11.その目が怖い
建国祭は、二日目も変わらぬ賑わいを見せていた。
目玉の催しのひとつ、武闘会。王城の一角にある闘技場は円形の観客席に囲まれており、貴族も市民も入り混じって人で埋め尽くされている。
武闘会は騎士団の者や各地の兵、腕に覚えのある者たちが集まって力を競う。見世物のような催しではあるけれど、騎士にとっては名を上げる絶好の機会でもあるのだ。
「……」
しかし、周りが歓声をあげる中で、私は試合に集中できずにいた。どんよりじめじめと、負のオーラをまとった兄が隣にいるからだ。一緒に観戦できないからと、せっかくアルヴィン殿下が用意してくれた一等の席だというのに。
「お兄様、シャキッとしてください」
「している……」
「どこがですか。ずっと下を向いていて、今日はお兄様のお顔を見ていないくらいですよ」
兄がこの状態なので、殿下とは席が離れていることはむしろ幸いだったかもしれない。
昨夜送った謝罪の手紙に対し、今朝になってもエミリア様から返事は届かなかった。昨日今日のことだし、エミリア様だって落ち着く時間がほしいだろう。なのに兄ときたら、朝からこの調子である。屋敷がカビてしまうのではと心配になるほどに湿っぽくて、さすがの母も口をつぐんだくらいだった。
私の言葉に、兄は緩慢に顔を上げた。そして私と目が合うと、一瞬だけ妙に満足げな顔をして、またうつむいてしまう。
「……まさか今ので、見ただろう? なんて言うつもりじゃないですよね」
「見ただろう」
「なんて屁理屈を……」
あぁもう、めんどくさい。満足げな顔も相まってさらにめんどくさい。
「時間をおいて、またお手紙を出せばいいじゃないですか」
「どうせ返事はこないさ……」
「だったら、直接お会いにればいいのでは」
「また門前払いされる……」
実は今朝、後頭部しか見えない兄を連れてエミリア様の邸宅に伺った。兄一人ではどうにもならなそうだと私が連れていったのだが、私がいてもエミリア様はお会いになってくれなかった。建国祭という晴れやかな日だというのに、二人のすれ違いの原因が私にあるということが理不尽であり、そして居た堪れない。
「いいんだ、ブランカ。お前と殿下はうまくいったのだから。お前が幸せでいてくれたら、兄はもう、何も望まない……」
「ですから、あれはお手本だと言ってるじゃないですか」
私は小さく息を吐いた。
闘技場の中央では、すでにトーナメントが進んでいた。剣がぶつかり合う音に、私と兄以外は一心に試合を楽しんでいる。
近くの観客たちが「次の試合だ!」「王子付きのやつが出るぞ!」と声を上げ、次いで太鼓の音が響いた。審判の声が、闘技場に響き渡る。
「次の試合――第三王子付き騎士、ユドリム!」
その名前に、観客席が大きく反応した。私にとって見慣れた黒髪の騎士の登場に、女性の華やかな声も混じる。
「あぁ、アルヴィン殿下の騎士も出るのか」
「そのようですね」
ユドリムが戦う姿は何度も見ている。けれど、それはいつも守られる立場としてだった。こうして剣を持って闘技場に立つ姿は新鮮で、なんだか違う人のように感じた。
相手の騎士が剣を構える。ユドリムの相手は、騎士家系の嫡男だ。体格はユドリムの一回りほど大きく、腕が立つと評判で騎士団の出世頭だとか。そんな相手を前に、ユドリムも冷静に剣を構えた。
審判が手を上げる。
「――始め!」
次の瞬間、騎士が一気に踏み込んだ。観客席からどよめきが上がる。
しかし、ユドリムはぎりぎりまで動かなかった。騎士を引きつけてから剣を受けると、そのまま体を半歩ずらす。驚くほどに無駄な動きがない。そして、ユドリムの剣は速かった。大きく振りかぶることもなく、騎士の剣をいなして逆に間合いに入った。
「さすがだな。たしか、平民から募った男だったな」
「ご存知なのですね」
「まぁ、それなりに。殿下がたまに話されている」
兄がこの場でいう殿下とは、第一王子のことだろう。職務中に話題に上がったのか、友人として接している時に話題に上がったのか。兄のようやく上がった顔から、難しい思いが感じ取れた。
「惜しい、とおっしゃっていた。身分がな」
ユドリムに間合いに入られた騎士は即座に身を引き、ユドリムの剣を危険なところでなんとか受け止めた。
「……私はあまり、その考えは好まない」
兄はユドリムを見つめたまま、少しだけ肩をすくめる。私も、兄の考えには同意だった。
兄の言葉に頷きながら、私は再び試合へと視線を戻した。観客席は相変わらずの熱気で、あちこちで人の出入りや声のやり取りが交錯している。
そのざわめきの中で、ふいに背後から声がかかった。
「探したぞ、ルーカス」
振り向くと、エトワル様が近づいてきていた。
「……エトワルか。なんの用だ?」
「お前に伝言を預かってる。耳を貸せ」
渋々といった様子で兄はエトワル様に耳を向ける。耳打ちをされ、どんよりとしていた表情が次第に驚きの表情に変わっていく。そして私に一言もなく、兄は慌てて闘技場を出ていってしまった。何が何だかわからず、ぽかんと兄を見送った私にエトワル様が笑みを向けた。
「ブランカ嬢、お久しぶりです。ご一緒しても?」
「えぇ、どうぞ」
戸惑いながらも了承し、席についたエトワル様に私は問う。
「兄はお仕事ですか?」
「いや、仕事じゃないよ。闘技場の外で、ルーカスを呼んでほしいと頼まれたんだ」
「そうでしたか」
どなたに? というのは、私が踏み込むべき部分じゃないだろう。仕事ではなく、プライベートな呼び出しならなおさらだ。ただ、そうして黙ってしまうとエトワル様との間に会話がなくなり気まずくなってしまう。どうしたらいいのかと困る私に、察したらしいエトワル様が話を続けてくれた。
「こんな男の声が響くところに、女性が一人で入るのは勇気がいることだ。――特に、あいつの気弱そうな婚約者ともなれば」
エトワル様は私にウインクをした。もしかしたら、兄はエトワル様に相談をしていたのかもしれない。
不意に真相を明かされ、兄に報われる機会が訪れて私はほっとした。
「ありがとうございます。兄に代わり、お礼を申し上げます」
「なんてことはないさ。俺はただ、伝言を持ってきただけだからね」
わあああっと、歓声があがり、試合に意識が向く。
打ち合う剣が、白熱した展開を見せている。速さはユドリムにあり、しかし力は体格差から騎士のほうにあるようだ。騎士の渾身の一振りを、ユドリムは剣で受けずに身を引いてかわした。剣が間に合わなかったのだろうか。そう思った、次の瞬間。――ユドリムの足が、相手の足を豪快に払った。
「えっ、今の……」
いいの? 私は思わず小さく声を出してしまっていた。あれは、反則じゃないのかしら?
相手は体勢を崩し、そのまま地面に膝をついた。
――その、一瞬。ユドリムの視線が、私に向いた気がした。
「……ところで」
エトワル様の声に、私はハッとする。
「ブランカ嬢をお誘いすると言ってから、ずいぶんと経ってしまったね。なんの連絡もせず、申し訳ない」
「あ、えぇ。建国祭が控えておりましたし、仕方ないかと」
誘われても兄がついてくるだろうし、社交辞令ならそれはそれで、とあまり深く考えていなかった。
エトワル様に顔を向けると、まっすぐに私を見つめていた。
「改めて、お誘いしても?」
口元は笑っているのに、瞳にどこか鋭さを感じる。まるで、逃がさないとでも言っているような視線だ。
その時、ガンッと剣が鈍く大きく鳴った。膝をついた騎士の抵抗で、振るわれた剣をユドリムが受け止めていた。
私の意識が再びユドリムに向いて、そこで、やっぱりユドリムと目が合った気がした。一瞬のことなのに、今度は見間違いではなかったとなぜか確信がある。
「建国祭が終わったら、私に時間をいただきたい」
エトワル様にお返事をしなければと思うけれど、意識がユドリムに向いてしまって、考えがまとまらない。
お誘いの話は以前にもしていたし、エトワル様は兄の同僚でもある。お礼も兼ねて、ということだったので、その時は是非と答えたんだっけ。兄の面子もあるし、今さら断るのは憚れるし……と、私は笑顔をつくった。
「はい、ぜひ」
ただ、人目のあるこんな場でお誘いしないでほしかった。ちらりと、王族の席にいる殿下を見る。殿下はまっすぐにユドリムを見ていた。
試合は、ユドリムが相手の喉元に剣を突きつけたところだった。
「勝者、ユドリム!」
審判が宣言し、ユドリムが顔を上げる。堂々と、私に向けて。
これまでの視線が気のせいじゃなかったことをユドリムから確信させられて、私の胸が大きく跳ねた。
「あの、エトワル様。兄が心配ですので、私も失礼しようと思います」
「あぁ、では俺も……」
「いえ! せっかくですので、エトワル様はぜひ観戦していってください」
私はエトワル様を留めて、そそくさと席を立った。
歓声は長く続いている。ユドリムが勝利したことで、武闘会の熱気はどんどん上がっていく。
私は一度振り返り、闘技場の中央を見つめた。退場していくユドリムの背中。さすがに、席を立った私のことまでは目で追ってこない。
「はぁ……」
体から、一気に力が抜ける。気づかぬうちに緊張していたらしい。
「なんなのよ、あの目は……」
エトワル様よりもあからさまな、鋭い目つき。牽制するようなそれは、私を咎めていたのだろうか。隣に兄じゃない殿方がいたこと、お誘いを受けたこと。武闘会は殿下も観戦しているのだからと、睨めつけていたのかもしれない。その鋭さが少し、怖かった。
「……でも、あの男に私が咎められる筋合いなんてないわよね」
自分は、人には誇れない趣味を持っているくせに。
私は強がって内心で肩をすくめた。そうよ、あんな変態にとやかく言われる筋合いなんてない。
怖く感じたことも癪で、私は無理やり前を向いた。
「広間にいけば、ひとりくらいは知り合いがいるわよね。お酒でも飲みたい気分だわ」
兄とエミリア様を口実に出てきたけれど、そこに入り込む無粋さは持ち合わせていない。
殿下との交流が始まってからはおろそかになりつつあった、貴族間の交流でも図ろうかしら。関係性の質問が面倒で避けてきたけど、今はその面倒ごとで気を紛らわせるのもいいかもしれない。
広間に向けて歩き始めると、ひときわ高く澄んだ鈴の音が、空に響いた。




