第二話 固本レイは近づきたい
降りかかってくるイケメン同級生、固本レイに身構える小谷は、覚悟を決めた。
ラブコメを匂わせる台詞を吐かれたら、即座に実力行使でフラグをへし折ろうと――
君子、イケメンに近寄らず――
それが小谷の考えだ。
なのに。
渦中の主役のイケメン転校生、固本レイが、輪廻転生系の少女漫画で一億回は聞かされた定番台詞を自分に投げてくる。
「見つけました」と――
学食が、水が打ったように静まり返っている。
【小谷るか、十六歳、尚明実験高校一年生。勉強そこそこ、運動得意。両親に愛されて育った一人娘、悲しき過去はなし。彼氏なし。学園が舞台の物語においては、きわめて平凡な存在である――】
(待て待て、なんか頭の中で勝手に謎のナレーションが流れてるんだけど⁉)
小谷は吉川を諭した。
ラブコメのイケメンにくっつくのは、決まって美人過ぎず、人気者過ぎず、長所はあるものの、程よい凡人なのだと。
恐ろしいことに、その基準を満たしているちょうどいい人選が、ここにいる。
というか、自分だった。
マジか。
身の危機を感じて窓辺まで逃げても、固本がずんずん迫ってくる。
(えっ、何この人、距離感という言葉を知らない? 近い近い近いっ!
あっ、まつ毛長っ……いやそういうこと考えてる場合じゃない‼ 何でこの人輝いて見えるのよ、イケメン補正フィルターこっわ!)
リアルに光輝くイケメンを眼前に、小谷の思考回路が完全にバグってしまった。
固本が口を開く。
「私、固本レイと申します。お名前をお伺いしても?」
「小谷るか……ですが」
敬語につられて、こっちもですます形に。すると、固本は嚙み締めるようにゆっくり繰り返した。
「コタニ、ルカさま」
こくりと頷き、一切の表情の変化を見せないまま、氷のイケメンは言葉を続ける。
「では、お手を」
「……握手?」
小谷は身構えながら、こわこわと右手を差し出してみた。
(よし、ないとは思うけど! 告白とかされたら、即座に顔を殴ってフラグを折る! ……いや、背が高くて届かない! なら、腹を狙うか!)
などと勢い込んでいると、さらに一歩踏み込んできた固本は、左手で小谷の右手を取った。
握手ではなく、そっと手のひらを合わせ、指同士を絡め取られ、さらりとした感触と低めの体温が伝わる。
すぐ後ろで見守っていた吉川が手を口に当て、ひぃっと小さな悲鳴を押し込めた。
「こっ、恋人繋ぎっ‼」
「???」
小谷は宇宙猫のようにポカンと口を開けた。
次の瞬間、目線の高低差が逆転する。
固本は、流れるような自然さで、彼女の前で片膝をついた。
「なになに? 何が起きてっ」
「こここ、固本さまぁぁ⁉」
「空空即是色受想行識亦復如是」
「ルオ・トラ・シヴァ・クル・アラタ
ルオ・トラ・シヴァ・クル・トラナラ・クレタ
シラ・ラナ・ラマ・ニククル・シラトラ
シラ・ナラ・ラマ・ニククル・ナラトラ
トラナ・ヤラ・ナラ・トラルナ」
低く唱えられるのは、聞いたことのない異国の言葉。
それを耳にしたとたん、心臓がざわついた。
知らないはずなのに、どこか懐かしく感じる音の連なり。
イケメンの補正フィルターらしき淡い光が強く輝き出す。
絡めとられた指先は心臓が生えたように激しき脈打ち、そのリズムに合わせ、光が流れ込み、腕を伝い、全身を駆け巡る。
(なに、この光……)
不思議な光景に圧倒された小谷に聞き取れたのは、最後の一言だけ――
「コタニ・ルカ、二度と違わぬ忠誠と最後の希望をあなたに託します」
ロマンチックな出会い? 約束された運命の誓い?
いいえ。普通に、怖い。
吉川がナンパされて止めに入った時も、最凶を謳うお化け屋敷に入った時も、ボールで担任のかつらを吹き飛ばした時も平然としていた小谷は、生れて初めて恐怖を痛感した。
その恐怖の源である固本は、恭しく一礼した。
「一緒に、来ていただけますか」
固本が「今朝助けていただいたお礼をしたいので、少しだけ二人きりにしてもらえますか」と少し困ったような表情で詫びただけで、興奮に沸いた群れが割れ、食堂の入口への道が開かれた。
(これが、紅海の奇跡……)
壮観な景色に圧倒された小谷は、固本に連れられて食堂を出て、ようやく我に返った。
「ちょっ、ちょちょちょっと! 固本くん、だっけ? 助けてくれた人を探してるのは聞いたけど、たぶん人違いよっ、てか初対面!」
小谷は手を振りほどこうとぶんぶん振った。
固本は顔色を変えず、手も離してくれない。
「それは人探しのための方便でございます」
「素面で嘘をついてたの⁉ てか、さっきのあれ、なに?」
いっぱしの敬語で話していながら、その実自分勝手で人の話を聞かない。いくら世間でイケメン無罪論が罷り通っても、小谷は認めない。
「学校をうろつく灰色の獣を追っております」
「灰色の、獣……」
ふと今朝授業中に見た白昼夢を思い出し、小谷の抵抗が一瞬弱まる。それをいいことに、固本は彼女の手を引いてずんずん進む。
「人よけの結界を張っておりますが、離れると無効になるので、お手をお離しになりませんようにお願いします」
言われてみると、食堂を出てから周りの視線が一切感じない。
すれ違う生徒の誰一人、この光り輝くイケメンに反応しないのが、かなり異常だ。
――異常?
何が異常で、何が正常だろう?
いるはずのない生き物、転校生の奇行、ここに「結界」というワードが出現すると、むしろ全てがきれいにはまる。
ここはすでに非日常なのだ。
「いました」
ピロティ構造で一階が駐輪場になっている西棟の前で止まり、固本は小谷の手を放し、ある方向を指さす。
「もう手を離して大丈夫なの?」
「はい、気配の強い校舎裏にはあらかじめ結界を張っておりますゆえ、この中には誰も踏み込まず、誰もこちらには気づきません」
言い終わるや、それが植込みから姿を現した。
イノシシに似た灰色の四本足の動物。太い四肢の先には鋭い爪が生え、苛立たしげに地面をほじくっている。
何よりも異質なのは、大きく見開かれた真っ白な瞳。
紛れもなく、白昼夢に出ていたあの変な生き物だ。
「ヨウジュウでございます。本来こちらには存在せず、クウゲキから迷い込んでしまった獣ゆえ、ここの人たちに干渉できませんが――」
固本の声に耳をぴくりと震わせた獣は、ぐるりと白い目玉を動かし、二人へ向き直り、耳障りな唸り声をあげながら突進してきた。
固本は小谷を庇うようにすっと前へ進み、手で素早く胸の前で印を結んだ。
「コウ!」
五メートル先まで迫った獣の足元から突然薄緑色に光る縄状のものが飛び出し、その背中に巻き付く。
獣は縄の拘束力には抗えず、もがきながら膝を折り、そのまま地面に抑え込まれた。
「――ヨウジュウが見える方は、やつらに狙われます。コタニ様も、その捕食対象でございます」
小谷は拘束されても暴れ続け、コンクリートの地面に爪痕を残す獣をじっと見つめた。
固本の話が続く。
「ですから……」
怖がらなくていい。あなた様は、この私がお守りします?
あなたと、周りの人間の笑顔は、私が守って見せます?
平凡な女子高生が化け物に狙われ、そこにイケメン騎士が登場し、颯爽と怪物を退治し、忠誠を誓う。
『氷のようなイケメン騎士が私にだけ甘い⁉』のタイトルの表紙が浮かび上がってくる。
そんなもの、吉川の夢であっても、小谷の夢ではない。
そんな話、聞きたくない、関わりたくない、巻き込まれたくない――
小谷は耳を塞ぎたくなった。
「コタニ様に、ヨウジュウを退治していただきたく存じます」
「……へぇ?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
固本の声が続く。
「ヨウジュウは私と同じ世界に生まれ、力の源は同じでございます。私にできるのは拘束だけで、短時間しか持ちません。異分子を排除できるのは、この世界の住人だけでございます」
固本は、顔の表情筋をほぼ動かさず、波立たない湖面のような瞳を小谷に向けた。
「探し人は、獣を退治できる、コタニ様でございます」
小谷はうつむいたまま、表情が見えない。
返事がない。まるで石像のようだ。
二体の石像が向き合ったまま十数秒が経ち、沈黙が破られた。
「ふっ…ふふふ……ふふふふふ、ははっ、はははははは!ハハハハハハハ‼」
腹を抱えて、涙が出るほどの大爆笑だ。
笑い転げる小谷を前に、固本はわずかに困惑の色を見せた。
「私、何かおかしなことを申し上げましたか」
「いや! その逆よ……おかしなことを言わないでくれて、どうもありがとう」
小谷は笑い涙をぬぐいながら答えた。
ゲームの女主人公の扱いでむきになることを、吉川に首を傾げられた。でも小谷にとって、それは大事なことだ。
適性。素質。経験則。先入観。
そんな息苦しい枷なんて、全部砕いてしまいたい。
悪者退治がかっこいい、戦うのがかっこいい――
その気持ちをゲームの主人公に託し、自己投影してきた。
でも、もう何かに託すのではなく、自分で叶える日が来たのだ。
イケメン転校生と平凡女子のラブコメにされてたまるか、これは、小谷るかが獣退治をするバトルものだ――




