黒ワインの淑女は叫び、
こんな物語りを見てくれてありがとうございます。
人に限らず誰かが痛がったり苦しんだりする重たい話は苦手。お茶らけた話の方が好み。
でも、やっぱり「決着」は付けないとね。
ビアリス・レズリ・メズリは今日も訪れた。
「お世話になっております、『オレンジロード』のメズリで御座います。」
彼女を応接室で迎え出たのは、先週ウィルに美術館収蔵のいわく付き物件を案内した腹の出た不摂生な中年職員だった。ビアリスはもはや馴染みの訪問者でヴィリジアン、職員のオッサンは完全に彼女を見下していた。
「はぁあ、またあなたですか。館長ならもうお会いにならんと思いますがねぇ、」
「先のブラック・ドゥーに因む話はさておき、今後とも良いお付き合いをと思い、本日はまた別のお話を持って参りました。」
「生憎ですが今日も団体の見学が入ってましてね、館長はほぼ展示場なんですわ。」
「でしたら戻られるまで待たせて頂きます。」
「昼飯どころか閉館時刻を過ぎても戻らない事だってあるんですよ?他の職員も出払っててあなたの相手を出来る人間は居ない。待ち惚けに甘んじると?」
「…──なるほど。」
「分かったならどうぞお引き取りを→、」
「失礼とも思いますが、」
「は?」
「貴方様が…─しては頂けないのですか?」
「─────────ほほぉお#、」
ミーシャ・メリーベルは今日初めて訪れた。
全高7mと言った所か、天井の高い広々とした空間に背中から翼を生やす首も腕も無い石膏で出来た古代の女人像が屹立している。その足元から辿るように上を眺めミーシャは間の抜けた声を漏らした。
「ほぉぉお↑おおえええぇぇぇぇぇ……───おーっきいねえ、ケイトー。
──────ケイト?あれ、居ない。…あれ?みんな何処だろ?」
「何だよ、今日はぼっちか?」
「?───★!げげっ!?→」
「オイオイ×、相変わらずご挨拶が随分じゃねえか?ケケケケケ☆。」
傍らに居た人物に驚いてその場を飛び退く。下卑た笑みを浮かべるそいつは学園プラチナプラタナスに通うもう一人のヴィリジアン、ギギシだった。両手をポケットに突っ込みミーシャを横から覗き込む。バサバサの長い黒髪からして見た目が穏便でない。トレードマークのバンダナの下から危険な眼光を放ち、口の隙間にギザギザの歯を覗かせていた。背中にはまたぞろ大きな背負い物、見学に邪魔ではないのか。
ここはキーニング国立美術館の展示場である。結局ミーシャはジェズを伴い課外授業へ普通に出席した訳だが、彼はついさっき姉と暫し行動を共にするためとミーシャの許を離れて行った。何をするつもりか訊きたい所をぐっと抑え、ケイトや他のクラスメートらとフラフラ見て歩き廻っていた彼女だが、いつの間にか皆と逸れてしまったらしい。
そんな所へ見学者の陰からまさかのエンカウント、ギギシの不吉なニヤけ面にミーシャは身構えた。
「何の用っ?ジェズなら居ないけど。」
「暫く顔を見掛けねえと思ってたら、今週は結構フツーに来てピンピンしてんのな。今何してんだ?アイツ、」
「知らない。こっちが教えて欲しいぐらいよっ。」
「あ?本当に何も知らねえのか?」
「~うるさいなあ。仕方ないでしょ、色々事情があるのよ!」
「ヒヒヒ☆、なんなら俺が教えてやろうか?」
「☆★っ、──────~いいっ!」
「何でぇ、どうしたお嬢ちゃん。ムキになってよ、」
「全部片付いたら、ジェズはちゃんと話してくれるって約束なの。~放っといてよ。」
「はーあ@、そらまた失礼しましたー。…アイツを姉貴に獲られてご機嫌ナナメだな、」
「★↑うるっさいわね!!関係無いでしょっ!」
「ぉおおコワ×、ケケケケケ☆。」
(カマを掛けてみりゃ姉貴と一緒ってか……あの二人組が動いたとなりゃ模型屋絡みなんだろうが、こんな処で何しようってんだ?あんな怪我してまともに動けるとは思えねぇが…。それに、外がザワついてんのも気になる。~ったく、食人は何処行きやがった×。
──────
!──ひょっとして、外に気付いて先手に出たか?……ここは俺様も探りを入れとくか→。)
繰り鉤ことギギシ・カカシも初訪問だった。
同じく洞の食人も来ているらしい。
一見いつもの美術館、どうやら外も内も騒がしいようだ。
■■■ 黒ワインの淑女は叫び、 ■■■
元来は暗黒と静寂の支配する冷たい世界。今はチリチリと火の粉を放つ篝火が疎らに設置され、石質の壁面を照らし出している。光は天井まで届かない。
年季掛かった木造の台の一つの前で男がゆっくり面を上げた。朽葉色の髪のはみ出すキャップの陰からモスグリーンの瞳が彼方を睨め上げる。場違いの術衣に映える新鮮な赤い染み、俄かに浮かせた両手には赤の滴る銀色の得物。そしてその下には赤い筋を引く美しい白い肢体が横たわっていた。
離れのウィルは血相を変えてその者の名を叫ぶ。
「★★アーーーーーーンっ!!!」
凄まじい怒りの形相、拳を握り締め震えるウィルの傍にはアルゴル監察医がいつもの白衣姿で息を切らせている。飛び出そうとするウィルの肩を掴み強く制止した。
ここは美術館に蓋をされた秘密の地下階。旧貴族私邸の最下層、隣国ブラスバンドの准将の言葉にあった広大な地下洞である。情報が監察医にもたらされてから二日と経っていない、事態は急変していた。
フー・セクションが踏み込んだ地下通路出入口より50m程先、篝火から離れた電灯の明かりの許に術衣の男が立つ。監察医にとって実に半世紀ぶりの再会、感動など微塵も無い。この男こそが国家警察の追い求めていた連続猟奇殺人事件の犯人。かつてブラスバンドの天才軍医として数多の人体実験に携わり、逃亡先のトランプで一介の学芸員から国立美術館の館長にまで登り詰めた、その正体は裏の世界で洞に通じ悍ましい殺戮を繰り返して来た稀代の殺人鬼・模型屋。生来の名は「ザンゲ」─────────
そいつは薄いマスクの内側から掠れた低い声を役者のように張り上げる。声色は明らかに苛立っていた。
「↑やっぱり君かあ!その顔忘れるはずもない!以前君を見掛けた時からまた会う気がしていたよ、ア~ル~ゴ~ル~。」
「私は忘れていたよ、お前の顔など。」
「よくもまあこんな処まで辿り着けたものだねえっ。偽装された通路も部屋にも惑わされず施錠までくぐり抜けて来ようとは、いやはや大したものじゃあないか☆。」
「若者達が自力で辿り着いたのだっ、キーニングを…『現場の空気』を手掛かりにな。」
「?バンシーの。あんな与太話がどんな」
「彼らはお前が仕留め損ねた師の教えを会得したのだ。喜ばしい成果だが、私の手配が遅れたせいで今回は裏目に出てしまった………~娘から離れろっ、ザンゲ!」
監察医が根回しに奔走する最中、彼の判断を仰がずウィルとアンは美術館の地下の調査を先行してしまった。ウィルがフー・セクションの捜査と称し関係各者の注意を引寄せ、その隙を突いて学園プラチナプラタナス高等部の見学者らに紛れ込んだアンが地下へ潜り込む作戦でいた。彼らの不在に気付いた監察医が大慌てで美術館まで車を飛ばして来たものの、時既に遅くこの有り様と言う訳である。
潜入調査の初日に玄関でひと悶着があった際、アンは館長であるザンゲに匂いを覚えられていたのだ。この男は匂いで個人を特定出来る程の異常な知覚の持ち主、衣装を変えたとて容易に誤魔化せるものではない。彼女の重なる来館と不審な行動に勘付いたザンゲが思わぬ果実にありつけた格好だ。
状況は予想だにしない最悪の展開となってしまった。ワドー警部から警告されていたのに。
小さな電灯の下、瞳を閉じたアンの顔はシャープな陰影のせいで人体模型のように見える。
ひんやりとした地下洞の空気に晒され薄っすら湯気の立つ彼女の腸の上でザンゲが嗤った。
「@解体の途中なのにどうしろと言うんだい?ここから先は進めるしかなあぁいじゃないか。この娘はものの次いでだったんだがねぇ、いい拾い物をしたよ。」
「ウィル、私が『発砲を許可する』。あいつをあそこから引き離すんだっ。それと、彼女の他にもう一人被害者が寝かせられているようだ、中てるなよ!」
「~~僕のせいだっ、僕のせいで…アンがっ!~~~」
「馬鹿者!!今は一刻を争うっ、起きてしまった事を悔いている暇はない!君は今まで何を学んで来たのだ!それでもフー・セクションか!!」
「~~~…くっそおおおおおお!!←」
矢継ぎ早に発破を掛けられ奮起したウィルは拳銃を構えて駆け出すが、悪い足場のせいで拍子抜けする程あっと言う間に転倒してしまう。ガラガラと派手に何かの崩れる音が木霊した。気付けば足元には真っ暗な穴がぽっかりと口を開けている。これは、
「あー、何をやってるんだあ君は×。この地下洞にはまだ下に隙間があるらしく、危険だからか通じる縦穴は瓦礫で塞がれてるんだ。不用心に歩いてヘンな所を崩さないでくれ給え。」
「───、」
次の瞬間ザンゲの右手から血の付いたメスが宙に弾け、見えない何処かへ紛れて食器のような音を立てた。体勢を崩しつつもウィルは銃の狙いを定めていたのだ。彼らの常用する拳銃を使いこの視界この距離でこの精度は相当の腕前と言える。日頃の鍛錬の賜物、前回とは気概が違う。銃声の残響が遠巻きに聞こえた。
(~チッ、手首を狙ったのに×!)
「次は何処がいい!?左胸でも眉間でもお好きな場所をご希望どうぞ館長殿!…いや──霧魔こと連続猟奇殺人犯『模型屋』!!」
「………君はさあ、見た目以上~に…若いんだね~ぇ。」
右手でキャップを脱いでそのまま一緒にマスクも仕舞い込む。病苦の末に夭逝した音楽家の如き破天荒な顔が微かなアップライトに照らし出された。館長のいつもの笑顔、しかしその視線にはチューリップハットの陰から覗かせていたと分かる狂気が入り混じっていた。
「~僕が心底怒っている事をまあだ分からないようだねええぇ。それとも効率的に怒らせたいのかなぁあ?↑若いっ!若いなあああああぁ☆アハハハハハハ★っげへぐへゴホッ×、」
「↑何がおかしい!!手を上げてそこから離れるんだっ!」
「っ~…ハハハ。知ってるかね?怒りとは二次的な感情なんだ。原因となる感情が先ずあって、そこから怒りに繋がって行く。怒りは単体で存在し得ない。」
「そこから離れろと言っている!早くしろ!!」
「その感情は自己を守るための闘争本能に基づくものだが、それだけに肉体的は勿論、精神的にも負担を強いる、ただ怒ると言うだけでだ。故に人のそれは持っても6~7秒が限界、だけど僕は未だに怒り続けている───君に…この事の意味が解るかな?」
「子供でも分かる。人でなしって事だ。」
「言い直そうか。君は子供なんだよ←。」
右腕を振り払う。剥ぎ取られ宙へ舞う術衣の陰から覗いたスーツ姿は凶影となって篝火の明かりの中に踊り出た。空かさずウィルは立ち上がり足場を探りながら狙いを定め発砲、発砲、発砲。下から影が延び上がる、より速く銃把の天地を裏返し振り翳された軌跡を受け止め踏み留まった。左腕で辛うじて支える右手の銃身に十徳ナイフが軋み、ギラギラと冷酷な光を反射する。
(~~危なかった×、こいつ何て素早さだ!それにっ~この馬鹿力っっ……本当にっ監察医と同年代なのか?!警部はこんなっ~~化け物と互角に戦ってたのか!~…)
「~っの↑、外道があぁあぁあぁあぁあ←!!」
「←→君はもっと賢いはずだがねぇ。子供のままでいたいとの想いが←現実を受け入れる事を拒んでいるっ←。いつまで見て見ぬ振りを←続ける気かね?」
「誰が!~っ×、子供だっ×!」
「見立て違い←かなあ。僕もまだまだだね@、大いに←反省するとしよう!←←。」
「★!っ×?」
ナイフのラッシュの狭間、ザンゲの一瞬見せた背中の斜め下から気持ち悪い程よく伸びる回し蹴りがウィルのこめかみに炸裂し、彼は翻って膝を地に突いた。そうだこいつは足癖が悪い、ウィルは背後へ向けて逆さ銃のまま親指で引き金を引くが流石に当たらない。立ち上がる振り向きざま銃把を回して発砲、発砲、全て躱された。決してウィルの攻撃が拙い訳ではない、模型屋ザンゲの動きが異常なのだ。手品師のようなウィルの見事な銃捌きが全て見透かされている。
間合いを離して空の弾倉を取り出す。装填しようと叩いた替えの弾倉の底と銃把の隙間が衝撃を伴い刃の強襲を噛んだ。歯の見えないザンゲの哂い顔が無遠慮に迫る、次弾は撃てない。
「受け入れてみようか。現実を、」
「──」
その目と鼻の先で弾倉を押さえるウィルの掌がするりと廻り、左手からもう一つの拳銃が魔法のように顔を現す。彼は二丁の拳銃を隠し持ち巧みに使い分けていたのだ。銃口が哂い顔の真正面を捕らえた。
「僕も魔法警察でね、」
「──」
発砲した両腕が下に払われ頸椎への裏拳を前転で躱すと片膝を突き構えた両腕をS字から=に伸ばして連続射撃。標的は上半身と下半身それぞれが別個の節足動物かのような気味の悪い挙動で岩陰に身を隠した。手応えあり、ウィルはそう確信しつつ口内の出血を横へ吹き棄てる。
(前回のような無様を繰り返すものかっ!絶対あの殺人鬼に警部と…~~アンの落とし前を付けさせてやる!犠牲になった被害者達の仇をここで討つんだ!!)
「───★!」
岩場を踏み込む振動、ほんの一瞬だけ察知が遅れた。
突如左の脇腹辺りに凄まじい激突を受けて彼は右へ吹き飛んだ。あまりの勢いに何が起こったか分からない。咄嗟に起き上がろうとするも地面へ強打した右腕は言う事を聞かず、左脇から胸の底部に掛けてを激痛が襲う。苦悶の声を上げ横倒しで伏せる彼の側頭へ叩き割らんばかりの一撃が加えられた。
歯軋りしながら何とか上を見遣るとこちらの頭を足蹴にするザンゲの憎悪丸出しの姿があった。上がる口角は左頬の新鮮な銃創に相まって口が裂けたかのよう、本物の霧魔もきっとこんな顔をしているに違いない。
「驕りがあった…認めよう。侮っていた…それも認めよう。しかし、君はこの期に及んでも僕の組み立てをまだ『可哀想だ』と憐れんでいるね?」
「~~~~~~っ、」
(組み立て…可哀想?何だっ、何を言ってる?×)
「それは認めない↑断じて認めない↑↑ダああああンじてだあああぁぁ↓↓↓。彼女達の本質、生命の真の輝きをそんなっ子供染みた偏見で汚辱するな嘲弄するな…
──僕はね、怒ってると言っただろう?その事の意味を君はまだ、いっまっだっにっ理解してないんだねえぇ…君みたいな奴が魔法警察とは@、いやはや人材不足も深刻だ世も末だよ。」
「~何を言ってるのかっ……全っ然…分からないなっ~」
「もう分かった。君は子供と言うよりただの馬鹿だ。嫌いだよ僕あ。」
ザンゲは足を退けウィルの頭を左手で鷲掴むと、蔓が繋がったままのカボチャでも扱うかのように上へ引き擦り揚げた。
「僕の組み立てを邪魔する奴らは皆そうだ、総じて男、判り切った事ではある。でもねぇ…それにしたって君らは何故そんなに『嫉妬深い』んだ?恥ずかしいと微塵も思わないのか?自省しないのか×、同性として情けない限りさ。
しかし、それでも僕は希望を捨てていない。君らの中にも輝きを諦めていない、だから解体するんだよ。──解かるかね?」
狂人にいくら言葉を重ねられようが全くもって意味不明、急襲のダメージで相手の思考を理解する余裕も無い。刺し傷は肺まで達し、ウィルは仰け反った格好で激しく咳き込んだ。血の滴を顔に着けられたザンゲはあからさまに嫌悪の表情を見せ、ウィルの顔面を真下の岩へ容赦なく打ち付けた。意識が遠退く、闘志が霞む。
「────────────────────────」
「~汚ならしい体液だ。いいさ、見せてあげよう。解体と組み立ての織り成す美しい光景を、生命が輝きを放つまさにその瞬間を。どれだけ自分が穢らわしい存在なのか…思い知るといい───」
ザンゲはそのまま血だらけのウィルを引き摺り施術台を目指す。気付けば離れの目的地で旧知が手術の準備をしているではないか、ザンゲの口から柄の悪い怒号が飛び出した。
「~~↑何をしているアルゴルうううう!その果実から離れろおおおおっ!!」
「果物呼ばわりか。なら訊くが、お前は食べ物で遊ぶなと躾られなかったのか?よくもこんな…惨たらしい事を……~気取った言い回しのつもりだろうが下品な悪趣味である事に変わりはない、控え目に言って反吐が出るよ。」
「言うなぁ。あの気弱な腰抜け衛生兵の言葉とは思えないね、少し見ない間に随分と立派に……と言うか干からびたんじゃあないか?」
「お前は若い頃からまるで変わらんな。気味の悪さは磨き掛かっているが。」
「新造の恩恵に頼り過ぎだろう、」
「私はそんなものなど信じぬよ。」
久方ぶりの生きた患者を前に緊張する。医師とは言え彼とて解体が専ら、職業柄メスを入れる相手は生者より死者が殆どだからだ。銀色の様々な器具が中身を掻き分ける開腹部を一目見て彼は戦慄した。本来見当たる物がある場所に血溜まりだけしか見えていない。
(~最悪かっっ、)
額から嫌な汗が噴き出す。周りの血痕から方々を辿り、台の下の暗がりにガラス製の大きな桶の存在を確認した。モーターの無機質な音と振動、恐る恐る両手で慎重に引き出すと、その挙動につられて透明な液状の内容物が波打つ。中では引き込まれた何本もの管の放出するきめ細やかな気泡が肉質の物体を幾重にも包み込んでいた。或る意味幻想的な光景、それはまさに生命の神秘その物なのだから。そこに浸されている物、
子宮が両脇に卵巣を漂わせていた。
(★!~~おっのっれっザンゲえええええっ↑!)
この世界の医療技術はまだまだ発展途上、体内の病巣を切除する事はあれど移植をするまでの水準にない。輸血の方法・理論すら確立されていないのだ。手を施せるとすれば、それは恐らく禁断医療に関わった者のみ。該当する近付くそいつは人の生命を弄ぶ事しか考えていない、この情況を作り出した張本人である。
「~~─ウィル!目を覚ますんだ!確りしろ!」
「無駄さアルゴル。多少刺激を与えた程度で起きやしないよ、神経を直接ほじくるくらいしないとねぇ。」
「近寄るなザンゲ!これ以上お前の好きにはさせんぞ!」
「僕の台詞を取るな、君がそこから離れればいいだけなんだよ。」
「起きるんだウィル!今この状況を打破出来るのは君しか居ない!!」
「君だって知りたくはないかい?人体新造の『本質』を。この僕が見せてあげようじゃないか!」
「ウィル!同じ失態をしないのではなかっのたか?!仇を討つのではなかったのか!?
~~~~~~っ、
↑君はこのまま仲間の生命を諦めてしまうのかっ!?!」
ザンゲがおもむろに歩みを止めた。干物のような老人の大声に驚いた訳ではない、何かがおかしい。
右の脇腹に沸き上がる異物感、不思議に思って右腕を上げる。
ぶら下がっていたのは酷く浮腫んだ血染めの顔に不敵な笑みを浮かべる腕白坊主。
お返しだ、その左腕の下には白煙の靡く拳銃が確り握られていた。
「───ぁんたの血は、どうなんだよっ……清廉潔白だなんて…言うんじゃないんだろうな、模型屋……」
「~~~~~~~~~
~~~↑↑バえうえええええうえうえええええええええっっ!?×@卍」
人の声帯から発せられたとは思えぬけたたましい雑音を吐き出し、ザンゲは右腕を風車のように回してウィルを施術台近くの大岩へ投げ付けた。神経質に大慌てで十徳ナイフを腹の銃創へ突き入れ盛大に掻き回して弾丸を抉り出す。左手で血塗れの傷口を抑え息を荒げて項垂れると、俯いた格好で激しく痙攣し始めた。
「~~~人は…あまりの恐怖に耐え兼ねると、髪の毛全部がっ真っ白になるって~言うじゃないか……僕の場合はさぁ、」
反り上がった首は小刻みに横へ傾斜し、髪の毛が生え際から水を吸い上げるようにピンク色へ変じて行く。監察医はあり得ない現象を目の当たりにし、原理を考察すると共に困惑した。あの男の体内で通常人体の生成し得ない化学物質が生成されている、当人が自らに施した人体新造の作用である事は想像に難くない。
そいつは「どうしようもないよね」と同意を求めるような苦笑いをこちらへ向けて来た。
「こんな色に~なっちゃうんだよねえぇ、毎度毎度。
×怖いんだ、怖いんだよぉ……そんなに僕を怖がらせて何がしたいんだ?↑どうしようって言うんだよ?!こんなに怖がらせるから怒ってるんじゃないか!!~僕がどんな気持ちでいるか…何故解ってくれないんだああぁ××。」
悲劇の主人公のように首を振るい、昏倒しているウィルへ顔を向ける。開けた口から霧のような白い息が溢れた。猫背でふらふら歩み寄って行くその様は生ける屍のよう。
「~いかんっ、起きろウィル!離れるんだ!」
「僕にこんな不純物を埋め込むなんて、非道いじゃないか…~僕をそんなに汚したいか?貶めたいのか?!ああ怖いっ、僕は君がとても怖いんだあ!…何かもうさあっ──そうだ…糾そう、↑それしかないよおおおおおおおお!!」
大きく振り被られた逆手の刃。監察医が声を張り上げようとしたその刹那、刃は真上でぴたりと止まり、ピンク色の頭が傾げるように宙を見上げた。何が起きているのか。
遠くの篝火の一つに黒い影を見た気がした。
伝わって来る。聴覚で捉えられるものではない何かの伝播。
砥石で業物を研ぐような極微細の振動、鋭利な波長、存在感。
金属にも似て鉱石にも似て冷たくもあり熱くもあり正体はまるで分からない。
激情を密かにする冷徹、そんな直感が湧いた。
周囲の篝火は機を窺っていたかの如く一斉に勢いを増す。
火の粉を撒いて燃え盛る業火を黒光りする巨大な五指が突き破り闇を斬り開いた。
「捜したぞ狂人、」
「ぉ…ま…え………おまえ…~お前↑お前!★お前えええええええええっ!?!」
───… ド ッ ク ン ッ …─────────
拍動している。翳された硬質の暗黒、「夜魔の爪」がその内に赤く鈍い光を携えつつある。
巨大な禍々しい輝きを見て、模型屋は狂おしく髪を振り乱し口吻から飛沫を散らせた。
「★★★★@↑↑↑?!?!
『ブラック・ドゥるるるるう』ううううううううぅうぅうぅうっっ!!!」
侵蝕は止まらない。開闢した闇がひび割れのように広がり、やがて女性の影を象る。
つば広帽子と裾の広いスカートを靡かせる喪服の麗人、彼女は一足歩み出て少しだけ俯いた。
「住まいでは道化を装わないのだな、御客人。──届け物に参った。」
「~~~───…はぁああ、☆アっ↑ハハハハハハハ!どうした事だ!これはこれは【黒ワインの淑女】じゃあないか♪!わざわざこんな処まで僕を訪ねに来てくれるとは光栄だねえ、また君に逢えるなんて僕あ幸せ者だよ!!おデコの彼女も居れば完璧だったがとにもかくにも嬉しいじゃないか!やっておくものだあ#、チケットをバラ撒いておいて本当に良かっ★っハぐへげへゴホッ×!@~~~…」
「贈答に周りの者が邪魔か。
場を遠ざける。僕よ、───贈り主からの『黒ワイン』をあれへ!!」
「御意っ!←←」
巨大な爪が大きく脈打ち地底世界を震わせる。その波動は「あれ」呼ばわりの模型屋はおろか監察医をも脅かし、重傷で意識の朦朧としていたウィルすら覚醒させた。模型屋が滅茶苦茶な狂喜の高笑いを上げながら猛然と爪へ向かって行く。
「←←ハハハハハハハハ!淑女は頑張った自分へのご褒美だあ!!恰好を付けた半人前のうぬぼれを丁重に糾してやるとしようじゃないかっ!」
陽の光の届かぬ深く昏い地の底で、お預けになっていた死闘の続きが始まった。
思惑通り夜魔の爪に誘われ模型屋の離れた施術台へと淑女が歩み寄る。単純にジェズの守備範囲を出来るだけ小さくし負担を軽減するためだが、それで警察に捕えられたら元も子もない。近付き過ぎないよう距離感に神経を尖らせる。今の彼女は複雑な気持ちでいた。
(私達が尾行していたウィル先輩を見失った時はどうしようかと思ったけど、何とか辿り着けて良かった。まさか本当に連続猟奇殺人犯がこんな処に居るなんて、探り当てたウィル先輩は本当に凄いわ。とりあえず魔法警察に先を越されてないようで先ずは一安心───
…してもいられない、誰か大変な事になってる。あの髪はもしかして…~~)
その通り、横たわる内の一人がアン先輩である事に気付きリュアラは息を呑んだ。平穏な日常生活においてまず出くわさない腹の開いた人間、その生々しさを目の当たりにして彼女は吐き気を覚えた。屈するものか、一心不乱に自分の立場を意識して吐き気も涙も全て自らの中へ抑え込む。今の自分は「黒ワインの淑女」なのだから。
息を整えていると目前の台の下から角に手が掛かり、満身創痍のウィルが這い上がって来た。
「~っブッ……ブラック…ドゥぅぅぅ~~、」
「……」
(ウィル先輩、酷いお怪我──私達がもっと早く追い付いていれば、或いは…)
「…国家警察よ、被害者を助けたいならこの場を死守する事だ。僕が相手をしていれど、あの殺人鬼はいつまた襲い掛かって来るか分からない。」
「×くそっ、──────
~~↓↓すまない……アンっ。怖かったろう…痛かったろう……~っ僕が、僕がもっと上手く……っ×××」
「──そこな御仁っ、その御姿から医療関係者とお見受け致す。被害者の様子は如何か?」
「向こうの一人はまだ手を付けられていないようだが…~こちらは直ぐにでも手術が必要だ。しかし」
臓器移植の技術は無い。
このまま腹を閉じてしまえば生命だけは助けられるかも知れない、しかし。
手を施せるとすれば、それは、
「それはっ~」
「何を躊躇する!今なら繋げられるやも知れぬ続くはずの生を前に御仁は向き合われた。その衝動、その立ち振舞いこそその証左っ、迷う事など何があろうか!
その『信念』を貫かれよ。…背負っておられるのだろう、御仁の使命は果たされるべきだ。」
謎めいた喪服の麗人の言葉を聞いて彼は旧友の言葉を思い起こす。
(今こうして生きている、その意味を全うすればいい。)
「そうか───そうだな、全うしようじゃないか。」
ベルノーゲン・アルゴルは覚悟した。
させた方は口を突いて出た思いもよらぬ自分の言葉にベールの陰で冷や汗をかく。まるで自分ではない他の誰かが発言したかのよう。奇妙な感覚に目をしばたいている向こうでは黒ジェズと模型屋が文字通り火花を散らせていた。
「───、」
「ハハハ☆。ご自慢のその爪に僕を掛けるんじゃあなかったのか?見た目はご大層だが実利に適ってないね、身体が爪に振り回されてるぞっ!←」
「★っ!……←!」
「→@そんな大振りが中たる訳ないだろう?足手纏いのお陰で爪は威力を発揮出来ていない、見掛け倒しもいい所だ☆。君が爪を使っているんじゃあない、君の方が爪に使われている従属物なのさあ!←←」
「~……×★!──────っ、」
(こいつ、あんな小さい刃物で夜魔の爪を受け流す!)
「←←っ!」
「→ハハハ☆!そう言っても解らない、やっぱり君はただの馬ー鹿だ!←」
「★×っ?!」
(~長引かせるのは…不味いっ。)
本家ブラック・ドゥー直伝の闇の法「夜魔の爪」は維持にも大量の血流を必要とするため、実体化している間にジェズは精神諸共どんどん体力を消耗して行く。彼の身に宿す虹族王家の誇る七つの異能であれば模型屋に太刀打ち出来ようが、夜魔の爪を使うと決めた以上、生命資源を同じくする他の特殊能力は殆ど発揮出来なくなってしまう。こと彼が得手とする緑のヤドリ「蜻蛉王」は完全に封じられた状態で、流石の彼も長丁場は避けたいのが本音。しかし彼の主にとって夜魔の爪は不変の決定事項だったのだ。
そんなリスクを彼に負わせながら、あくまで爪にリュアラは拘る。
(暗黒の力の象徴「夜魔の爪」。それを以って長きに渡り暗礁密林はもとより外界の人々をも脅かす闇の支配者、恐怖の存在「闇巫女ブラック・ドゥー」…それと思しき象徴を奮い、かつて霧魔を葬ったと都市伝説まで巻き起こした本人が今は身近に居て私に仕えている。人々の関心の目を惹くのにこれ以上の力は無いっ。
『黒ワインの初舞台は「ブラック・ドゥー」でなくてはならない。』
売り出し物は何であれ最初のインパクトが肝心っ。数々の危険を冒して漸くここまで辿り着いたのだもの、今さら妥協なんてしたくない!───ごめんなさいジェズっ…お願い!)
「!←11時方向!外へ払う!!」
「御意。」
主の命、僕は即座に模型屋の左へ突き抜け爪を内から外へ薙ぐ。難なく仰向けに躱す模型屋だが、足場を崩しそこから更に後ろへ飛び退いた。ジェズはリュアラの意図を理解する。10mほど間合いを離す模型屋が大岩に囲まれる格好で壁を背にした。墨のような暗黒を漲らせ五指が開く。
(「裁 断」ッ !!←←←)
身体の奥底から未知の恐怖を呼び起こす形容し難い不気味な波動を伴い夜魔の爪が空を斬り裂いた。視界が激しく震え軌跡の延長に在った岩壁が轟音を発すると、5mを裕に超える荒々しい五本の溝が刻み込まれてから派手に崩落した。静謐な空間に相応しくない工事現場の如き騒音と衝撃が巻き起こり、リュアラは帽子のつばを押さえて冷たい爆風を遣り過ごす。
(っ………殺到する警官達をたった一振りで全員行動不能にさせた爪の「魔力」!まさか斬撃が離れた広い範囲に及ぶだなんて思いもしなかったでしょう、あそこなら逃げ道は無い。万一避けられたとしても上から瓦礫の追い討ち、いくら人間離れした動きが出来るからって無傷では済まないはずっ。)
「僕よ!」
「………………──────居ない。」
「!?」
予想していなかった訳ではない、堆く積もる石榑の下に生モノの気配は無かった。程無くしてそこに存在を期待されていた人物の声が宙から聞こえて来る。
「なるほどこいつは驚きだあ☆。僕をどうにか出来ると妄想するだけの隠し芸は持っていたと言う事だねえ、避け切れなかった左腕は骨折してしまったよ。一体どんな魔法だい?」
「…上か、」
(あの一撃をかわすとは……壁を登った?虫じゃあるまいし、~気味の悪い奴だ。)
「怖じ気付いたかっ。我を糺すのではなかったのか?」
「@それは挑発のつもりかい?君は魔法警察の少年と比べて一層稚拙だ、乗ってあげる興も起きないね、飽き飽きさ。───さぁあて、もう僕はここらでお暇させてもらおうかな。新鮮な果実の調達もしたいからねっ。」
「★←待てっ!」
「僕よ!!」
「!─────────、」
淑女が姿勢を正す、それは「戻れ」の合図。怪人は主の許へ素早く駆け上がり傍に寄り添って声を潜めた。
「奴を逃がしてはいけませんっ。上には…ミーシャお嬢様や他の生徒らが」
「逃げはしません。」
「え?」
「あの男が夜魔の爪を目にした時の感情の昂りようを見たでしょう。先の『チケットをばら撒いた』との文言から察するに、前回の工場町で出会った娘二人を是が非でもこの場へ誘き寄せたかったに違いありません。…一体何をどうやってここまで事を運べたのか想像もつかないけれど。」
彼女らは模型屋の正体が遥か頭上に在る美術館の館長だと言う事を知らない。
「何処に住む誰とも分からない人間を拉致したいがためここまでする…あの男の執着の強さは病的よ、それも重度の。そして喉から手が出るほど欲しい娘の片割れと鬱憤を晴らしたい爪の男がここに居る、そんな絶好の機会をあの執着心が見過ごすはずなど無いのです。
あの男は身体能力で自分に比肩し得る貴方を真っ先に排除しようとします。男の詭弁に惑わされないで。奇襲に備えなさい。」
「解りました。しかし…時間を置かれたら爪が持つかどうか。」
「どれだけ持つ?」
「…恐らく20分が限界かと。」
「残り15分有るか…それまでに先輩の手術が終わるかしら───
───最後の5分で済ませるっ。僕よ、それまでここを護れ。」
「御意っ。」
模型屋を下しさえすれば手術現場を護る必要は無い。迅速決戦を臨む主の毅然とした言葉に鼓舞されたのか、僕は気を取り直して警戒を始めた。
(───【灼岩血ノヤドリ「赤視」】っ!)
ボロを纏った裏稼業の衣装で傍から殆ど見えないが、彼の肌には流血のような赤色の紋様が現れている。リュアラはまだ知らぬ七つの術式、模型屋が下敷きになっていない事を把握した力、赤のヤドリが物陰に隠れる生き物の存在を捉える。見えるのだ、死王には。
警戒して周囲を廻るが、魔法警察の固まる手術台の辺りはどうしても敬遠してしまう。ウィルは眼前の手術に釘付けで、ボロの怪人の動向など気にも留めていないらしい。目の敵にして突っ掛かって来そうなものなのにとジェズは妙な気分を味わう。
探し物の隠れん坊は今も距離を置き絶えず移動しながらこちらを狙っていると思われる。狙っているのはこちらも同じ、早く掛かって来い、焦燥に駆られた。
(不味い……20分なんて言っておきながら、なんだかもうキツくなって来た×。見栄を張ったつもりは無いけど、夜魔の爪をこんなに長く使い続けた事無いからなぁ。──ちゃんと時間を計った事も無いけど↓。)
戦闘状態にないが今も彼の心臓は激しく鼓動し生命の炎を全力で燃やし続けている。夜魔の爪を形成した時点で既に体内の血の量が充分でないため、息が出来ても彼は深い海の底で酸欠になっているようなものなのだ。そもそも十日程前に深刻な血液不足で四苦八苦していた分際が、脱出劇の疲労回復も満足に出来ないまま爪スタート、息切れが早くなるのも当然である。
(くそっ。~狂人め、とっとと出て来いってんだ×。──────★!)
踵を返す7時方向、薙いだ爪の彼方が爆散した。朧気な模型屋と思しき気配を察し反射的に放ったのだが、どうやら仕留め損ねたらしい。腹の底から息を吹き出し徒労を惜しむ。
(逃がしたか、勘のいい奴っ。──────!?)
また気配、瞬時に右腕を構えるも彼は気配の先を凝視したまま動かない、そこは何も居なかったように窺える。不審に思いつつ視線をそのままゆっくり右へ退き腕を下ろし掛けるが、後方の気配に慌てて爪を構え直した。しかし、透かし見ている岩の裏側にはやっぱり何も居ない。動揺と緊張、刻一刻と彼はじわじわ消耗して行く。
(~~おかしいっ、確かに気配を感じたのに。僕を疲れさせようって言う模型屋の作戦か───…いや……そもそも「本当に奴か?」疲れてるせいで僕が勝手に気配を感じたと思い込んでるだけじゃないのか?それとも…───ひょっとして、模型屋は既にこの場に居ない…なんて事が、)
力の恩恵に与る者がしてはいけない行為、それは何より力を「疑う」事。その禁忌を嫌と言うほど理解している彼は、少なくとも闇の法だけは解けぬよう懸命に精神を集中させた。高まる負荷に立眩みを起こして足元が覚束なくなると、退いた腰が何かにぶつかり思わずそこへ手を着く。目頭を押さえ掛けて彼はボロの中で目を剥いた。
手を着いたのはもう一つあった台。手付かずで寝かせられている囚われの二人目は、
(★★!ケイトさんっ@?!)
見開かれていた双眸、うっかり視線が合ってしまった。
もう一人の被害者はミーシャの級友ケイトだったのだ。
「→×っ…───」
(!びっくりした、模型屋に捕まっていた人がまさかケイトさんだったなんてっ×。──痺れ薬を盛られてるみたいだ、かわいそうに……とにかくまだ手を掛けられてなくて本当に良かった。僕みたいなヴィリジアンにも親切でとても優しくて、ミーシャお嬢様と一緒にいっつもお世話になりっぱなし、かすり傷一つだって付けさせる訳にはいかないっ××。
目が合っちゃったけどケイトさん眼鏡してないし、僕は変装してるし呪紋が化粧みたいだから…バレてないよね?)
「──────…──ぅ…─………、…──ぁ………」
「…案ずるな、」
「………」
「暫し目をつむっているが良い、お前は助かる。」
声を発する事もままならない様子。薄布の下の彼女は恐らく全裸、見えている肩までジェズは布をたくし上げようとしたが、うっかり夜魔の爪を晒してしまい自分で自分に吃驚した。取り乱しながら背中へ引っ込め左手で改めて布を上げてやる。口調で恰好を付けても挙動は素のジェズのまま、それに気付き焦って咳払いまでするものだから今の彼はさながらボロが出まくり愉怪人。
そんな彼をケイトは虚ろな目で見詰めていたが、その目を見開き苦悶の表情で必死に腰から上を横へ起こすと、胸元がはだけるのも構わず片手で何とかボロの端を掴んだ。彼を見上げ縋るように何かを訴える。
「!……っ、ぇ………ぅ………………ぃ、っ………」
「?大丈夫だ。───何だ、何処か苦しいか?」
「!………!×…ぅぁ……」
鳶色の瞳に映える篝火の明かりの赤みを覗き込んだジェズは何故か惹き込まれそうな気持ちになるが、その心の隙を斬り裂くかの如く彼の右腕が一瞬で自身の頭上を大爪に巻き込んだ。上から何かが襲い掛かって来た、反動と手応えを感じ初めてジェズは脅威の存在を自覚する。
(★っ模型屋か!?危なかった!反応が少しでも遅れたら殺られてたぞっ!ケイトさんはひょっとして奴が襲い掛かろうとしているのを教えてくれてたのか?…っいや、今はそれより)
「やはりずっとこの場に居たんだな!!←」
「×ゲヘっごへ!@ゴホゴホッ!…~~爪えええっ、やはりその爪は傲慢だ!『見えない』!何だ…↑何なんだその爪は!何故そんな物がこの世にある!気持ち悪いっ、おかしいだろ!?~ヒトの振りをしたヒトの成り損ないがっっ、お前は一体何者だあああああ!!」
篝火の下で態勢を立て直そうとする模型屋の問いには答えず、夜魔の爪がそこを裁断する。破壊音が鳴り響き壁の崩落が起きると、その中を忙しなく横切る何かの軌跡が爆風越しに見えた。そして何かは弾かれたように角度を変えて一直線に黒ジェズへ急接近する。背中に火の粉を燃え移らせて悪魔の形相が猛スピードで襲い掛かって来た。
「ィィィィ↑イイイイイイ↑↑っガァァアアアア★ぶぅああああああああっ!!!←←」
「~おのれっ!!」
ケイトから離れるよう後ろへ飛び退きつつ模型屋のラッシュを去なすが、相手は缶切り・コルク抜きと片手だけで得物を次々切換え、滅茶苦茶な手数でありとあらゆる方向から黒ジェズを責め立てる。息が上がってとても捌き切れず、纏うボロは血を滲ませながらどんどんボロボロに。十徳ナイフの他に蹴りや突きまで織り交ぜて来た、左腕は骨折したのではなかったのか。
光源の接近を嫌いジェズが赤のヤドリを収めようとしたその時、彼は模型屋の体内で異変が起こっている事に気付いた。
(?頭で力を蓄えた血が巡って、身体のあちこちでその力をまき散らして…身体を回復させている?!こいつシルキッシュなのにヤドリみたいな真似を、)
その隙を見逃さない。模型屋は懐から抜き出した小瓶を黒ジェズの前で大きく薙ぎ、一丁上がりと火の着いた上着を投げ付ける。それは見る間に燃え盛りボロの怪人を炎が絡め取った。毒による攻撃は経験があるものの、初めて火炎を交えられ反応出来なかった。赤のヤドリを行使している今の彼には目潰し同然、火虐の刑が全身を苛む。
「★!ぐああああああっ×!!→」
「←アーーー←←ハハハハハハハ←ハハ←←ハハ←ハハハーー←←←ッ!!」
「×っ!★っっ!~×!★★ぐっ…→×ぎっ!!★っ!→→」
(不味い×血が減る!身体中の感覚がマヒして来たっ、爪がっ…夜魔の爪がもう持たない×!間合いを離さないと!!)
「…があっ×!→★ぐは!!」
調子づいた左拳に景気良く殴り飛ばされ岩場へ転げ込んだ。その拍子で纏わり付いた火は石榑に掻き消されたが、追い討ちとばかりに彼の右肩を模型屋の左足が叩き潰すように踏み付ける。仰け反らせた自身の頭を前へ大きく振り下ろし足下に更なる重圧、捻じ伏せてやった黒焦げのボロにナイフを翳し重ね見て模型屋は満面の笑みを浮かべた。
「~♪切り落とすと決めていたあああぁ、ラララララ~♪。鬱陶しい爪───そうだ…これも【モニュメント】に、↓かーざーらーせーてーもらうよお↑っ。ハハハハハハハハ!!」
絶体絶命、動けぬブラック・ドゥーの肘から下をいざ切り落とさん。ご機嫌なシチュエーションに哄笑を上げて模型屋はいよいよナイフを振り被るが、折角のその勢いは「ハアア」などと言う疑問形の間抜けな息で吐き出され、肩から腕を脱力した。
視線の先30m程の篝火の隣に黒ワインの淑女が背を向けて立っていたのだ。
彼女は振り向きベールの陰から横目でこちらを一瞥すると、顔を戻して暗がりの向こうへと歩み始めた。それを見た模型屋なら当然、
「★まっ←待ち給え×。何処へ行こうと言うのかね?…駄目だ……駄目だ駄目だよ!行ってはいけない、待つんだ淑女!!←」
「×~~~っ、」
(お嬢様っ…なんで……そんなお嬢様まさか、おとりにっ??~無茶だ危険過ぎる!なんでそんな無茶を、お嬢様!!)
後ろから殺人鬼が追い掛けて来る。右手で左の手首を固く握り締め、全身の震えを遮二無二圧し殺しリュアラはあくまで堂々と歩を進める。ジェズを救うために自分が今してやれる事はこれくらい。恐怖で泣き崩れてしまいそうになっているその横を影が追い越し、とうとう彼女の前に立ちはだかった。
1mの至近距離、黒ワインの淑女と霧魔が相対する。
余程慌てていたのか、模型屋は背中を燻らせたまま大きく肩を上下させ必死な顔で黒リュアラを見詰める。やがて眉間に皺を寄せてから取り繕うように表情を整え、ベールの内側で俯く彼女を外から窺った。
「思い留まってほしいっ、怖がらなくていいんだ。」
「怖いわ。───でも、それは御客人──貴方の事ではない。」
「そうだ#そうとも、君は解っている。」
「これまで『霧魔』の殺人行為を未然に防いで来れたのは結果として良かった。でもその引き換えに、私達は裏社会の一勢力として認知されてしまった。自ら望んだ事ではあるけれど、私の中でまだ…覚悟が足りていない。」
「?」
「正体が発覚すれば私達は勿論、一世紀にも渡り受け継がれて来た表社会での信用を一瞬で失い、お互いを助け支え合う多くの人々の人生をも狂わせてしまう。責任なんてとても負えるものではない…」
「あぁ。仮初めの自分が明るみになる事で本来の自分は破綻する、君が怖がっているのはそんな事なのかね?」
霧魔の疑問を聞いて口許が微かに弛緩した。思わず自嘲気味に笑みが浮かぶ。
「確かに──私達を取り巻く人々の事は当然想っている。けれどそれは回り回って自分の身の安全に掛かって来るから、所詮は自分の勝手な都合と言うだけの事にしか過ぎない───」
「そうとも解ってるじゃあないか君は。仮初めも本来も無い、今の君がそのまま君なのさ!」
「!だから、」
ベール越しだが淑女は初めて霧魔に対し面と向かって視線を合わせた。
「私は『絶対に成功させる。』
──────ここまで来たんだもの。今この時、変らないままでいるものですか!」
「?一体何を興奮しているんだ、君が変わる必要など何処にも無い。」
「例えそれが許されるとしても、この世の物は遍く移り変わって行く。私も自分の意志に関わらず肉体は子供から大人へ、そしていずれ年老いて行ってしまう……家族も、その周りの人々も。今ある居心地の良さに安穏と過ごし、移り変わりから取り残されれば、遅かれ早かれ世界に適合出来なくなる───そんな者に居場所は無い。変化の波にただ呑み込まれ、この世から消えて行くだけ…まるで古に滅んだ生き物のように。それがこの世の理、それが宿命、
自分のみならず周りの人まで巻き添えにして…~私はそれが怖いっ!
滅んでしまうくらいなら失敗しようと同じ事。どんなに無様でもその宿命を振り除けられるのであれば、自分に課したこの試練を私は乗り越えてみせる!──貴方になど恐怖しない!!」
唇を噛み締めリュアラ・メリーベルは覚悟を決めた。身体はもう震えない。
一頻り聞き終えてルードヴィッヒ・シュペルハイム・ザンゲは彼女に微笑み掛けた。
「君の望みは共存と繁栄、そのための精神の成熟と進化。そしてそれに至る道が今在るこの姿…と言う事だったんだね、よく解ったよ。」
殺人鬼とは到底思えぬまるで邪気の無い笑顔。彼はその手で淑女の両肩を優しく包む。
「若い。若いなぁ、何と瑞々しい見解だろうか……いいね。どうやら君は『今を生き続ける資格』を持っているようだ、僕が君に魅了されていたのはその気配を感じ取っていたからなのかも知れないな。───こんな事は初めてさ。
いいだろう、君が心からそう想い願うのならこの僕が君を導こうっ。そう在るべきだ。
君を──『人体新造の祝福』に与らせてあげようじゃあないかっ☆。」
「………………」
「←Dr.ザンゲ!その恩恵は是非とも我々に!!」
黒リュアラが模型屋の態度と言葉の意味を理解しかねる内、彼女らはいつの間にか数名の警官に取り囲まれていた。近付いて来る一人は帽子を脱いで胸元のボタンを外し下に着込む黒地の服を晒す、階級章のような物が見えるもリュアラには分からない。しかし警官と思っていた者が警官でないと言う事なら何となく察しが付いた。
目付きが危ない頬のこけた坊主刈りのニセ警官は、間近で立ち止まり踵を鳴らして敬礼した。
「お迎えに上がりましたDr.ザンゲ!自分は海軍要港部情報処理第6部隊所属ドッペル伍長であります。」
「──~一つの艦船も持たない名ばかりの海軍が他所様の土地で何の用かね、傍若無人も極まりない。君達だな?この前工場町で邪魔をしてくれた不躾者は。」
「とんでもない。我々はDr.を御守りしたのですっ。」
「あー、やっぱりまだ居たか。それと──僕はもう軍医でもなんでもない、しがない美術館館長さ。君達の尋ね人ならもう随分も前に謀殺されたんだよ×。放っておいてもらえるだろうか、~僕ぁ忙しいんだ。」
「今回漸くお会いする事が出来ました。こうしてお話をさせて頂くのは初めての事と思いますが、時間が無いので手短に。」
かつて接触を図ろうとした工作員は模型屋の手際で軒並み亡き者とされている。ブラスバンド西陣営である伍長とやらはそれを重々承知で話を進める。
「祖国は当に国難と直面しているのです。我々には今こそ大戦時代で培われた禁断医療が、Dr.の類稀なる御力が必要なのです!既に最新の設備と豊富な資材を御用意出来ております、我々の許であればDr.は人体新造の更なる研究を続けて頂く事が可能なのです!」
「~~邪魔する奴らは皆そうだ、総じて男……」
「Dr.の邪魔をするつもりはありません。その技術知識さえ享受出来ればDr.の研究に惜しみない支援をさせて頂きましょう。急がないと敵が来てしまいます、我々と一緒に祖国の新たな時代を築こうではありませんか!
──そこの御婦人も必要と言う事であれば我々が纏めて護送させて頂きましょう。」
「★×!?」
異国の軍人に身柄を拘束される、想定外の事態にリュアラは身が竦むと帽子のすぐ傍を目にも留まらぬ速さで何かが掠めて行った。遅れて乾いた残響が聞こえて来る。それはライフルの発砲音、しかも一つや二つではない。取り巻きのニセ警官の一人が呻き声を上げ胸元を押さえて卒倒した。リュアラは悲鳴を片手で必死に口中へ押し留める。
相手はこちらを殺しに掛かって来ている、状況は工場町での銃撃戦と同じ様相を呈して来た。
「チッ…陸軍め、防波堤をもう突破して来たかっ。──さあDr.!一刻の猶予もありません、このままではDr.の御命が危ないのです!我々もこれまで多大な犠牲を払って来たのですよ!…──もうこうなれば、力尽くでも我々と来て頂く他ないようですね…」
「君らはそれを出来ると本気で思っているのか?~賢しいんだよ、国家権力の人間が…」
「↑↑主よ!そのままっ!!」「☆!」
姿勢を正す黒リュアラだけを避けるように見えない怒涛が駆け抜け、後ろで五本の爪痕に変じ絶壁を爆発させた。夜魔の爪はニセ警官を一人残らず蹴散らしたが、主の陰に重なる御客人は当然ながら全く無傷。所構わず破壊しまくる爪の無節操にザンゲは不満を募らせ、いい加減激昂し掛ける。しかし、続いて轟く破壊の音に眉をひそめた。
また聞こえて来た、ピンク色の髪を掻き毟り暗い上を仰ぎ見る。
「~僕の生命を狙って──────まさか、僕を生き埋めにしようと…この地下洞を破壊してる奴が居るのか!?……いけない、駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ!そんな事があってはいけないっ!丹精込めて創り上げた僕達のモニュメントが台無しになってしまうじゃないか×っ!!それだけは~~~それだけは駄目だああああああああああああっ!←←」
「↑★っ!」「★×主よっ!←」
突如黒ワインの淑女を抱きかかえ模型屋が全速力で走り出す。ボロの怪人は岩に躓き膝を着くが、負けじと跳ね起き左手で右肘の下を押えながら連れ去られる主を追った。歯を食いしばり左手で揉み拉いて右腕の血流を助ける、まだ限界を迎える訳には行かない。
明らかな状況の変化は魔法警察にも知れた。断続的に聞こえて来る爆発音にウィルは拳銃を構えると、力んだ勢いで咳込み口元と脇腹を押える拳に血を滲ませた。周囲を見遣れど顔の浮腫みで視界が悪い、しかし彼は視覚に依らぬ空間認識能力を体得している。
「あの大爪のものとは違う。これは……小型の爆発物の音じゃ…」
「東側の連中か……過去の穢れを私達ごと人目の届かぬ地底の闇に葬ろうと言うのか、~全く碌な事を考えない連中だっ。」
「………」
毒づく監察医を顧みてウィルはまた釘付けになる。未だに何が起きているのか分からない、監察医の白髪が有刺鉄線のように棘を成し、長く伸びて本人の身体に巻き付いているのだ。最も目を惹くのは施術の手元、素人目に見ても縫合の速さが尋常ではない。そして腹筋の縫合を終えてここから、縫った跡を指でゆっくりなぞると縫合間もないのにいきなり抜糸を始めてしまう。しかし、縫合箇所は確り癒着しており痕らしい痕も見られない。医学に詳しくないウィルでも常識から外れた物理現象と言う事は理解出来た。
手術は終盤の皮膚の縫合に移った模様、掛かった時間は10分経っていないかも知れない。改めてウィルは液体に満ちたガラスの桶へ視線を移す。中に残されているのは液体だけ、彼は摘出された臓器を全身バリケードのこの医師が見事元通りに収めてみせる偉業を目撃していたのだ。
「───監察医、貴方は…一体?」
「フフ、こう見えて手に職が付いた頃から暫く【死の交渉人】などと持て囃されていた事もあったもんだ。調子に乗り過ぎて身体を壊してからは死人しか相手にしなくなったがね。…くれぐれも内密に頼むよ?アンにもだ。」
「………。」
得体の知れない人物だが何と頼もしい事か。監察医をそう思うウィルの目線の先に、拉致されるブラック・ドゥーと言う意味不明な見物があった。刹那自分の目を疑う。
「★~模型屋っ!?」
「~……行くんだウィル、あいつを逃してはならないっ。」
「しかし」
「いいんだっ。ここは私に任せて奴を追うんだ。あいつに…これ以上凶行を許してはならないっ、止めてくれウィル!!」
「~~─了解っ←。」
散発する小規模な爆発音の下、傷だらけの身体に鞭打ち彼は走り出す、呼吸は浅く回数を増やして。模型屋の後ろ姿を捉えてから進行方向を同じくする動体の存在に気付いた。並走していたのは大爪を胸に当てたボロの怪人、彼らはお互いを認識してネガティブに驚く。
「★下僕かっ!」
「★魔法警察、」
「今は見逃してやる!だが後で覚えとけ!」
「あれは我らの御客人。引っ込んでおれ、」
「「邪魔だと言っているっ。」」
「~~~~~~」
「~~~~~~」
一様に睨み合うと一様に正面を見据え無言で加速し始めた。互いにボロボロ、追っている物も同じ、同族嫌悪を拗らせ彼らは暗くて見難い足場の悪さもお構いなしに目標を猛追する。もはや単なる意地の張り合い我慢比べ、お陰で移動するゴールとの距離は見る間に狭まって行った。
そして辿り着く。景観に然程変わりはないが、そこには只ならぬ不穏な空気が漂っていた。
絶壁の陰に隠れて何か大きな物が厳かに、そして不気味に聳え立っているのが目に留まる。
この世の物ならざる禍々しき異常がそこに在る。疼く夜魔の爪、本能的にジェズは叫んだ。
「★★×←主よ!!目をつむり給え!今すぐ!!」
「えっ…え?」
「←我が良いと言うまで何も見てはいけない!!決して何も×!絶対に!!」
「★?っ×!~~~~~~~~~、」
つば広帽子と姿勢のせいで周りはよく見えない。ジェズが助けに来てくれた事に少し安堵するも、その口調の厳しさに畏れをなしリュアラは身を強張らせ固く瞼を閉じた。続いて上がった雄叫びが彼女を更に怯えさせる。それはウィルの全身から強烈な波動となって放出されていた。
言葉にならない「ああ」と言う理性の破壊音、異形に接し彼の心と体が激しく拒絶反応を現わす。耐え難き生理的嫌悪、堪え難き悔恨の念、あまりに酷い悲しみと不条理の憤り、そして止め処なく溢れ出す憎しみ、抑制を引き裂く凄絶な怒り。かつて経験した事の無い感情の爆発が奔流となって彼の中で煮え滾る。血走る全身を奮わせ彼は涙を迸らせた。
白銀の大樹の如き時計細工のような流線形をした構造体がそそり立つ。精巧に編み込まれる幹から分かれた枝葉のそこかしこにたわわな彩りを実らせている。果実からは幾本もの煌びやかな鞘が伸びて大輪の花のような装飾に連なり、直上で妖しく照らし出される透明な円柱の中には生命の神秘がきめ細やかな泡に優しく包まれていた。それはこの世の物とは思えぬ幻想的な光景、現出してしまった禁断の異世界、
模型屋の犠牲者達が一糸纏わぬ姿で臓物と共にディスプレイされた巨大な展示品だった。
「↑↑↑ああああああああああっ!×っ!!ぁあ×っ、ああ!××ああああ!!
←卍卍じいいいごおおおくうううにいいいおおおちいいいろおおおあああああああっ!!!」
怒り狂ったウィルは犯人を逮捕すると言う本来の職務が頭から吹き飛び、こんな物を見せてくれた外道を滅ぼさんと情動に駆られるまま両手の銃を乱射した。そんな暴挙は夜魔の爪が許さない。遮る下僕にウィルは雄叫びを反し銃を向けようとするが、筋肉が反応する間も無く右っ面へ無慈悲な張り手を食らい、放ったジェリービーンズのように錐揉みして3mほど先の岩場へ頭から突っ込んだ。
「××ぁあああぁ………ぁあああああっ……ああああぁぁぁ~~~っ、」
「↑他者に当たってしまうわ!!~我が主を傷付けようものなら只では済まさぬぞっ、己を見失うな!!」
(~ああもう困った人だっ×……でも仕方ないか、あんな物を見てしまったらこの国の人なら普通そうなる。耐性が無ければ…生きながらにして魂をあの者達に連れて行かれるだろう。お嬢様は絶対に見ちゃダメだっ、×お嬢様は──────)
「あの中か!」
爆発が続く。篝火の明かりが惨劇を嘆くように揺らいでいる。遠巻きの発砲音は隣国西と東の銃撃戦、この昏い広大な空間に終焉のイメージがあった。
模型屋は黒ワインの淑女を抱えたまま巨大な展示品の裏手から入って内側を登る。三階程の高さに仕込まれた狭い部屋へ潜り込み卓上のスイッチやダイヤルなどを片手で器用に操作。レバーを上げると展示品は重機のような音と共に大きく身震いし、ゆっくり前進を始めた。こんな巨体が動くのかと黒ジェズは度肝を抜かれる。おおよそ動きそうもない形状の大きい物が動く、軽いカルチャーショックに中てられた。
気を取り直し人の歩く程の速度で移動する展示品の下に取り付くと、外側をどうにかしてよじ登る。閂の下りた入口の扉を抉じ開けたり、外側を飛んだり跳ねたり出来るような余裕は最早無い。
移動する展示品は周囲を容赦なく異世界へと引き摺り込んで行く。ドンパチの中に動揺と騒めきが混ざり出した。それは手術を終えた監察医にも、身体の自由の利かないケイトにも侵食を始める。彼女は途切れ途切れに嗚咽を漏らし、バリケードを解除した監察医は今にも死にそうな憔悴の眼差しで狂気の産物を見上げた。力の枯渇に意識が薄れる。
窮屈な密室に引き込まれたリュアラは尚も眉間に皺を寄せ必死に眼を閉ざす。時間の経過を遅く感じる、暫くして鳴動が止むと開けた場所へ連れ出される感触があった。下から舞い上がって来る空気の流れが嫌、異様な空気、ひんやり冷たいのに何処か生温く粘性を帯びている。それはアンが潜入操作の際に浴びた風、薬漬けの生体から立ち昇る物である事をリュアラはまだ分からない。
彼女が模型屋に連れ出されたのは展示品の最上部直下にある踊り場のような所だった。
僅かにライトアップされたそこはまるで小さな舞台の壇上にも見える。
模型屋は漸く淑女を下ろし隣に立たせた。爆発、喧騒、混乱が続く。
「元在った場所は作業場、ここが本来の展示スペースさ。あの無粋な輩共も真上の美術館まで破壊する度胸は流石に無いだろう。──見給えこの風景を。こんな素晴らしいモニュメントを前に、いがみ合っていた彼らは激しく狼狽え自ら律する努力も放棄している…何と嘆かわしい事か×。まぁ、そもそも彼らに見せるための物ではないのだがね。全身全霊を以って盛大に侮辱されているような、そんな被害妄想すら抱いてしまうよ。」
「──────、」
(何かしら…何か良くないものが絡み合っている、そして混ざり合う事はない、そんな感じがする。負の感情と言うか、何かとても…とても………)
「彼女らの内に宿す生命の神秘がこんなにも輝きを解き放っている…何と美しく尊い姿であろうか!嗚呼ここまでしてもまだその存在を感じ易くなっただけ、最奥の『本質』を直視するには至らない!思えばこのステキな構想を実体化させるのに一体どれだけ時間と労力を費やした事か……本当なら今夜には完成するはずだったんだ!それなのにっ…~~~」
(?彼女ら……地下で創られた大きな美術作品の中に居ると言う事?周りの騒ぎは一体…)
「題名は『生命の樹』!若輩の頃読み漁った古文書で見掛けたんだ。人の進化する道程を表した物とされていてね、人の在るべき姿と言うか…『本質』と言うか?その一端を垣間見た…そんな気がしたよ、深く感銘を受けたものだ。」
「───。」
「人の行き着く処、霊長の向かうべき先はこの世の真理…最奥なんだっ。万物の均衡を司る全ての拠り所、決して最果てなどではない人の知覚の及ぶ範囲に在りながら、容易に識る事は出来ない。気付く機会など幾らでもあるのに人は気付かない気付けない、だから───
工夫が必要なんだ。この樹のように…」
「樹──」
「…ご覧よ。この色とりどりな世界の中心を表す樹の上に、中心を象徴する『緑』を配してみた。全く以ってこの作品に相応しい、モニュメントとしての存在意義を決定付けるため僕の許に訪れたとしか思えない、そんな出逢いを果たした至宝だよ。僕あ宿命を確信したね、決まっていた事だったんだ。」
淑女の肩を取りザンゲは優しく語り掛け後ろを見上げる。樹の頭頂部には、ガラスと白鉄と黒鉄の三重の輪の中に緑色の大きな鉱石が恭しく飾られていた。淑女は見ない。
その【翡翠と思しき美しい石】は、渦巻く疾風をモチーフにした眼のような形をしていた。
「←予定ではその石の両脇に今日仕入れたばかりの果実を侍らせるはずだったのさ。」
淑女の頭巾の裏側に隠れる耳へ模型屋が口を寄せる。言葉だけでは彼の思い描く絵面などリュアラに想像も付かない、不幸中の小さな幸いである。邪魔者さえ来なければ、翡翠の左右はガラスの円柱に収まる臓器と繋がったアンとケイトの裸体が拘束具で飾付けられていた所だったのだ。
「でもこの樹は契機に過ぎない。人の魂に変革をもたらす貴重な道標だが、人にはどうしても限界がある…『時間』だ。本質へ辿り着くため必要となる時間に対し人間の命はあまりに短い。単純に長生き出来ればいいのだが萎れるのは避けられないんだ。世代を重ねると言う生物の強みを以ってすればいずれは達成されるのだろう。しかし、それには必ず後戻りと皺寄せの繰越しを伴う。長い時を経てツケが嵩み、志が潰えてしまう危険性は頗る高い。…そもそも目的が達成されても自分の滅んだ後では意味が無い、少なくとも僕はそう考える。考えて考えて考えた末に僕ぁ気付いたんだ───
そうだ、『自分を新しく造り続ければいい』んだとね。」
(本質、本質と、この人は一体何を言っている?何故こんな事を私に話すのだろう。しかも、そんな話を私は悠長に聞いている、相手は凶悪殺人犯なのに。──私が恐怖を克服したとかそんな事ではなく、これは…)
「いいかい?よく聞き給え。
人は…──と言うより、あらゆる生物が持つ生きる力、物質がこの世に在ろうとする力は全て『無』を根源としている。無が在って有が生じるんだ。」
「…無?」
「そう。そして有は『陽』と『陰』に分かれている。互いが一方だけでは存在し得ない、二つで一揃い。その三つが作用し合ってこの世界が今在ると言う訳なんだ。…少々乱暴な言い方だがね、」
「──。」
「委細は割愛するが、君たち女性は陽だ。陰を承け普遍の無から新たな命を生み出す神秘をその身に宿している。僕は陽が陰を承けるその本質に目を付けた───その理を肉体に内包すれば『新たな力を体内で生み出す』事が出来るのではないかと、×問題は方法だ。無から力を抽出するなど一般常識では先ず不可能、誰も知らない思いもしない↓。だけど、文明が失われる前の大昔になら識り得た賢人が居たかも知れないっ。僕は古文書を調べまくったよ、それこそ虱潰しに。幾度となく試行錯誤と失敗を繰り返した……」
ザンゲは懐かしそうに離れの台で踞る監察医を見下す。
「必要なのは身体と無とを繋ぐ言わば『臍の緒』のような媒介だったのさ。果肉と鞘で繋がる果実は当にそれの見立て、見易くなった本質の姿だ。」
「?」
「散々それに触れる事でやっと解った。人の持つ生命の本質は『脳』に宿っている、ならば無に繋がると見立てられる人の『髪の毛』がその役目を担っているのではないか?って言う可能性をね!──髪は女の命、なんて言葉があるだろう?意味は全く額面通りで女性の髪…いや、人間の頭髪とは『無に根差した臍の緒』なんだよっ☆。」
「??」
「ハハハ、見立てだよ♪。古来より呪術にも用いられたその力は次世代を生み育む女性の血の力とされていた、しかし見立てとしてそれは違えてる。頭皮から生える髪の毛その物が陽なら毛先は陰…則ち、その存在を承ける度に無から新たな力が引き出せると言う事になるっ。髪の毛は無から力を抽出する器官だと見立てられるんだ!」
「????????」
(→言ってる事が一つも解からない!果実?見立て…何?へその緒??髪の毛は何処から出て来たの?しかも陽と陰って×…急にどうかしたの?お酒でも飲んでるのこの人??───それとも私に理解力が足りないのかしら@?)
目を瞑るリュアラには分からない、話し相手が上気した顔を震わせながら横へと頸を傾斜させて行く様を。この男は自分の中で秘められし慧知の解明と言う至上の美酒に心酔し、興奮のあまり発言が支離滅裂になっている事も気付かぬサイコッーの気分なのだ。
「#電気機械の小細工など必要なかった!髪の構造を模倣した索を脳の臍たる『特異点』へ極を介して接続する事で、無から得られる力を脳内で励起させ身体の中で新たな自分の生命と成す事に成功したんだ!これこそ僕が求めていた『外的因子による人の肉体機能の代替・増幅』の姿っ!可用性?生存性??議論の俎上にも乗らない!←時間すらもだ!!最奥へと至るためのヒトの究極形態っ、その奥義が…人体新造なのさ!!『僕がそれを体現した』あ☆!↑ハハハハハハハハ★げへぐへゲほゲホっ×@!?!~~」
「───其れを以って何とする…」
「←決まっている!この瑞々しい道標を辿りまだ見ぬ本質、最奥へと至るんだ!!」
「それに至る道が今在るこの姿……何と歪なものか。私の有り様がそれに似ている、資格がある、全ては───そう『見立て』られると言う事なのだな、」
「僕には何もかもお見通しさ。」
「それは異な事を、」
「何だい?」
「見通せるのなら、何故…『本質』などに執着する?」
「★──────」
饒舌だったかつての天才軍医が絶句する。
両者の居る狭い壇上だけに訪れる短くて長い沈黙、破らざるを得なかったのはザンゲだった。
「…見えているさ、見えているとも。僕には物の本質が見えてる見えてしまっている。──でも違うんだ、違えてるんだよ………怖い……僕は怖いんだっ、それも死ぬ程×!そしてそれは誰にも解かってもらえないんだ!!」
「───」
「だから僕は克服したいんだ───『恐怖』を───────────────
頼むから信じさせておくれよ……お願いだから諦めさせないでおくれよ……
生きとし生ける者全てが美しいと。
肌の色や人種、時代や歴史、文化の違いもなく、内に秘める物は皆等しく美しいと。
~ぁあああ↑↑『僕が見えている物は本質なんかじゃない』いいいいっ!!
僕の見えていないもっとその内側に…もっと奥にこそ真の、真の美しさが在る…まだ見ぬ美しさがきっと在る!!だけどそのままじゃ見えないんだ………工夫が必要なんだ………
邪魔する輩に容赦はしない!!汚い部分を削いであげたい、醜い部分を剥いであげたいっ、そうすれば──そこには美しい本質だけが残る。穏やかで…豊かで……」
そこまで聞いてブラック・ドゥーは断じた。
「───相容れぬ、道化よ───」
轟音、直上で爆発が起き一瞬だけ僅かに明るくなるとモニュメントが細かく揺れる。文字通り樹の軋むかの如き耳障りな音が枝葉を伝った。リュアラは振動で我に帰り口走った自分の言葉に酷く驚く、また思ってもいない事を口にした。遅れて来た各部の反動が幹の揺れを増幅し、彼女は咄嗟に模型屋の反対側の壁へ身を寄せる。瞼を閉じた暗闇の中で揺れを堪えている内、壁のすぐ隣に微かな人の気配を感じた。
真っ先にジェズが助けに来てくれたと思った、しかし自信が無い。先のニセ警官とも何か感触が違う、異様な空気と同じ属性。高所と思しき自分が居る場所に自分達以外の人の存在、それとも本当に人なのか一体何者なのか。異常事態に胸の鼓動が早くなる、冷静はもう保てない。
「───…」
恐る恐る彼女は表情筋を弛緩させた。
長い睫毛が僅かに震える、上瞼がすっかり下に貼り付いて中々開かない。
少しずつ上へ力を込めると視覚の暗闇にほんのり光が差した。
荒ぐ息を整え徐々に、徐々に、瞼を開いて行く─────────
「!!!っ→~~×、」
突如頭に浮かんだジェズの必死な姿、間一髪リュアラは目を思い切り閉ざし禁を貫く。ジェズが見るなと言った物はとにかく見てはいけない物なのだ、絶対に見ては駄目、絶対駄目、暗闇の中で猛省し深く肝に銘じる。しかし暗くなると否応なしに意識が傾くのだ、異世界の息遣いをまたすぐ近くに感じ総身が凍り付く。そして、彼女はとうとう耳の傍で聞いてしまった。
「──も‥ぉ‥──し‥な‥‥せ‥‥‥て‥──────」
この世の者とは思えぬ幼い少女のか細い哀願、モニュメントを目にしていないリュアラの中で残酷の印象と悲哀の声が沸き起こる。無情の宿命を嘆く大音声、何と哀しい事か、何と哀しい事か、これが精霊達の慟哭「キーニング」なのか。胸が張り裂ける程の心痛をひたすら堪え、流されまい溺れまいと彼女は自身を奮い立たせる。
その背後で模型屋が野獣のように唸り出した。
「───ぉ…ま…えっ……~お前、お前!↑おまええええええええっ!!」
追い掛けるように黒ワインの淑女の中で声がする。囁き声、
(も う、時 間 が 無 い…)
また誰かの声なのか、或いは自分の知らない内なる自分の声か。考えが、想いが、何もかもが彼女の中で振り切れてしまう。堰を切ったようにリュアラは叫んだ。
「↑↑僕よーっ!私の事は構わない!如何なる犠牲も厭わないっ!『力 を 振 る え!!』
ここに在るこの世界のあらゆる束縛を断ち切り!全てのものに等しく終わりをーーっ!!!」
現れる境界、闇に映える五本の刃。暗黒の拍動が異世界諸共この世を圧倒する、それは終止符。
非情なる夜魔の爪が、全てを斬り裂く─────────
表現したいシーンの切り貼りが大変だったなあ。書き進める内に登場人物が勝手に喋り出すし。
登場人物達には早く日常に戻って欲しい…
話作りって楽しいなあ。




