第十話 夏野誉は振り切りたい
時間は一年前にさかのぼる。
これは、言霊使いの夏野が運命の相手に出会う時の話――
「すっ、好きです! 付き合ってくださいっ」
顔を真っ赤にした女子は、震える声を絞り出した。
人気のない図書館の裏。
この告白の定番スポットで、今日も甘酸っぱい青春ドラマの幕が開かれようと――
「お前、何年何組の誰だよ」
告白を受けた男子生徒は、氷のような言葉を投げ返した。
「…………ぇ?」
頬を染めていた愛らしい顔が、さっと青ざめていく。
「『いつまでも待ってます』ってメモ一枚で人気のない場所に呼び出して、何考えてんだ」
さらに冷たく畳みかけられ、彼女は大きな目に涙を浮かべた。
「ちょっと夏野くん! そんなひどい言い方ないでしょ⁉」
物陰からもう一人の女子が飛び出す。泣き崩れる友人に駆け寄り、怒りの目を彼に向けた。
(この女、同じ特進クラスの……誰だっけ――)
名前が思い出せない。夏野は眉をひそめた。
「お前が焚きつけたのか。無責任に応援して、しくじったら責任をこっちになすり付けるのか」
「んなっ……⁉」
遠慮も配慮もない言葉に、クラスメイトの女子が絶句した。
「悪いけど、赤の他人の告白に応じる義務はない」
彼は二人に背を向け、その場から立ち去った。
夏野誉。
一年特進クラス。不動の学年一位。
シャープな顔つきに整った目鼻立ちは、昔から女子に人気が高いが、彼自身は生産性のない色恋沙汰にまったく興味がない。
知らない女子に告白されて断っただけなのに、噂はすぐに学年中に広がった。
「ねえねえ、聞いた? 夏野くんが、上四の女子の告白を断ったんだって」
「知ってる! 愛奈ちゃんよね。すっごく美人なのに、何が不満なの?」
「『てめえは何様だよ』とか吐き捨てたらしいよ」
「うわ、最低‼」
「ファッションモデルの愛奈ちゃんに、そんな暴言を吐くか? 同じ男として情けねえわ」
「いくら顔がよくても、性格がゴミだな」
気づけばクラスメイトたちは皆、夏野から距離を置いた。
何も間違ってないのに、周りが勝手に勘違いする。夏野にはそれが馬鹿馬鹿しくてしょうがなかった。
バカに構わずに授業を受け、図書館で本を読んで下校する。
誰も寄りつかない日々は、しばらく続いた。
冬休み明けのある午後。
図書館裏に面した窓際の席に座った夏野は、女子の声を耳にした。
「先輩が好きです! 付き合っていただけませんかっ」
聞き覚えのある声に、思わず視線を向けた。
小顔でスタイルのいい女子は、入学当時夏野に告白して振られた天城愛奈だった。
彼女の前に立っている男子生徒はこっちに背を向けて、顔は見えないが、柔らかそうな金髪が、曇りの空を点るように明るい。
「一年生の天城ちゃんでしょ? この前の『ルミラヴ』の表紙に出てたよね、春のトレンドアイテム特集! 本人を目の前にすると、ちょっとどきどきしちゃうな~!」
明るくも愛嬌たっぷりの声に、天城は頬を赤らめた。
「あっ、ありがとう、ございます……」
「天城ちゃんみたいなかわいい子に好かれてるなんて、嬉しいな」
照れたようにうなじの髪を撫でた彼は、しかし次の瞬間、手をすっと下ろし、小さく頭を下げた。
「でもごめん、その気持ちには応えられないんだ」
天城は目を見開いた。
「……なんで」
「ぼく、好きな人がいるんだ。……片思いだけどね」
彼の声は優しくも真剣さが宿っている。
「他に好きな人がいるのに、天城ちゃんと付き合うのは、あの子にも天城ちゃんにも失礼だから……本当にごめん」
天城は失望の色を隠せず、それでも彼の言葉に小さくうなずいた。
「天城ちゃんはすごいよ、まっすぐぶつける勇気があって、自分の気持ちに素直で。ぼくなんか、傷つくのが怖くて、とても告白なんてできない」
少し沈んだ声に、天城は慌てて首を振る。
「そんなことありません! 先輩はとても優しくて、思いやりのある人です! 私は……先輩に好かれてる子が、羨ましいです……」
「本当にありがとう。応えられなくてごめんね」
彼はもう一度頭を下げると、天城は吹っ切った笑顔を見せた。
「私、先輩に告白してよかったです! お時間を取らせてすみません、先輩の恋、応援してます!」
小走りで去った天城の足取りが軽い。
夏野がその後姿を見送っていると、金髪の男子は突然振り返った。
目ががっつり合う。
「人の告白を盗み聞きするなんて、趣味が悪いね。出ておいでよ」
「やっぱり図書館の妖精さんだ」
仕方なく図書館裏まで出た夏野を見ると、金髪の先輩は愉快そうに声を上げた。
「はい……?」
「いつも図書館にいるじゃん、一番奥の窓辺の自習席。本好きの妖精さんだなって。あっ、ぼくは二年のフユキシオン。真冬の輝き、詩人の詩に音。君は?」
その馴れ馴れしさに押され、夏野はしかたなく答える。
「……真夏の夏に野原の野、夏野。一年です」
「夏野ちゃんね。単刀直入に言うよ。さっきの話、誰にも言わないでくれる?」
そもそも言いふらす趣味はない。
「分かりました。言いません」
「ありがとう、助かる」
冬輝は大きく伸びをして、少し意地悪そうな顔を見せた。
「普通さ、告白と分かれば空気を読んで退散しないか? なのに君、ずーっと見てくるから、うなじに視線が刺さって痛いのなんの」
「こんな人気のない場所に、男女二人きりにさせたらダメでしょう。こじれて男がキレたら女は逃げ場ないし」
冬輝は呆気にとられたように口を開け、数秒後にプッと噴き出した。
「それ、本音? 夏野ちゃん面白いね!」
この人に笑われると妙に腹立たしい。夏野はつっけんどんに言い返す。
「そもそもこんな場所を選ぶ女も、危機感なさすぎなんだよ」
「女、じゃなくて、女の子!」
冬輝は即座に指摘し、呆れたように手を広げた。「君、モテないでしょ」
「学校はモテるために来る場所ですか」
「異性にモテるかどうかの話じゃなくて、人間関係全般の話。言い方考えないと人が離れていくよ」
その声を聞いていると、心がざわつく。
この人は、自分とは真逆の存在だ。
「俺はなにも見なかったし、何も聞きませんでした。失礼します」
夏野はくるりと踵を返した。
なのに、天城の顔をつい思い出してしまう。
自分の言葉で泣きじゃくった彼女が、冬輝の言葉で軽やかな笑顔を見せた。
(……何が違うって言うんだ)
今まで気にも留めなかった周りの環境が、急に息苦しく感じ始め、夏野は飛び級申請を出した。
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「飛び級で特進クラスに入った夏野くんでしょう? 受験勉強に集中するために寮に入るって、親御さんは前世でどんな徳を積んだら、こんな出来た息子に恵まれたんだろうね~」
尚明実験高校は遠方から入った学生も多く、校内には学生寮が併設されている。
男子寮の寮母のおばさんは、管理室の前に来た夏野相手に熱心にしゃべり続けている。
「男子寮は五階建てで、夏野くんの部屋は二階の角部屋、二○二号室ね。鍵はなくしたら弁償だから気を付けて。こっちが寮生活のガイドブック。あんたみたいなしっかりしてる子には必要ないと思うけど、一応読んどいて」
テキパキと必要なものを渡し、おばさんは思い出したように付け加えた。
「そうそう、寮は基本四人部屋だけど、二○二号室は今年三人卒業しちゃって、今一人しかいないの。あんたと同じ三年の特進クラスの子。仲良くしなさいね」
始業式の前日の寮は、荷物運びする生徒らの声で賑わっている。
二人部屋というささやかなラッキーに、夏野は正直ほっとしている。人が増えればトラブルも増える。ルームメイトは少ないほうが勉強も読書も捗る。
そう思いながら二○二号室のドアに鍵を差し込み、部屋に入った。
入口の手前にクローゼット。壁の両側に置かれた二段ベッドとツインデスク。
窓から差し込む日差しは何もない床に影を作り、無人の部屋が一層広く見える。
部屋を見回すと、たしかにベッドもデスクも、一人分だけ使われている痕跡がある。
夏野は使われていない側へ行き、荷物整理を始めた。
門限時間である夜九時ぎりぎりに、ドアが突然開かれた。
「たっだいま~」
鼻歌交じりの声に振り向くと、
「「あっ」」
冬輝と夏野がお互いの姿を認め、同時に声を上げた。
「新しく入ってくる子って、夏野ちゃん? こんな運命の再開ってあるんだね! よろしく!」
冬輝はすたすた近づき、夏野の手を握ってぶんぶん振った。顔に息がかかるほどの距離に、夏野は思わずのけぞった。
「よろしく……お願いしま」
「敬語はいいよ! ぼくら同級生だし、クラスメイトだし、ルームメイトでソールメイトだからさ! 気楽にいこ、ねっ、なっちゃん!」
「なっ……?」
冬輝の距離を詰める速度が、夏野の脳の処理速度を上回った。
寮生活を選んだ自分の選択は間違いだったのか、と不安になった。
寮で初めて迎えた朝。
夏野は目覚ましが鳴る前に、うっすらと人の声を耳にした。
呪文のような、歌のような、のびやかでやさしい旋律。
奇妙な音につられて重い瞼をこじ開けると、目の前には顔があった。
まるで寝こみでも襲おうとしているかのように、その人は夏野の肩回りに両手をつき、のしかかろうとしている。
それが冬輝だと認識した瞬間、夏野は足を曲げ、彼の腹めがけて蹴り上げた。
「――っと、あぶないあぶない」
華麗に蹴りをかわした冬輝は、軽いステップで後ろへ下がった。
「……なに、やってんだ」
「う~ん……。寝顔、可愛かったから……? 見とれちゃってた♪」
血が一気にのぼったせいで頭がくらくらする。夏野は頭を押さえながら上半身を起こした。
「……次やったら、殺す」
「ごめんって」
冬輝は全く反省の色を見せず、さらっと話題を切り替えた。
「なっちゃんさ、下の名前、なんていう?」
「あ゛あ゛⁉」
なんでこいつはケロッとした顔で話しかけてくるのか。夏野はベッドのカーテンを力任せに閉じ、中で着替え始めた。
「何なんだよ、お前はっ」
「下の名前、教えてよ」
「……ほまれだ」
「なんて書くの? 字」
「ちっ……出藍の誉れ」
「なっちゃん、ご機嫌斜め……。もしかして朝が弱い? 大丈夫?」
心配そうな声は、挑発しているようにしか聞こえない。
(てめえの頭こそ大丈夫かよっ)
のどまで出かかった暴言を飲み込み、夏野は拳で壁を殴った。




