第十七話 固本レイは押し切りたい
固本とは必要最低限の関わりを持とうと、小谷が譲歩した矢先。
二人が一緒にいるところを父親に見られ、親子喧嘩にまで発展。
そしていよいよ尚明祭が始まる。
イケメン同級生と上級生らに囲まれたヒロイン、ドキドキの展開の一つくらいあってもいいはず――⁉
後ろ足で立ち上がり、前足を叩きつけてくる熊のような獣の攻撃を躱し、小谷は咆哮で大きく開かれた口を貫こうと、両手で握った剣を突き出した。
しかし獣は地面に前足をついた反動で首をのけぞらせ、致命傷を避けた。
ずれた剣先は分厚い毛皮に覆われた肩口に刺さり、それ以上めり込めない。
「――浅いっ」
小谷は素早く飛びすさり、身をよじって暴れる獣から間合いを取る。
固本が霊縛術で二本の縄を獣の巨体に巻き付けたが、やつは黒い爪でそれを掴み、引きちぎって逃走した。
「ごめん、仕留め損ねた!」
獣が逃げた方向の先にいる夏野と冬輝に向かって、小谷は声を張り上げた。
「大丈夫、まっかせてー」
冬輝の陽気な答えと共に、雷の矢が放たれる。
獣の鼻先をかすめて足元に刺さった矢は、殺すためではなく、動きを誘導するためのもの。
立て続けもう二本。
行く手を塞がれた獣は左前方に弓をつがえた冬輝を警戒して立ち止まり、彼の目論見通り、夏野がいる右前方へ突進していく。
小谷の剣を受けた肩の傷を狙って、夏野は無造作に手を振り上げる。
「骨を断て、白牙っ」
獣の首周りに三つの光点が現れ、三角形の面を結ぶ。
一辺は剣の傷を深くえぐり、もう一辺はのどを切り裂く。
断末魔の叫びをあげる獣に追いついた小谷は、とどめの一撃でその首を切り落とした。
「お疲れさま! ナイス連携」
冬輝はすぐに駆け寄ってくる。
小谷はふっと小さく息をついた。
「のどを狙ったんですけど、すごい反射神経で避けられて……しかもめちゃくちゃ硬かった! 鉄でも切ってるかと思った」
「白牙でも手ごたえが弱かったが、倒せないほどじゃないからな……まあ、満月の影響だろう」
「さすが経験豊富な先輩、全然動じないんですね」
小谷は少し不満そうに片手の剣を振った。
「霊子が増えて力が増すっていうなら、人も獣も同じはずなのに。なーんか向こうに押されてる気がします」
「ありゃ、小谷ちゃん、負けず嫌いだね」
「小谷さんが負けているわけではありません」
合流してきた固本が冬輝の話を受けて続けた。
「獣は理性のブレーキが効きませんから、相討ちの勢いで襲い掛かります。手ごわく感じるのはそのせいでしょう。ただ攻撃も単純になりますので、慎重に対処すれば倒せます」
「勢いで剣を振り回さず、頭を使えってことだ」
いつも小谷の場当たり的な行動を目にしてきた夏野は、ぶっきらぼうに言い放った。
「なっちゃん」
小谷は口を尖らせた。
「……どうせ私は特進クラスの方々に比べれば凡人ですよーだ」
「明日の学校祭、何事もなく終えられればいいのですが」
固本の言葉に夏野は首を振った。
「俺は数学オリンピアードの選考試験があるから、午前は無理だ。手ごわいのが出たら、封じとけ」
今年は学校祭と選考試験の日程が重なり、夏野ら一部の学生は、会議室で試験に参加することになっている。
「ぼくも舞台劇があるから、小谷ちゃんと固本だけで、あんま無茶しちゃだめだよ」
冬輝にも念を押され、この日はそのまま解散した。
~~~~~
夢を見た。
真っ白な霧に覆われた空間は、上下も左右も分からない。
やがて霧が淡い光を帯び始め、視界が白く塗りつぶされる――
目覚ましのアラームに起こされた小谷は、大きく伸びをした。
「もう朝か……」
土曜日、学校祭の当日。
「固本がどこの馬の骨か拝んでやる」と豪語した小谷パパは、会社からのサーバー障害を知らせる緊急メールが入り、この世の終わりのような顔で対応に出かけた。
これで心置きなく尚明祭を楽しめる、そう思った小谷は、軽い足取りで学校に向かった。
「あんまり人来ないわね」
喫茶店の当番に入った小谷と吉川は、客が一人しかいない室内を、仕切りのカーテンの裏側から覗いた。
「まだ九時半だし、こんなものだろ」
クーラーボックスの隣にだらしなく座っているクラスメイトの関は、スマホをいじりながら言った。「午前中はみなダンスショーと舞台劇に流れてるんじゃねえ?」
「あたしも、冬輝先輩が出てる劇を観たい~途中からでも入場できないかしら」
吉川は嘆いた。
「午後の部を観に行けばいいんじゃない」
「推しに会えるなら、途中からでも、何回でも会いに行くべし! るーちゃんも一緒に来るよね?」
「いや、私は……」
小谷の答えは、受付の女子のハイテンションの掛け声に遮られた。
「いっ! 一名様ご案内です!」
「いらっしゃいま……きゃっ! レイ様!」
カーテンをめくって顔を出した吉川は、嬉しさのあまり飛び上がった。
「げっ……」
小谷は思わず後ずさる。
ぎこちない動きで案内する女子の後ろについて入ったのは、まぎれもなく固本だった。
ほとんど装飾されていない室内が、彼の入室で瞬時に華やいだ空間へと変貌し、淀んでいた空気まで浄化されていく。
(なんだ、この人型空気清浄機は……)
窓辺の席に腰掛けていた唯一の女性客は突然スマホを取り出し、猛烈な勢いでタイピングを始めた。それを見た小谷は、軽くめまいを感じた。
「……関、学食で氷補充してきて。クーラーボックスいっぱい。私はお茶の作り置きをしておく」
「え、なんで? まだそんなに出ないよ」
「いいから走って、すぐ忙しくなるっ」
小谷の予感は見事に的中した。
十分もたたないうちに、ほぼすべての席が連れ立った女性客に埋め尽くされた。
当番に当たる五人は注文取りと飲み物作りに忙殺され、応援を呼ぶ羽目になった。
入り口で「満席」の札を立てかけ、小谷はその足で固本の席へ向かった。
「ご来店、ありがとうございます。おかげさまで本日の売上目標、早々に達成できそうよ」
固本は皮肉にも気づかず、小さく頭を下げた。
「やはりこちらにいましたか。気配が感じられましたので」
「気配って……ストーカーかあんたは!」
小谷はちょうどいい位置にある頭を、クリップボードで叩きたい衝動を懸命に抑える。
「その一杯を飲み終わったら出てって、あんたがいるとみんな働き詰めになっちゃう」
「安全のために、なるべくお供したいので、小谷さんが上がるまでここで待ってもいいですか」
小谷は大きく息を吸い込む。
(よーし、落ち着いて……この子は、ちょっと人語を解せないお馬さんだ。押しても引いても言うことを聞かない時は、そう、にんじんをあげて誘導をするのよ。大丈夫、私ならできる!)
「安全を心配してくれるなら、上がりまで校内を巡回してくれる? 客寄せパンダになってないで、そのやたら人目を惹く属性を人払いの結界ででも打ち消して、ちゃんと私たちが行動しやすいように先手を打ってください」
小谷は子どもに言い聞かせるように説明し、また接客モードに戻した。「ご注文がないなら、これで失礼しますね~」
「……確かに、一理ありますね」
固本の小声には振り返らず、小谷はずかずかとバックヤードに戻った。
固本の退室でようやく客足は落ち着き、交替の時間になった。
「るーちゃん! 中学の時の友だちが遊びに来てくれたの!」
着替えたばかりの小谷に、吉川は両手を合わせた。「ちょっと校内を案内してくるから、またお昼に連絡するね!」
どうやって吉川を振り切って固本と合流するか考えていた小谷にとっては、願ってもない状況だ。
「分かった、楽しんできて」
しかし、吉川もまたにやりと笑い返す。
「まあ、ほっとした顔しちゃって~るーちゃんも、レイ様と回ってくるんでしょ! あたしも無粋な真似はしないから、楽しんできて頂戴」
固本といる時、人払いの結界を張り続けないと、全て地獄耳の友人に筒抜けになってしまう――
小谷は痛感した。
~~~~~
特に待ち合わせ場所を決めておらず、小谷はとりあえず人気の少ない建物の裏をぶらぶら歩いた。
表の屋台の売り子たちのかけ声や、グラウンドのステージの音楽が混ざり合い、振動となって伝わってくる。
冬輝と夏野とは、知り合った初日にチャットアプリでフレンド追加をしたのに、固本との連絡手段が一切ないことに、今さら気づいた。
「……あとで連絡先聞いとこう」
突然、何かに膝裏をぶつけられ、小谷はよろめいた。
「わっ」
振り向くと、足にしがみついたのは、小さな男の子だった。
三歳くらいの男の子は、舌足らずながらも元気な声を出した。
「見て、かまきりさん!」
差し出された手のひらには、片方の鎌状の足が折れたカマキリがいた。
小谷は周りを見渡してから、彼に視線を戻す。
「カマキリさんだね。ママに見せたかったの?」
「うん!」
「ママはどこにいるの?」
「んっと、分かんない!」
迷子だな、と確信した小谷は、彼の片手を取った。
「ジュースは好き?」
「好き!」
「ジュースをいっぱい飲めるところ行こうっか、そこでママを待とうね」
しかし、急に手を振りほどかれた。
「とんぼさん! とんぼさんもいる!」
男の子はけらけら笑いながら赤とんぼを追いかけていき、小谷は慌ててその後を追った。
「ちょっと待っ」
「小谷さん、ここにいましたか」
裏庭に入ってくる固本の姿を捉え、小谷は声を上げた。
「いいところに! この子、迷子みたい。捕まえるのを手伝って!」
花壇によじ登ろうとする男の子を挟み込むように近づき、先に彼を腕の中に閉じ込めたのは小谷のほうだった。
鬼ごっことでも思ったのか、彼は楽しそうに手足をばたつかせた。
「ちょっ、子供って、こんなに力強かったっけ」
固本がしゃがみ込むと、男の子はぴたっと動きを止め、食い入るように彼の顔を見た。
「……きらきら!」
小谷の腕からするりと抜け、男の子はまるではしごでも上るように、固本の腕を掴んで、膝に足をかけ、よじ登っていく。肩にまたがると、まるで手綱を握るように、固本の髪を引っ張った。
「かたぐるま!」
「この子、分かってるじゃない」
小谷は思わず感心した呟きを漏らした。
固本は顔色を変えずに、そのまま男の子の足を持って立ち上がった。
「このまま案内所へ行きましょう」
いつもより広く見渡せる視界に、ご機嫌の男の子は楽しそうに手を振り回す。
「とんぼさん!」
「そうだね」
「とりさん!」
「そうだね」
「かにさん!」
「そうだね……えっ、かに?」
「かにさん! かにさん!」
男の子は上の一点を指さして繰り返した。
小谷は彼が指さす方を見る。
管理棟と西棟の三階を繋げる連絡通路。その下に、はさみ状の足を持つサソリのような獣が這いまわっている。
「おっきいかにさん!」
男の子は楽しそうに手を叩いた。
迷う暇はない。小谷は即断する。
「ここで見張っとく。固本は先にその子を案内所に届けて」
「しかし」
「見える人は狙われるんでしょ! あんな子ども、格好の餌食じゃん、時間稼ぎくらい……」
「……ハヤト? ハヤト!」
渡り廊下のほうから、女の子を抱きかかえた母親が、息を切らして駆け寄ってきた。
「すみません、その子、うちの子ですっ」
予想外の母親の登場に、むしろ小谷はほっとした。
「ありがとうございます……ほら、ショウコもハヤトも、ありがとうは?」
母に降ろされた女の子は、小さな声で「ありがとう」と告げた。
固本の肩から母の腕の中に移った男の子は、まだきょろきょろと周りを見ている。
今度は小谷と固本の後ろの方を指さし、嬉しそうな声を上げた。
「ワンワン! ワンワン!」
小谷は後ろを振り返る。
真っ黒な毛皮に覆われた狼のような獣が、建物の影に隠れるようにひっそりと立っていた。




