第二十二話 夏野誉は問いただしたい
尚明祭が終わっても、夏野は小谷の異様な形相を忘れられない。
真人に渡された力は、本当に安全なものか、その疑念を拭えないまま――?
尚明祭が無事幕を閉じた週明け。
夏野は言霊を使って、新たに出現した蝙蝠型の獣の首を完全に落とした。
「なっちゃん、お疲れ~今日の白牙もキレッキレだったね」
冬輝の屈託なさが、どこかわざとらしく感じてしまう。夏野は黙ったまま死体から広がる乳白色の血溜まりを見つめ、ふと口を開いた。
「……血だ」
「ん? 血が何か?」
冬輝の処置で獣の死体とそのあたりの血は、徐々に周囲の景観に溶け込むように消えていく。
「剣を使う小谷が、血を浴びたのを見たことがない。何故だ」
夏野は今まであの一年女子にはさほど興味はなかった。ただ、尚明祭で豹変した彼女を目撃し、心に浮かぶ疑念を拭えない。
何度か共闘してきたが、小谷の剣を受けた獣から血が噴き出すのを見たことがない。
「たぶん、小谷ちゃんの剣の特性に関係があるんじゃない?」
冬輝はとくに隠し立てする様子もなく、あっさりと答えた。「たぶん小谷ちゃんの剣は、何か属性系の力を秘めてると思う。火か雷の力で、傷口を焼き焦がしたのか、または水の力で凍らせたり、ゲル状に変えたのかもしれない」
「そういえば、固本の下の名は、レイだったな。何の字だ」
下の名が分かれば、小谷の力の種類も分かる。むしろ何で今まで固本の下の名を確認しなかったのか、夏野は自分の呑気さに少し嫌気が差した。
「ごめん、ぼくも固本の下の名の字は知らない。向こうから開示してくれるのはいいんだけど、階級が上の人の名前を聞くのはご法度だから」
冬輝は申し訳なさそうにうなだれた。
違和感がますます強くなる。
「名前を聞くのがご法度? それを秘匿する必要性があるってことか」
「名前は龍淵につながる大切な座標だから、力を発揮するためには、少なくとも結魂相手には伝えると思うけど……」
冬輝は考え込むそぶりを見せた。「あるいは逆に、出力を抑えているのか……」
「出力を抑える?」
「座標の字が分からないと、引き出せる力も小さくなる。もし固本が小谷ちゃんに自分の名を伝えてないなら、彼女の力を制限する意図があったかもしれない……普通、そんなことしないと思うけど」
自分の推測に困惑したように、冬輝は言葉を切って、夏野の顔を見た。
「なっちゃん、何で急に小谷ちゃんを気にかけ始めたの……?」
夏野は冬輝の目を見返す。
こっちの思惑を推し量ろうと、窺うような眼差し。
「同じ学校にいるんだ。何の能力かくらい把握しといたほうがいいだろ。とりあえず、固本の名前を聞いてみる。俺は真界の人間じゃないから、身分など関係ない」
言い終わるや、空気中の霊子が振動で揺れ動くのが感じられた。ざわつく気配。
どこかで、小谷が戦っている。
その気配を辿って、夏野は足を速めた。
夏野らが駆け付けた時、ちょうど獣退治が終わったばかりで、小谷は逆手に持った剣を杖のように地面につき立て、死体処理をしている固本の作業をぼんやり見守っていた。
「小谷ちゃん、もう片付けたの? やるね!」
「冬輝先輩に夏野先輩、お疲れ様です」
二人に気づいた小谷は、ぺこりと頭を下げた。
「おっ、今回は蛇か……なかなかの大物だね」
冬輝は地面に横たわる蛇の死骸に目をやった。しめ縄のような太い胴が両断されているのに、周りに血しぶきがないのが見て取れた。
夏野はずかずかと固本に近寄って言った。
「固本、話がある」
「話、ですか」
固本は小さく首を傾げた。
「一昨日の尚明祭のことだ」
夏野は小谷のほうへ顎をしゃくって見せた。「俺はここで話しても構わんが」
固本はちらりと小谷を見て、少し声を落とした。
「……場所を変えましょう」
楽しそうに会話する冬輝と小谷を置いて、二人は花壇とフェンスに挟まれた小道まで行った。
固本が先に口を開く。
「何の話でしょうか」
「白々しい質問だな。じゃあ、単刀直入に聞く」
夏野は険のある眼差しを固本に向けた。「――小谷に何をした」
「……」
「尚明祭の時、小谷の霊紋が激変した。あの濁った霊紋は、なんだったんだ」
「……やはり見ていましたか」
淡々とした口調を変えない固本の尊大な態度は、ひどく夏野の気に障った。
「お前ら真人の力は、本当は体を蝕むものじゃないだろうな。俺たちの体で実験でもやってるのか」
「それは違います」
固本はきっぱり否定した。「お二方に危害を加えるつもりは一切ありません。細心の注意を払っていましたが、あの時は少々誤算が」
「誤算? 何を企んで、何の計算を誤った」
夏野はさらに問い詰める。「小谷のあのザマは、お前が渡した力のせいか」
黙り込む固本に、夏野は質問を変えた。
「お前の下の名、何て書く」
「……それは、まだ教えられません」
「教えられない理由は? それすら話せないなら、協力関係もここま」
「で」の字が口を出る前に、後ろから急速に迫りくる気配を感じた。背中が粟立つような殺気に、夏野は反射的に横へ飛びのく。
鋭利な刃が脇腹を掠って通り、目の前のフェンスを貫通する。
鉄のフェンスは小気味よい音と共に、豆腐のようにぽっかり切り裂かれた。
沸き立つ熱湯のような霊子を全身から発している襲撃者が、フェンスの穴から剣を引いた。
見覚えのある紫色の霊子。見覚えのある小柄な体。
表情の抜け落ちた小谷が、仕留め損ねた夏野に向き直り、彼の頭めがけて剣を振り下ろした。
「なっちゃん!」
一本の矢が剣身に当たり、軌道をずらした。
愕然とした夏野ははっと我に返り、力の限り飛びすさり、小谷から距離を取る。
さっきまで小谷と歓談していたはずの冬輝は、地面に片膝をつき、太ももには大きな切り傷ができていた。
「お前、何をした⁉」
夏野は怒鳴り返した。
「何もしてないっ」
血の気が失せた顔で、冬輝は首を振った。「小谷の腕輪が急に切れて、切りかかってきた」
冬輝の言葉を耳にした固本の顔色は、一気に青ざめた。
小谷の左腕に視線を向けてみると、いつもつけている翡翠の腕輪がない。
「小谷さんっ」
ふらふらした足取りで夏野に迫る小谷の後ろで、固本が動いた。彼女の両腕を捕まえようと手を伸ばす。
足元がおぼつかないのに、一瞬ピタッと止めた小谷は、すっと右足を後ろへ向け、右回転のステップと共に、剣を薙ぎ払う。
固本はとっさに上体をそらして攻撃を避けたが、彼女は一歩踏み込み、旋回力のついた左足で蹴りを繰り出した。腹に蹴りを喰らった固本が背後のフェンスに激突する。
「……なんなんだ、この状況はっ」
夏野は剣先がかすめた腰に手をやる。指先がかすかに朱に染まった。
その色に明確な殺意が込められているのを確認し、夏野は指先で三角の形を描き出す。
「噛みちぎれ、白牙っ」
冷たい声と共に、光点が小谷の首元を囲んだ。
しかし、点の間の空間が構築される前に、彼女はすっと身をかがめて攻撃をよけ、そのまま助走をつけて距離を詰めてきた。
夏野の舌打ちは、冬輝の動揺した声にかき消される。
「なっちゃん! 彼女を殺す気⁉」
「抜かせ、殺しに来てんのはそっちだ!」
夏野は小谷の進路を見計らって、再び手を振り上げる。
「――切り裂け、白牙!」
やられる前にやる。
そう決意したはずなのに、狙ったのは足だった。
焦りか、それとも無意識の手加減か。
小谷が踏み込むより早く、白牙が空間を結ぶ。
小谷は立ち止まったりせず、太ももあたりの高さに浮いている三角の空間を足掛かりにし、さっと登っては跳躍し、剣を振りかざしたまま一気に距離を詰めた。
夏野は剣の軌道に沿って手を振った。
「防げ、白牙‼」
紫色の残影を描く剣先が、間一髪で鼻先すれすれに展開された空間に防がれた。
それでも息を継ぐ暇はない。獣の喉元を簡単に切り裂いてしまう白牙の空間に、あっさりひびが入った。
剣の硬さが白牙を上回っている。
「――マジかよ!」
夏野は毒づきながら、身を翻して走り出す。
追い打ちをかけようとする小谷の足元に、牽制の矢が二本突き刺さる。
「もっとちゃんと狙え! 頭でも、胸でもっ」
「無理だっ」
「冬輝、腕を狙ってください」
二人の押し問答に固本の声が割り込んだ。「剣から手を離させれば、すべて収まりますっ」
「腕? ……腕を狙えばいいのか」
固本の言葉を耳にした夏野もまた、白牙を使おうとしたが、冬輝の鋭い声に止められた。
「なっちゃんはだめだ‼ 彼女の腕を落としちゃう」
足の失血を止める暇もなく、冬輝は片膝立てのまま弓の照準を定める。「ぼくがやる」
地面から飛び出す固本の捕縛縄が、小谷の足首に絡みつく。引っ張られてよろめいた彼女は、鬱陶しげに剣でそれらを切り払った。
剣を振り回す彼女の腕に、矢がなかなか当たらない。
しびれを切らした夏野はすかさず腕を振り上げる。
「囲い込め、白牙‼」
剣身の中ほどを囲んだ光点は空間を結び、一瞬だけ動きを封じた。
冬輝の矢が彼女の右腕に届く。突き刺したかと思いきや、まるでゴムのようにたわみ、腕に纏わりついた。
冬輝にしか使えない、麻痺矢だった。
小谷は、剣を手離し、まるでスローモーションのように倒れていく。
頽れる彼女の体を、駆け付けた固本は抱き込む。
今さらのように、冷や汗がどっと出る。
なぜ小谷が人が変わったように襲い掛かってきたか。
夏野は固本に近付く。
「何か言うことは」
「順を追って説明します。その前に」
固本は壊れ物を扱うように、そっと目を覚まさない小谷を横向きに寝かせて言った。
「切れてしまった腕輪の石を、集めていただけますか」




