21.家庭教師
ケイトリンがアーロン領の屋敷に帰ると、ユティア公爵の城から手紙が届いていた。
セシリアはケイトリンが帰ってしまったことがよく分かっていなかったようだ。
どうしてお城にいないの?とお嬢様が不思議がってるので、また、近いうちにまた来ていただきたいと、レイフォードから恐縮した手紙だった。
ケイトリンは警戒していた。
セシリアに会いたい気持ちと、エリオットにあまりにも近い関係を断ち切りたい気持ちで揺れていた。
そんな手紙のやり取りを二回ほどしていると、雪が降り始めた。
この辺りは豪雪で有名で、雪が降り始めると家の中から身動きが取れなくなる。
屋敷中総出で薪を作り、冬の準備をした。
新年を迎える直前、ユティア公爵家から手紙が来た。
新年の祭りのあと、公爵が城に戻られるときにお会したいとのこと。来ていたけませんでしょうか。
レイフォードではなく、さらに上司の領宰からの手紙だった。
セシリアの友人としてではなく、王家の臣下アーロン家の一人としての正式な招待状だった。
ケイトリンはため息をついた。
覚悟して、ユティア領に向かった。
ユティア公爵はさすがセシリアの母というべき、美しく覇気のある女性だった。
だが、意外と気さくで、特にセシリアと一緒に過ごす時は、貴婦人とは思えないほど、大きな声で笑った。
「お母様はねーほんとはすごく怖いのよ。おじい様たちより強いんだから!」
なぜかセシリアが誇らしげに胸を張って、ユティア公爵は苦笑した。
おじい様というのは、前国王陛下の太王とその弟の将軍ロードティア大公のことだろう。
王族内の力関係が窺い知れて、ケイトリンは小さく笑った。
セシリアを寝かしつけまで付き合って、ケイトリンは公爵に呼ばれた。
ありがとう。と公爵は美しく笑った。
「あんな変わった子を上手に相手してくれる人がいるなんて、思わなかったわ。」
ケイトリンは曖昧に微笑んだ。
「まずは謝らなければいけないわ。私の身内が大変な失礼を。」
公爵直々に頭を下げられて、ケイトリンは焦った。
「いいえ。私の方こそ。」
「あなたは何も悪くないわ。体を壊して静養している婚約者をおいて、あんな醜聞。我が甥ながら恥ずかしい」
忌々しそうに公爵は言った。
「嫌な思いをさせてごめんなさい。婚約の解消を申し出ていることを知ってるわ。当然よね。陛下たちがご決断されないのは、あの子に対する甘さなのよ。あの子が大人になって、あなたにふさわしい男になるのを待っている。私たちはあなたとアーロン家に甘えているの。本当にごめんなさい。」
ケイトリンは俯いて、勇気を振り絞った。
「私が婚約の解消をお願いしているのは、歌姫様のせいではないのです。」
「体のせい、かしら。」
ケイトリンは頭を振った。
「私は貴族の妻にはなれません。王都にいて、社交することは私には無理です。王族など、とても。」
まあ、と公爵は声を上げた。
「そんなことないわ。今日一日、あなたを見ていたけど、あなたは立派な淑女よ。」
いいえ。とケイトリンはため息をついた。
「昔から不器用で何もできませんでした。殿下もよくご存知だからこそ、私のことを嫌っておいでなのです。私こそ殿下にふさわしくありません。そして、すでに殿下は運命の相手に巡り遭われた。」
公爵は眉を寄せた。
エリオットがクラウディアを運命の相手だと公言していることは、噂で知っていた。
若者の戯言だと思っていたが、遠く離れて静養中の婚約者の耳にまで届いていたとは。
「不出来な娘で申し訳ございません。もっと早く、婚約が成される前に気づいておけば、王家にも実家にも恥をかかせることはなかったのに、と悔やんでおります。ですが、お許しください。私には王子妃は無理です。私がいるだけで殿下はお心のままに生きることができない。本当に申し訳なく思っております。」
ケイトリンは深々と頭を下げた。
公爵は深く息を吐いた。
公爵から見ても、エリオットと同じ年とは思えないほどケイトリンは落ち着いて思慮深い娘に見える。
本当に、惜しい。エリオットにはもったいない。
10代の美醜などすぐに変わる。そんなことに揺るがされない美しさをケイトリンは持っているというのに。
「頭を上げてちょうだい。誰があなたにそんなことを吹き込んだか知らないけど、あなたは立派な淑女だわ。体の方は良くなってるの?」
はい。とケイトリンは控えめに答えた。
王都から離れて、重圧から解放され、少しずつ体力がついたのが、自分でもわかる。
「だけど、まだこちらでの静養が必要なようね。本当に罪深いことをしたわ。あなたをそんなに追い詰めるなんて。」
ケイトリンは頭を振った。
「誰のせいでもないのです。偏に私が不出来なせいです。」
「そんなことないわ。あのセシリアをあんなに我慢強く話を聞けるのですもの。実はね。あなたにセシリアの家庭教師をお願いしたくて、こちらに来てもらったの。」
ケイトリンが暗い顔をした。
危険だ、と頭の中で誰かが言った。
危険だ。死に近過ぎる。受けてしまえば、逃げにくくなる。
「もちろん、国王陛下側にはなるべく伝わらないようにするわ。詮索されるのは嫌でしょう。婚約を解消されたとしても、続けてほしいと思ってるの。」
「…ですが、私はちゃんとした貴族の婦人は務まりません。セシリア姫の教育など、とても。」
「セシリアを立派な公爵令嬢にしてほしいなんて思ってないわ。」
ユティア公爵は明るく笑った。
「あの子には到底無理よ。ただもう少し、私たちの話を聞けるようにしたいだけ。あの子の夢の世界から、もうちょっと私たちの世界にすり寄ってもらいたいと考えてるだけなの。あの子、あなたの話なら最後まで聞くわ。それに驚いたのよ。」
ユティア公爵はケイトリンに微笑んだ。
「ダメかしら?もちろん体の無理のない範囲でいいわ。あの子は社交に出す気もないからずっとここに篭りきりで、お友達らしい人もいなかったからあなたがいてくれて嬉しいのよ。それとも、もしかして、好いた相手でも。」
「ま、まさか!いいえ!」
ケイトリンは驚いて、頭を振った。
そう、とユティア公爵は笑った。
「いい人がいたら、遠慮なく言ってくれていいのよ。あのエリオットより、ずっと幸せになれるわ。あの子もね、ただ、張り合ってるだけなのよ。」
ユティア公爵はため息をついた。
王族の大人たちはみんなそう思っていた。
もともと負けん気の強い性格なのだ。兄のクライスが歌姫を選んだことに対抗して、反発しているだけだと思っていた。
だからこそ、ケイトリンとの婚約解消を早まらないでほしいとアーロン家にお願していた。
ケイトリンも悲しそうに微笑んだ。
おそらく、彼女も薄々は分かっているのだろうと、公爵は分かった。
幼い時から何度となく遊んだ相手だ。控えめながら、賢い彼女なら、エリオットのやりそうなことくらい想像がつくのだろう。
そうであっても、まだ16歳の少女にそれを飲み込んで待ってやってくれというのはあまりにも酷だ、と公爵はこめかみを抑えた。
「あなたが引き受けてくださるなら、アーロン伯爵には私からお話します。急がせて申し訳ないのだけど、セシリアは待つということができないの。」
そうですね、とケイトリンは苦笑した。
セシリアはケイトリンが再び来訪すると、どこ行ってたの?と無邪気に聞いた。セシリアの中では、ケイトリンはもう一緒にいることが決まっているらしい。
一晩考えて、ケイトリンは家庭教師を引き受けることにした。
エリオットの耳には入らないようにすること、王都への社交界へもできるだけこちらの様子を伝わらないようにする、とユティア公爵は約束してくれたことで心が揺らいだ。
何よりもセシリアに心惹かれていた。
彼女の語る夢の世界は、ケイトリンには心地良かった。




