩衣良ちゃんの足ばっか引っ張っちゃってるから、少しでもマシになれたらいいな、って……ダメ元で」
髪型でクラスの男子にからかわれていることは、誰にも言っていない。
言ったところで、「嫌なら髪を切れば」とか、「嫌なら言い返しなさい」とか言われるだけだろうから――
小谷は傘の中心が秦の頭頂からずれないようにくるりと一周し、その髪型をたっぷり鑑賞してからぐっと親指を出した。
「真力補助の実益があってさらに似合ってるなんて、コスパ最強だね! カワイイは正義!」
ピント外れのエールを送られ、秦は下唇を噛んだ。
カワイイなんて、全然誉め言葉じゃないのに――
東門を出て、橋を越えたところにあるバス停を目指す。
「ごめんなさい、バス停まで遠いのに……」
「秦くんさ、謝るのがくせ?」
「えっ」
「なんか、来てから謝ってばかりだもん」
「ご、ごめん……」
「ほら、また。悪いことをしたわけじゃないんだから、ありがとうって言おうよ」
「あ……」
「そうすれば秦くんは、いいことしてくれた、嬉しいってなるし、私もいいことして感謝された、嬉しいってなる。ウィンウィンだよ」
「……」
傘を伝い落ちる水滴が、細い線を結ぶ。
「……あっ、ありがとう」
消え入りそうで、一生懸命な声。
(何この素直さ⁉ 心が洗われる! 夏野先輩とのコミュニケーションの十倍、固本の百倍捗るじゃん‼)
感動に打ち震えた小谷は、すぐに秦の圧倒的純粋さにおのれの見栄っ張りが際立つのを感じた。
「……ごめん、私も見栄を張ってた。ありがとうって言われて、かっこつけたかった」
かっこつけ――
秦は口を開く。
「『かっこいい』は、なんだろう」
「はい?」
「僕、かっこいいって、言われたことない。みんな僕のことかっこ悪い、情けないって……」
「そりゃ、秦くんはかっこいい系じゃなくて、かわいい系でしょ?」
条件反射で出た言葉は、無心ゆえの鋭さで秦を傷つける。
「可愛いなんて、言われたくない……!」
思わず声を張り上げ、秦が後ろずさった。
「僕は、かっこよくなりたかったのに!」
どうして誰も分かってくれない。こんなに、こんなに苦しいのに――
雨は叩きつけるように勢いを増し、傘を出たら、あっという間にびしょ濡れになった。
橋の端に立つ秦は、叩きつけてくる雨粒に視界を遮られ、川からぬらりと這い出る半透明の触手が自分の足首に巻き付くのに気付けなかった。
※真界のことわざ
「遠出に櫛なし」
髪の霊子吸収を促す櫛は、食料品と同等に重要で、それを忘れて出かける愚か者はいない。
転じて、救いようのない馬鹿者を差す。
常界の「馬鹿に付ける薬はない」とほぼ同義。




