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第3回 先使用権という反撃


 自由都市ランツェには、法廷が二つある。


 ひとつは、ちゃんとした法廷。

 もうひとつは、みんなが勝手に「法廷」と呼んでいる市場裏の広場である。


 前者は石造りで厳粛だ。

 後者は屋台の串焼きがうまい。


 そして困ったことに、厄介事はだいたい両方に来る。


 その朝、灰鷲亭の主人は、まだ湯気の立つ鍋をかき回しながら言った。


「で、その帝国の法務参謀とやらは、どっちに来るんだ?」

「前者です」

「つまらんな」

「串焼きの余地はありません」

「法の戦いってのは、どうしてこう絵面が地味なんだろうな」


 アレクシアは席について、パンをちぎった。


「今日は無効審判です。絵面より記録が重要です」

「それ、客寄せとしては最低の文句だぞ」

「客寄せをするつもりはありません」

「なのに見物人は来るんだよな」

「人は他人の揉め事が好きです」

「それはそうだ」


 主人は腕を組み、うなった。


「で、向こうが言ってる先使用権ってのは何だ?」


「文字通り、先に使っていた者に、一定範囲で継続使用を認める抗弁です」


「日常語で頼む」


「すごく簡単に言うと、特許になる前から、その技術を自分の事業で使っていた人がいる場合、その人を守るルールです。後から誰かが特許を取っても、前からそのやり方で仕事していた人まで、いきなり全部禁止にはしない」


「ほう」

「ただし“その技術”に限ります」

「ほう?」

「そこを雑に広げると、今日みたいな面倒が起きます」

「要するに?」


「帝国側は屁理屈を持ってきます。『お前の特許など認めない。何故ならもっと前からその技術を使っていた者がいるから』と」


「急にわかりやすくなったな」


 食堂の隅で給仕の娘が頷いた。

 最近この宿は、法律の語彙だけ妙に強い。



 帝国からの使者が来たのは、鐘二つぶん後だった。


 自由都市の正式法廷、第二審問館。

 帝都の大法廷ほどの重厚さはないが、そのぶん妙に実務的である。壁は灰色、机は頑丈、椅子は座り心地が悪い。権威の演出より「長時間座っても文句を言うな」という思想で作られている感じがした。


 傍聴席には、商人、魔導工房の職人、暇な傭兵、そして「何か面白そうだから来た」顔をした自由都市市民が詰めかけていた。


 その中央を、いかにも帝国の人間です、という一団が進んでくる。


 先頭の男は細い。

 細くて、長くて、無駄に真っ直ぐだった。


 銀灰色の法衣。

 飾り気のない肩章。

 黒手袋。

 鼻梁に細縁眼鏡。


 宮廷魔導士長ベルンハルトが舞台役者だとすれば、こちらは帳簿が歩いているような男だった。


 帝国法務参謀、ユリウス・ヘルム。


 顔立ちは整っているが、あまりに整いすぎていて逆に冷蔵庫みたいな印象がある。笑ったら壊れるのではないかと周囲に心配されそうな種類の美形だ。


 そのユリウスが、開廷前にアレクシアの前で足を止めた。


「久しいですね、ヴァルネイ元審査官」

「退職日に花でも送ってくだされば、もっと和やかに再会できたでしょうに」

「国外追放に花は不謹慎かと」

「法廷への無効審判持ち込みは不謹慎では?」

「必要な防御です」


 彼の声は低く、よく通る。

 感情を削ぎ落とした話し方なのに、妙に耳に残る声だった。


「今日は、帝国の立場を明らかにしに来ました」

「準備書面で足ります」

「紙だけでは伝わらない誠意もあります」

「誠意を無効審判で表現するのですか」

「帝国流の誠意です」

「ずいぶん硬いですね」

「軟らかい誠意は信用されません」


 アレクシアは相手の背後を見た。


 参謀補佐官。

 記録官。

 護衛。

 そしてもう一人。


 白髪を長く結い、深い藍色の古衣をまとった老人が杖をついて立っていた。背は高くない。だが、その場の空気をじわりと変える古い気配がある。


 古流魔法の里、エルド里の長老だ。


 傍聴席がざわめく。

 魔法をかじった者なら誰でも知っている。

 帝国が成立するより前から古代語詠唱を守り続けてきた、あの閉鎖的な里。

 ある意味、現行の魔法の源流。

 そこから長老が来た。その意味。


 アレクシアは、ほんの少しだけ目を細めた。


「なるほど」


「理解が早くて助かります」

 とユリウスが言う。

「本件で帝国は、古流魔法の里が保持する先使用権を主張します」

「つまり?」

「あなたの特許の基礎部分は、もともと里で実施されていた技術にすぎない」

「だから帝国の使用も正当化される、と」

「少なくとも、あなたの差止請求を全面的に貫徹させることはできない」


 宿屋の主人がいたら「屁理屈だな」で済ませるところだが、法廷なので皆ちょっと真面目な顔をした。


 ユリウスは続けた。


「あなたの特許群は広すぎる。後から登録された独占権が、先に存在した伝統技術全体を覆うのは法の趣旨に反する」

「先使用権の射程を広げたいわけですね」

「適切な範囲へ戻したいだけです」

「帝国に都合のいい範囲へ、の間違いでは?」

「元審査官らしい言い方だ」


 ユリウスの口元が、ほんの少しだけ動いた。

 笑ったのかどうかは微妙な線だったが、とにかくこの男、完全に無機物ではないらしい。


「ひとつ確認を」


 アレクシアは言った。


「先使用権は“その技術”にしか及びません」

「承知しています」

「詠唱キーワードは別権利です」

「……」


 そこで初めて、ユリウスの沈黙が一拍伸びた。


 長老もまた、杖の頭を軽く握り直す。


 ただの牽制。

 まだカードは切っていない。

 だが、相手の眉根がわずかに寄った時点で十分だった。


 傍聴席の自由都市市民たちは、言葉の意味は半分もわかっていないくせに「なあ、今の何か刺さったな」という顔だけはしている。そういう嗅覚だけは優秀なのだ。


 審判廷に、天秤の意匠が掲げられていた。


 自由都市の紋章ではない。

 あくまで法の象徴として、壁の高い位置に吊るされた金属製の飾りだ。


 左右の皿は釣り合っている。

 冷たい光を受け、わずかに鈍く光る。


 アレクシアは一瞬だけそれを見上げ、それから席に着いた。


 無効審判が始まる。


 まず、帝国側の主張。


 古流魔法の里は、基礎火炎術、基礎障壁術、照準補助詠唱など、現代も使われる魔法の原型を帝国成立以前から継続使用していた。

 よって、その技術要素を含む後発特許については、里に少なくとも先使用権が及ぶ。

 さらに帝国は、里との長年の協力関係に基づき、その技術の正当な利用者である。


 要約すると、

「昔からあったものを、後から囲い込むな」

という主張である。


 響きは強い。

 聞こえもいい。

 傍聴席の一部は「たしかに」と頷いていた。


 実際、雑に聞けば筋が通っているように思える。


 雑に聞けば、だが。


 ユリウスが提出した図面は古流魔法の陣式を写したものだった。

 円があり、線があり、古代語があり、火が出そうでいかにも魔法っぽい。


 多くの者が「同じように見える」と思うだろう。

 そこに罠がある。


 裁定官が請求人側へ視線を向けた。


「反論を」


 アレクシアは立ち上がった。


 書類を一枚、机へ置く。

 いつもの、ぴたり、という音。


「被請求人の主張は、『類似』と『同一』を故意に混同しています」


 よく通る声だった。

 静かなのに、部屋の奥まで届く。


「古流魔法の里の伝統技術が古いことは否定しません。問題はそこではない」


 彼女は比較図面を示した。


「先使用権が及ぶのは、“先に使用していた具体的技術”です。観念的な“似た何か”ではありません」


 図面の一枚目。

 古流魔法の火炎術式。


 円ひとつ。

 詠唱節三つ。

 外周固定なし。


 二枚目。

 アレクシアの特許《多層起動式火炎陣》。


 二重環状基礎陣。

 外縁刻線。

 熱位相同期処理。

 魔力逃散防止の補助節。


 似ているように見える。

 だが、構成要素を分けると別物だ。


アレクシアの指摘はよどみない。


「古流術式は単環構造です」

「私の請求項一は二重環状基礎陣を要件とする」

「古流術式には外縁刻線が存在しない」

「請求項四とは構成要素が一致しない」

「照準補正は経験則による口伝であり、熱位相同期処理ではない」

「請求項七の技術思想と異なる」


 ひとつずつ。

 切り分ける。

 似て見える部分を、法の言葉でほどいていく。


「つまり」


 アレクシアは結んだ。


「帝国側が持ち出した古流魔法は、私の特許の“構成要素”に対して別物です。先使用権の抗弁は成立しません」


 ユリウスが口を開く。アレクシアが応じる。


「技術思想は連続しています」

「法が保護するのは思想一般ではなく、具体的構成です」

「伝統技術に現代的改良を加えただけのものを、新規の独占と呼ぶのは危険だ」

「改良だけなら従属項で十分です」

「では、あなたの請求項は広すぎる」

「広いのではありません。正確です」

「国家運用を阻害するほどに?」

「侵害を前提にしないでください」


 舌戦が始まった。


 ユリウスは条理で押す。

 アレクシアは要件で返す。


「先使用権は歴史の保護です」

「だからこそ限定解釈が必要です」

「限定しすぎれば、現実の運用が死ぬ」

「拡張しすぎれば、権利が死にます」

「国家の必要性は?」

「民事上の抗弁要件ではありません」

「社会的機能は?」

「感想です」

「辛辣ですね」

「争点整理です」


 傍聴席から、誰かが「うわあ」と小さく漏らした。

 たぶん褒め言葉ではない。

 だが、ちょっと楽しんでいる声でもある。


 自由都市の人間には、剣の決闘より口喧嘩のほうが刺さる時がある。

 これは喧嘩慣れした者同士の口喧嘩だった。


 ユリウスは一枚の文書を持ち上げた。


「では、古流魔法の里が現に使用してきた証拠を」


 差し出されたのは、古い羊皮紙の写本だった。

 古代語の詠唱、起動図、使用年月の記録。


 ここで、里から来た長老が杖を鳴らし、初めて口を開く。


「我らは、ずっと守ってきた」


 低く、乾いた声だった。

 古木が喋っているような響きがある。


「審査官殿が生まれるより前から。帝国が来る前から。火はあり、壁はあり、言葉はあった」


「ええ」

 アレクシアは頷いた。

「だからこそ、私は里の技術を侵そうとしていません」


「ほう」


 長老の眉がわずかに動いた。


 アレクシアは図面をもう一枚、前へ出した。


「こちらが里の伝統術式。こちらが私の登録請求項。こちらが帝国軍運用マニュアルの実施形態です」


 三つ並べる。


 古流。

 特許。

 軍用。


 並べた瞬間、見える者には見えた。


 里の術式は素朴だ。

 骨太だが、荒い。

 アレクシアの請求項はその粗さを別の構成で乗り越えている。

 そして帝国軍の新型魔法は――里の伝統ではなく、明らかにアレクシアの特許に寄っていた。


 長老の目が細まる。


 ユリウスの補佐官が、横で嫌そうな顔をした。

 非常にわかりやすい。


「帝国は」

 アレクシアが言う。

「里の伝統を守っているのではありません。里を盾に、私の特許の無断実施を正当化しようとしているだけです」


 法廷が静まった。


 この種の沈黙は、たいがい誰かにとって都合が悪い時に起きる。


 ユリウスが反論する。


「言いがかりだ」

「では、帝国軍運用マニュアルから、里の単環構造に基づく記述箇所を示してください」

「……」

「ないはずです。帝国は実用性を優先し、すでに私の二重環状基礎陣へ全面移行している」


 補佐官が書類を繰る音が少し荒くなる。


 ない。

 探しても、ない。


「さらに」

 アレクシアは続けた。

「里の古流詠唱は、現行の帝国軍の簡略起動文と異なります。言い換えれば、帝国はもう、技術も言葉も里のものを使っていない」


「……」


 そこでユリウスは沈黙し、代わりに長老が杖の先で床を、こん、と打った。


 乾いた音が響く。


「若い参謀殿」


 長老が言った。

「帝国は、我らの伝統を守ると申したな」


「そのつもりです」

 ユリウスが答える。

「先使用権の保護とは――」


「ならば、なぜ我らの詠唱を捨てた?」


 ユリウスの声が止まった。


 傍聴席がざわつく。


 長老はゆっくりとアレクシアを見た。

 その視線は試すようで、同時に測るようでもある。


「審査官殿」

「元、です」

「ついその呼び方で呼んでしまうな」

「今さら変えなくても通じます」


 法廷の空気に、ほんの少しだけ可笑しみが混じる。

 この場で笑うのもどうかしているが、ずっと緊張していた傍聴席には少し効いた。


 長老は続けた。


「おぬしは、我らの伝統をどう扱う?」

「守られるべきものとして扱います」

「守るとは?」

「里が使ってきた技術は、里のものとして尊重されるべきです」

「帝国はどうすべきじゃ?」

「不当使用をやめるべきです」


 即答だった。


 余計な美辞麗句がない。

 だから逆に嘘がない。


 長老は杖に両手を重ねた。


「我らは、帝国の旗印になるために古いのではない」

「承知しています」

「我らの言葉は、誰かの威光を飾るためにあるのではない」

「ええ」


 長老の目が、鋭く光った。


「我らの伝統は、我らのものとして守られねばならぬ」

「そのとおりです」

「審査官殿、帝国の不当使用を黙認しないと約してほしい」


 法廷の空気が変わる。


 それは一種の同盟宣言だった。


 ユリウスの補佐官が、今度ははっきり青ざめた。

 傍聴席では、意味がわかった者から順に顔色が変わっていく。


 里が、帝国の盾ではなくなった。


 むしろ逆だ。


 アレクシアは長老へ一礼した。


「感謝します」

「まだ礼を言うには早い」

「では、審決後に」

「気が早い女だ」

「急いでいますので」

「知っておる」


 裁定官が、咳払いをひとつした。

 だがその顔は、もうかなり答えを知っている顔だった。


 審決は短かった。


 帝国側の先使用権抗弁は退けられる。

 理由は明快。

 古流魔法の里の伝統技術と、アレクシアの登録請求項は構成要素において同一とは認められない。

 先使用権の射程は、里が現に継続使用してきた具体的技術に限られる。

 帝国軍の運用実態は、むしろアレクシア保有特許の実施に依拠している。


 要するに、帝国の理屈は広げすぎた。

 広げすぎて、自分の足を踏んだのだ。

 おまけに、助っ人として里から呼んだはずの長老まで敵に回した。


 法廷を出る頃には、自由都市の人間たちがすっかり盛り上がっていた。


「結局、帝国が人のもんを雑に使ってたってことだな?」

「たぶんそう」

「先使用権ってのは?」

「先に使ってたらちょっと守られるやつ」

「じゃあ帝国は?」

「ただの便乗」

「便乗かあ」


 理解の精度は雑だが、方向性は合っている。


 灰鷲亭へ戻る道すがら、アレクシアの隣には長老がいた。

 ユリウスたちは護衛と何やら低く話し込みながら離れていった。負けたばかりの参謀にしては取り乱していなかったが、その背中にはさすがに冷蔵庫めいた余裕が少し欠けていた。


「誰だあの細いの?」

 と宿屋の主人が宿の前で言った。

「帝国法務参謀です」

アレクシアは教える。

「二度と来てほしくないタイプの客だな」

「同意します」


 里の長老は宿の看板を見上げた。


「……灰鷲亭」

「宿です」

「見ればわかる」

「では確認です」

「何の?」

「里の方は、食事に制限がありますか」

「ない」

「助かります」

「長旅のあとで粥を出されたら暴れるが」

「元気ですね」


 結果、長老は宿の食堂で肉の煮込みを三杯食べた。

 伝統を守る者は胃も頑丈らしい。


 食後、アレクシアの部屋。


 机はもはや完全に城塞だった。


 青ファイル、赤ファイル、黒ファイル。

 帝国軍運用マニュアル。

 里から提供された古流術式の写し。

 比較表。

 起動文言一覧。

 運用フロー図。

 補助詠唱索引。


 そこへ長老が追加で差し出したのは、さらに恐ろしいものだった。


「これを貸す」

「……これは」


 里と帝国軍との技術交流記録。

 魔導士団への実演報告。

 運用試験時の詠唱比較表。

 そして、里の使者が持ち帰った訓練場の見取り図まである。


 アレクシアは数頁めくって、静かに眼鏡を押し上げた。


「完全に見えますね」

「見える」

「内部構造が」

「見える」

「ひどい」

「帝国がな」

「はい」


 長老は鼻を鳴らした。


「我らは閉じた里だ。だが、閉じているからこそ、誰が何を持ち出したかはよく見てる」

「記録文化が強いのですね」

「盗まれぬためには、覚えるだけでは足りん」

「素晴らしい」

「褒めても肉はやらん」

「そこは期待していません」


 窓の外は夕暮れだった。

 市場の喧騒が少し落ち、遠くで鍛冶場の音が響いている。


 アレクシアは机へ向き直り、新しい紙を引き寄せた。


 表題。

 宛名。

 送達先。


 差止通告書。


 長老が横から覗き込む。


「明日出すのではないのか」

「まだです」

「なぜ」

「最も効く時刻に出します」

「嫌な女だな」

「褒め言葉として受け取ります」


 長老は肩を揺らして笑った。

 初めて見る笑い方だった。乾いているが、意外と人間味がある。


 そのとき、窓辺に小さな光が二度、三度、またたいた。


 伝達用の簡易光符。

 灰鷲亭の屋根に取り付けてある受信板が、控えめに光を返す。


 アレクシアはすぐに窓を開けた。

 細い筒が、外の使い鳥から落ちてくる。


 庁舎時代に使っていた、短距離緊急通信用の封式だ。


 封を切る。

 中の紙は短い。


『明朝、演習場で全軍集結します』


 署名はない。


 だが、書き方でわかった。

 セルヴィンだ。


 余計な形容がない。

 時間と場所だけ。

 実務官の通信はこうでなくてはいけない。


 アレクシアは紙を読み、机へ置いた。


「開戦時刻か」

 と長老が言う。

「ええ」

「怖い言い方じゃな」

「法的な意味です」

「またそれか」

「大事なので」


 食堂の主人が階下から怒鳴った。


「おい四階! 今の光、また面倒事か!」

「朗報です!」

「お前の朗報はだいたい誰かの凶報だろうが!」


 それは否定しづらかった。


 夜が深まる。


 アレクシアは机に向かい続けた。


 紙を揃える。

 項目番号を振る。

 送達経路を確認する。

 帝国軍の指揮系統に、どの時刻、どの順で、どの文面を届ければ最大効率で止まるかを組む。


 ひとつの国家機構を止める算段を、宿屋の細い机の上で立てている絵面は、客観的に見るとだいぶ異様だった。


 しかし本人は真面目だ。

 真面目だから余計に怖い。


「皇帝陛下宛て」

 アレクシアは宛名欄を見て、ペン先を止めた。


 そこに古流の里の長老がぼそりと言う。


「大きく出たな」

「相手が大きいので」

「普通は尻込みするぞ」

「普通では間に合いません」


 外では風が少し強くなっていた。

 窓枠が鳴り、市場の看板がかたかたと揺れる。


 壁の上、吊られた小さな真鍮の飾りが光を受けた。

 今日、法廷で見た天秤を思い出す。


 均衡。

 釣り合い。

 法の象徴。


 だが、その均衡はもう古いのかもしれない、とアレクシアは思った。

 少なくとも帝国は、とうに一方の皿へ石を積みすぎている。


 ならば壊れるのは当然だ。


 ペン先が走る。


 差止通告書の本文が、静かに形を取っていく。

 いつも通りの文体。

 冷静で、過不足がなく、逃げ道もない文章。


 最後に宛名欄へ記す。


 『帝国皇帝陛下』。


 その文字は、やけに整っていた。

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