第十九話 小谷るかは格好つけたい
尚明祭に訪れた親子三人を守るために、小谷と固本は二人だけで変異した獣に立ち向かう。
苦戦を強いられる中、小谷は勝機を見出せるか――⁉
サソリを飲み込んだ狼の獣は、あっという間に変質していく。
「ワンワン、ワンワンが!」
「すごい! ワンワンが、アルマジロに変身してるよ!」
はっと声に振り向き、小谷はこの場には観客がいることを思い出した。
母親の膝の上で飛び跳ねる男の子。母の後ろからこわごわと顔を半分出して窺っている女の子。
小谷はすっと息を吸い込む。
「なんだって――⁉ アルマジロに変身して、まだ悪あがきをするというの? それでも、私たちは負けない! 絶対に皆を守って見せる!」
三人を安心させ、自分を奮い立たせる言葉。
小谷は背筋を伸ばし、アルマジロもどきになった狼の動きをけん制している。
「こいつ、背中が完全に鱗に覆われた。そっちは? 腹や胸元、防御力の低そうな箇所は?」
「見当たりません。顔まで鱗化してます」
狼は、ゆっくりと背後にいる小谷のほうへ向き直る。鈍色の鱗の間に、灰色に濁った両目が陰鬱な光を放っている。
どうやら武器を持たない固本よりも、剣を持っている小谷を脅威と認定したようだ。
「こういうのは、CEROの審査に引っかかりそうだけど……」
小谷は剣を顔のそばに構えたまま間合いを詰め、狼の目を狙って真っ直ぐに突き出した。「防御に全振りの相手は、目つぶしに限るよね!」
カン――
剣先が弾かれた。
狙いは正確だった。
ただ、鱗が移動して目に被さり、攻撃を防いだ。
「――こんなのあり⁉」
それでも攻撃の手を止めるわけにはいかない。
目がだめなら別の場所。
耳の穴を狙う。防がれる。
鼻先を切る。また防がれる。
狼は身を守る鱗を、まるでスライドパズルのように自由に動かし、目や耳などの隙間を一瞬で埋め、小谷の剣撃をことごとく無効化した。
突破口が見つからない焦燥感が、じわじわ強まっていく。
鱗の防御を突破する方法はないか――
ドン‼
何か重いものが地面を叩きつける音が、小谷の思考を遮った。
狼の尾は、サソリのように長く伸び、ごつごつした節が地面に凹みを作った。
「小谷さん!」
固本の警告と同時に、鞭のように振り上げられた尾は、土埃を巻き上げ、大きく弧を描いて小谷に襲い掛かった。
小谷はとっさに剣を構えてそれを止めようとした。しかし、硬質化した尾は細身の剣よりはるかに太く、あっさり彼女を吹き飛ばした。
幸い、固本が操る光の縄が、クッションのように小谷を受け止め、衝撃を緩和してくれた。
冷や汗が遅れて吹き出す。
狼は一度尾を収め、すぐにまた大きく振り上げた。
(二発目が来るっ……!)
受けるか、流すか、躱すか――
対策をシミュレーションしている小谷は、ふと狼の後ろ半身の鱗が、すべて尾に集中していくのを見た。
寄せ集まった鱗で、尾の長さがさらに倍増し、また体勢を立て直せていない小谷は、完全にその間合いから逃げられなくなっている。
まともに食らったら、腕の骨が折れてしまうかもしれない――
小谷は、最悪の事態を覚悟しながら、少しでも衝撃に備えようと急いで剣を構え直す。
大きく振り回された尾はしかし、小谷の眼前ぎりぎりをかすめ、半周して斜め後ろへ飛んでいく。
加速度をつけて、親子三人が腰かけたベンチの方へ。
小谷は完全に油断していた。
獣は剣を持つ自分を一番の脅威と認定しているから、ほかの人間を襲わないなんて、思い込みも甚だしい。
複数の攻撃対象がいる場合、弱い個体から撃破していくのが、戦闘のセオリーだというのに。
これから起きるであろうことも知らず、親子らは期待の眼差しをこちらに向けているのが見える。
すべてがスローモーションのように、ゆっくりと、しかし抗いがたく、引き返せない。
間に合わない――
小谷の頭は、真っ白になった。
獰猛に尖った尾は、親子には届かなかった。
「絶対にあの三人に近づけさせないで」という小谷の言いつけを、固本は守り切った。
三人の前に立ちはだかり、身を挺して狼の一撃を受け止めた。
尾の先が彼の右肩にめり込み、じわりと血の染みが広がっていく。
固本の負傷に気づいていない背後の母親は、小さく感嘆の声を上げた。
「まあ、びっくりした! すごい迫力だわ」
痛みにわずかに顔を歪めた固本は、かろうじて右腕を上げ、長く伸びた尾を掴んだ。
「……っ、今です」
「抵抗するすべを持たない親子が獣に狙われた」という事実で、小谷の頭がいっぱいいっぱいになり、それ以外の情報を処理する余裕がない。
親子は無事だということだけ辛うじて飲み込み、小谷は親子らを庇ったのは誰か、その誰かが自分に何を言っているのか、処理が追い付かない。
何かが、ぷちっと爆ぜた。
恐怖でも、心配でも、安堵でもない。
血液のように小谷の体を駆け巡り、突き動かすのは、怒りだった。
下っ腹から湧き出る怒りの炎は、時を突き動かし、燃え広がり、神経を焼き焦がす。
彼女は目に留まらない速さで狼に突進する。
狼は、身を守るために尾から急速に鱗を引き戻すと、その勢いに引っ張られた固本はバランスを崩し、地に片膝をついた。
彼は肩からの出血を手で抑え込みながら、やや動揺した眼差しを小谷のほうへ向けた。
鱗が忙しなく蠢く尾が目障りで仕方がない。
これ以上小賢しい真似は許さない。
小谷は波打つ鱗の下から一瞬覗いた骨身を見逃さず、尾の付け根を怒り任せに叩き切った。
獣は吠えた。
「……てめえ、子供を、狙ったな」
吐き捨てるような声は、冷え切って掠れた。
切られて地を転がる長い尾をゴミのように蹴り飛ばし、小谷は威嚇の唸りを上げる狼を、怒りに燃えた目で見据えた。「……私から逃げて、子供を殺そうとした」
一歩、また一歩と、狼に近づく。
狼は犬歯をむき出しに唸りながらも、気圧されたように後ずさった。その姑息な姿が、ますます彼女の怒りを煽り立てる。
「この、卑怯者がっ」
先にしびれを切らして飛び掛かったのは、狼だった。口を大きく開け、小谷の首にかみつこうとした。
小谷は剣すら使わなかった。
すっと重心を落とし、左アッパーを狼のあごにめり込ませる。
くぐもった打撃音と共に、狼が横へくずおれた。鱗を貫けなくても、衝撃自体は伝わる。
拳を繰り出した手の関節は真っ赤になったのに、不思議と痛みは感じない。
怒り以外の感情が排除された頭は、清々しいほど冴え渡っている。
体は軽い。
今まで感じていたもどかしさが、嘘のように消え去った。
(なんだ、こういうことか。これが霊枢から流れ出る霊子の流れ……)
体内を駆け巡る霊流の感覚を、小谷は初めて直感的に捉えた。
血液とは明らかに異なる、もう一つの流れ。
ちりちりと熱を帯び、体を火照らせる。
オオカミを睨みつけていると、視界がじわりと明晰になり、鱗の一つ一つの動きがスローモーションのように明晰に見えてくる。
「鱗は硬くて切れないけどさあ……」
小谷は立ち上がろうとする狼の脇腹に剣を突き刺す。
鱗と鱗の間、動く時にわずかに開閉する小さな隙間に、剣先を正確に捩じ込む。
そのまま柄を握り、ぐっと捩じる。
湿った音と共に、鱗が根元から剥がされ、ぽとりと地面に落ちた。
「こうやって、剥がしていけば、もう急所は守れないでしょう?」
子どもに言い聞かせるような声で、小谷は狼に囁きかける。
まだ抵抗しようとする狼の足を踏ん付けて動きを封じ、もう一度剣先をめり込ませ、捩じる。
カリッと鱗が剥がされる音。
「――一枚一枚、全部剥がしてやるよ」
小谷の小声は、離れた観客席には届かない。
しかし、女の子は母親の袖を引いた。
「ママ。なんか……怖い……」
娘に話しかけられた母親もまた、目の前の急展開に驚いたようで、しばらく声が出なかった。何度かパクパクと口を動かし、固本の背中にこわごわと話しかけた。
「あのう……大丈夫ですか」
地に手をつき、ふらりと立ち上がった固本は、親子たちを振り返る。
「安心してください。全部、お芝居ですから」
狼に完全に気を取られていた小谷は知らない。
彼女が狼と戯れている後ろで、あの表情筋万年ストライキ中の固本が、初めて微笑みをその端正な顔に浮かべたことを。
その激レアの微笑みを拝めたのは、結魂相手でも、同郷の誼でも、クラスメイトですらなく、通りすがりの名も知れない二児の母親であることを。
固本は、不器用ながらも小谷の口調を真似た。
「なんて強いアルマジロでしょう。私はうっかりけがをしてしまいました。彼女一人で、悪いアルマジロに勝てるでしょうか。……みんな、力を貸してくれますか」
「おねえちゃん、がんばれ――!」
幼い女の子の声が静寂を破った。
「ヒーロー頑張れ! 負けないで」
「んばれ! っばれ!」
三人の声が、小谷の耳に届く。うるさいくらいの耳鳴りがかき消され、頭にのぼっていた血が、すっと引いていく。
まるで白い霧に包まれた夢の世界から、現実に戻ったように。
(そうだ、私は……ヒーローになりたいんだ)
ヒーローは人を助けても、私欲や私憤に駆られてはだめだ。
悪者を退治はするけど、いたぶってはだめだ。
一歩、二歩と狼から離れ、小谷は心を落ち着かせるよう、深く息を吸い込む。
ぱっと振り返り、応援する親子に笑い返す。
「応援ありがとうね! ヒーローは、絶対に勝ってみせる‼」




