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「静かな毒」  ──笑顔の裏に、何がある?  作者: ひまわり


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5/11

やさしい声の温度

給湯室の片隅。

湯呑みを両手で包み込むように持ちながら、ぽつりとこぼれる声。


「…私、昔からダメなんだよね。仕事も覚えが悪くて、よく怒られてて」

ふと顔を上げて北川を見る。笑っているけど、どこか寂しげで。


「でも…最近、ちょっと辛くてね。橋田さん、みんなにはすごく優しいのに、私にはなんか冷たくて」

小さく首をすくめる。


「言葉は丁寧だけど…あれ、嫌味なんだよね。私のペースが遅いの、分かってて“あとは森下さんがやってくれるので〜”とか、みんなの前で言うの」

声はどこまでも静かで、だけど湿った棘を含んでいた。


「この前なんてさ…春子ちゃんと二人で話してたら、急に“森下さん、空気読めないって前から思ってた”って。笑いながら言うのよ?冗談みたいにして。傷つくよね、普通」

(そんな会話は存在しない)


「春子ちゃんも苦笑いしてたけど…あの子も最近、橋田さんにベッタリだし、何か言っても無駄だよね。裏で私のこと、一緒に笑ってるのかもって思っちゃって」

とろんとした目でお茶をすすりながら、かすれた声で続けた。


「私、誰にも必要とされてないのかな…って、時々思っちゃう。橋田さんって、人の心の奥を揺さぶるような言い方…上手なんだよね」

そして最後に、ふっと作り笑い。


「北川さんは、そんな風に思わない?…あ、言いづらいよね。ごめんね、変なこと言って」

そう言いながら、あえて“言わなきゃいけない空気”を残すように視線を外した。


北川は言葉を失い、ただ「…いえ、そんな…」と小さな声を返すしかなかった。




「お先に失礼します」

そう言って、北川は変わらぬ調子で会社を出た。

バッグを肩にかけ、すっと背筋を伸ばした姿が夕方の風にゆるやかに溶けていく。


数歩後ろ、エントランスから足音がひとつ。

「北川さん、あ、一緒になったね」

少し息を弾ませながら追いついてきたのは、森下だった。


「今日、橋田さん、また残業っぽかったね。最近ずっとあんな感じで、保育園のお迎え、旦那さんに任せっぱなしらしいよ」

何気ないふりをしながら、ふと前を見つめる。


「…この前も言ってたの。“うちの旦那、家事とか苦手だけど、最近は仕方ないからやらせてる”って。ちょっと笑ってたけどね」

笑いながら話すその口調は穏やかだけれど、どこか湿った棘を帯びていた。


「うちは逆で、旦那が頑張ってくれてるから、私もできることはちゃんとやらなきゃって思うのよね。…夕飯のこととか、洗濯とか」

自分の袖口を整えながら、続ける。


「橋田さん、週末もけっこう出かけてるって聞いた。ママ友とのランチとか、美容院とか…旦那さんも、ちょっと寂しいんじゃないかなぁ」

声のトーンはやさしい。あくまで“心配してる風”を装って。


「でもまぁ、人それぞれだしね。私なんか、外出するより家にいる方が落ち着くタイプだから」

小さく笑って、トートバッグをぎゅっと持ち直す。


「ごはん作って、家があったかいって感じが、なんか好きなのよ。旦那も、夕飯の時間になると自然とテレビ消して食卓にくるの。そういうの、大事にしたくて」

まるで、話のついでのように。


北川は黙ったまま歩いていた。

交差点で信号が赤に変わると、ふたりの足が止まる。

沈黙の中に、車の通り抜ける音だけが響いていた。


「…あ、また余計なこと言っちゃったかも。ごめんね、北川さん」

森下はふと微笑む。けれど、その笑みはどこか張りついていた。


北川は、首をわずかに横に振った。

「……いいえ」

その声に、温度はなかった。ただ静かだった。

誰かの言葉がやさしく聞こえるときほど、そこに棘が潜んでいることがある。

森下の語りは、あくまで「心配している風」で、「ただの世間話」のようで。

でも、その柔らかさの裏に漂うものを、北川は静かに受け止めている――何も言わず、何も変えずに。

そんな無言のまなざしが、何よりも真実を映している気がします。

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