7.目撃者は、私
王都では連日、雨が降りしきっている。
温室カフェへのおでかけを最後に、先に控えた建国祭の準備で殿下は忙しくなり、しばらくお誘いがなかった。それでも合間をぬって手紙をしたためてくれるので、母の言うとおりまめなお方である。
「ちょっと手伝ってくれ」
殿下へのお返事を考えている私の元に、兄が戻ってきた。兄の腕には持てるだけの本が積み重ねられていて、私は崩れ落ちそうな本を数冊受け取った。兄が机にどさりと本を置くと、古い本らしい埃の匂いが香った。
「図書館に行かないか?」と兄に誘われたのは、今朝のことだった。今日の私は特に予定もなく、あったとしてもこの雨では潰れていただろう。連日の雨は外に出るにも憂鬱だが、外に出られないことも気分を塞ぐ。ちょっとした気晴らしのつもりで、そして殿下へのお返事の種になるかもと、兄の誘いに乗った。
「まだ探せてない本があるんだ。ブランカ、探してきてくれ」
が、兄は私に仕事の資料探しを手伝わせたかったらしく、メモを渡された。
「お兄様、私は手紙を書きたいのですが……」
「どうせ書くことが思い浮かばず、ずっとペンを握っているだけなのだろう。時間は有意義に使ったほうがいいぞ」
痛いところを、突いてくる……。
殿下は会えないぶんまめに手紙をくれるが、話題の尽きない殿下に対し、私はすぐに話題が尽きてしまう。対面での雑談なら尽きないのに、手紙だと日記のようになってしまって、殿下にしたためる手紙がそんな内容でいいのかしらと毎度頭を抱えているのだ。
とはいえ。
「人のために使う時間ならともかく、人に使われる時間は有意義とはいえません」
兄は気晴らしに私を図書館に誘ってくれたのではなく、私を使うつもりで誘ったのだから。ただ使われるのは、癪である。
「それは考え方次第だ。兄に時間を使われるのではなく、兄のために時間を使うと考えればいい」
「屁理屈がすぎます」
「目の前にいない殿下より、目の前で頼み事をしている兄に時間を使ったほうが、有意義だと思わないか?」
「お兄様、めんどくさいです」
口の達者さで母に勝つことはないが、よく口が回るのは母からの遺伝に違いない。兄はそこに父の理屈っぽさも入っているので、いくら言い返しても埒が明かない。結局、言い返したはいいけれど相手をするのが面倒になった私がいつも諦めることになる。
「ここに書かれた本を探せばいいんですね。行ってまいります」
ため息混じりな私に、兄は満足そうに手を振った。
図書館の奥は、昼間だというのに薄暗い。高い天井まで届く書架が並び、外の雨音が石造りの壁を伝ってくぐもった響きに変わっている。利用者はそこそこにいるのに、あまりに静かで、私は足音を立てぬよう歩きながら本を探していた。
――そのとき。書架の向こうで、かすかに話し声が聞こえた。
そちらを見ると、見覚えのある黒髪とゴールドのリングピアスが目に入った。
「ユドリム……?」
とっさに口に出してしまい、私は慌てて書架に身を隠した。隠れる必要なんてなかったのかもしれないけれど、なんだかこの状況で顔を合わせるのは気まずかった。一瞬止まった話し声はすぐに再開され、気づかれなかったことに安堵した私はそっとそちらを覗いた。
いつもの騎士服じゃなく、シンプルで飾り気のない私服。でも、顔がいいせいかそれでも十分に存在感がある。ユドリムの隣には私よりも背の小さな女の子がいた。ユドリムが手に持った本を広げ、世話を焼くように女の子に本を見せてあげる様子は、なんというか。
「マーシャル様だけでなく、他の女の子にもちょっかいを出しているの?」
女の子の年頃は、マーシャル様と同じくらいに見える。そして、身なりはそこそこにいいような。華美というほどではないが、私服のユドリムに比べるとワンピースは上質な布で仕立てられているように見えた。
「……貴族には興味ないんだと思っていたけれど」
私に対する反応が、そうだったから。
ユドリムは女の子が選んだ本を取り、本を開いて見せてあげる。手招きした女の子に高さを合わせてユドリムが屈むと、女の子が耳打ちをした。顔を見合わせて、くすくすと笑い出した女の子に、ユドリムは表情を和らげて頭を小突いた。ユドリムらしからぬ女の子への対応に、私の胸の中のもやもやが強くなっていく。
「……ううん、私には関係ないわ」
もやもやするのは、きっと、マーシャル様のことがあるからよ。あれだけユドリムを気に入っているのに、他の女の子にちょっかいをかけているから。幼いとはいえ、女の子の恋心をもてあそんでいるからもやもやするんだわ。その上、私は口出しできない立場だし。そう、きっとそれに違いない。
「殿下への手紙に書いてやろうかしら」
ふとそんなことが頭をよぎり、けれどすぐに私は考えを改めた。どんなに最低な男でも、殿下から離れている今は休暇中なのだろう。私的な時間に何をしようが勝手だし、プライベートに口出しするほど私はあの男に興味がない。インクと紙の無駄でもある。
――よし、これは見なかったことにしよう。そう自分に言い聞かせて、そっとその場を離れた。
それから少しして、兄に持たされたメモにある本をようやく見つけることができた。背伸びをすればぎりぎり手の届く高さにあり、踏み台が見当たらなかったので私は目いっぱい手を伸ばした。
「詰めこみすぎよ……!」
しかし、なぜかそこだけ本がぎゅうぎゅうに詰められており、目当ての本がなかなか抜けてくれない。背表紙に指を引っかけて、つらい体勢で少しずつ本を引き出す。すると、きつさが緩んだのか、抜こうとしていた隣の本まで一緒に抜け出てきてしまった。
「あっ」
本が落ちてくる……!
衝撃に身構えて目をつぶると、ふわりと覆われる気配を感じた。
「……っと、危ない」
身を固めていた私は、声の主を見上げた。
「大丈夫?」
……誰、だろう。抜け落ちそうになった本を押さえてくれた男性は、見覚えのない方だった。男性は本を押し戻すと、すぐに私から離れた。
「ブランカ、本は見つかったか?」
そこに、兄がやってきた。
「エトワルじゃないか」
「おお、ルーカス」
兄は私とエトワルと呼んだ男性を見比べて、眉根を寄せた。
「……まさか、私の妹を口説いているんじゃないだろうな」
「お兄様、違います!」
私は本が落ちてきそうになったこと、そこに偶然エトワル様が居合わせ助けてくれたことを伝えた。兄は書架を見上げ、あぁと合点がいったようだった。
「すまん、エトワル。助かったよ」
「気にしないでくれ。と言いたいところだが、あの高さにある本を女性にとりに行かせるのは感心しないな」
「そ、そんなところにあると思わないじゃないか……」
どもる兄に、エトワル様が笑う。エトワル様は私に向くと、柔らかな口調になった。
「君の話はよく聞いているよ。ルーカスの同僚の、エトワルだ」
「ブランカと申します。あの、先ほどは助けていただきありがとうございました」
「どういたしまして。君に怪我がなくてよかった」
エトワル様は、まじまじと私を見つめた。
「それにしても、ブランカ嬢がこんなにお綺麗だとは思わなかったよ」
「お世辞でも嬉しいですわ」
「お世辞なんかじゃないさ。さすが、ルーカスが自慢しているだけある」
お兄様!? なんの自慢を!?
私が兄を見やると、兄は鼻高々に「そうだろうとも」とふんぞり返っていた。
「ブランカ嬢。今度、お茶に誘ってもいいだろうか。助けたお礼……と言っては、ずるいかもしれないが」
「お茶ですか」
「その誘い文句は本当にずるいな」
兄が口を挟み、エトワル様が「ずるさも賢さのうちだ」と間髪入れずに返す。その瞬発力から、なるほど、兄と仲がいいわけだと思った。
「ブランカ嬢とはぜひ、話がしてみたい。心配なら、ルーカスを同席させても構わないので」
「私が同席するのは当たり前だ」
「お前は少し妹離れをしたほうがよさそうだがな」
「ふん」
再度「どうだろう?」と問われ、殿下のことが頭をよぎったが、私は頷いた。「妹離れしたほうがいい」と兄に面と向かって言ってくれる方は貴重で、私のエトワル様に対する信用度は一気に上がった。
「もちろんです。その際には、今日のお礼をさせてください」
殿下と懇意にしている以上、外聞は気にするべきかもしれない。けれど、殿下についてまわる外聞に関して、そこに一番敏感であろう兄が何も言ってこない。エトワル様に対する懸念や心配はないということだろう。……同席が当たり前だと言っているし。
「改めて、後日お誘いさせていただくよ。今日はブランカ嬢に会えてよかった」
爽やかな微笑みを残し、「では」とエトワル様は去っていった。




