9.末姫の本当の気持ち(ユドリム視点)
王宮の廊下は、雨の日特有の静けさに包まれている。高い窓を打つ雨音だけが一定の間隔で響き、その中を俺は本来の主人ではない末姫様に付き添っていた。
「……マーシャル殿下。もう腕を離していただいても」
「だめよ。離したら、ユドリムはお兄様のほうに行っちゃうでしょ」
姫様は即答だった。俺の主人はアルヴィン殿下なので、腕さえ離れれば主人の元へ行くのが当たり前である。そうでなくても、姫様が俺にべったりとくっつきすぎなので、さすがに距離は取りたいと思うのだが。
「部屋までお供しますので、離していただけませんか」
「イヤ」
――はぁ。
俺は内心でため息を吐いた。
殿下は、お嬢様お見送りのために王宮の馬車乗り場に一緒に向かってしまった。普通なら俺も同行するべきだが、俺の腕にしがみついて離れない姫様のせいで騎士としての仕事を邪魔されている状況だ。
俺の心境を理解しているだろう姫様は、俺の視線に気がついていたずらに微笑んだ。
「ユドリムとブランカ様は、本当に仲が悪いのね」
突拍子なく言われ、俺は首をひねる。
「さっき、二人でひそひそ何かを話していたでしょう?」
「気づいていたんですか。別に、なにも」
「ユドリム」
「なにもない」という答えは、かぶせるように名を呼ばれて遮られた。その答えは求めていない、ということだ。
こういうところは、殿下と姫様に違いを感じる瞬間だなと思う。殿下は俺の言葉を遮らずに、最後までちゃんと話を聞いてくれるから。
「……なにを伝えたかったのかは、聞き取れませんでした」
「なんだ、そうなの」
この姫様は俺に友好的ではあるが、それと同時に打算的でもある。だが、今回はただ好奇心から俺の口を割らせたかっただけのようだ。
俺に軽蔑の目を向けたお嬢様の真意がわかりかねる俺に、姫様は「ふふっ」と笑った。
「お花の色のとおりなのね」
この流れで花の色といえば、思い当たるのは温室カフェでの出来事でしかない。
「俺は、あのお嬢様を嫌ってはいませんよ」
「あんなに青く染まったのに?」
「あれはお嬢様の気持ちでしょう。俺だけでいえば、花は白いままだったと思います」
姫様は「そうなの?」という表情をして、少し考えた。
「ふーん……じゃあ、変わる余地もあるのね」
「いや、ないかと」
「お兄様と同じ、オレンジ色とか」
「あぁ……」
それは、どうだろう。限りなく望みはゼロに等しい気がする。さっきだって口パクで、おそらく悪態をついていたんだろう。そんなお嬢様が、俺と友情を育むとは思えない。
「赤色も混じったりして?」
にひっと、姫様は侍女に見つかったら怒られる笑みを俺に向けた。
お嬢様には細かい説明をしなかったが、あの花は二人の想いによって色を変えるらしい。お互いに友情を感じているならオレンジ色。片想いなら、そこに赤が混じる。両想いなら、色濃く赤一色に染まるのだとか。
俺とお嬢様の仲でオレンジ色でさえ望みは希薄だというのに、赤色など天地がひっくり返る奇跡に近い。
「ありえねーな」
「ユドリム、口が悪い」
「ありえません」
「ブランカ様を嫌ってないというわりに、即答なのね」
そりゃあ、ねぇ……。
俺は、好奇心が戻ってきたらしい姫様の視線をかわした。
「お嬢様には殿下がおりますので」
「お兄様はあまり相手にされてないじゃない」
「不憫な我が主人……」
「だから私が一役買ってあげたのよ!」
ふふんっと、姫様は自慢げに胸を張った。
「建国祭の告白シミュレーション! それでお兄様には、ぜひブランカ様を射止めてほしいわ!」
「うまくいくといいですねぇ」
「そこまでしてダメなら、もうお兄様に望みはなさそうよね」
「不憫な我が主人」
「そうなるとね、お兄様よりユドリムのほうが可能性があるんじゃないかしら」
いや、なんで。姫様に目を向けると、組んでいた腕を引っ張られて顔が近づいた。
「嫌いも関心のうちだと言うでしょう? 友情に一貫したお兄様より、ユドリムへの気持ちの変化のほうが大きいと思うの!」
……そんなに俺とお嬢様をくっつけたいのかよ。
きらきらと輝く姫様の瞳にうんざりして、歪む表情は隠さずそのままにした。からかってやがる。
「どんなに期待されても、俺とお嬢様では絶対にありえません」
「えー。そうなの?」
「そうなの。それよりも……」
姫様が顔を近づけてから、背後からの視線に殺意が混じっている気がする。頼むから気づいてくれよと、俺は話の主役をお嬢様から姫様にすり替えた。
「俺とマーシャル様の花に、オレンジ色が出なくてよかったです」
そう言うと、姫様は「あー……」と苦笑いをした。
「ブランカ様、本当にあのカフェのお花のことを知らなかったのね。ユドリムが一度触れたお花を私が受け取ったら、私たちの関係性があれにバレちゃうもの」
俺が店員から花を受け取ったのは、意図したものではなかった。きっと、主人たちだけで花を楽しんでいたので、従者にもという気遣いだったのだろう。それを「マーシャル様に差し上げたら?」と提案されるとは、花の特性も姫様の算段も知っている身としては、困るしかなかった。
ちらりと、距離を置いて後ろを歩くあれを見やる。俺と目が合った瞬間に、燃える瞳で睨まれた。
「あんまり、俺をだしに使わないでいただきたい」
小声で訴えると、姫様は「ふふっ!」と高く笑った。
「こんなこと、ユドリム以外には頼めないもの! あの顔ったら、いい気味よね!」
「そんなに楽しそうに言わないでください。俺は楽しくありません」
ずーーーっと睨まれてんだよ。姫様の、年若い騎士に。投げやりになりたいが、姫様の算段もあるしあまり態度に出せない。
「だってギルソンったら、全然私に触れてくれないのよ。私の騎士なのに!」
その声が、ほんの一瞬だけ拗ねた子どものように聞こえた。
「騎士だからこそ、むやみに触れないのでしょう」
「でもユドリムは、ブランカ様に触れてたじゃない?」
は? と思い、考える。姫様の前であのお嬢様に触れた瞬間があっただろうか。
「……いや、あれはむしろ、騎士として務めた行動では?」
温室カフェでのお嬢様足蹴り未遂の一件を思い出し、顔を顰めた。自分を蹴ろうとしてひっくり返りそうになったドジっ子お嬢様を支えてやったのだから、あれを接触にカウントされるのは正直解せない。年齢のわりに聡い姫様は、口パクはちゃっかり見ていたくせに、どうして肝心なところは見ていなかったのか。
「先に言っておきますが、お嬢様をお手本にしないほうがいいですよ。すぐ転ぶので」
「私も転べばギルソンが助けてくれるかしら?」
「お手本にしないでって今言ったばかりです。やめてください。怪我をしたらシャレにならない」
俺の否定に、姫様は「もうっ」と声を上げた。
「とにかく、私はユドリムのようにちゃんと触れてエスコートしてほしいのよ!」
なんだかんだとまだ幼い姫様は、そのへんの機微をわかっていないらしい。十歳でわかるわけないよなぁと、ギルソンをちら見する。あちらもあちらで、姫様より年上とはいえ、汗くさい騎士たちの中で揉まれ生活してきた堅物男だ。恋愛の「れ」の字も知らないかもしれない。
姫様は俺を贔屓することでギルソンに嫉妬させたいようだが、もはや向けられているのは嫉妬じゃなく殺意である。姫様に馴れ馴れしすぎるという、俺に対する軽蔑だ。もう、めんどくせー。
「ほらユドリム、わかってるなら協力して? 私はギルソンに、俺の姫様だ! って言わせてやりたいの」
「えぇー……」
「建国祭の告白のお手本、私とあなたにしてもいいのよ?」
「それだけは勘弁です」
「じゃあ、ちゃんとシャキッとしてかっこよくエスコートして!」
「もうこれ、エスコートじゃないです……」
俺の腕に自らの腕を回してぐいぐいと引っ張って歩く小さな姫様は、恋にどこまでも果敢で勇ましい。この強引さは殿下にも見習ってほしいとさえ思う。
俺に殺意を飛ばしているギルソンに「お前、どうにかしろよ」と目線をやるも、ギリィッと歯を噛み締められさらに油を投下してしまったようだ。
こっちの道のりも遠そうだなぁ……。やるせなくため息を吐き、俺は姫様に引っ張られるままに廊下を歩いた。




