第十一話 夏野誉は逃げ切りたい
人間関係が苦手な夏野は、飛び級した先で胡散臭い先輩、冬輝詩音と再会する。
こいつとだけは仲良くなれないと思った夏野だが――
新学期が始まり、夏野は三年特進クラスの講壇に立った。
「えー、知ってる人もいると思うが、飛び級で入った夏野誉だ。年下の子に順位を抜かれるんじゃねえぞ。あとはまあ、仲良くやってくれ」
担任の雑な紹介に真っ先に反応したのは、冬輝だった。
「ええ――? 順位で脅しておいて仲良くって、ハードル高すぎませんかぁ?」
すると、調子のいい男子が相槌をうつ。
「そうだそうだ! 羊に『狼に食われるな、でも仲間になれ』って言ってるのと同じだ!」
笑い声が上がり、担任が苦笑を浮かべた。
「特進クラスの皆さんは、大人しく食われるたまか?」
「「違いまーす」」
何人も声を揃えて答え、夏野の三年生生活が順調に滑り出したように見えた。
休み時間になった途端、夏野の周りに人が集まる。
「夏野くんって、学年一位の常連だったよね、順位表でよく見た!」
「やっぱあれか、一年の授業楽勝すぎて飛び級しちゃおう的な?」
「何か特別な勉強法とかあるの? よかったら聞かせてよ」
いろんな人の声がどっと押し寄せ、耳がキンキンする。
新しい環境になるといつもこうだ。誰も彼も勝手に寄ってきて、勝手に話しかけて、勝手に期待する。
質問っぽい言葉を投げるのに、本当は誰もその答えを求めていない。それなら、まじめに返事する必要がどこにある。
(どうせ残りは一年しかないし……)
夏野は沈黙を貫こうと決めた。
すると、遠慮がちな小声が耳に届いた。
「あのう……告白した子に『お前は何様だ』と言って振ったって噂、ほんと……?」
周りは水が打ったように静まり返る。
「はあ?」
身に覚えのないセリフが棘のように耳に刺さり、夏野は思わず苛立った声を出した。
「っ……!」
質問した女子は怯えた表情を見せた。
気まずい沈黙が引きのばされていく。
どいつもこいつも、真実などどうでもよくて、信じたいことしか信じないくせに。
それを指摘してやろう、と夏野は口を開きかけた。
言い方考えないと人が離れていくよ――
誰かの言葉が蘇る。
夏野は、饒舌よりも沈黙がいいと考えていた。
でも沈黙を貫いた結果、誰かに曲解されるなら、それは他人のせいなのか。
黙ったまま分かってもらおうとする、自分のわがままではないのか。
冬輝のようにできなくとも、少しだけ、言葉にする努力をしよう。
「おんなっ……、の、コ、を振ったのは事実だ」
押し出す言葉がぎこちない。それでも、言わなければならない。
「呼び出されて、知らない子がいた。それで、何年何組の誰のなのかと聞いたら……っ……泣かれた」
これで本当に何かが変わるのか――
「もぉぉ、なっちゃんったら、『何年何組だ』って職質みたいな答えを返すから、過大解釈されちゃうんだぞ!」
いきなり後ろから腕が伸び、タコのように夏野の肩に絡みついた。
冬輝は親しげに顎を夏野の頭の上にのっけて、指で彼の頬をつつく。
「少しは反省しなさい~」
「っ……」
冬輝の軽いいじりにつられ、誰かがつぶやく。
「……いるよな、振られた腹いせで相手を悪く言うやつ」
「伝言ゲームみたいなものだと思うよ、ぼくは。誰かがわざと悪く言ったんじゃなくて、周りがちょっと脚色していってそうなっただけ。ほら、なっちゃんはクール系イケメンだから、それっぽい毒舌のほうが、噂も盛り上がるっしょ」
頬をつついていた指は、今度粘土をこねるように頬をつまみ上げる。
「なっちゃんって、噂されても反論しないからさ、損するんだよね」
「冬輝くん、夏野くんと仲がいいの?」
女子の一人が口を挟んだ。
「そっ! ルームメイトだよん~でも知り合ったのは結構前。女子に告られたところを、このとんちんかんに見られてさ」
女子勢がにわかにわいた。
「ええ⁉」
「盗み聞きして趣味悪いな、って文句言ったら、なっちゃん、なんて答えたと思う?」
「なんてなんてぇ?」
「ぼくと二人きりの女の子が心配だから、襲われないように見張ってたんだって!」
「キャー‼ なにそれ、うちのお父さんみたい!」
「お父さんは失礼ね、ハードボイルドと言ってあげないと」
「ハード…ぶっ、ボイルド……はははは!」
誰かが夏野の肩を叩き、笑いの輪が広がっていった。
その日、寮に帰った夏野は冬輝を待った。一言だけでも、礼を言おうと思った。
しかし門限が過ぎても、消灯時間が過ぎても、冬輝は寮に戻ってこなかった。
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学生寮の隣に設置されたガーデンテラスに、冬輝が立っていた。
蠢く植込みの一点を狙い、金色に輝く矢を射る。
耳障りな鳴き声と共に、巨大なトカゲの獣が飛び出し、素早く柱を伝って藤棚にのぼった。矢に射抜かれて穴の開いた襟飾りを立て、威嚇する。
「はーい、招かれざる新入生ちゃん、尚明へようこそ」
冬輝は笑顔のまま棚の上に照準を定める。「ごめんね、ここは人喰いの獣が生きられる世界じゃないから」
二本の矢が同時に放たれ、射られたトカゲの形がぐにゃりと歪み、まるで別空間に吸い込まれたかのように消えていく。
あたりが静まり、藤の葉が数枚ひらひら宙を舞った。
「ただいま……」
「遅かったな」
窓から室内に入ろうとする冬輝は、ベッドに腰かけた夏野と目が合った。
「なっちゃん? だめだよ、夜更かしは美容の大敵……いた、いたたたた」
無表情に近寄ってくる夏野は、冬輝の頬を強くつまんだ。
「痛いってことは、これが夢ではないんだな」
「普通、自分の頬をつねって夢かどうか確かめるもんじゃないの⁉」
冬輝の抗議に構わず、夏野は椅子を引いて腰かけた。
「夢だったらよかった。……くそっ」
冬輝は毒づく夏野の顔を窺った。
「――もしかして、……見ちゃった?」
「あの弓のことか。這いまわるバケモンのことか。二階の窓まで飛び上がってくる不良生徒のことか」
「あちゃあ……全部見られちゃった……」
冬輝はもう一脚の椅子を引いて腰かけた。「いずれ話そうって思ってたけど、同棲二日目でバレちゃうなんて……」
「その浮気がバレた彼女の臭い芝居を続けるなら、門限破りを寮母に報告して叩き出してもらうぞ」
「きゃっ、非現実的な出来事を見ても現実的な解決法で脅してくるなっちゃん、痺れるぅ~」
夏野が切れるリミットを見計らって、冬輝はすっと真剣な表情に切り替えた。
「じゃあ話すね。ぼくの、本当の自己紹介から――」
冬輝は語った。
自分は迷い込んだ獣に対処するために、真界という別世界から来た者であること。
獣を完全に退治できるのは、この世界に生まれた素質を持った人間だけであること。
夏野は現状把握に努めた。
「さっきのトカゲは、死んだわけじゃなく、一時的に封じられただけか」
「そう」
「俺がその『素質』とやらを持ってる人間で、お前から力をもらってそのトカゲを退治しろと」
「そう」
「トカゲは素質持ちの人間を襲うから、自衛のためにも儀式は必須だと」
「そう」
少し考え、夏野は指を二本立てた。
「質問は二つ。まず、お前が尚明に転入したのが一年前なら、いままでどうやって獣を退治してた?」
「この区画は今三名が配属されているけど、結魂の儀を執り行った真人は、まだ一人しかいない。いつもその二人組に退治してもらってる。でも獣が増えて対処しきれなくなってるから、できれば早く結魂してほし……」
「その結魂という言葉、いちいち口に出すな、紛らわしいっ」
夏野は小さく舌打ちし、中指を折った。
「もう一つ。お前と最初に会ったのは去年。俺がその適合者とやらなら、なぜその時に言わなかった。理屈が合わない」
「ぼくだって、なっちゃんにもっと早く気づきたかったよ!」
冬輝は悔しそうに口を尖らせた。
「ぼくらは霊枢の気配で適合者を探すんだけど、もともと力が宿っていない空っぽの霊枢は、リラックス状態じゃないと気づけない。寝てる時とか、ぼーっとしてる時とか。同じ学校なら、普通数週間で見つかるのに、なっちゃんの霊枢に気づけたの、昨夜が初めてだった。なっちゃんはずっと張りつめたまま学校生活を送ってるの?」
「だから今朝、あんなガン見かましてたのか……」
「それもあるけどぉ……あわよくば、なっちゃんが寝てる隙にちゃちゃっと結魂儀式をやっちゃおうって、未遂でバレたけど……」
夏野は眉を顰めた。
「こそこそしなくても、きっちり説明をしてくれれば、その儀式とやらをやらなくもないぞ」
「……マジで?」
「お前らの事情とか、ぶっちゃけどうでもいい。俺は自分の日常を守りたいだけだ。狙われてるなら、護身の力はあって損はないだろう。条件は一つだけ。日常と関係のないごたごたに、一切俺を巻き込むな」
「それはもちろん! 約束するよ! えっと、指きりでもする⁉」
「で、その儀式とやらはどうやるんだ?」
「それがねえ――」
「はあああ⁉ 手をつないで口付けするだ――!???」
たちの悪い冗談にしか思えない結魂の儀のやり方に思わず怒声が出た。
すると隣室から思いっきり壁を蹴られた。
「うるさい! 何時だと思ってんだ‼」
危機感に駆られた夏野に後ろ手に拘束され、床に組み伏せられた冬輝は、くぐもった声を出す。
「だって言霊はっ、口伝いで渡すんだもん……」
「だからって、キスするような真似はできるかっ! 俺はそっちの趣味はないっ」
「なっちゃんは、溺れた人を助ける人工呼吸もキスのうちに入れるの? ノーカンでしょ! それと同じ」
「同じな訳あるか‼」
「もう、絶対なっちゃんに拒否られると思ったから、寝込みを襲うしかなかったじゃん」
「やってみろ、その前に息の根を止めてやる」
「冗談だよ、ぼくだってちゃんと同意を得てから……息、できないっ……ぎ、ギブ……」
頑なに拒否する夏野に、冬輝はトカゲの封印が解けるまでの猶予をくれた。絶対に寝込みを襲って儀式を強行しない条件付きで。
その間、冬輝はまるでスニーカーの底にくっついたガムのように、どこへ行こうと夏野に付きまとった。隙あらばべたべた触り、全力で仲良し二人組のイメージを学年中に広めた。
化学実験室でそれが起きた。
封印の解かれたトカゲが、夏野の気配を辿って室内に侵入し、その尾で卓上の試験管を砕いた。
教師の「教室を出なさい」の声と生徒らの悲鳴があがる。
夏野と冬輝は廊下を走った。
「獣は物理干渉できないんじゃなかったのか⁉」
「封じられた時間が長いとだんだん慣れて、人や物に干渉できるようになるんだ! いい加減腹をくくれ、なっちゃん」
「んなこと言われても……!」
いきなり手を掴まれ、冬輝の声が耳に届く。
「ラオ・シラ・ナラクル・アラタ
ラオ・シラ・ナラクル・トラナラ・クレタ
シラ・ルナ・キラクル・シラルナ
シラ・ナラ・キラクル・ナラルナ
トラナ・ヤラ・シラ・ルナ」
「おい、勝手にっ」
動転した夏野は階段で足をもつれさせ、下へ落ちる。手をつないだ冬輝まで落ちていく。
衝撃を覚悟していると、腕を強く引っ張られた。
冬輝は夏野をかばうように体を入れ替え、下敷きになって踊り場に激突した。
「世話の……焼ける、方だな……」
小さな血だまりが後頭部から広がっていく。痛みに顔を歪めた冬輝は、最後の誓言を絞り出す。
「夏野誉、結ぶ勇気と解く覚悟をあなたに託します」
「夏野くん! 冬輝くん! すごい音がしたけど、大丈夫⁉」
異様な形相で駆け出した二人を心配し、後を追いかけてきた女子生徒は、踊り場で折り重なるような姿勢でキスを交わす(ように見えた)二人を目撃した。




