第二十五話 天道茱萸は支えたい
隙あらば生えてくるフラグを叩く小谷の前に、「剣を制御できない」本線の問題が立ちはだかる。
境界対策支部で、初めて夏冬組以外の結魂組に出会い――?
放課後、冬輝に連れられた小谷と夏野が訪れたのは、附属病院や小中学校を持ち、研究や産学連携が盛んな都市大学だった。
地図を見ても迷子になりそうなほど広大な敷地内に立つ建物の一つに、獣退治を取り仕切る境界対策支部が入っている。
広々とした部屋に通されると、大学生らしき女性が小谷らに微笑みかけた。
「お初にお目にかかります。辰見市境界対策支部長の天道茱萸と申します。よろしくお願いします」
艶やかな長髪や丁寧な言葉遣い、一挙手一投足から、育ちの良さがにじみ出ている。茱萸という小ぶりで愛らしい花よりも、大ぶりで堂々と咲く白芙蓉を連想させるような女性だ。
噂の支部長がこんな歳の近い女性だったことにも驚いたが、小谷は聞き覚えがある苗字に首を傾げた。
「天道さん……? どっかで聞いたような」
「俺らの学校の再建に巨額を寄贈した名誉理事だぞ」
隣にいる夏野は少し呆れたように言った。
校舎の老朽化で取り壊しが検討された元辰見市城南公立高校。その再建のための金銭支援を名乗り出て、尚明実験高校として生まれ変わらせたのが、地元随一の天道財閥だった。
「えっ、あの天道財閥……⁉」
「学校の再建に携わっていたのは、祖母の翠蓮でございます」
仕切りの裏から一人の男子学生がトレイを手に出てきた。テキパキとした動きで順に淹れたての茶を置いていき、お辞儀してから部屋の外に出た。
いかにも財閥のご令嬢に仕えているような無駄のない動きに、小谷はまたひそかに感動していた。
「お久しぶりです、天道さん。お会いするのは渡界以来ですね。お時間を割いていただきありがとうございます」
いつも男女問わずちゃん付けで呼ぶ冬輝は、改まった口調で丁寧に挨拶している。
「冬輝さん、一年半ぶりでございますね。無事に結魂相手を見つけて何よりでございます。……こちらが、夏野さんでいらっしゃいますね」
天道は視線を夏野に移し、小さく頭を下げた。「私は去年夏野教授のゼミを受講しましたが、実に有意義な時間を過ごさせていただきました。知見に富み、人となりの素晴らしいご両親でございますわ」
「えっ、夏野さんの両親はここの先生なの?」
小谷は初耳の情報に驚き、学年一位の頭の良さは親譲りなんだなと納得もした。
めったに自分のことを語らない夏野は、世辞の応酬には興味がないのか、「それはどうも」と素っ気なく答えた。
「あなたが小谷さんなのですね。転校初日に結魂相手が見つかるなんて、固本もなかなかの果報者ですわ」
「そういえば……」
小谷は四人しかいない広い部屋を見回し、首を傾げた。「固本が先に来てるって聞きましたけど、天道さんと一緒じゃないんですか?」
きれいな所作で茶を口に含んだ天道はゆっくり瞬きをした。
「固本さんは乙部副長と一緒にいるはずですわ。そろそろ解析が終わって戻ってくると思いますが……」
「解析?」
「ええ、昨日尚明実験高校で発生した戦闘の記録確認と解析でございます。情報収集と解析は、乙部副長の得意分野でございますから」
境界対策支部に興味津々の小谷は、次々と飛び出る新情報に目を輝かせ、そわそわと切り出してみた。
「あのっ、天道さんはどんな力を持ってるんですか?」
天道が口を開く前に、コンコンとドアが叩かれた。
先ほど部屋を出た男子学生が、ドアの隙間から強張った顔を覗かせた。
「お話し中申し訳ございません。急患です」
天道の顔からすっと笑みが引き、目に心配の色を浮かべた。
「お通しして」
小谷ら三人の視線が集まる中、開いた扉から若い男が姿を見せた。室内に入った瞬間、力尽きたようにどさりと倒れ込んだ。
「霧生さん⁉」
心配の声を上げた天道の代わりに、ドアに一番近い冬輝が来訪者のそばまで駆け寄った。
「大丈夫かっ」
助け起こされた男は苦しそうに目をつむったまま、ぐったりしている。
「手伝います」
男子学生は手慣れたようにけが人の片腕を自分の肩に回す。冬輝は反対の腕を担ぎ、二人がかりで男を運ぶ。
「奥の診療ベッドに運んでください。私が治療します」
天道は目線で二人を追いかけながら、会議机から離れる。
天道が座っているのは普通の椅子ではなく、車いすだということに、小谷は初めて気づいた。
霧生と呼ばれた男をベッドまで運び、コートを脱がせると、背中の傷がその場にいる全員の目に飛び込んだ。
まるで巨大な爪に抉り取られたような太い裂傷が縦に三本。抉り取られた肉はミンチ状に捻り潰されたようで、裂かれたシャツとべったりくっ付いて離れない。赤黒い色の中から白い骨が覗いた。
「なんで……」
仕切りの向こうにある診療スペースまでついてきた小谷は、絶句した。こんなひどい傷を見たのは、初めてだ。隣の夏野も嫌そうに眉を顰めた。
「小谷さん、申し訳ありませんが、外でお待ちいただけますか」
一瞬戸惑ったが、小谷は言われた通りに仕切りの外に出た。後ろで天道の声が続く。
「冬輝さん、あちらのハサミで服を切ってください」
茶がすっかりぬるくなった頃、ようやく仕切りの向こうから引きずるような足音が聞こえた。小谷は思わず立ち上がる。
さっきまでぐったりしていた霧生という男は、無地の黒シャツに着替え、仕切りから歩き出た。
黒い髪に暗い目、青白い顔、黒い服。まるでコウモリのような男だ。
「お世話になりました。いつもすみません……」
ひどく掠れた声は弱々しい。
「もう少し休まれてはいかがですか。ケガは完治したとはいえ、失血のダメージがございますよ」
天道は車いすを動かし、彼を引き留めようとした。
「ご厚意ありがとうございます。早く帰って、マリアの夕食を作ってあげないといけないので…」
男はその場にいる誰とも目を合わさず、壁に手をついて歩き、おぼつかない足取りで部屋を出た。
しばらく沈黙が続いた。
小谷は恐る恐る切り出した。
「あのう……彼も真界の人と結魂した……?」
「いいえ、彼は真界の方ですが……」
天道が説明に困ったように言葉を選んでいると、夏野は口を開いた。
「あのザマになるまで、獣と戦わされるのか」
不信感丸出しの詰問に憤然と言い返したのは、天道のそばで一部始終を見守っていた男子学生だった。
「あんな傷、獣ごときにできるものですかっ。あれは彼のところの――」
天道は目だけで彼を制止し、夏野に向き直った。
「人様の家庭のご事情は、詳しく申し上げられませんが、先ほどのお怪我は獣によるものではありません。結魂された常界人の身の安全を保障するのが、境界対策支部の最優先事項でございますから」
天道はいつの間にか手に持っていた杖を軽く掲げて見せた。「それに、さきほどのお怪我も、衡命杖で治しましたわ」
「……」
夏野はしばし彼女を見つめ返し、この話題はここまでとでもいうように、椅子を引いて座り直した。
再び囲んだ会議机の前で、天道は改めて衡命杖について説明した。
「衡命杖をケガした生き物に当てると、その真ん中の砂時計にある砂の分だけ、時間を巻き戻せます。今の私では、ざっと三十時間が限度ですわ。その時間内にできたお怪我は、どんなひどいものでも、怪我する前の時間に巻き戻すことでなかったことにできますわ」
「すごい! なかったことにするなんて、魔法みたいだね!」
小谷は思わず驚嘆の声を上げた。天道は微笑み返す。
「体内の霊流の軌道を逆に辿って復元する仕組みですが、一度失われた血液は取り戻せませんから、貧血状態になってしまうのが、玉に瑕ですけれど……」
「でもさっきの人、普通の病院にかかったら数か月入院するはめになりますよ? それを数分で治せるなんて、やっぱり天道さんすごい!」
「すごいのは私ではなく、この衡命杖を作り出した真界の技術力――真力ですわね」
「真力というか、思いっきり魔法ですね。魔法使いって感じ~」
小谷の言葉を聞き、天道が懐かしそうな笑みをこぼした。
「魔法使い……私も昔、この不思議な力を、魔法だって思い込んでいましたわ」
そこでまたドアが開かれる音がした。
「……やあ、どうだろう。これしか情報がないと、どっちか判断はできねえな」
誰かとだるそうに話しながら入ってきたのは、見知らぬ男性だった。
赤メッシュの入ったロングパーマは片方だけ上げられ、露わになった耳にはいくつものピアスやイヤリングが嵌めこまれている。耳に留まらず、赤茶の眉の下や、唇にも色とりどりのピアスが存在感を放っている。
ヴィジュアル系バンドでボーカルでもやっていそうな出で立ちの人間が、ひどく悪目立ちしているように見える。
この人は真界人だ――
小谷は直感で分かった。彼らはとにかく目立つのだ。
「……あれぇ、もう来てたのか。皆さんお揃いで」
来訪者に気づいた男は一度立ち止まり、眉を軽く上げた。後ろに固本の姿もいる。
天道は言葉を継いだ。
「ご紹介しますね。彼が私に魔法を授けてくださった魔法使いさん、乙部蘭でございます」
天道財閥の女当主たち
祖母
天道翠蓮
母
天道桔梗
娘
天道茱萸
※祖母以前は男当主が続いた




