第三十話 小谷るかは上達したい
天使のような見た目の詩衣良は、口の悪さも性格の悪さも、夏野といい勝負。
小谷が懸命に修行する中、夏野に代わって詩衣良が口出しし――?
小谷は何とか指先に集めた霊流を、そろそろと山茶花の葉柄に近づける。か細い光に包まれた柄は頼りなくたわみ、やがて音もなく切れた。
「ほっ、ほんとに霊流だけで……切り落とせるんだね……」
小谷は詰めていた息を吐き出し、背中が汗ばむのを感じた。
特訓二日目。小谷の細やかすぎる成長を見て、指導役の夏野は淡々と念を押した。
「葉っぱの付け根くらいで舞い上がるな。目標は三ミリじゃなく、三センチの枝の切断だ」
「何で強度を上げられないんだろ……」
小谷は自分の指先の淡い光を見つめながら、つい愚痴をこぼしてしまうと、
「見栄っ張りだからだろ」
と夏野が容赦なく切り捨てた。
「見栄っ張りって……」
「百メートル走でトップを取りたいなら、ゴールに向かって突っ走るのが肝心だ。なのにお前はかっこよく走りたがる。足をどこまで上げればいいか、フォームをどう調整すればいいか。そんな些末なことばかりに注意力が向く。
要は集中力が足りない。目的意識が薄い。だから出来が中途半端だ」
ヒーロー願望や承認欲求に振り回されずに、ちゃんとやることに集中しろ――
夏野は彼なりに分かりやすく解説したつもりだ。
「……でも実際、足の高さとかフォームって、走るスピードに影響しますよね? それを考えずに走るのは……」
「ただの根性論じゃない?」と先輩に聞き返せるはずもなく、小谷は口ごもった。
乙部の見込み通り、夏野はたしかに霊流操作の天才だ。天才ゆえに「方法さえ分かれば誰でもできる」と考え、最適解以外は、すべて修正すべきだと考えている。
小谷はあれこれやってみて、自分が納得する形を作り上げるタイプだから、理論先行のアドバイスに戸惑ってしまう。そこでどうしても噛み合わない。
「まだちんたらやってんの?」
つんと澄ました幼い声のほうへ振り向くと、こちらに近付いてくる詩衣良と秦の姿が見えた。
「秦くん⁉ どうしたの、その格好」
制服が汚れ、白肌がすっかり煤だらけになってしまった秦の顔を見て、小谷は思わず駆け寄った。
「ティッシュとかハンカチは持ってる?」
「持って、ません……」
秦が緊張で目をぱちぱちすると、まぶたの上だけ白いのがまたおかしくも可愛らしく、心配しているのにちょっと笑えてしまう。そんな渋滞する感情を、小谷は必死に抑え込んだ。
「あっ、私のを使って! あそこ手洗い場があるから、顔、洗ってきな」
「えっと、ごっ、ごめん、なさい……」
黒目の大きい双眸をしばたたかせ、秦は気恥ずかしそうに頭を下げた。
(はぁ……私もつい半年前までは中学生だったけど、中学生ってこんなに幼くてちっちゃくて、庇護欲を掻き立てる生き物だったっけ……?)
すっかり保護者目線で秦の後ろ姿を見送る小谷に、詩衣良は愚痴った。
「あのお馬鹿さん、坤卦と離卦を書き間違えちゃってさ、火力過剰で巻き添え。……まったく、そそっかしいんだから」
そして小谷に視線を移し、「で、るかは何してるの?」と聞いた。
「何って、霊流を操る修業を……」
「男なんかに教えられるものなんてないわよ、ましてこんな頭でっかちのクソガキとかさ」
夏野が目の前にいるにもかかわらず、詩衣良は露骨に嫌そうな顔で言い捨てた。
冬輝が言うには、彼の従伯母に当たる詩衣良は、世代が一つ上だけでなく、実年齢も冬輝よりずっと年上だ。
実戦経験も人生経験も豊富な彼女には、ここのメンツは全員ひよっこに見えるのかもしれない。それでも、やたらと夏野を目の敵にする言い方に、小谷がちょっと引っかかった。
「あの、確かに夏野先輩はちょっと口が悪いんだけど、今まで何度も助けてくれたし、修業にも付き合ってくれてるから。いちいち先輩を下げる言い方、やめようよ」
夏野に聞かれないように、小谷は詩衣良の耳元で囁いた。
詩衣良は目じりを下げ、小谷を責めるように見つめ返した。
「あんた、昨日その男になんて言われたか忘れたの? 『引っ込んでろ』って見下されて腹立たないの?」
「そりゃ、たしかに嫌だったけど」
「嫌なら嫌だって言い返しなさい! 自分を見下す人と一緒にいても、るかの成長が阻まれるわよっ」
真剣に怒ってくれたのは嬉しい。でも先輩であり戦友でもある夏野がぼろくそ言われるのは嫌。矛盾するような気持ちでも、同時に持っていてもおかしくない。
「まあ、夏野先輩はそういうところあるけど、けんかするほどのことじゃ……」
「へえ、やけにそいつを庇うじゃない……彼のことを好いているのか」
見た目幼稚園児の詩衣良にそんなませた質問をされ、小谷はズッコケそうになった。
「で・す・か・ら! なんで皆すぐに惚れた腫れたの話に持ってこうとするの⁉ 恋愛シミュレーションゲームじゃないんだからもっと他に関係性があるでしょうが!!! 尊敬する先輩とか頼れる同輩とか可愛い後輩とか、ゲーム友とか推し活仲間とか共犯関係とか‼ もっと広い視界を持とうよ頼むからっ‼」
何故自分の周りの人間は、いつもいつも寄ってたかって、自分を別ジャンルのシナリオに引き込もうとするのだろう――
小谷には、この現実が一番理不尽で、理解不能だ。
我を忘れて痛切に吠えた小谷に、海千山千の詩衣良はまったく動じず、自分の髪の毛の先を弄びながら顎をしゃくった。
「今の調子のまま、自分の指先、見てごらん」
「はい⁉」
やり場のない怒りを抱えたまま自分の手に目をやると、あんなに苦労しても集められなかった霊流が、薄い光の膜のように腕全体を覆い、波打っている。
「――ぬおっ、なんじゃこりゃ⁉」
およそ女子らしくない口調で叫んだ。
「霊枢は本来、龍神様に祈りを捧げて授かったものよ。祈りとは、何かを切実に欲する気持ち。だから感情が強いほど、霊枢からより多くの力を引き出せる。そして体内をめぐる霊流も、感情の起伏が激しいほど活性化される。要するに――」
詩衣良は小谷の目をのぞき込みながら言った。
「大人になるな。不幸な目に遭ったら泣け、不運な目に遭ったら嘆け、不公平な目に遭ったら怒れ。飲み込もうとするな、いい子ぶるな。一つ一つの感情が、あなたを強くする糧になる」
小谷ははっと思い出す。
尚明祭の時、親子たちを襲おうとする獣に怒りを感じた際、なぜか霊流が体に満ち、信じられないほど戦いやすくなった。
それが、感情が突き動かす力だったのか。
心中のむかつきが去らないうちに、もう一度指先に霊流を集める。
あいにく、活性化された霊流は波打ち、輝きを増したけど、夏野の言霊のように、鋭利な形に凝縮することはなかった。
「まあ、霊流は個人差があるから、攻撃に向かないケースもあるけど……」
詩衣良はふと小谷の左腕の腕輪に目を落とす。「何、このごてごての結界装置。こんなの付けて練習してるわけ?」
「固本が肌身離さずつけてっていうから……外して練習したほうがいい?」
質問の意図が分からず、小谷は聞き返した。
制御装置が外れると、小谷の理性が飛ぶかもしれない――
先日の出来事を思い返し、夏野は顔色を変えた。そして彼の反応で何かを察した詩衣良は、先んじて小さな手で小谷の腕を押さえた。
「固本がそう言ったなら、外さずに練習を続けなさい」
「え……? うん、分かった」
素直にうなずく小谷の腕を、詩衣良は励ますように軽く叩いた。
「昨日も言ったでしょ。無理に力比べしないこと。自分の土俵に引きずり込むのよ。
今は難儀してるかもしれないけど、るか、あんたはそこのポンコツ男よりもずっと強くて、才能がある。私が保証するわ」
「あっ、あの……ハンカチ、ありがとうございました」
後ろの声に振り返ると、秦がうつむいたまま所在なげに立っていた。顔をこすりすぎたせいか、頬が赤くなっている。
女の子と見間違えるほどきめ細かな肌。その頬をつついたら、どんな感触がするのだろう。
(――っ、いかんいかん、邪な欲望は、滅‼)
小谷はぶんぶん頭を振った。
「えっと、洗って返しますから……」
「いいよそんなの! なんなら、そのまま持ってて、また火力調整でやっちゃったら使いな」
詩衣良がすかさず横槍を入れた。
「ちょっと、諧人を甘やかさないで! そんな低級ミス、何度もやらかしたらたまんないわ」
「ごめんなさい、気を、付けます……」
お叱りを受けた秦が小さく縮こまっていると、詩衣良が首にかけているネックレスが淡く光った。
「はい、こちら、蛮詩衣良」
どうやらそれも通信装置のようで、彼女は誰かとやりとりし始めた。
「今尚明にいるけど……。市立第二がどうしたの。
……はあ? フェンス倒壊? 負傷者複数ぅぅ⁉ ふざけないで、これで何度目よ‼」
詩衣良は口の端を歪め、うんざりしたように舌打ちをした。その表情はどこか夏野に似ている、と小谷は感じた。
「分かったわよ、フォローに入る……ポンコツガキが多すぎでしょ、どんだけ迷惑をかけるのよっ」
ぐちぐち言いながら世話を焼くのも、夏野に似ている。
(この二人、案外似た者同士なんじゃないかな……)
「あっ、よかった! 小谷ちゃんまだいた」
どこからともなく現れた冬輝は、いつもの人懐っこい笑顔で駆け寄ってくる。
「乙部さんから新しく出来上がった通信端末が届いた。小谷ちゃんたちの分。尚明は校内携帯使用禁止だから連絡取りづらかったけど、これがあればいつでも連絡は取れるよ~」
冬輝に渡されたのは、大きさがやや異なる二つの指輪。
「二つ?」
「うん、小谷ちゃんのと、固本の。使い方は後で教えるね」
(指輪か……よりによってペアリング仕様かぁぁぁぁ)
小谷は心の中でくずおれた。吉川や父親に見られて騒がれる前に、指輪が見えなくする結界を施してもらわないと。
「そろそろお腹空かない? 学食どう? 尚明の学食、おいしいよ」
冬輝の誘いに、詩衣良は首を横に振った。
「私はパス。今連絡が入って、クロガネがまたやらかしたの。後処理に入らないと」
冬輝は一瞬残念そうな顔になり、すぐに話に出た名前に関心を示した。
「クロガネって……イカリちゃんのところの?」
「そうよ。……だから私は男の結魂相手が嫌いなのよ、すぐ制御を失って周りに迷惑をかけてっ」
何度も尻拭いをさせられてきたのか、詩衣良の口調がきつい。そして「男の結魂相手」という流れ弾が、夏野や、自分の結魂相手である秦にも命中することを気にも留めない。
冬輝はさっと申し訳なさそうな目線を寄越したが、すぐに詩衣良に向き直った。
「市立第二高校だよね、送ってく。ぼくもなんか手伝う。――いいよね、なっちゃん」
「好きにしろ」
相棒の許可を得た冬輝は、詩衣良と一緒に校門へ向かった。
※尚明実験高校では、校内でのスマホ・ゲーム機等の電子機器は使用禁止。
入校時に専用袋に入れて、結束バンドで綴じ、緊急時以外で開けると罰せられる。
ポイントと引き換えにゲーム機の持ち込みができても、スマホの校内使用だけは原則厳禁。




