29.甘い口づけ
真っ暗な空の下、吊るされたランタンがきらきらと町なかを照らし出す。
広場には楽団の演奏が流れ、手を取り合った男女や家族、友達どうしの女の子たちが仲睦まじく自由に踊っている。
リゼル様と別れた私は、そんな楽しげなダンスを眺めながらいまだにやってこないユドリムを待っていた。
フードをかぶっていないせいか、ちらちらと私を見る目がいくつもある。こんな場なのだから、一人でいれば目立つのは当然のことだ。それでもフードをかぶってしまえばユドリムに見つけてもらえないかもしれないと思って、かぶらずにいた。
そんな私に、花を持った一人の男性が近づいてきた。
「あの……」
「こいつの相手は、俺だから」
私が断る前に、聞き馴染んだ声が男性を断る。
息を切らせたユドリムが、私と男性の間に思い切り割り込んできた。悔しがる男性をシッシッと追い払うユドリムに、私は安堵しながらも悪態をつく。
「遅いわ。来ないかと思ったじゃない」
ユドリムは無言のまま、私に向いた。
「? なに?」
すると、ユドリムは私の髪に挿された花を次々に抜いて地面に落とした。というより、捨てた。
「ちょっと、ユドリム!」
私が止めても聞かず、ユドリムはすべての花を抜き取ってしまった。そして、なんの飾りもなくなった私の髪に新しく一本の花を挿しこんだ。私がユドリムに渡したものよりも淡い青色の、花びらが丸い可愛らしい花だった。
ユドリムは、私に合わせた作法で手を差し出す。
「遅くなってごめん。俺と、踊ってくれる?」
「……他の女性にもらったお花は?」
「捨てた」
ばっさり切り捨てたユドリムに、私はくすりと笑う。
「じゃあ、喜んで」
ユドリムの手を取ると、広場の中心へとエスコートされた。
楽団の音楽は、演奏する楽器がそもそも違うので音色に陽気さが混じるが、リズムのとりかたはダンス用のものだった。これなら踊れるわ、と曲の途中からステップを踏み始めると、予想外にもユドリムがリードしてくれる。殿下の騎士をしているから踊ることなど少ないだろうに、あまりに意外すぎて私は驚きを隠せなかった。
「あなた、ダンスできたのね……」
「殿下に叩き込まれた」
なるほど。言われてみれば、なんとなく殿下のリードに似ている気がする。……荒削りだけど。
「おい、殿下と比べんなよ。歴が違うからな」
「同じだけレッスンしても、そこは殿下には敵わないと思うわ」
考えを読まれて、私はくすくすと笑った。
「でも、上手よ」
「そうかよ」
ユドリムは、気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
まさかユドリムと、こうしてダンスをする日がくるなんて思ってもみなかった。演奏は町の楽団だから陽気さがあるし、ダンスホールの華やかさがなければ、灯りはランタンのみで煌びやかさもない。私の衣装も、普段着のワンピース。ユドリムは警備兵の制服のまま。
それでも、手を取って体を寄せ合って、ユドリムがリードしてくれる。この時間が、何よりも幸せだった。
ダンスはあっという間に終わりに差し掛かる。
こんな広場で、陽気な音色をバックに貴族のダンスをするのは私たちくらいだ。女の子たちからは羨望の眼差しが送られてくるし、男性からはユドリムに対して僻みの眼差しが集まっている。
周囲はいつしか、私たちのダンスに注目していた。
「俺、刺されるかも」
「あなたなら、みんな返り討ちにできるでしょ?」
私の言葉に、ユドリムはフッと笑った。
「余裕」
楽団の演奏が終わり、余韻の音色が夜空に溶ける。
終わりの礼をとった私は、やけに近いユドリムの距離に不思議に顔を上げた。それと同時に、ギラギラとした周囲からの気配を察する。みんな、ユドリムの相手である私がどこの誰か知りたいという様子だった。
「おい、ユドリム! その子は誰だよ!」
「いつもは誰とも踊らないくせに!」
「俺の女の花を返せよ!」
嫉妬と羨望の言葉をぶつけられる中で、ユドリムはめんどくせぇなぁと舌打ちした。
「俺の女だよ」
そう宣言すると、「逃げるぞ」と小声で私に耳打ちをして、私をひょいと抱え上げて走り出した。
追ってくる男たちを撒き、行き着いたのは子供たちと花探しをした花畑だった。
私を下ろしたユドリムは、気まずそうに私から目をそらす。
「ごめん」
「何に対しての、ごめん?」
私が問うと、ユドリムは両手で顔を覆って項垂れた。
「俺の女だって、あんな大勢の前で……あー、やっちまった……」
普段は見せない、ユドリムの珍しい姿。後悔の理由がユドリムにとって、わりとやらかしらしいことに気がついた私は、次第におかしくなって笑ってしまった。
「あなたって、意外と嫉妬深いのね」
なんだかんだと、私に寄ってくる男性をみんな追い払ってしまうのだから。くすくすと笑う私を、ユドリムは口を尖らせて睨め付ける。
「本当の俺はこんなだぞ。やっぱり、やめたほうがいいんじゃねぇの」
「なによ、それ。覚悟決めてきたんじゃないの?」
「そんなもん簡単に決まらねぇよ。茨の道じゃねぇか」
「じゃあ、どうして来てくれたの?」
ユドリムは不機嫌そうな表情のまま、私の髪の花に触れた。
「ただ、お前のそばにいたかったから」
その答えで、私は胸がいっぱいになった。
「十分だわ」
ユドリムが持ってきてくれた、可愛らしい青色の花。どれほど必死に探してくれたんだろう。子供たちとたくさん花を見たけれど、他に青い花なんて咲いていなかったのに。
髪に挿した花から、ユドリムの視線が私に落ちる。
「なぁ、本当に俺でいいの?」
「あなたじゃないと嫌だからここまで来たのよ」
「……ん」
これでもまだ、ユドリムは決意しきれないのだろうか。少しのあいだ目を伏せていたかと思うと、もう一度上がった時には強く私を見つめた。
「わかった」
ユドリムの指が私の落ちた髪を耳にかけてくれて、そのまま頬に手が添えられる。
「覚悟、決まった?」
「お前を手に入れる覚悟だけは決まった」
「なに、それ」
ふふっと笑って、ユドリムの手に私も手を添える。
「ねぇ、ちゃんと言葉がほしいわ」
「そんなの、お前だって俺に言ってなくね?」
そう言いながら、ユドリムは私の瞳を覗き込んだ。
「お前が好きだよ」
「私も、ユドリムが好きよ」
「俺と一緒に茨の道を歩いてくれる?」
「その茨は全部私が刈り取るわ、任せて」
ユドリムがおかしそうに、目を細めた。
「貴族相手だとたくましいんだよなぁ」
「せっかく持ってる権力だもの。大事な時に使わないとね」
こつんと、額がくっついた。ユドリムの瞳が間近にある。
「……名前で呼んでいいの?」
「今呼ばないで、いつ私の名前を呼んでくれるの?」
ユドリムのもう片方の手も、私の熱を持った頬を包み込む。
「ブランカ」
低く落としたユドリムの声。すごく嬉しくて、恥ずかしくて、幸せな気分。私も、ユドリムの頬に手を伸ばす。
「ユドリム……」
見つめあって近づいた距離は、自然と重なり合う。ユドリムの香水の香りと、甘い唇の感触。それから、どちらのものかわからない熱。
ゆっくり唇が離れると、ユドリムにふわりと抱きしめられた。耳元で、ユドリムが深く息を吐く。
「頑張らねぇとなぁ。シュトラール宰相はともかく、お前の兄の攻略を……」
そんな懸念をつぶやかれて、私は笑いながらユドリムの背中に腕を回した。
「お兄様のことは平常運転だから大丈夫よ。どうせ、相手が誰だろうと難癖をつけるし」
それに、と続ける。
「ここに来る前に、足を蹴ってきたから」
私に殿下からの手紙を渡さず、私の決心を止める兄は、ただ単に私を庇護下に置きたい一心だった。出立の時も邪魔をされ、それに腹が立った私は兄の脛を思い切り蹴り「大っ嫌い!」と言い放ってきた。兄のショックを受けた顔にはこちらも罪悪感を覚えたけれど、私は間違ったことなんかしていない。父も、「ルーカス。ブランカが決めることだ」と後押ししてくれた。兄は「はい、父上!」と元気に返事をしてちょっと泣いていたけれど、私は悪くない。
「かわいそーなお兄様……」
同情するように見せたユドリムだが、そこに心はこもっていない。ユドリムにとって、一番の懸念は私の兄ではないのだから。
ユドリムは私から体を離すと、たった今気持ちが結ばれたとは思えないほどに硬い面持ちでいた。
「あのさ。一つ、頼んでいいか? 俺は、殿下の騎士を辞めた平民だから……」
詰まるユドリムの言葉を、私は静かに待つ。
「殿下に会う、伝手がほしい。シュトラール公爵家のお前に、殿下と謁見する場を繋いでほしい」
「もちろんよ」
ユドリムの両手を包み込むと、ユドリムは少し緊張を解いて微笑んだ。
「殿下に、ちゃんと伝えるよ」
「そうね。それがいいわ」
そしてまた、こつんと額がくっつく。
「殿下の騎士に戻るの?」
「殿下が許してくれるなら」
「諦めないって、手紙に書いてたじゃない」
「殿下の熱量次第では俺が遠慮したい……」
「何よ、それ」
おかしくて笑ってしまう。本当に、ユドリムと殿下は仲がいいのだ。
「大丈夫よ。絶対に、悪いことにはならないわ」
「そうだな」
ユドリムに抱きつくと、それが当たり前のように腕を回してくれる。隙間がないほどに体を引き寄せられて、ユドリムの香りに包まれて。
夢見ていたぬくもりに、私は幸せいっぱいに目を閉じた。
夜の20時すぎにもう一話更新します。
全30話、完結になります( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )




