22.解放
婚約から2回目の夏、エリオットの誕生会の招待状が届いた。実家から、王妃様が直接お話しがしたいということなので、王都に戻るように、と添え書きがしてあった。
セシリアの家庭教師をして、半年が過ぎていた。
家庭教師といっても、ほとんど二人で気ままに遊んでいるだけで、特に教え込むこともなかった。
セシリアはケイトリンの所作の美しさに憧れて、真似するので、形だけは令嬢らしい振る舞いができるようになった。
そのことだけでも、大進歩ですと領宰も執事長も手放しで褒めてくれた。
ケイトリンはユティア領城、オロランド城にリアネット一家とブライアンを連れて来ることを許可されていた。
ブライアンから剣舞を習うことはやめていなかった。
セシリアを誘ったが、わたしは剣はしないのよ、と断って、ケイトリンの練習を見るだけだった。
リアネットの娘のアンネは、セシリアの侍女見習いとなり、息子アシュレイは騎士の見習いとして訓練を受けていた。
森の魔女のところには定期的に通い、自分でも整体ができるように習っていた。
いつのまにか、天候が悪くなると始まっていた頭痛がなくなり、眼鏡が重く感じてきた。
王都に戻り、ドレスとともに眼鏡を仕立て直した。
オロランド城に勤めていることを、両親は心配して、何度も手紙をもらっていた。
久しぶりに会ったケイトリンの顔色は良くなり、少し大人びた顔立ちに、両親は安堵したようだった。
「あの、お父様。王妃陛下はどのようなお話を?」
婚約のことだろうとは、思っていた。
いよいよ解消を決断されたのだろうか。とケイトリンは非難を覚悟で、王都に戻ってきた。
「もちろん、解消の事だ。だが、その前に、お前と直接お話しがしたいとおっしゃられている。心配することはない。お前の体のせいではない、とはっきり陛下はおっしゃってる。この前の社交シーズンではお前が戻らないのをいいことに、人目もはばからぬ様子だったからな。陛下方も頭を抱えておられた。」
ケイトリンはまた俯いた。
胸が痛む。
エリオットのせいではないのに。
解消を望んだのは、自分のわがままなのだ。
王妃のサロンに呼ばれ、デビュー以来初めて、王妃と対峙した。
「体、少し良くなった?」
「はい。ご心配をおかけして、申し訳ございません。」
王妃は優しく微笑んだ。
「こちらこそ申し訳なかったわ。もともと体の弱かったあなたに、大変な心痛を与えてしまった。あのバカ息子のせいで。」
ケイトリンは頭を振った。
「とんでもございません。殿下のせいではないのです。」
「それならば、なぜ?」
王妃が囁くように聞いた。
ケイトリンはまっすぐ王妃を見た。
「申し訳ございません。王妃様。臣下の誓いをしたというのに、私には貴族の務めが果たせません。もっと早くに、申し出ていれば、殿下を振り回すことはなかったのに。」
「振り回したのは、あの子の方よ。」
ふう、と王妃はため息をついた。
「私たちは、あなたのその落ち着きや思慮深さを好ましく思っていたわ。あの子は生まれながらに、騎士の道を決められていた。騎士の愛情を捧げるのに、あなたはふさわしい淑女となる。いまでもそう思っているわ」
ケイトリンは首を左右に振った。
「私には、とても」
「何もかも、足りないのはあの子のほうよ。」
王妃はケイトリンの手を両手で包んだ。
「辛い思いをさせて、本当に申し訳なかったわ」
ケイトリンは唇を噛んだ。
なぜ、運命はこんなことを繰り返すのだろう。
自分さえ現れなければ、彼の近くに生まれて来なければ、この方をこんなに惨めな思いにさせることはなかったのに。
周囲が期待しているように、貴族の子女らしく恋敵を喝破して毅然としていられなければ、この世界では生きていけない。
記憶を思い出した今では、むしろそんな性格でなくてよかったと思っている。
立ち向かえない自分を悟ったからこそ、今はセシリアのそばで心安らかに過ごせている。
ふ、と肩の力が抜けた。
「陛下」
ケイトリンは呼びかけた。
「エリオット殿下に、最後にご挨拶させて下さい」
※
一人で待つケイトリンの手は震えていた。きつく、瞼を閉じ、込み上げる記憶を抑える。
セシリアを思った。
悲しまないで。悲しいことは、思い出さないで。
ふとした瞬間、湧き上がる記憶に飲まれそうになるたびに、セシリアは呪文のようにその言葉をくれた。
先生が悲しくなると、わたしも悲しい。先生が冷たくなって、死んじゃうみたいだから。悲しいことを思い出さないで。
セシリアは言った。
冷たくてね、抱きしめられないの。
セシリアは人の心の奥底にある感情を、まるで形あるもののように表現した。きっと本当にそう感じているのだろう。
サロンの扉が開き、エリオットが入ってきた。
ケイトリンが立って淑女の礼をした。
「今回は挨拶を忘れてなかったようだな。」
エリオットはぶっきらぼうに言って、ケイトリンの向かいに座った。
そして、ふと、ケイトリンを見て言った。
「髪、伸びたな。」
ああ。とケイトリンは思い出した。
一年前に会った時は火事で髪を燃やした直後だった。思い出したということは、よほど強烈だったのだろう。
貴族女性は、基本髪を長く伸ばし、結い上げる。
ケイトリンは首の痣を隠すために、わざと結い上げることはしなかった。
それが陰気な印象になることはわかっていたが、痣のことを指差されるほうが嫌だった。
「ええ。髪は元に戻りますので。」
ほかに何も言えず、沈黙が続いた。
何か言わなければ、ケイトリンが焦ると、エリオットがため息混じりに口を開いた。
「相変わらず、愛想のない女だな。君は。」
申し訳ございません。ケイトリンが俯いた。
「ずっと領地にいて。この前の社交シーズンも帰ってこない。いくら苦手と言っても、避けていいものじゃないだろう」
エリオットが言った。
大人の顔になっていく。
ケイトリンは眩しくエリオットを見た。もともと造作の美しいエリオットだが、自信や精悍さが加わり、眩しいくらいの美青年になった、とケイトリンは思った。
どんな生の時でも、彼は眩しかった。
太陽のように、強さと自信で周りを引き寄せ、跪かせる。
その光は、ケイトリンの心を掴んで離さない。
まるでケイトリンのかつての罪を、忘れさせることを許さない呪いのように、愛憎の混じりあった過去を思い出させ苦しみを与え続ける。
「殿下は、クラウディア歌姫と結婚されたいのではないのですか?」
ケイトリンは単刀直入に聞いた。
エリオットの言葉の端には、まだ解消を伝えられている気配がなかった。
エリオットが嫌そうに顔を背けた。
「久しぶりに会ったと思ったら、わたしを責めるのか?それくらいの遊びも容認できないのか?どうせ、君との婚約が解消されることはない。言ったじゃないか。」
ケイトリンは小さく息をついた。
「殿下。そのような態度は不誠実です。クラウディア歌姫にも、私にも。遊ぶにしても、約束した相手がいなくなってから、遊ぶべきです。」
かつての生では容認される時もあった。今の生も色恋に関してはかなり寛容だ。
それでも、則はあり、正式な相手より、上にはしてはいけない。
一度目の生、ケイトリンはそのことで散々夫を責めた。
その失敗を恐れるから本当はこんなことは話したくない。
「陛下はこの度の婚約の破棄を決断されたと聞いてます。ほどなく殿下にもお知らせになるでしょう。これで、あなたを縛るものはなくなる。堂々とクラウディア歌姫とお付き合いなさってください。」
ケイトリンのきっぱりした態度に、エリオットは不機嫌だった。
「わたしは王族だ。自由などない。どうせ、歌姫だと反対される。君がいてもいなくても同じだ。」
ケイトリンは頭を振った。
「王族だからこそ、選べるのです。その責務に臆するようなあなたではないでしょう?本当にクラウディア歌姫を妃に望まれるのであれば、陛下方をご説得されるべきです。きっと分かってくださいます。私のように、お心もなく政情で決めただけの存在は新たな火種にしかなりません。あなたは、自由に生きる力をお持ちの方。」
ずっと憧れていた。
傍若無人の振る舞いも。それで怒られたとしても、自分が納得いくまで大人に噛み付いていく勇気も。
全てケイトリンにはなかったもの。
短慮だ、と、わがままだと大人たちが眉を顰めても、ケイトリンにはその全てが眩しかった。
生活の全てに枠を決められ、見えない檻に入れられていたかのような自分には、彼のように檻を打ち砕く力も勇気もなかった。
最初で、最後のわがままが、憧れた彼との婚約を自ら捨てること。
そう思うと、ケイトリンは胸が痛んだ。
だが、仕方ない。この運命から逃れなければ、彼の自由を縛り、憎まれ、残酷な死を迎える。
もう、終わりにしたい。
何度も繰り返すこの悲しみ。
愛しているのに、諦めなければいけない。
自分が、本当に悲しんでいるのは、残酷な死よりも、この瞬間なのかもしれない。
「…運命と、わたしの傍に生まれてきた宿命と、割り切ることはできないのか」
エリオットが聞いた。
まっすぐエリオットを見ていたケイトリンは、目を伏せた。
運命と受け入れるにはあまりにも残酷な最期。
近くに生まれることに何か意味があるのか。
あったとしても、それは一方的だ。わたしはあなたの人生を輝かせる負の装置。切り捨てることで、強さを示し、優秀で冷酷無比な統治者を顕現できる。
君主は、愛されるよりも恐れられなければいけない。
たくさんの命を奪うより、自分一人だけでその威光を示すことができるのは、効率が良いだろう。
だけど、近くに生まれたからには愛されたいと願う自分には、あまりにもかけ離れた真理。
ケイトリンはうっすらと微笑んだ。
きっと、見るに耐えないくらい、不細工な笑顔だろう、とケイトリンは思った。
「あなたのような、光輝く人になりたかった。私では到底無理なことでした。あなたの隣は私ではない。ずっとそう思ってきました。殿下もそう思っていたでしょう?」
エリオットは言葉に詰まった。そんなことは考えたことがなかった。
ケイトリンとの婚約を解消するなど、どだい無理なこと。そう思って割り切っていた。
クラウディアとはあまりにも身分は違い過ぎ、また社交界の中では少しばかりの火遊びは日常茶飯事。エリオットもクラウディアも恋に恋をする幼さで、その火遊びを楽しんでいた。
「この後、王妃様とお話しすることになっています。私からも心を込めて解消をお願いします。」
早く、彼を解放してあげたい。
こんな気の狂った女から。
歌姫はこの国の聖女。彼の隣にはそんな人がふさわしい。
いつの生でもそうだった。
彼の隣は、自分ではない。
「私のような、不細工な存在はこの国の貴族にはふさわしくありません。たまたま、身分が釣り合う家柄に生まれただけ。私の存在が、皆さまを混乱させ、不幸にする。そんなことは本意ではないのです。」
ケイトリンは深々と頭を下げた。
「お幸せになってください。エリオット殿下。心より、お祈りしております。」




