27.その花は受け取れない
花祭りは人が増えるにつれ、町が彩られていく。
建物を伝って掛けられたひもには、等間隔にランタンが吊るされていた。夜になったら火が灯されるのだろう。
町中を流れる水路脇のベンチに座った私とリゼル様は、露天で購入した野菜スープを食べて休憩していた。
「この味、食べたことがある気がするわ」
「町で評判のお店のものですよ。ユドリムが買ってきましたか?」
このスープの露店は、人だかりができるほどに人気があった。貴族の食事に慣れたであろうリゼル様がわざわざその露店を選んだくらいなので、もしかするとユドリムも気を使ってくれたのかもしれない。そう思うと、あの時はわからなかった細やかな気遣いに、胸がきゅーっと締めつけられた。
「ブランカ様、どうかしましたか?」
「ううん……」
元あった川を舗装したらしい水路には、いくつもベンチが置かれている。お祭りのために用意されたものではなく、ここは普段から町人、そして恋人たちの憩いの場なのだろう。目をやれば、幸せそうに寄り添う男女がいた。
「渡すタイミング、なくしちゃったなと思って」
女性からの花は断っていると言っていたから、私の花も受け取ってもらえる保証もないけれど。それにしたって、さっきは大人気ない振る舞いをしてしまったわと、ふと冷静になったのだ。
「やっぱり、ユドリムに渡すんですか?」
リゼル様に問われ、子供たちが髪に挿してくれた青い花に触れる。私が頷くと、リゼル様がおずおずと質問を重ねた。
「あの……ブランカ様は、ユドリムを連れ戻しにここに来てくれたんですか?」
「そうよ。難航してるけどね」
「それは、ユドリムのことが好きだからですか……?」
言葉尻が小さくなっていくリゼル様に、私は微笑んだ。
「情けないわね。他の人の花を見て、やきもちを焼いてしまったの」
リゼル様が、はわわわ……! と頬を染めた。マーシャル様もそうだったけれど、この年頃は恋に夢をみるのだ。リゼル様は両手で自分の頬を押さえて、とても嬉しそうに口をむずむずとさせている。
「ダンスは夜ですから、お花を渡す時間はまだあります!」
「私のお花、受け取ってくれると思う?」
「絶対に受け取ります! だってユドリム、さっきブランカ様のお花を見てすごい顔してたもん」
確かに、ものすごく眉間に皺を寄せていた。フードをかぶる約束を私が破ったから怒ったのかと思っていたけど、リゼル様の言いようからそれは違うようだ。もしかしてユドリムも、私がもらったお花に……?
つい緩みそうになった口元を私はなんとか引き結ぶと、リゼル様が「でも」と唐突に真顔になった。
「他の花を捨てるまで、ユドリムには渡さなくていいです。ブランカ様のお花だけじゃないなんて、私が許しません」
リゼル様の言い分に、私は吹き出してしまった。
お腹が満たされて、ほどよい賑わいと昼下がりの心地よさが眠気を誘う。リゼル様とのんびりとした時間を過ごしていると、私たちの目の前で足を止めた男がいた。
「おっ、見つけた」
「え? げっ……」
見上げたリゼル様が「ダンヒルだぁ……」曇った表情でつぶやいた。ダンヒルと呼ばれた男は酒瓶を持っていて、一目見てわかるほどに酒に酔っていた。
リゼル様はひそひそと「ユドリムに一方的に敵対心を持ってる男です」と教えてくれ、私も「ユドリムったら、どこでも嫌われてるのね」と同じくひそひそ返す。「面倒だから逃げましょう」を合図に立ち上がった私たちだったが、ダンヒルにあっさりと行く手を阻まれてしまった。
「ここらじゃ見ない顔だよな。どっから来たんだ?」
「ちょっと、ダンヒル。ブランカ様に近づかないでよ!」
私に顔を近づけてきたダンヒルに対して、リゼル様が前に立つ。
「なんだよ成り上がりのチビ令嬢。お前に用はねぇよ」
「私たちもあんたに用はないのよ!」
しかし、リゼル様とダンヒルでは体格差がある。私よりも背の高い男なので、リゼル様はダンヒルに簡単に押し退けられてしまった。
「あんたさっき、ユドリムと一緒にいた女だろ。おもしれぇなぁ。あいつが慌ててるとこ、はじめて見たぜ。なぁ、あいつのこと振ったのか?」
……振ったって、なに? いきなり話しかけてきたと思ったら一方的に捲し立てて、下世話じゃない? もやついた私のかわりに、リゼル様が食らいつく。
「あれは、ユドリムが他の花をもらってたのが悪いのよ!」
あっ……リゼル様、それは言わなくてよかったかもしれないわ……。
「あー、それで! あいつ、女には軽いからなぁ」
案の定、ダンヒルがクックッと笑った。
「だったら、俺の相手してくれよ。俺はあいつと違って一途だぜ?」
「嘘つくのやめなよ、ダンヒル。モテないだけじゃん。あんたじゃ、ブランカ様に相手なんてしてもらえないよ」
すかさず落としたリゼル様の爆弾に、ダンヒルのまなじりが吊り上がった。
「相変わらず生意気なチビが、うるせぇな!」
「リゼル様!」
ダンヒルに肩を押され、リゼル様は突き飛ばされてしまった。その隙に、ダンヒルは私の腕を掴む。
ものすごい力で引っ張られ、足がもつれてつまずきかけた拍子に、青い花が髪から落ちてしまった。さっき触れていたから、抜けかけていたのかもしれない。
「お花が……!」
青い花は風に流され、ふわりと水路に浮いた。
「おい、抵抗すんなって。楽しもうぜ」
「離しなさい。私には、決めた人がいるの!」
水路の流れは緩やかだが、花は流されていく。私はダンヒルに抵抗しながら必死に花に手を伸ばした。その時だった。
「——ったく。騒ぎ起こしてんじゃねぇよ、酔っ払いが」
ため息混じりな声とともに、ゴンッと鈍い音が背後から聞こえた。途端に、ダンヒルの力が緩む。いきなり解放された私の体は水路に投げ出されそうになったが、悲鳴をあげる間もなく引き戻された。
「お前も、だからフードかぶってろって言ったんだ」
「ユ、ユドリム……」
そこに、ユドリムと同じ花祭りの警備兵が息を切らせて走り寄ってくる。
「ユドリム、早いって。なんで急に走り出したんだよ」
「こいつ連れてって。明日まで拘束しといて」
「ダンヒルかよ。飲み過ぎだな、こりゃ」
「あと、リゼルも。救護室に連れてってくれ」
ユドリムに呼ばれ、座り込んだままのリゼル様が私に駆け寄ってきた。守れなかったと泣きそうになるリゼル様だが、リゼル様こそダンヒルに突き飛ばされて手のひらを擦りむいてしまっていた。ユドリムに「早く手当てしてこい」となだめられたリゼル様は、警備兵と救護室に向かった。
しかし、私はほっと息をついてもいられない。その間にも、花はどんどん流されていくのだ。花びらに水が染み込んで、今にも沈んでしまいそうになっていた。
「あっ、待って……!」
走り出した私に、ユドリムが驚きながらもついてくる。
「おい、今度はなに……」
「お花が流れていっちゃう!」
私の目線の先に、ユドリムが花を見つけたらしい。私を置いて足早に駆けていくと、制服のままユドリムは水路に入った。腰ほどの水位の中を歩いて花を掬いあげると、ユドリムは私のところへ戻ってきた。
「ほら」
ユドリムの手から、水でへたってしまった花を受け取る。
「お前は、怪我は?」
「大丈夫……」
答えかけて、ふらっと足から力が抜ける。また水路に落ちそうになったところを、ユドリムに引き寄せられてそのまま横抱きにされた。
「きゃっ、ちょっと……! 歩けるわ、下ろして!」
「何回も水に落ちそうになってるやつが何言ってんだ。濡れんのは俺だけでいいんだよ」
私を支えるユドリムの手が濡れている。私の代わりに川に入ってくれたのだから、当たり前だ。居た堪れなくなって、私は抵抗するのをやめた。
「ごめんなさい。私のせいで、あなたが濡れてしまったわ」
「別に、着替えればいいから」
そっけなく返してきたユドリムは、一拍置いて声を落とした。
「俺も、ごめん。助けに来るのが遅くなった」
そんな謝罪をされて、私は胸に込み上げるものを感じた。ユドリムの前だと、どうしても弱くなってしまう。涙がこぼれてしまいそうになり、隠すようにしてユドリムに頭を預けた。
「私、あなたにお花を渡したかったの」
「……お前、その意味わかってないだろ」
「わかってるわ」
歩みを止めたユドリムは、私をベンチに座らせた。
「わかってんなら、俺に渡すなよ」
「私がなぜここまで来たのか、ユドリムはちゃんとわかっているでしょう?」
ユドリムは言葉を詰まらせ、私から目をそらした。
「……俺は、その花は受け取れない」
「どうして?」
「あのな、お前だってそこんとこわかってるだろ」
「わかってるわ。でも、ユドリムだって私のことが好きでしょう?」
ユドリムが私を見ないまま、一瞬固まった。
「……そう思うなら、なおさら俺に渡すなよ」
「嫌よ。私は、私のやりたいようにするんだから」
自信満々に言っているけれど、私だってこれは賭けだ。ユドリムが違うと言えば、私の立場はなくなってしまう。羞恥と断られることへの怖さで、ずっと手が震えている。
「私の気持ちは無視するのに、ユドリムは自分の気持ちをまったく隠そうとしないわよね。それは、どうしてなの?」
言い過ぎかもしれない。私の都合のいい勘違いも混ざっているかもしれない。
でも、今このタイミングを逃せば、ユドリムはいつまでも向き合ってくれない気がした。
ユドリムが何も言ってくれないまま、長い時間が経ったように思う。あたりは賑やかなのに、私たちの間には音が消えていた。
「……俺は、お前と王都に戻る気はない」
やっと口を開いたユドリムの否定は、私の言ったことに対してではなかった。それだけで、私の中の怖さが薄らぐ。ならばと、私はもっと踏み込む。
「なぜ、騎士を辞めたの?」
私は、ここに来た私の理由を伝えた。だから、ユドリムの核心にも触れる。
ユドリムは、鋭さとも取れる真剣な眼差しを私に向けた。
「——お前を、手に入れたくなるから」
少しの後ろめたさを含ませて。理性で獣を抑えた、ユドリムの瞳。
「だったら、手に入れてよ」
思わず飛び出してしまった私の言葉に、ユドリムは呆れたように笑った。
「簡単に言うな。俺は平民で、お前は貴族だ。望んで叶うことじゃない」
「叶うわよ。私が望んでいるんだもの」
「……だいたいお前は、殿下に何も思わねぇのかよ」
「私は決着をつけてきたわ。だから、私が誰を選ぼうと殿下には関係がないこと」
言い切ると、ユドリムは苦しそうに顔を歪めた。
——あぁ、エミリア様の言うとおりだわ。だから、騎士を辞めたのね。
ひねくれているようで実は優しい、あなたの理由。ユドリムはやっぱり、私と殿下のことを思って離れたんだ。
私たちと関わることで、誰よりも自分の生まれのことを気にしているから。殿下はきっと、ユドリムのこの気持ちをわかってあの手紙を書いたんだわ。
「ねぇ、ユドリム。殿下は本当にお優しい方よね。たくさん待たせた上に好意を断った私を、いまだに友人だと言ってくれるの。私を励まして、後押しまでしてくれた」
そして、ユドリムへの手紙を私に託した。私には想像もしきれない広い心で、殿下は私たちが向き合うことを願ってくれている。
「優しい殿下に甘えすぎるつもりはない。でも、だからといって突き放すと、それはかえって殿下を傷つけることになるわ」
誰よりも殿下のそばにいた、ユドリムだからこそ。殿下にとって、この別れは私以上に望まないものだっただろう。
「私たちは、私たちの答えを出していいのよ」
目を見張るユドリムに、私は今にも壊れてしまいそうなほどへたってしまった花を押しつける。
「もう逃げないで、ユドリム。夜に、広場で待ってるわ」




