第十八話 小谷るかは乗り切りたい
尚明祭開幕。やたらとついて回りたがる固本に、それに辟易した小谷。
さて、お約束のドキドキ展開が始まるのか……?
「獣が見える人と見えない人がいるのって、幽霊話に似ていますよね。幽霊も、見える人と見えない人がいるじゃないですか」
つい先日、小谷と冬輝らが雑談でそんな話をした。
「真界の生き物にとって、霊子は酸素と同じように大事な養分だけど、獣は霊枢を持たないから、龍淵から霊子を補充できず、体外から摂取する必要がある。
でもこの世界は空気中の霊子が薄いから、流れ着いた獣は栄養不足で存在感が弱まり、人の目にも映らなくなる。それが幽霊という不確かな存在との共通点かもね。小谷ちゃんが知ってる怪談話の中にも、案外正体が獣だって話も混ざってるかも」
「飼い猫が何もない場所に威嚇するのも、幼稚園児のイマジナリーフレンドも、獣かもって、かなりホラーよね……」
「霊枢を持っていなくても、獣が見える子供は多いよ。命の原点に近いから、いろいろ感じるのかもしれないね」
それがただのホラー話で終わればどれだけよかったか――
頭上にサソリの獣。
後ろに狼の獣。
眼前に幼子を二人連れた母親。
小谷は声を低めて固本を急かす。
「今すぐにでも人よけ結界を張って、あの三人を遠ざけられない?」
固本は悔しそうに頭を横に振る。
「無理です。人よけの結界は、無人の場所に張って人を近づけさせないもので、これだけ近くにいられると展開できません」
(結界って、もっと便利で都合のいいものじゃないの⁉ 完全防御域を築くとか、記憶改変とか! 一般人が巻き込まれるリスクを想定して構築するものでしょう‼)
怒涛のツッコミを人前で吐き出すわけにもいかず、小谷はサソリと狼の動きを交互に確認しながら早口で囁いた。
「じゃ、まずあの三人をこの場から引き離して、なるべく遠くにっ」
固本は母親のほうへ歩み寄った。
「迷子届けは出しましたか?」
「はい、先ほど、案内所に……こら、ハヤト、暴れないのっ」
狼の獣から目を離さない男の子は、「ワンワン!」と言いながら、降りようともがいている。
「では一緒に案内所に戻りましょう、お子さんが見つかったと知らせなければ」
「分かりました……」
母親は固本について行こうとしたが、男の子は抗議するように彼女の肩をビシバシ叩いた。
「やだ! ワンワンがいい! ワンワン見たいぃぃ!」
「ワンワンなんていないでしょ、おやつ買ってあげるから行くわよ」
「……大きいワンちゃん、いるよ、あそこに」
母親に手を引かれている女の子が、こわごわと口を開いた。
「ショウコまで……」
母親は大きなため息をついた。「いつも嘘言って、ママをからかって」
「ショウコ、嘘言ってないもん……黒くて大きいワンちゃんが」
女の子はむきになって、母親を引き留めようとした。
娘に腕を引っ張られ、転びそうになった母親は、少し苛立った表情を見せた。
「あんた……! 嘘ばかり言うから、お友だちができないのよ」
「言ってない! ショウコ、嘘言ってないもん!」
まるで言い争う親子の声に誘われたように、中型犬ほどある大きなサソリは六本足を動かし、連絡通路の下を這い進んだ。
あっという間に真上まで来ると、はさみ状の足を大きく広げたまま、親子らの頭めがけて飛び降りてくる――
「危ない!」
考えるよりも先に、小谷は動いた。
剣を抜き出し、まるでバッティングでもするかのように、親子らの首を切ろうとハサミを突き出したサソリめがけてぶん回した。
キ――ン‼
甲殻に金属がめり込む耳障りの音が響き渡る。
頭上すれすれで弾き飛ばされたサソリは建物の壁に叩きつけられ、地面に落ちた。
一瞬死んだように見えたが、のそりと仰向けの体をひねり、起き上がった。
風圧にびっくりした母親はびくっと首をすくめ、小谷を振り返った。彼女が手にしているものに、目を見開いた。
「――まあ、なに、その剣? ……コスプレ?」
頭の中の警報機が鳴りやまない。
狼はこっちの動向を伺っているし、サソリに奇襲をかけられるし、一般人にあっさり剣を見られたし。
やることなすこと、全部思い通りにいかなさすぎて、何だか笑えてくる。
「そうなんです! コスプレなんです! 『ノロシュク』っていうゲームの!」
言葉が勝手に口をついて出る。「この剣も、なかなか本物っぽいでしょう? ねっ、固本」
二方の獣に気を配りながら、小谷は固本を手招きし、耳打ちした。
「あの母親にも、獣が見えるようにして」
「できますが、なにを」
「いいからっ」
小谷は固本の肩をとんと叩き、女の子に向き直った。「ショウコちゃんは、ワンちゃんが好き?」
女の子はまた黒い狼に目をやり、怯えたように首を振った。
「ううん、怖い……」
「怖いよね、でも大丈夫。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、怖い悪者を退治してみせるから」
「えっと……何の話?」
母親は、困惑を隠せなかった。
「私たち、二人でコスプレの劇の練習をしてたんです。ベタですけど、化け物が襲ってきて、それを退治する話」
小谷はサソリと狼を順に指さすと、困惑顔の母親は驚きに目を見張った。
「えっ……なんか変な生き物が浮かんできて……!」
「3Dホログラム映像ですよ、本物っぽいでしょ」
小谷は固本を指さしながら、苦笑いを浮かべた。「私の相棒は、あの顔でしょう。人気がありすぎて、隠れてリハするしかなくて……みんなに内緒にしてくれると助かります!」
「ああ、確かに、女子たちにモテすぎて練習にならないわね」
秒で納得した母親を見て、小谷は内心ガッツポーズを取った。
(よし! 隠しきれないなら、いっそう開示する! 信じられない光景は、それっぽい理由をつけて、あとは固本の顔面の説得力でゴリ押しだ! 我ながらいいアドリブね! あとはこの三人にお帰り頂ければ……)
「あのう……リハを見て行ってもいいですか?」
期待に満ちた目を向けられ、小谷は一瞬フリーズした。
「えっ」
「ほら、うちの子もワンちゃんが見たいようだし、面白そうだから……あっ、ちゃんと邪魔にならないように、ベンチで見てますね」
固本の顔面の説得力は、効きすぎてしまったようだ。
小躍りするような足取りで壁際のベンチに腰掛け、二人の子供をあやす母親は、完全にライブ開始前のファンになっている。
ここまでくれば、もう乗っかっていくしかない。
「さあ、人々の暮らしを邪魔する悪い狼とサソリめ、悪さをするのも今日までだ! 悪あがきはやめて、大人しく反省しなさい!」
昔見たヒーローショーを思い出しながら、それっぽい口上を述べ、小谷は固本の隣に立った。
「獣は二匹、こっちは二人。負けないよね」
「もちろんです」
「絶対にあの三人に近づけさせないでっ」
襲い掛かる狼を一閃で怯ませ、小谷は先に鈎状の尾を高く掲げるサソリに向かっていく。
平地でしか行動できない狼に比べ、壁を這いまわる毒虫のほうが危険だ。
尾の先端の毒針に刺されたらどうなるか、身をもって実証する趣味はない。危険因子は真っ先に排除するべき。
そう判断した小谷は、サソリの尾の節の間を狙って剣を振り下ろしたが、サソリがわずかに尾を揺らすだけで狙いがあっさりずれた。
それどころか、攻撃の反動でしっぽが跳ね上がり、針が脛をかすめた。
(節の間の柔らかいところ、小さすぎてて狙えない!)
尾の切り落とし作戦が失敗に終わり、小谷は一歩飛びすさる。
「右後ろっ!」
固本の声が届き、小谷は振り向きざまに逆袈裟斬りを繰り出す。
奇襲に失敗した狼は右前足を切られ、小さく悲鳴を上げ、ケガを庇うように身をよじった。
小谷はそのまま狼に追い打ちを喰らわせようと踏み込みかけたが、そそくさと建物の壁へ逃げるサソリを目の端に捉え、とっさに思い直して引き返す。
高所に登られたら、冬輝らのような飛び道具がなければ対処のしようがない。
「させない!」
固本が霊縛術で狼の足止めをしているうちに、小谷は目の高さまで登ったサソリを叩き落とした。
足元に落ちたサソリは、無様に腹を晒す。
暗褐色の背中よりずっと薄そうな色と硬さに見える。
小谷はこの好機を見逃さない。毒針を振り回されないよう、尾をしっかり踏んつけながら、腹部めがけて剣を突き立てた。
重いひび割れの音と共に、剣身がサソリにめり込んだ。
「すごい! 迫力があるわね!」
観客席から拍手が上がる。
のんきに拍手する母親に習って、男の子もぱちぱち手を叩く。女の子は服の裾を握ったまま、食い入るように見ている。
息が上がったまま、小谷は三人に手を振り返す。
「ほら、毒で人を脅す悪いサソリは退治されました! あとは――」
小谷の目線を受け、固本は狼の足を拘束していた光の縄をほどく。
彼女は剣を持ち直し、迫りくる狼を迎え撃とうと踏み込み――
狼は高く跳躍し、小谷の横薙ぎを回避した。
背中を取られないように、即座に後ろを向いたが、狼は彼女に振り返らずにそのまま突き進んでいく。
そのまま死にかけのサソリに飛びつき、大きな口を開けてむしゃぶりついた。
「……えっ、食べて……る……?」
目の前の光景に、小谷は呆然とした。
獣に共闘意識がないことは知っているが、食べることにためらいがないとは思わなかった。
「拘!」
困惑で立ち止まった小谷を追い抜いたのは固本だった。
二筋の縄が地面から飛び出し、十字に交差して狼を押さえつけにかかる。「小谷さん、早く始末を!」
いつもすました顔で突っ立っているだけの固本が走っている――初めての光景は狼の共食い以上に小谷を驚かせた。
「えっ、ちょっと……⁉」
固本の言葉に背中を押されるように、小谷は訳が分からずに、慌てて彼の後を追った。
しかし、狼は光の縄に抑え込まれる前に、サソリの残骸を口に咥えたまま逃げ出した。すでに半分ほど食われたようだ。
「ヨウジュウは、ほかの個体を取り入れることがあります。溶け合った二匹の獣は、より手ごわい変異個体になりかねませんっ」
溶け合う性質を持つ獣、溶獣――
「そんな肝心な情報、もっと早く開示しなさいよぉぉぉ――‼」
やり場のない怒りをバネに、小谷は全力で狼を追いかけた。
狼の進路を予測し、固本は地面から光の縄を飛び出させる。突然出現した縄に一瞬足を止めた狼に、ようやく小谷は追いつく。
「止まれぇぇ‼」
少しでも脚力の差を縮めようとした小谷は、狼の後ろ足めがけて剣を振り下ろし――
カン‼
肉を割き、骨を砕く音ではなかった。もっと硬質で無情な音。
そして、剣を伝わる振動で手がしびれる。
肉や骨どころか、剣は狼の毛一本すら切れなかった。
後ろ足を覆っているのは、毛皮ではなく、鈍色の鱗だった。
狼はおとがいを上げて、サソリの残骸を一気に飲み込む。
獣の全身が不気味に波打つ。
被毛だったものがうねり、歪み、絡み合い、変質し。
頭からしっぽの先まで、硬く、固く、堅い鱗へ変形していく――




