第二十九話 シーラちゃんは見せつけたい
小谷の前に現れたのは、心洗われる天使さながらの年下組。
可愛さは正義!いざ、正義を執行する――⁉
「援軍……? これが?」
夏野は改めて目の前に立っている二人組を見た。
ひらひらドレスを着た幼稚園児に、おどおどした頼りない中坊。
頭痛がした夏野は、思わず強く目を瞑り、重いため息を漏らした。
秦と名乗った少年はそのため息にびくりと肩を震わせ、下唇を噛んだ。野生の狼に怯え切ったポメラニアンのような表情が、小谷の保護欲を刺激する。
(何、この可愛い生き物! 妖精? 天使⁉ この可愛さのデュエットに動じないなんて、夏野先輩、ぱないわ!)
棒立ちのまま心の中で渦巻く愛おしさと戦っている小谷のそばを通り、シーラはとことこ夏野のほうへ駆け寄った。
「おにいちゃん、ちょっとしゃがんで~」
彼の足に縋りついたシーラは、つま先立ちで首を伸ばす。色素の薄い目を細め、無邪気な笑顔を見せた。
「ガキは苦手だ」とあからさまに顔に書いてある夏野は、いやいやながらしゃがみ込み、彼女に目線の高さを合わせた。
その瞬間、シーラは小さな手でがっしり彼のあごを掴んで口を開かせ、ためらいなく唇を合わせた。
「「――っ⁉」」
夏野は驚愕に目を見開き、小谷は咄嗟に両手で秦の目を隠した。
「えっ、なに……?」
急に視界が真っ暗になっても、秦は大人しくじっとしている。
「秦くんにはまだ早いから見なくていいっ」
(むしろ私もこれ見ていいの? CERO C? いや、D??? 絵面的にもしもしポリスメン案件なんだけど⁉)
明らかに夏野の舌を絡め取りに行っているシーラの行動に、小谷はまるで悪夢でも見ているような気分になった。
たっぷり十秒は経ったろうか。
やっとシーラの手から逃れた夏野は、勢い余って後ろへ尻もちをつき、激しくせき込んだ。
「この味、詩音のものね。ということは、あんたが結魂相手の夏野誉かしら」
シーラはぺろりと唇の端を舐め、せき込む夏野を笑顔のまま見下ろしている。
「いやね、かまととぶっちゃって。どうせ、初めてじゃないでしょ?」
これほどプライドを踏みにじる侮辱があるか。
突然口の中を蹂躙された上、古傷をあざ笑うように指で唇をさするシーラの仕草を見て、夏野の脳内で、何かがぷつりと切れた。
「――白」
「牙」の音が出る前に、シーラは小さな手を彼の口に捩り込ませ、思いっきり舌を掴んだ。
幼稚園児とは思えない険悪な表情を浮かべ、夏野の目を見据えた。
「貴様。言霊、使おうとしたな」
ぞっとするような冷たい声が、その場にいる全員の耳を撫でる。
「シーラはね~あなたみたいな常界の男が大ッ嫌いなの。気に入らないことがあると、すぐに暴力に訴える」
シーラは噛み砕くようにゆっくり話しながら、掴んだ舌に爪を立てた。形容しがたい感触に、夏野の背筋に悪寒が走る。
すぐにでも彼女の腕を掴んで、その手を離させたいのに、体が言うことを聞かない。
彼女から発せられた巨大な霊流は恐ろしく攻撃的で、無数の釘のように夏野の体をその場に縫い留めて離さない。
なんだ、この可愛い皮を被った化け物はーー
完全に猫かぶりをやめたシーラは、さっきのキスをリセットするかのように唾を吐き捨て、夏野の顔に近づけて目を細めた。
「ねえ、今どんな気分? 見下してたか弱い子供に懲らしめられるの、どんな気分?」
「……っ」
問われても舌を掴まれていては何も話せない。指先すら動かせない痺れは、屈辱からか、恐怖からか。
「あんたも白牙で私を懲らしめようとしたでしょ。なんでやり返されないと思った?」
掴まれた舌をぎゅっと握りしめられ、夏野は思い知らされた。
脅しなんかじゃない。彼女がその気になれば、いつでも簡単に自分を殺せる――
もう片方の手で夏野の頭を抑えつけ、彼が目を逸らすことすら許さない。
目を見つめたまま、彼女は言い放つ。
「男は意地張ってねえで、限界を見極めてもっと安全な場所に引っ込んでなさい」
【女は意地張ってねえで、限界を見極めてもっと安全な場所にいろ】
小谷ははっと息を飲み込んだ。
さっき夏野に投げつけられたのとほぼ同じ言葉を、シーラが口にしている。
彼女は、自分の代わりに意趣返ししているのかもしれない――
「シーラちゃん? 何してるの⁉」
血相を変えて駆け付けてきたのは冬輝で、後ろに固本もいる。
シーラは白けた顔で肩をすくめ、夏野の口に突っ込んでいた手を引っこ抜いた。ついでに彼の制服でよだれまみれの手を拭く。
「べっつに。ちょっとからかってただけよ」
「からかっただけって……。そんな殺気でなっちゃんを脅かさないでよ」
冬輝はすっかり腰を抜かした夏野を立ち上がらせ、二人の間に入るように立った。
そんな冬輝を仰ぎ見て、シーラは露骨に眉を顰めた。
「……あんた、数か月見ないうちに、また背が伸びた?」
「え? ああ……」
冬輝はなぜか決まり悪そうに顔を掻いた。「今、178センチ……」
「178⁉ そんなに伸びてどうすんのよ‼」
「……ごめん」
「……別に責めてるわけじゃないわ、もったいないって思っただけよ」
叱られた犬のようにシュンとする冬輝を見て、シーラは口を尖らせ、小谷と秦のほうへ顔を向けた。「あんたたちはこのままでいいからね、背なんて伸びなくていいから……って、なんで諧人の目を隠してるの?」
小谷は我に返って少年の目を覆っていた手を離した。
「あっ、すっかり忘れてた」
「改めまして、蛮詩衣良だわ。海外勤務の親についてきた留学生って設定でやってるの」
腕組みをしてツインテールの髪を揺らす姿は、傍から見て可愛さの権化でも、激しい気性と力を秘めた小悪魔だという一面も持っていることは、この目で確かめた。「諧人――普段は『諧にぃ』で通してるけど、彼が私の結魂相手よ。そこのクソガキ以外は、気軽に詩衣良って呼んで~」
夏野は何も言わない。力で自分を圧倒する人間にけんかを売るほど無謀ではない。
「蛮家の方ですね。初めまして、固本レイと申します」
詩衣良は固本を一瞥し、ぞんざいに頷いた。「固本家の子ね。いい結魂相手に恵まれたことを、幸運に思いなさい」
「はい、承知しております」
さっきから詩衣良の影に隠れていた秦は、勇気を振り絞ったように口を開いた。
「冬輝さん、お久しぶり、です……」
どうやらこの二人は顔見知りのようだ。
冬輝は彼に微笑み返す。
「久しぶりだね、諧人くん。元気だった?」
「はい、元気、です……」
話が続かないことを、小谷はちょっと不思議がった。
みんなでワイワイやるのが大好きな冬輝だから、ペラペラと秦とのエピソードでも披露して輪に入れようとするはずなのに、なんだか塩対応に見える。
冬輝は小谷に顔を向けた。
「前に言ったっけ。城南区を担当する人員は全部で四組。一番最初に結成したのが、詩衣良ちゃんと諧人くん組だったよ」
「えっ、じゃあ、詩衣良ちゃんと秦くんは、獣退治の先輩ってことね」
小谷が手を叩くと、秦は「先輩だなんて」と慌て、詩衣良は嬉しそうに笑いかけてきた。
「るかも、どんどん私を頼っていいからね~」
その笑い顔に強い既視感を覚えた小谷は、思わず彼女と冬輝を見比べた。
蛮詩衣良。冬輝詩音。
似通った甘え上手の仕草に、淡い金色の髪。
「あのう、冬輝先輩と詩衣良ちゃんって、親戚か何か……?」
小谷の質問に、冬輝は少し煮え切らない笑みを浮かべた。
「あぁ……やっぱり分かる? ぼくの祖父と詩衣良ちゃんのお父さんは、同じ譚家の兄弟なんだ」
「つまり詩衣良ちゃんは冬輝さんの……従伯母⁉ 妹か何かだと思ってたけど、そっちが上⁉」
衝撃的な情報を消化する間もなく、校庭のほうから獣の気配が伝わってきた。
「来たわね、ちょうどいいところに」
詩衣良は不敵な笑みを浮かべた。「私たちの実力を見せてやろうじゃない。――行くわよ、諧人」
呼ばれた秦は明らかに身を強張らせたが、大人しく彼女の後ろをついて行った。
自分の体の十倍以上に大きい牛型の獣を前にしても、詩衣良は顔色一つ変えない。
彼女が振り回す金属の棘がびっしり生えた鞭が宙を舞うたびに、鋭い炸裂音が鳴り、獣の巨体に穴が開く。
「るか、ちゃんと見てなさい」
自由自在に鞭を操りながら、詩衣良は悠々とした口調で小谷に話しかけた。
「常に霊流で武器の全体を強化する必要はないわ。いつ、どこを狙うのか考えて、その瞬間に――」
蛇のようにうねる鞭が弧を描き、獣の脳天めがけて振り下ろされた中ほどだけ、霊流の光が強くなった。「注ぎ込む!」
獣は悲鳴を上げ、横へよろめく。
「無謀な力比べはしない。相手の土俵に上がらないこと」
小谷と夏野の二組がかりでも手こずりそうな獣を、詩衣良は一人で翻弄し続けた。「弱点を見つけて、そこを突くっ」
右へよろめく獣の左半身に、これ見よがしに横薙ぎの鞭を叩き込む。ただでさえバランスを崩しかけた獣は一気にひっくり返った。
横たわった獣の首に追い鞭を巻き付け、詩衣良は一喝した。
「諧人、ぼさっとしてないで、やっちゃいなさい」
「はっ、はい」
少年は慌てて懐から一筆箋のような紙を取り出し、震える手で何かの符号を書きつけた。
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それを獣に投げつけると、紙から青い炎が轟音を立てて噴き出し、瞬く間に獣を飲み込んだ。
「また火の符か、あんたも一つ覚えね。まあいいわ」
詩衣良は鞭を戻し、曇天を舞う火花を眺めた。
真界では力の相性が結婚・出産に大きく関わる
同系統の力を持つ者同士の結婚は禁じられ
火x水、水x雷などは相性が悪く、生まれた子供は短命になりがち
譚家を含めた言霊の家系だけはどの力とも相性がよく、結婚相手として大人気




