第戯話 もし夏野√に入ったら①
おや? 机の上に原稿が置いてある。
『もし小谷ちゃんがフラグを立てられたら』……?
どうやらここは、小谷ちゃんがうっかり恋愛ルートに突入してしまった平行世界のようだ――
【獣退治の共闘で戦友だった小谷るかと夏野誉。
高校卒業を迎えた夏野が小谷に告白し、先輩後輩だった二人は晴れて恋人同士になり……⁉】
週末のデートの時のことだった。
小谷が手に持っていた紙袋を見て、夏野が手を伸ばした。
「俺が持つ」
でも小谷はすっとその手をかわした。
「いい。自分で持つ」
「いいから持つって」
「軽いから自分で持つっ」
うろちょろと避ける動作が妙にすばしっこいから、ちょっとむっとした夏野は紙袋ではなく、彼女の腕をがっしり掴んだ。
「年上に花を持たせろよ」
「はあ、年上? 一歳しか違わないでしょ‼」
「それで喧嘩になって別れて、三日も連絡を取っていない、と?」
夏野がうなずくと、冬輝は優に十秒は超えるでかいため息をついた。
「はあぁぁぁぁ……前からなっちゃんのこと、バカだバカだと思ってたけど、ここまでバカだったなんて、正直もうため息すら出てこないよ」
「いや、出てるだろ、ため息」
夏野は不機嫌そうに言い返すが、覇気がない。
「小谷ちゃんも小谷ちゃんで、何でこんな朴念仁と付き合ってるのかな。結魂相手のぼくだって話してると胃が痛いのに」
冬輝は悩ましげに髪をかき回した。
「もう……。いちいち上から目線で説教するから、彼女とうまくいかないんだよ。いい? 付き合って三ヶ月あたりは、一番気を付けないといけないよ。最初のドキドキが落ち着いてくる転換期だから、そこですり合わせないと破局待ったなし」
夏野はむすっと返す。
「説教はしてない。デートしてる彼女に荷物持たせたらダメだろ。結婚して奥さんにベビーカー押させて自分が手ぶらでずかずか前を歩くようなやつになるぞ」
「……壮大な未来ビジョンをどうもありがとう。胸やけしそうだよぼくは。心構えは素晴らしくても、命令口調で従わせようとするのはアウト」
「あいつは頑固だから、強く言わないと聞かないぞ」
「彼女はガールフレンド、なっちゃんの言葉一つで操れる言霊じゃないよ⁉」
さすがに堪忍袋の緒が切れそうで、冬輝は拳を握った。
「この、分からず屋が……小谷ちゃんの代わりに、ぼくが殴っていい?」
「良くない。……もう彼女には一発殴られてるし」
「まあ、素敵な判断力。とっととこんなおバカさんと別れて、ぼくと付き合っちゃえばいいのに……」
「おい、人の彼女に手を出すなよ」
夏野の声は途端にワンオクターブ下がった。
「まだ出さないよ。なっちゃんの彼女でいる限りは。……ったく、何でぼくが恋愛指導までさせられてるわけ?」
冬輝はスマホをさっとスワイプして、画面を夏野に向けた。
「とりあえず、ノロシュクのポップアップストアに誘えば? 小谷ちゃんこのゲーム大好きだし、趣味に理解のある彼氏は好感度上がるよ。あとはまあ、おいしい店に連れてって、仲直りのプレゼントでも買ってあげなよ」
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「キャー‼ 等身大のオルガ様、やっぱカッコイイ~そして主人公との絶妙な距離感、目線の寄越し方~待ってえっ待って」
夏野と共にノロシュクのポップアップショップに入った小谷は、序盤からテンションマックスだった。
店内の隅々まで写真を撮りまくり、プロモ映像に手を合わせて祈り、推しキャラの等身大アクスタの前で感動に打ち震えていた。
「二年ぶりの新衣装、凝ってらっしゃる……そして似合ってらっしゃる……」
一方で、ソシャゲにまったく興味ない夏野は、賑わう店内の熱気にやや引いている。
そういう雰囲気には馴染めないが、店の外で待っているだけではデートじゃない気がして、結局店内の隅に立ち、そっと小谷を見守ることにした。
乱高下する情緒でころころ変わる表情。ずっと見ていても飽きない。
ちょっとくすぐったいような気持ちで彼女を見つめていると、隣から話しかけられた。
「あのう……お一人で来られたんですか」
作中のキャラらしき衣装を身にまとった長身の女性だった。派手な緑色の髪はかつらだろうが、派手な色が似合う顔立ちは、美人の部類に入る。
彼女は夏野の冷ややかな眼差しに怖気るそぶりを見せず、優雅な笑みを湛えて続けた。
「良かったら連絡先を交換していただけます?」
夏野はすっと視線を戻し、彼女から距離を取った。
「悪い。彼女と来てるんで」
「わー、やばい、レジ列がめっちゃ長くなってる‼」
ちょうどその時、買い物かごを持った小谷が慌てて夏野のほうへ駆け寄ってきた。
「先輩、ごめん、ちょっと列並んでてくれる? 効率アップのために、二手に分かれましょう!」
「分かった」
夏野は短く答え、レジ前からすでに三度折り曲がっている列の最後尾に立った。
小谷はまるで働きバチのように、グッズの棚の間をせっせと飛び交っている。
「彼女って、そのちっちゃいの?」
プッと噴出したような控えめな笑いがすぐ隣に聞こえた。「なんか、地味……」
「まだいたのか」
厭味ったらしい言い方をする人間は嫌いだ。夏野は眉を顰める。
「デカすぎて(小谷を見るのに)邪魔だ。失せろ」
自分の彼氏がナンパされたことなどつゆ知らず、小谷は戦利品いっぱいの袋を両手に下げて、ほくほく顔でスキップしている。
今回は夏野も学習して、無理に袋を持とうとしなかった。
好きなものだからこそ、手に持っている実感まで噛み締めているのだろう、と何となく察した。
ただ、両手が塞がった小谷が荷物を半分渡してくれれば、空いた手を繋げられるのに――
夏野はそれが面白くなかった。
「ねえ先輩、これからどこいく?」
「近くにパスタのうまい店があるから、そこに行く」
「おお、いいね! ちょうど小腹が空いてきたとこなの」
喜んでくれてる。まあまあ悪くないデートプランかもしれない。
「あっ、手芸の丸九! ちょっと寄ってっていい?」
小谷は道端にある一軒の手芸屋を指さした。
あまり流行っているようには見えない店に入ると、生地の独特の匂いが鼻をくすぐった。
店主らしい老爺がちらりと目をあげ、挨拶代わりに頭を下げた。
「手芸部……幽霊部員じゃなかったのか」
物珍しさに店内を見回す夏野に、小谷は生地を検分しながら答えた。
「そうなんだけど、佐山が昨日なんか材料切らしたって言ってたのを思い出してさ」
スマホを取り出して、生地の写真を何枚撮り、チャットに送信した。「――必要なものがあったら、ついでに買ってけばいいかって」
「佐山……」
夏野はあまり人の名前を覚えないが、たしか小谷が所属する手芸同好会の部長の男子生徒の名だった気がする。
デート中にほかの男の話題を出されて、ちょっと面白くない。
夏野が黙っていると、小谷はセールコーナーに目を移した。
「ストーンパーツの福袋……これもちょっと買っちゃお。陽葵喜ぶよ」
手芸店を出たらすっかり時間がおして、予約していたランチの時刻までぎりぎりだった。
遅れた分、つい足が速くなる。
「ちょっと先輩……! 歩くの早いって、追いつけないって!」
呼び止められてはっと振り返ると、息を切らした小谷がだいぶ引き離されていたのが見えた。
「……悪い」
いったん彼女の元へ引き返す。無言で手のひらを上に差し出して見せると、彼女も大人しく荷物を半分渡してくれた。
「助かる……ありがとう」
何やってんだ――
夏野は自分の視野の狭さに微かな苛立ちを覚えた。
パスタは美味しかった。
トマトの甘みと唐辛子の辛さのバランスが絶妙なアラビアータは、記憶に残る一品だった。
なのに小谷が「これ、固本が好きな味かも」というから、面白くなかった。
帰りの駅前でガチャを回し、お揃いのストラップを着けてみると、ちょっと恋人っぽくてよかった。
なのに小谷が「このヘンテコ置物シリーズ、絶対冬輝先輩にウケる」と言ってせっせと回し始めるから、やはり面白くなかった。
そばにいるのが自分なのに、小谷はいつも別の誰かの話をしている。
彼女に用意したプレゼントのリップが、ずっとポケットの中に忍ばせたまま、渡すタイミングが見つからず、ただ時間が過ぎていった。
別れ際。
夏野はポケットの中のプレゼントを握ったまま、口を開いた。
「小谷。やっぱ俺たち、別れるか」
その言葉の意味を飲み込むまで、数秒かかった。
顔から笑みがすっと抜け落ち、小谷は不思議そうに小首を傾げた。
「なんで?」
聞き返され、夏野も数秒沈黙した。
お前はいつもそうやってほかの人の話を楽しそうにしているから――
「……俺が一緒にいる意味、あるのかって」
小谷は目をぱちくりさせて、今度は間を置かずにあっさり頷いた。
「分かった。先輩がそういうなら」
くるりと踵を返して歩き去る彼女の後姿を、夏野は無言のまま見送った。
やはり、問い詰めたり、ごねたりはしてくれないんだな――
予想通り過ぎて少し拍子抜けしたが、未練を残さずに断ち切ってくれたことに、夏野は彼女らしいとさえ思ってしまった。
小谷のことは最初、小生意気な一年女子だとしか思っていなかった。
負けず嫌いで無鉄砲で、そのせいで何度巻き添えを食らったか分からない。
でも言葉で自分を武装し、偽る夏野と違い、小谷の言葉はいつも表裏がなく、まっすぐだった。
最初はそれが腹立たしくて、そして羨ましくて、やがて愛おしく感じるようになった。
誰かに取られるのが嫌で、卒業式の日に彼女に告白した。
受け入れてもらえたものの、ずっと自分は彼女の特別にはなれないのではと、薄々感づいていた。
これで諦めがつく――
そう思っていると、遠ざかっていった小谷が、急に引き返してきた。
夏野に向かってスタスタ歩きながら、買い物袋をごそごそ探っている。
「渡そうと思ってたものがあったの、今思い出した」
取り出されたのはラッピングされた手のひらサイズの箱。
包装紙のロゴには見覚えがあった。前のデートの時、小谷が頑なに持たせてくれなかった紙袋のロゴだ。
豪速球でも投げるように、夏野の胸元目掛けて五メートル先から投げつけた。
「私が持っててもしょうがないから、やる」
今度こそ清々した顔で、彼女は振り返らずに去っていった。
小谷「何、この原稿……あっ、なんか私の名前が書いている。どれどれ……」




