25.あなたの家
「ブランカ様にそんなことをさせてしまって、すみません」
「いいえ、私が止められなかったせいですから……」
孤児院に戻ると、パルムが用意してくれたタオルで濡れてしまった女の子の髪を拭いた。
川に入って遊び始めた男の子たちを怒った女の子が、「うるせー」と反抗した男の子に水をかけられてしまったのだ。そこからは女子vs男子の構図となり、火花を散らしてのケンカに発展していった。止めに入った私の声など届くはずもなく、私以外の全員が水濡れ状態だ。
「ほら、自分で髪をお拭き。風邪をひいてしまうよ」
杖をつくパルムは、やんちゃ盛りの男の子に追いつくことができない。声をかけ、そこに正義感の強い女の子が「言うこと聞きなさーい!」と怒号を飛ばす。男の子が言い返して、またドタバタと走り回るケンカが始まった。
「まったくもう……。ブランカ様には、騒がしい所でしょう」
「とても賑やかで、楽しいです」
私が髪を拭いていた子が、ぴょこんと立ち上がった。「ブランカ様、ありがと!」とお礼を言って、走り回る輪に入っていく。いつしかみんな、楽しそうに笑顔できゃあきゃあと声を上げていた。
「ここでは、これが日常なんですよ」
パルムの子供たちに向ける目は、慈愛に満ちた母のようだった。優しくて、あたたかくて、時には厳しくもなるのだろう。そんなふうに育てられている子供たちだから、みんな素直でのびのびとしている。私もあっという間に受け入れられて、子供たちのそばが居心地良くなってしまった。
「さぁ、お茶にしましょうか。みんな、ブランカ様にお茶を淹れるよ」
「はーい」と返事をして、パルムを追い越して子供たちはキッチンへ走っていった。
おやつタイムを挟むと、騒がしかった子たちもようやく落ち着いた。自室に戻っていく子や、外に出て遊ぶ子。おしゃべりに花を咲かせる子に、うとうとし始めた子も。子供たちの私への関心が薄れたことで、私もようやく一息ついた。
「お疲れ様でした」
私に労いの言葉をかけてくれたパルムは、テーブルに裁縫道具を広げる。子供たちが壊した服や、善意で寄付してもらった古着を仕立て直すらしい。パルムの横には、これから直す服の小山ができあがっていた。
「お裁縫でしたら、私もたしなみます。お手伝いさせてください」
パルムは「では」と微笑んで、子どもの服を私に手渡した。
「どうしても、孤児院は足りないものが多いです。ここを出た子たちが稼いで入れてくれた金を補填に当てたり、農家の手伝いをするかわりに野菜を分けてもらったりと、周りの協力もあって日々を繋いでおります」
パルムはてきぱきと針を進めながら教えてくれた。
「それは、ユドリムもですか?」
「あの子が一番、ここにお金を入れてくれます。自分のために使いなさいと言っても、送ってきてしまうんです」
パルムは困りながらも、優しく母のように話す。
「……ある日、私は足に怪我を負ってしまって。年齢的に、いつ体のどこにガタがきてもおかしくはなかったんですけれどね。杖が必要となった時に、適当な棒を使っていたら、ユドリムが急に王都に行ってしまって……」
ふふ、と笑いを交えた。
「まさか、騎士になるなんて。それも第三王子殿下の。初のお給金で、大層な杖を贈ってくれました」
「ユドリムが……」
パルムがずっとついている杖。素朴な木の杖に見えるが、こんな小さな町じゃ手に入れることのできない一級品だ。その杖を、パルムは今も傍に置いている。
「口は悪いですが、いい子なんです。私の自慢の息子ですよ」
ユドリムがそう呼ぶように、パルムはユドリムの「母」なのだ。そして、ここはユドリムの帰りを待つ家。古びた柱、手垢のついた壁。小さな子供目線では、壁紙が大きく剥がれているところもある。軋む床と、風が吹けばガタガタと揺れる窓はご愛嬌。賑やかな子供たちと、それを包み込むパルムの穏やかな雰囲気が、この孤児院の居心地のよさだった。
今さらながらに、私はそれを実感した。
「……あの子に何があったのかはわかりませんが、こうして帰ってきても、ブランカ様のように気にかけてくれるお方がいて私は安心しました」
「私がここに来た理由を、ユドリムに聞いたんですか?」
「いいえ、あの子は何も話しません。最初、あなたは宰相様のかわりに監査に見えたのだと思って、私は緊張したくらいですから」
パルムの異常な緊張の意味を知って、私はたちまちに申し訳なくなる。小さな町に公爵家の者が突然尋ねてきたら、それは大事に違いないものね……。
パルムは針を置いて、一人反省する私の手に皺の深い手を重ねた。
「ユドリムは、ずっと思い悩むことがあるようです」
いまだ仕事が多く休まらない手は、とてもあたたかくて柔らかかった。私を見つめる、パルムの眼差しそのものだ。
「きっと、解決できるのはあなたなのでしょうね」
「どうしてそう思うのですか?」
「さぁ、どうしてでしょう。息子の言動に違和感を覚えた、母親の勘でしょうか」
パルムは朗らかに笑った。
「ユドリムが自分でここに連れてきたこと。子供たちがこんなにも懐いたこと。家名ではなく、ブランカ様を信用する十分な理由です」
「パルム様……」
「ブランカ様。ユドリムのこと、よろしくお願いします」
たった、数時間のことなのに。私を受け入れてくれるこの孤児院に、パルムに、子供たちに。私を連れてきてくれたユドリムに、胸がじんわりと熱くなる。
私もパルムの手に、そっと自分の手を添えた。
「私、ユドリムを王都に連れて帰りたいんです。パルム様は、許してくれますか?」
「あの子はもう大人です。本人が、自由に決めることです」
「自由……」
ずっと、心に置いていた言葉だ。
パルムからの答えに、私は小さく何度も頷いた。迷うことなく前にと、力強く背中を押された気分だった。
*
「え? 今夜はここに泊んの?」
夕刻にようやく戻ってきたユドリムは、私の相談に素っ頓狂な声を上げた。
「そうしたいなと思って。パルム様、いいですか?」
「構いませんよ」
針仕事もおおかた終わったところだ。お昼寝から起きた子が暇をもてあまして、私にべったりとくっついていた。
「あ、そう……」
ユドリムは不思議そうに片眉を上げた。
裁縫道具を片づけるパルムに、私は含みのある笑みを送る。
「パルム様。他にもお話、聞かせてくださいね」
「あら、うふふ。何を話しましょうね。ユドリムの幼い頃の話を聞きますか?」
「まぁ、ぜひ!」
察したパルムが、私のいたずらに乗ってくれた。
ユドリムは「げっ。やめてくれ……」と盛大に顔をしかめて後ずさった。
「そういうことなら、俺は宿に戻るから。母さん、お嬢様のことよろしく」
「わかりましたよ」
「俺の変な話はすんなよ」
「それはどうかしらね」
しれっとかわすパルムに、ユドリムは苦虫を噛み潰したような顔をした。そのやりとりがすでにおもしろく、私はくすくすと笑う。
ユドリムは苦い表情のまま、私に目を向けた。
「明日は、リゼルが来るから。花祭りはリゼルと行ってくれ」
それだけ言い残して、ユドリムは逃げるように宿に戻っていった。




