10.建国祭
国民が一堂に集う、華やかな建国祭当日。
続いていた雨はすっかり上がり、王城は見渡す限り人で溢れていた。入城の際には形式ばった決まりはなく、各々が好きな相手と訪れる。それは恋人だったり、家族だったり、友人だったり。
「では、お父様、お母様。私は仕事がありますので」
この日はさすがに殿下からのお誘いはなく、私は家族と建国祭にやって来た。殿下からは律儀にその旨を記した手紙が届いており、「君さえよければ」と碧の宝石が埋め込まれた髪飾りを贈られた。
――殿下の瞳と、同じ色の宝石。
身につけるか、しばらく悩んだ末に、私はそれを髪に差し込んだ。今日は告白のお手本もあるのだから、多少はそれらしくしておいたほうがいいだろう。
父と母には仕事と誤魔化して、私は二人から離れた。いくらマーシャル様からのお願いとはいえ、「告白のお手本をします」と両親に赤裸々に伝えるのは恥ずかしかった。
ちなみに兄は、婚約者のエミリア様をお誘いしているので別行動だ。どこかで鉢合わせしませんようにと、それだけが気がかりである。
人の波を抜け、私は庭園へ向かう。
花々が咲き乱れる王城の庭園は、建国祭のための装飾でさらに華やかになっていた。色とりどりの花の間を縫うように小道が続き、中央には私とマーシャル様が飾りつけた白いアーチが立っている。
「ブランカ」
「アルヴィン殿下」
呼ばれて振り向くと、アルヴィン殿下が微笑んだ。
第三王子と、見た目だけはいいユドリムの登場に、周囲がざわつく。多くの視線が集まる中、私はいつもより丁寧に挨拶をした。殿下はそんな私の髪に目を向け、ふっと目を細めた。
「ありがとう。つけてきてくれたんだね」
「はい。殿下からの贈り物ですから」
「似合っているよ」
王子らしく整った微笑みを見せたあと、殿下は少しだけ視線を落とした。頬が、わずかに赤い。
「……よかった。君には何が似合うだろうかと、たくさん悩んだんだ」
急に殿下が照れだして、私もつられて照れてしまう。なんだか少し気まずくて、むずむずとおもばゆい沈黙。いつもならユドリムが呆れた空気を出すのに、今は人目があるからそれもない。大人しく、真面目な騎士をしている。
私と殿下はぎこちないままに、並んで庭園を進んだ。
色とりどりの花々に囲まれた中央の白いアーチには、すでにマーシャル様が待っていた。銀のベルが風に揺れ、澄んだ音をひとつ鳴らす。
「皆さま、ご注目くださいませ!」
マーシャル様の声が高らかに響く。
「ここで想いを告げ、ベルを鳴らせば恋が実る――こちらのアーチには、そんな願いを込めましたの」
庭園に歓声とどよめきが起きた。そして。
「では最初に、お手本をお見せしますわ」
マーシャル様に目線で促され、私と殿下が注目の中アーチの下へと進む。私はそっと、隣に立つアルヴィン殿下を見た。殿下は柔らかな笑みを浮かべて周囲の視線に応え、完璧な王子の顔をしていた。
アーチの下に立つと、殿下はゆっくりと私の前に立った。
「ブランカ」
名前を呼ばれただけで、私の胸が大きく跳ねる。
「これは、その……お手本だから」
小声でそう言う殿下に、いつも私だけに見せる照れをかすかに見つける。言い訳のように前置きしてから、殿下は私をまっすぐ見つめた。
「建国祭という佳き日に、最愛の君へ想いを告げられることを、幸せに思う」
殿下の声は低く、よく通った。庭園にいる誰もが聞き取れる声だった。
「僕は、あなたの隣に立てるふさわしい男でありたい」
一瞬、庭園の喧騒が遠のく。
――これは、お手本。私は自分に言い聞かせる。
けれど堂々と私の前に立つ殿下の指は、ほんのわずかに震えていた。そんな殿下の手が、優しく私の手を取る。
「ブランカ」
一瞬、殿下は言葉を止めた。
お手本だから。これは、お手本だから。そう思っているのに。あまりの緊張に、息が詰まってしまう。
「僕は……」
殿下の喉が、小さく動く。
「君が、好きだ」
その言葉は、庭園にいる誰もがはっきりと聞いただろう。すかさずマーシャル様がベルを鳴らした。澄んだ銀の音が空に広がり、拍手と歓声が上がった。
殿下はすでに王子の顔に戻っており、私もかろうじて笑みをつくって礼で応えた。
胸の奥が、とても熱い。
ふとアーチの花の向こうに目をやると、兄とエミリア様がこちらを見ていた。しかし拍手と人の波にまぎれ、二人の姿はすぐに見えなくなってしまった。身内に見られていたことに気づいた私は、羞恥心が爆発して心の中で叫んだ。
「お手本、ありがとうございました。アルヴィンお兄様、ブランカ様」
盛大な拍手と歓声の中、私たちは退場した。
殿下と私の噂は、国民の間にも広がっているだろう。お手本と銘打ちつつも拍手に込められる期待に、次第に罪悪感が募り胸がちくりと痛む。
歓声がまだ庭園に残る中、ようやくアーチから離れた時だった。
「なんだ、もう終わってしまったか」
そこに、第一王子と第二王子がやってきた。
建国祭はアルヴィン殿下だけでなく、第一王子も第二王子も、そしてマーシャル様も揃う一大イベントだ。国民への顔見せも重要な仕事のため、庭園に出てきたのだろう。
王家は赤髪の遺伝が強く、王妃様以外はみんな赤い髪色をしている。一人だけでも目を引く明るさなのに、三人並ぶと、周囲は思わず息を呑んだ。
「やぁ、ブランカ嬢。久しいな」
「第一王子殿下、ならびに第二王子殿下にご挨拶申し上げます。ご無沙汰しております」
殿下とそうだったように、私は兄王子たちとも正直なところあまり話したことがない。はじめて挨拶をした時は、全員同じ髪色で「わぁ」となった記憶しかないのだ。きっと、緊張していたのだろう。
「弟がいつも世話になっているらしいな」
「仲良くさせていただいております」
「そうか。弟をよろしく頼む」
第一王子は私との話を終えると、アルヴィン殿下よりも通る声で注目に応えた。
「広間を解放して、食事や飲み物も用意している。ぜひ楽しんでいってくれ」
兄王子たちは広間へ向かい、庭園には和やかな空気感が戻った。
「ブランカ、僕もいくよ」
名残惜しそうに、殿下が私の手を離す。
「私は知人がおりましたので、そちらへ挨拶にまいります」
「わかった。君も、楽しんで」
殿下が背を向けて歩き出し、ユドリムは騎士らしく私に一礼をした。普段は見せない恭しい態度に、ちょっと驚いてしまう。
殿下とユドリムが人の波に消えると、私は兄とエミリア様を探し始めた。
途中、何度も祝福の声をかけられながら。微笑んで受け流していると、可愛らしい声が私を引き留めた。
「さっきの、お姫さま!」
「えっ?」
この日のためにあつらえたのだろう、ワンピース姿の小さな女の子が、私にとびっきりの笑顔を向けていた。
「お姫さまと王子さま、とってもステキだった!」
「まぁ。ありがとう」
「お姫さま、しあわせになってね!」
その言葉に、私は一瞬だけ言葉を失った。
無垢な子どもを騙しているようで、私の中の罪悪感が大きくなっていく。かろうじて笑顔をつくって、その子に手を振った。小さな女の子は、満足そうに手を振って人混みの中へ戻っていった。
――しあわせになってね。
私はそっと、自分の髪に差した碧の宝石に触れた。陽の光を受けて、それは澄んだ色にきらめいていた。まるで本当に、殿下の瞳の色のように。
「お手本……」
さっきの告白は、あくまでお手本。演出されたもの。そこに罪悪感を覚える必要なんて……。
自分に言い聞かせて、私は小さく首を振った。
私は気持ちを切り替えて周囲を見回し、人混みの中に知った顔を探した。
「ブ、ブランカ様」
すると、おどおどした聞き覚えのある声に呼ばれた。
「エミリア様! まだここにいらっしゃってよかったわ。ご挨拶をと、探していたのです」
エミリア様は、私と目が合うなり頬を赤くしてうつむいた。周囲を見ても、兄は見当たらなかった。
「あの、あの……。先ほどのプロポーズ、とっても素敵でした……!」
「ありがとうございます。でも、あれはお手本で……」
「お手本だとしても、女性なら一度は夢見る憧れの告白でした」
そう言ったエミリア様の瞳が、ふと揺れた。
「エミリア様、どうかなさったの? ところで、兄は一緒だったのでは……」
その瞬間。
エミリア様の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「なんでもないんですっ……なんでもないんですぅ……っ」
「なんでもなくはないですよね!?」
突然泣き出してしまい、焦る私は大慌てで人目のない場所にエミリア様と移動した。
「ごめんなさい、ブランカ様」
「何があったんですか? 私でよければお聞きしますが……」
でも、エミリア様が泣くなんて、よほどのことなはず。兄に任せたほうがいいのではないかしら。
「やっぱり、兄を呼んできましょうか」
立ちあがろうとした私に、エミリア様がしがみついた。
「ルーカス様はいいんです!」
「兄と何かあったのですか?」
「う、うぅぅ……っ」
な、何があったの……? ケンカでもしたのかしら……。
ぽろぽろと、さらに大粒の涙をこぼすエミリア様は理由を言いかけては言葉を飲み込み、結局何があったのか話してくれず。しばらくして、エミリア様はようやく涙を拭った。
「ご、ご、ごめんなさい……。ルーカス様には、私は帰ったとお伝えくださいぃ……」
そう言って、エミリア様は帰っていってしまった。
小動物のような小さな背中に哀愁が漂い、かわいそうで仕方なくなる。いくら愛情表現がヘタクソな兄とはえ、女性を泣かせるなんて一体どういうことなの?
私はエミリア様を見送ると、人の波をかき分けて兄を探し出し、「ちょっといいですか」と壁際へ追い込んだ。
「お兄様。エミリア様と何があったんですか?」
兄はぎょっとして、私から目をそらした。
「……エミリアに会ったのか」
「会いました。泣いてました。何をやらかしたんですか」
私が問い詰めると、兄は苦しげに答えた。
「お、お前とアルヴィン殿下の、アーチの下での告白が素敵だとエミリアが言っていて……」
それは先ほど、私も言われたことだわ。
「う、羨ましいと。あんな告白をされてみたいと、言ったんだ……」
「して差し上げればいいじゃないですか」
そう言うと、兄はぶんぶんと首を振った。
「あんな人前で、告白を? 非常識ではないか? 告白は見せ物じゃない。見せられたほうも、たまったものではないだろう」
「……と、思わず口に出してしまい、逃げられたんですね?」
兄は私を見て、がっくりと肩を落とした。私は呆れてしまった。
「お兄様……エミリア様がおっしゃったのは、人前でする告白が素敵だということではありませんよ……」
まさか、ここまで兄が乙女心に理解がないとは思わなかった。
「アーチの下で告白して、ベルが祝福してくれるというロマンチックな演出に憧れたんですよ……」
「そんなこと、わかっている!」
わかっている? わかっているのに、エミリア様を否定したの? 目を丸くしてる私に、兄は頭を抱えた。
「だって、考えてもみろ! 恥ずかしいじゃないか! あんなっ……、王子がやってこそ許されるような演出で告白など、私に似合うと思うか!?」
私、その恥ずかしいことを、ついさっきやってきたんですけど……。しかも王子と。国民の注目の中で。
私は大きく息を吐いた。
「エミリア様が望むなら、それでいいじゃありませんか」
「いくらエミリアの望みでもっ……」
「エミリア様は別に、王子らしくだとか、お兄様じゃ似合わないとか、そんなのはどうでもいいんですよ」
私は頭を抱える兄を見上げた。
「あのシチュエーションで、お兄様から告白してもらうことに憧れたんですよ」
「……っ」
兄は、なにも言えずに黙ってしまった。
その夜、兄はエミリア様に謝罪の手紙を送った。
しかし、翌日になっても、エミリア様からの返事は届かなかった。




