第十四話 冬輝詩音は見守りたい
小谷の身に降りかかる悲劇を知らず、冬輝は演劇という定番の青春イベントを満喫していた。
やることなすこと裏目に出る小谷と違い、冬輝は器用な立ち振る舞い方を熟知している――
毎年九月第三土曜日に開催される学校祭、「尚明祭」は、我が子の進学先として検討したい親たちに大人気の行事である。
部活単位の出し物は凝ったものが多いが、クラス単位のものは、クラスのモチベーションによってまちまち。
本格的なお化け屋敷を作り上げるクラスがあれば、椅子だけ並べて「休憩処」の立て札を出すだけのクラスもある。
そして今年の尚明祭の目玉イベントの一つは、有名な舞台監督のご子息が入部した演劇部のゴシックミステリー、『処刑台を降りれば』のリバイバル上演だ。
週末の本番に備え、演劇部は今日の放課後から拠点を部室からホールに移し、リハーサルに打ち込んでいた。
「しばしの別れだ、我が姫。
……その真珠のように美しい涙は、最愛の人のために取っておいてください。長い旅路を終えた暁には、きっと再び巡り合えるでしょう」
主人公の少女を導き、旭日の中に消えていく青年役を務める冬輝が、最期の言葉を託し、舞台の幕が閉じられていく。
ホールの明かりが戻ると、最前列に座っていた顧問の先生と部長が顔を見合わせ、興奮を抑えきれないような笑みを浮かべた。
「やあ~ホールで見ると迫力が違うね! 熱気のこもった演技、素晴らしい!」
顧問先生や数人の生徒が拍手を送る中、進行管理役の女子生徒が声を張り上げる。
「退出時間まであと二十分! 役者の皆さんは着替えて、手の空いてる人は道具の片付けと掃除をしてくださーい」
テキパキと着替えを済ませた冬輝は、マスクと衣装を衣装係の女子に渡した。
冬輝が引き受けた役は出番が少ないが、主人公が行き詰まった時にふらりと現れては助言をするキーパーソンだ。ミステリアスな装いと悲劇的な最期から、劇中でも屈指の人気を誇る。
衣装係の女子は赤い目のまま、鼻声で冬輝に言った。
「先輩、最後のシーン、とても感動しました! みんな幸せになるハッピーエンドのはずなのに、彼だけが消えていくのが悲しくて悲しくて……」
「ありがとうね、原ちゃん」
冬輝は衣装を整え、ハンガーにかけた。「ぼくは代打だから、みんなの足を引っ張らないようにするのが精いっぱいで、そんな風に褒めてもらえたら嬉しいよ」
「足を引っ張るなんて、とんでもない……! なんか、冬輝先輩の言葉って、人を引きつける力があると思うんです。つい耳を傾けたくなると言いますか……」
ずずっと鼻をすする後輩にティッシュを渡すと、冬輝は茶化すように返した。
「『その真珠のように美しーい涙は、最愛の人のために取っておいてください♡』って、彼ならきっと言うでしょ」
「なんですか、それ。感動シーンの台詞がすごく軽く聞こえますよ」
後輩女子は軽く吹き出した。
「冬輝、いるか? 誰か探しに来てるよ」
三年生の部長がひょっこり顔を出し、手招きした。
「えっ、だれ? なっちゃんが見に来てくれたの」
「いやあ、夏野じゃなくて。……まあ、一応、女子っ……つうか」
げんなりした顔で言いづらそうにしている部長のそばを通り抜け、冬輝は控室を出る。
ホールを見回すと、下手側の座席付近に、部長を言い淀ませた人物を見つけた。
健康的な高校生の平均体重を遥かに超えた肥満体の女子生徒が、手を膝についてゼイゼイ息している。特大サイズのシャツは腹の脂肪に食い込み、今にもはち切れそうだ。
蒸気が立ちそうなほど汗まみれの彼女を見て、片付けをしている部員の何人かは、あからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「誰、あれ? ていうか、何、あれ」
「……うわっ、やべっ」
ひそひそ声を気にせず、冬輝は彼女に駆け寄った。
「福田ちゃん? どうしてここに」
冬輝の声に、彼女は顔を上げた。
丸い頬に似合わない切れ長のキツネ目は、暗いイメージを増幅させている。
「はぁ…はぁ……。給付奨学金の、件で、先生がっ……ぐっ、探してた」
息交じりの声はかすれて低く、愛嬌や愛想のかけらもない。
「あっ、すっかり忘れてた、ごめん! ちょっと休んでて、福田ちゃん、顔色真っ青だよ」
冬輝は心配そうに彼女を手近の座席まで案内する。
「今日中に……書類を出してほしいって。演劇部に行ったら、誰もいなくて。ホールでリハしていると聞いて……来た」
彼女は二重顎を伝う大粒の汗を手の甲で拭い、椅子に腰かけた。跳ね上げ式の椅子が彼女の重みで軋み音を上げた。
二人の会話が気になるのか、手に箒と塵取りを持っていた女子の一人が、掃除の振りをして近づいてきた。
しかし、すぐに酸っぱい汗のにおいにやられ、鼻に皺を刻みながら退散した。
彼女は福田の見えないところまで逃げ、これ見よがしに鼻の前を手であおり、ほかの数人に何かを耳打ちした。するとその数人も手を止め、興味深そうに冬輝と福田のほうに視線を向ける。
冬輝は無遠慮な視線をものともせず、会話を続ける。
「知らせてくれてありがとう。ちょうどリハが終わって喉乾いたし、飲み物買ってくるよ。福田ちゃんは何がいい?」
「……いらない」
「こんな暑い中走らせたお詫び、じゃないと申し訳なくて夜しか眠れないよ」
「……じゃあ、シュワシュワグレープで」
「オッケー」
早足でホールの出口のそばにある自販機に行き、冬輝はコインを入れる。
チャリン、チャリン。
「『福田ちゃん』、だって……あれはフクタというか、ブタよね」
「冬輝先輩は優しいから、みんなちゃん付けで呼んでるけどさ、あれで『ちゃん』はないわよ」
「なんだあの体形、女子相撲?」
「知らないのか、三年特進の福田一子、二年までずっと不動の学年一位だったぜ。三年に入ってから夏野にトップ奪われたけどな」
「さっすが夏野先輩、あんなデブが一位なんてわが校の恥だぜ」
ひそひそ交わされる会話は、肌の上を這いまわる蟻のようで、ざわざわとした不快感をもたらす。
転がり出た飲み物を両手に持ち、冬輝は引き返しながら声のほうへ視線を向けた。
「しっ! ……冬輝先輩がこっち見てる」
「まさか、聞かれてた……?」
「大丈夫じゃねえ? こんだけ離れてたら聞こえないだろ」
冬輝が微笑みかけると、かたまっていた数人の生徒も、とってつけたような笑顔を返し、口を噤んだ。
たったこれだけのけん制でも、軽薄な悪意を抑えることができる。
(残念だけど、ぼくら言霊使いの一族は、聴覚もずば抜けていいんだよね……)
心の中で呟き、福田の元へ引き返した冬輝はシュワシュワグレープを渡した。
「気を付けて、この硬さ、たぶん炭酸が一気に出るよ」
「いつも飲んでるから知ってる」
そう言いながら冷えたボトルを首筋に当て、福田はほっとしたように表情を和らげた。
「じゃあ、職員室行ってくる。今日はありがとう」
そして遠巻きに見ている部長らにも、軽くお辞儀をする。
「すみません、ちょっと先生に呼ばれちゃって、先に失礼します。お疲れさま」
「「お疲れ様でした――」」
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図書館にいる夏野は、「自然科学」のラベルが貼られた棚から一冊の本を抜き出した。
昨日読み進めたページまでぺらぺら捲りながら席に戻ると、演劇部のリハーサルを終えた冬輝がちょうど合流してきたところだ。
「おかえり」の口パクを無視し、自分の席に座ると、冬輝もすかさず隣の席に腰かけ、頭を彼の肩に乗せてきた。
「うっとおしいからやめろ」
夏野は嫌そうに身をよじった。
「うーん、五秒だけ……劇のリハで疲れちゃった。なっちゃんの元気を分けてぇ」
あご乗せに失敗した冬輝は、めげずに額を夏野の肩にくっ付ける。
五秒というギリ許容できる時間を出され、夏野は眉を顰めて我慢した。
「……ふぅ、チャージ完了」
のそりと身を起こした冬輝は、夏野の手元をのぞき込む。
「『生物群集の行動同期と生存戦略』……。面白いの?」
「読めば分かる。聞くな」
冬輝はふーんと言い、頬杖をついて窓の外を眺めた。
平和な時間は数分と持たず、また彼が夏野をつつく。
「見て見て、小谷ちゃんが戦ってるよ」
彼の指さす方を見ると、先日会ったショートヘアの女の子が、飛び掛かる獣を間一髪で躱したところだった。
「今日はスカートじゃなく、スラックスか。賢明な判断だな」
「おっ、またきれいに躱した、立て直しも速い……小谷ちゃん、受け身取るの上手だね、なんかスポーツでもやってたのかな」
夏野は小谷からやや離れたところに立っている男子生徒に目をやった。
「固本って、あの長ったらしい髪型をした男か」
「おお、なっちゃん察しがいい」
「ぼんやりと霊子が見えたからな」
冬輝が何か答える前に、獣が前ぶれもなく倒れ込んだ。
薄緑色の縄状のものが獣の後ろ脚に絡みつき、その突進を阻んでいる。
小谷はその好機を見逃さず、一気に距離を縮め、立ち上がろうともがく獣の口に剣を突き入れた。
「……お見事」
冬輝は小声で称賛を送り、夏野は視線を本に戻す。
「その調子で相棒とガンガン獣を屠って欲しい。こっちも受験勉強に専念できて助かる」
「なっちゃんの読んでる本、受験と関係ないでしょ。……でも、仲直りしたならよかったね」
ほっとしたのもつかの間、小谷がずかずかと固本に近づき、何か文句を言っているのが見えた。
「あれ? 小谷ちゃん、なんか怒ってない……? 固本のほうは、ノーリアクション……
あっ、地団駄踏んでる……固本が怒らせた、のかな……? さすがにガラス越しじゃあ話は聞こえないか……
小谷ちゃん、拳握りしめて何か我慢してる! 口喧嘩? 殴っちゃう? ……あっ、頭抱えてうずくまった」
冬輝の実況に、夏野は思わず本を閉じた。
「あの二人、本当にやっていけるのか」




