6.末姫は騎士がお気に入り
温室の植物園の中で、爽やかな緑を感じる。
殿下に手紙で誘われていた、植物園が併設されたカフェにやってきた。植物園に併設といっても、いざ入店してみると温室の中にウッドデッキやテラスが置かれ、そこが飲食スペースになっている。
席に案内され、私が真新しさに店内を見回していると、殿下が申し訳なさそうに口を開いた。
「すまない、ブランカ。今日は妹がどうしてもとついてきてしまって……」
殿下の隣に、お行儀よく座るのは末姫のマーシャル様。私と殿下の八つ年下で、笑顔がお花のように可愛らしい国唯一の姫君だ。
マーシャル様の薄桃色の頬が、緊張気味に私に向いた。
「突然お邪魔してごめんなさい、ブランカ様。マーシャル・オルフェリウスです」
「ブランカ・シュトラールです。マーシャル様とこうしてお話しできる機会をいただけて、光栄ですわ」
マーシャル様が緊張していることが微笑ましくて、つい口元が緩んでしまう。私にもこんな時期があったわと、意図せず微笑んでしまった私に、マーシャル様も笑顔を向けてくれた。
「お兄様ったら、ずるいんです。お兄様ばっかりブランカ様とお会いしてるんですもの」
「よくお誘いいただいております」
「私だって、ブランカ様とお話したかったんです」
「まぁ、それは嬉しいですわ」
マーシャル様の訴えに、殿下が「もう、わかったから」となだめに入る。
マーシャル様をなだめる殿下には、妹のわがままに困りながらも希望を叶えてあげたい「優しい兄」らしさが垣間見えた。その穏やかさがまぶしくて、二人を眺める私はなぜだか遠くを見つめてしまいそうになった。
今日のことが私の兄に知れたら、兄はきっと「デートに妹を連れてくるやつはどうなんだ?」と言うだろう。揚げ足取りの狭量が私に向いている愛情だというのなら、殿下の「優しい兄」っぷりを私が羨ましく思ってもおかしなことではない。……そもそも、デートじゃないけれど。
「ブランカ、どうした?」
「いえ、なんでもありません」
頭の中の兄を手で払っていると、殿下に心配されてしまった。
注文したティーセットが運ばれ、テーブルの真ん中には真っ白な花が一輪挿された花瓶が置かれた。お花を飾ってくれるのね、とお店の計らいに感心していると、店員が花についての説明を始めようとした。けれど、殿下は「説明は必要ない」とその説明を断ってしまった。
「……?」
店員も仕事とはいえ、殿下が人の厚意を断るなんてめずらしい。不思議に思いながらも、マーシャル様に話しかけられ、しばらく談笑しながら飲食を楽しんだ。
「ほら、マーシャル。せっかく来たんだ、そろそろ温室の中を見ておいで」
マーシャル様がケーキを食べ終えたタイミングで、殿下がマーシャル様に声をかけた。マーシャル様は殿下の提案にムッとしたようだが、花瓶の花を見て、わざとらしく大きく息を吐いた。
「わかったわ。少しの間だけ、二人きりにさせてあげます」
「マ、マーシャル……! そういうわけではない、このカフェに来たいと言っていたじゃないか」
「はいはい、お兄様。でも、少しだけですよ」
マーシャル様は殿下をあしらい、私にはパッと花開いた笑顔を向けた。
「ブランカ様、あとでまたお話しましょうね!」
「えぇ、もちろんです」
すっかり気持ちを切り替えたマーシャル様は席を立ち、スカートを直してどこを見ようかと瞳を輝かせた。そして、自分の騎士を連れて、殿下の後ろに回り込んで……。
「ユドリム、エスコートして?」
ユドリムを見上げて微笑んだ。……無礼の権化である、ユドリムに!?
ぎょっとする私を尻目に、ユドリムは涼やかな笑顔を向けて「かしこまりました」と紳士に手を差し出した。マーシャル様はそんなユドリムの腕をとり、腕を組んで弾むような足取りでお目当ての場所に向かった。
「……殿下、マーシャル様のエスコートがあんな輩で大丈夫なんでしょうか?」
もはや、エスコートではなく引っ張られてるけど。熱を冷ますために顔を扇いでいた殿下は、私と同じくマーシャル様とユドリムに目を向けた。
「マーシャルは、ユドリムがお気に入りなんだ」
「お気に入り……? 教育上、近づけないほうがよろしいのでは……?」
「あれでユドリムもマーシャルを可愛がっているから、変なことは教えないだろう。それより」
殿下に手を差し出された。私たちも見て回るのかしら? と手を添えると、殿下はそこに花瓶から抜いた花を添えた。熱の残る頬で穏やかに微笑んだ殿下は、花とともに私の手を両手で包み込んだ。
「……?」
今日の殿下は不思議だわ。
殿下の誘いはいつも自然で、エスコートも息が合うと錯覚するほどにさりげない。だから差し出された手をエスコートのものだと思ったんだけれど、どうやら違ったらしい。殿下は席を立たずに私の手を包み、まっすぐに私を見つめる。繋がったそこからじわじわと緊張が伝わってきて、私まで熱くなってくる。
――深い碧の瞳から、逃れたくなってしまう。
「お兄様、もういいかしら?」
そんな私たちの間に、マーシャル様が戻ってきた。
「早いよ、マーシャル……」
「少しだけと言いましたもの」
殿下は項垂れたが、マーシャル様はいたずらに笑った。
「ブランカ様も、一緒に温室を見てまわりませんか?」
「えぇ、もちろんです。でも……」
ちらりと、私は握られたままの手に目線を向けた。ブランカ様は、すぐにそれに気がついた。
「お兄様、ブランカ様が困っていますわ。手を離してあげて?」
「あっ、すまない……!」
手を繋いでいることをマーシャル様に指摘され、項垂れていた殿下は耳まで真っ赤になってしまった。手を取り合うことは、エスコートだと当たり前だけれど、これはエスコートではない。まるで恋人のような手繋ぎを無垢なマーシャル様に指摘されて、それがかえって殿下の羞恥心を爆発させたようだった。そんな殿下の心中を察してしまい、私も頬が熱くなっていく。私はその恥ずかしさを誤魔化すように咳払いして、殿下からそっと自分の手を離した。
「あの、殿下。マーシャル様といってまいりますね」
「あ、あぁ……」
マーシャル様に案内されるまま席を離れ、私は置いてきてしまった殿下をふと振り返った。殿下は、手に残った花を見つめていた。白だったはずの花弁は、いつの間にか赤みを帯びたオレンジ色に染まっている。殿下の表情は、言葉にできない感情を抱え込んだように複雑だった。
あのお花、色が変わった……?
困惑する私に、隣を歩くマーシャル様が歩調を落とし、小さな声で問いかけた。
「ねぇ、ブランカ様。ユドリムをどうお思い?」
「ユドリム、ですか?」
あまりに唐突で、しかもユドリムだったものだから、私は思わず足を止めてしまう。
「私、お気に入りなの。貴族にはない、危険な魅力を感じません?」
き、危険な魅力?
八つ年下のマーシャル様の口から出るには、あまりにも大人びた言葉に私は面食らう。
「ユドリムはね、騎士募集で一般枠から勝ち残ったんですよ。とっても強くて、かっこよくて、素敵だったわ!」
「……強いことは、確かですね」
「私もユドリムが欲しかったけれど、お兄様の騎士選出だったから駄目だと言われてしまったの」
……恋を、しているのかしら。あの男に? 私の前では隠しもせずあくびをするような男なのに。
まさか、と思いつつもマーシャル様の前では紳士然としているユドリムなので、否定しきれないのがもどかしい。私への態度とは打って変わって、本当にかっこいい騎士様を振る舞っているものだから、腹立たしくもある。
そのとき、向こうから歩いてきたユドリムと目が合った。ユドリムは「なんだよ」と言いたげに目を細める。ただ目が合っただけなのに、そんな反応をされ、私も「なんなのよ」と含めて睨み返した。
ばちばちと無言の火花が散る中で、マーシャル様が「あー!」と大声を上げた。
「ユドリム、どうしてそのお花を持っているの!?」
ユドリムの手には、あの白い花が一輪あった。
「店員がくれました」
「いいなぁ、羨ましいわ」
心底残念そうに肩を落とすマーシャル様。「私も欲しかった」と言っても花を譲ろうとしないユドリムに、なぜ譲らないのだろうと違和感を覚える。
「あなたが持っていても仕方ありませんし、マーシャル様に差し上げたら?」
紳士を装っているんでしょうと、軽い気持ちで私は口を出した。
「えっ」
「いや」
なのに、二人同時に否定され、私のほうが驚く。私、何かおかしなことを言った……?
気まずくなった空気を払うように、マーシャル様が「そうだわ!」と、ぱちんっと手を叩いた。
「ねぇ、ユドリム。お兄様とブランカ様は、オレンジ色だったのよ!」
その瞬間、ユドリムは「えっ」とわざとらしく口元を押さえ、肩を震わせた。
「あのお花、色が変わりましたよね? マーシャル様は理由をご存知なのですか?」
「えぇ。ユドリムの持つ花は、触れた者の想いを汲んで色を変える特別な花なんです。ブランカ様は、ご存知ありませんでしたか?」
「……知りませんでした」
殿下が花の説明を断った理由が、ようやく理解できた。きっと、私たちの関係性を知りたかったのだろう。
……でも、ちょっと待って。お花を見た殿下の、あの反応。オレンジって、どういう意味なのかしら?
さっと青ざめる私を見て、ユドリムがくつくつと笑い出した。あれは、色の意味を絶対に知っている顔だ。私は悔しくなり、マーシャル様の視界に入らぬよう、そっとユドリムの足を蹴ろうとした。
「……お前な」
けれどあっさりと避けられてしまい、その反動で私は体勢を崩した。倒れる寸前にユドリムに肩を掴まれ、引き寄せられる。その拍子に、私の指先がユドリムの持つ花に触れた。
次の瞬間。
「――青?」
私とユドリムは、同時に顔を見合わせる。
白だった花が、すっと色を変えたから。冷たい湖のような、澄んだ青へ。
「まぁ……」
マーシャル様が、いたわるように言った。
「ブランカ様とユドリム、仲が悪かったの?」
そこへ殿下も歩み寄ってきた。私たちの距離を見て、一瞬だけ険しい顔をする。だが、私たちの触れる青い花を認めて。
「……僕は、オレンジでよかったと思おう」
ぽつりと、静かにつぶやいた。
後に、マーシャル様が花の色の意味を教えてくれた。
オレンジは、友好。そして青は、犬猿の色なのだと。




