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第二十話 固本レイは終わらせたい

親子を狙う獣に怒りを覚えた小谷は、一瞬理性を失いかける。

固本のサポートで正気は取り戻せても、勝機はまだ見い出せない――⁉

 尾を切断され、いくつかの鱗を剥がされたが、狼は致命的なダメージを負ったわけではない。

 鬼気迫る小谷に怯えて逃げ出したものの、距離を保ちながらまた相対した。


(大丈夫。勝ち筋は見えた。こいつの防御態勢よりも早く、急所に剣をねじ込めばいいだけ、さっきの要領でもう一度……)


 一度落ち着きを取り戻した小谷は、体内をめぐる霊流を探ろうとした。

 その瞬間、強烈なめまいに襲われた。

 まるで崖から一歩踏み外してしまったように、平衡感覚がすっと遠のく。

 霊枢から湧き出て、全身に満ちていた力が急速に消え、内臓がでんぐり返り、体温が急降下する。

 視界が激しく点滅し、そのまま前のめりに倒れ込みかけた小谷は、左腕を引っ張られた。


「こ、もと……」

 彼女の左腕を自分の肩に回し、腰に手を添えて支えてくれたのは、固本だった。

「無茶をしすぎです」

 相変わらず怒っているのか、心配しているのか分からないような声音だった。わざわざ頭を上げて確かめる気力も残っていない。

 ただ、いつも煩わしく感じる声が、少しだけ頼もしく響いた。


「ごめん、なんか、力が出ない……」

 舌がもつれて、うまく喋れない。

 剣を握る手のひらが、心臓でも生えたようにどくどくと脈動している。体内の霊流はすっからかんだが、わずかながら剣から力が流れ込んでくるのが感じられた。

 小谷は思い出す。彼女の剣は元々龍淵に眠っていた代物で、それを経由して霊子を補充できているのかもしれない。

 十数秒くらいで、ちかちかする視野が元に戻った。小谷は固本に抱き寄せられた左腕を引く。

「もう大丈夫……霊縛術は、あと何回使える?」

「二回ほどかと。勝算は」

「ない。でも勝つ以外の選択、ないでしょっ」

 行き当たりばったりでも、戦うしかない。あの親子たちをなんとしても守り切らないといけない――

 まだ重く感じる剣を両手で握りしめ、小谷は狼を睨みつけた。


「ファ――ハッハッハッ! なかなか苦戦しているではないか、ヒーロー見習い」

 頭上から朗々たる笑い声が降りかかり、その場にいる全員の視線を引きつけた。

 金糸に縁取られた黒のマントを羽織り、いかにも怪しげな銀色のマスカレード仮面をかぶった男子生徒が、二階へ通じる階段の踊り場の窓に仁王立ちしている。

「えっ……?」

 小谷はぽかーんと口を開けた。


「お前たちの腕を見込んで任せてみたが、まだまだ未熟なようだな」

 小谷を見下ろす男子は、マントを翻させ、鷹が翼を広げるように窓から裏庭へ飛び降りた。

「シュッ」「トン」「シャララ――ン」のオノマトペが背後に浮かぶような、滑らかな動きだ。

 スタイリッシュな決めポーズを取り、彼は不敵な笑みを浮かべた。

「ヒーローの見本というものを、見せてやろう――」


「頑張れ! ヒーロー!」

「おねえちゃん、おにいちゃん、がんばれ!」


 聞き覚えのある声なのに、あまりにも普段のキャラとかけ離れすぎて、小谷は悪夢でも見ているような気分になった。

「まさか……なっ、夏野、先輩……?」

 こわごわと話しかける小谷に、仮面の男子生徒は射抜くような視線を向ける。

「ほかに誰がいると」

 馬鹿でも分かるだろうという語気を隠しもしない、普段通りの不愛想な低音ボイスだ。

 それでも小谷は確かめずにはいられなかった。

「ほんとに……なっちゃん先輩……?」

「あの腹立つちゃん付けは、一人でたくさんだっ」

 うんざりした口調。紛れもなく本物だ。

「選考試験は……」

「いやな気配を感じたから、片付けて切り上げてきた」

「でも」


「黙らせろ、白牙‼」


 突然の大声に、小谷は自分が叱られたかと首をすくめた。

 しかし、夏野の大きく振り上げた手先は、飛び掛かる狼を指していた。

 小谷と固本を狼から庇うように、三つの光点が現れる。

 上の二点が結ぶ線と、下の一点から伸びる対角線に沿って光の壁が伸び、通り抜けようとする狼の鼻づらを挟み込んだ。

 片手サイズの白牙しか見たことがない小谷は、ほぼ等身大に展開された遮断空間に驚いたが、夏野は小さく舌打ちした。

「でかくすると強度が下がる。とっとと離れろ」

 拘束を抜け出そうとする狼の口周りの空間に、ひび割れが生じる。


「白牙だけでこいつは殺せない。小谷、まだ戦えるか」

「やりますっ」

 半分は本気、半分は虚勢だ。そこで、固本は口を開く。

「大がかりな編み込み結界で完全に行動力を封じましょう。少々込み入った術で、時間がかかりますが」

「分かった。足止めすればいいんだな」

 夏野の言葉に、小谷は剣を構え直す。

「了解ですっ」


 狼が近付けば小谷が迎え撃ち、逃げようとすれば夏野が阻止する。

 固本にも親子らにも近づけない狼は、袋のネズミ状態で裏庭の空き地をぐるぐる回った。

 途切れ途切れに耳に届くのは、耳慣れない異世界の言葉を唱え続ける固本の声。

 狼の攻勢を何度か受け流し、体力の限界を感じ始めたところで、詠唱が止んだ。


 狼の頭上の中空から、幾筋もの光が四方へ拡散する。

 それと同時に、地面からも複数の光が螺旋を描きながら上がり、裏庭全体を包み込んだ。

 上下の光が絡み合い、やがて網の形を成し、ゆっくり収縮しながら下降する。


 光の網が腹回りを通過した時、小谷はまたはらわたが捩じるような気持ち悪さに襲われた。

 左腕に着けられた腕輪も、白い網に共鳴するように、熱を帯びる。

 自分までが捕獲対象にされた錯覚は一瞬で終わり、すり抜けていく網は小谷の足をすり抜け、地面に消えていく。

 見渡すと、狼だけは、白い網にがんじがらめにされていた。


「さあ、ヒーロー見習い、何をぼうっとしている!」

 はっとした小谷は、狼に駆け寄った。

 首に食い込んだ網は、鱗をこじ開け、柔らかい中身をむき出しにさせた。

「悪さをした罰、これでおしまいね!」

 小谷は離れた親子らに聞こえるように大声を上げ、剣を振り下ろした。


~~~~~


「すごく面白かった! 迫真すぎてはらはらしました」

 母親は興奮を抑えきれない口調で三人をべた褒めした。「本番っていつですかぁ? 応援に行きたい!」

「えっと、それは……」

 返答に窮した小谷の代わりに答える人がいた。


「お芝居、気に入ってくれました?」

 ひょっこりと顔を出した冬輝は、キラキラの営業スマイルを浮かべ、母親にチラシを渡した。「今のは次回の出し物の候補で、また打ち合わせ段階なんですよ。よかったら、午後に上演する『処刑台を降りれば』を観に来てくださいね」

「あら、あなたもお芝居を?」

 母親は、一瞬で冬輝の人懐っこい笑顔に目を奪われた。

「尚明の演劇部の力作、お見逃しのないようにね~」


 服の裾を引っ張られ、小谷は下を向いた。

 小さな女の子がキラキラした目でこっちを見上げている。

「おねえちゃん、かっこよかった! 私も、おねえちゃんのように悪者をやっつけて、人を助けたい!」

 小谷はしゃがみこみ、女の子と目線を合わせた。

「ありがとう。ヒーローもね、仲間と一緒に戦わないと負けちゃうの。だから一人で無茶しちゃだめだよ」

 こくりと頷く女の子に、小谷は声をひそめた。「実はね、悪い動物たちが見えない人もいっぱいいるんだ」

 女の子は目を大きく見開いた。

「そうなの?」

「そうよ。ショウコちゃんが嘘つきじゃないって、私が知っている。もしショウコちゃんがまた悪い動物を見たら、こっそり皆を連れて離れるんだ。それが、みんなを守るかげのヒーローよ」

「うん、分かった!」

 女の子は元気に頷いた。


~~~~~


 なんとか親子らを送り出し、冬輝が固本のケガの手当てをしている間に、小谷は今までの経緯を説明した。

「3Dホログラムか。その場しのぎの思い付きとしては上等じゃないか」

「この人出で、大勢にバレずに済んだのはすごいことだよ」

 冬輝はうつむいたままの小谷を励ました。「だからそんなに落ち込まないで」


「……私が、狼の狙いに早く気づけてたら、固本もケガをせずに済んだのに」

 獣退治が終わり、あの母親に「その血も本物っぽくて作り込んでるわね」と言われて初めて、小谷は固本のケガに気づいた。

 自分のことでいっぱいいっぱいだったことが、何よりも情けなかった。


 ぽつりとこぼれた小谷の言葉に、固本は首を傾げた。

「私のケガは、小谷さんとは関係ありません」

 どこ吹く風という答えに、冬輝は一瞬呆れた顔を見せ、夏野は肩をすくめ、小谷は絶句した。

 固本はただ淡々と続ける。

「あの時、狼が誰を狙ってもおかしくありませんでした。たまたま私が親子たちに近かったので庇ったまでです。もし小谷さんが親子を庇ってケガをしたら、私の助けが遅かったと責めますか」

 ぐうの音も出ない正論だが、小谷の気が晴れない。

「そうかもしれないけど……そうじゃなくて……」

 気まずい沈黙の中、夏野がマスカレードマスクをおもむろに顔に着けた。


「ファッハッハ! 小娘よ、どんな時も落ち込んだ顔を見せず、笑顔を貫き通す者こそが、本物のヒーローだろう!」

 ぶっと吹き出した小谷は、もうしんみりしているところではなくなった。


「まっ、待ってください……先輩、その声、どっ、どこから出してるんですかっ」

「普通にのどから出してるんだが」

「えっ、ちょっ……もう一回、いいですか。今ボイスレコーダー開きますんで」

「はっ、ダメに決まってんだろ」

「そうおっしゃらずに! お願いします」

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