23.マシューの後悔
2人の婚約の解消はすぐに発表され、ケイトリンは発表されたその日に、領地に旅立った。
エリオットの誕生会には出席しなかった。ほとんどの人はその席で、2人が正式に婚約を解消したことを知らされた。
アーロン家からの出席はなく、会はまるで、クラウディアとの婚約を祝う会のようだった。
領地の屋敷に着くと、ケイトリンは久しぶりに熱を出した。
悲しい。
自分でも素直にそう思えた。涙が止まらなかった。
全てが終わった。
安堵よりも悲しさで、崩れそうだった。
忘れてほしい。そう願っているのは本当なのに、忘れないでほしい、と思う自分が欲深く、苦しかった。
このままでは、セシリアの前に行けない。そう思い、体調が戻る日を待った。
お客様が。
リアネットが、気遣わしげに声をかけたのは、だいぶ回復して、剣の練習をしていた時だった。
剣舞は上達して、一通りの型が踊れるようになった。精神を鎮め、形だけに集中する剣舞はケイトリンに合い、ブライアンが合格を出すくらいになった。
「誰かしら?」
「リングスタット伯のご子息様です。マシュー=ドゥオ=リングスタット様です。」
ケイトリンは痛みに耐えるように眉を寄せた。
「お断り致しましょう、お嬢様。またお体にさわります。」
リアネットが言った。
王都に帰り、エリオットとその関係者に会うたびにケイトリンは熱を出し、苦しそうに寝込んだ。
やっと明るく笑ってくれるようになったのに。とリアネットは心を痛めた。
会います。ケイトリンは言った。
「ですが、お嬢様。」
「いいのよ、リアネット。会わなければいけないの。」
ケイトリンは意を決したように言った。
剣術の格好のまま、応接室に入ってきたケイトリンに、マシューは眉をしかめた。
「馬でも乗ってたのか?」
「ええ、まあ。」
ケイトリンは曖昧に笑った。
髪を高く結わえ、シャツ姿のケイトリンは、王都での深窓の令嬢のイメージとは随分違う。
「そういえば、以前も剣を練習してたな。今でもしてるのか?」
「ええ。剣舞だけですけど。」
剣舞か、とマシューは納得したようにうなずいた。
「驚いたな。病気で療養しているとばかり思っていたら、療養どころか元気じゃないか。やっぱり、嘘だったのか?」
マシューの蔑むような言葉に、マシューの後ろに控えていたブライアンの眼光が鋭くなった。ケイトリンはそれを目で抑えた。
「人よりも弱ってしまうので、体を鍛えようと思ったのです。」
「へえ、てっきり殿下を嫌って引っ込んだのかと思っていた。」
ふ、とケイトリンは息をついた。当然、王都ではそんな話になっているのだろう。
申し訳ないことをした、とエリオットに心の中で謝った。
「君の方こそ殿下に近寄りもしないのに。なぜ、婚約を解消した?」
マシューは不機嫌に言った。
「殿下のせいではありません。前にも申し上げました。私のような不調法者は、王族どころか貴族の妻も務まりません。」
「随分、勝手な言い草だな。殿下と婚約が成り立たなかった場合、君は私と結婚するはずだった。知っていたか?」
ケイトリンは驚いて顔を上げた。
そんな話は初めて聞いた。
「こんな時になって、今更。私にだって、選んでいた相手がいる。君が勝手なことをしたせいで、こちらにとばっちりが来そうだ。」
すう、と血の気が引いた。
「大丈夫、そんなことにはならない。」
ケイトリンは青い顔のまま言った。
冬の社交シーズンを欠席するときに、両親には手紙で了承をもらっている筈だった。
貴族の妻にはなれない。ずっと領地にいさせてくれ。セシリア姫も社交には出さないと公爵はおっしゃっている。できれば長く勤めてほしいと望まれている。
姫がオロランド城にいらっしゃる限り、そこに侍りたい。
そう希望を出して、概ね受け入れられているはずだった。
「どうして断言できる?では、ここに男でもいるのか⁈殿下を裏切ってたのか?」
マシューが語気を荒げた。
ケイトリンは怯えてマシューを見た。
唇が震えて、真っ青になったケイトリンに、マシューはふと何か冷たい石をぶつけられた気がした。
こんなものは騎士の振る舞いではない。
自分の所業が恥ずべきものだと気づいた。
すまない、とマシューは冷静になって呟いた。
ケイトリンはエリオットの為に身を引いた。冷静に考えればそれだけの事だ。回り回って自分に降り掛かって来るものがあったとしても、それは貴族社会の常で、ケイトリンが意図してやった事ではない。
ケイトリンの青ざめた顔を見て、そんなふうに冷静になった。
ケイトリンはゆるゆると頭を下げて振った。
「わたしは、男の人が、怖いの。」
ケイトリンがしぼり出すように言った。マシューはハッとした。
そういえば、と思い出した。
ケイトリンはいつも自分を怯えて見た。
一年前の、誕生会でも、ロベルトに怯えて会場から飛び出した。
新年の舞踏会でも。ダンスに応えた手が震えていた。
いつも、侍女の後ろに隠れ、王宮の護衛の前でも俯いていた。
昔から、そうだった。
まだ、幼い、木登りをして遊んでいた時から。
「ごめんなさい。あなたのせいではないの。誰のせいでもないのよ。わたしが勝手に怖がってるだけ。きっと気が狂ってるのね。」
ケイトリンが自嘲するように笑った。
そのいびつな顔のまま、マシューを見た。
「両親は知ってるの。こんな気狂いの女は、どこにも出せないでしょう。だから心配しないで。あなた方の邪魔することはしないわ。」
帰りの馬上で、マシューは後悔した。
親しい幼馴染だと思っていた。
家族ぐるみの付き合いがあり、兄のロベルトとは気の合う方だと思っていた。
最近は、ケイトリンのことがあり、エリオットの側近である自分は距離を置かれるようになったが、それでも、アーロン家には受け入られているという自負があった。
もし、ケイトリンを妻に迎えたとしても、申し分ない家柄だった。むしろ、城伯のアーロン家から妻女を迎えられたなら、ハイデル辺境伯に忠誠を誓う自分の家でも尊敬を持って遇されるだろう。
どうして、ケイトリンには優しくできなかったのだろう。
マシューはエリオットの護衛として、夜会に出るが、女性には好意的に迎えられることが多かった。
第二王子の近衛騎士なので、積極的に相手をすることはないが、それでも夜会で一緒になった令嬢たちは、頬を染めて自分と話していた。
たしかに、うまくいけば婚約を考えた相手がいるにはいたが、今考えると、ケイトリンほどの高位でもなく、エリオットがケイトリンとの婚約を蹴ってでも、とクラウディアに見せるほどの情熱があるわけでもなかった。
なんとなく、水を差される事態が腹立たしかった。
病弱で、気が弱いことは知っていたのに、どうしてあんなに冷たい言葉を投げつけてしまったのだろう。
ケイトリンのいびつな笑顔が目に焼き付いて離れない。
あんな風に笑って欲しくなかった。
彼女が俯くようになったのはいつからだろう。
マシューは思い出そうとしたが、思い出せなかった。
だが、たしかに昔は笑っていたのだ。
かくれんぼをして、捕まえた時、手を引いて庭から連れ出した。小さくて、華奢で、女の子は手も細いのだな、と思った。あの時彼女は笑っていただろうか。
いつからあんなに怯えるようになったのだろう。
何があったのだろう。
謝りたい。
マシューは思った。
次に会った時は、必ず。
もっと優しく、紳士的に彼女に寄り添いたい。
ケイトリンの高く上げた髪。
深窓の令嬢のドレス姿より、あの姿の方がずっとマシューの心を掴んだ。
もう一度会いたい。
だが、それは叶わないまま月日が過ぎた。




