23.背中越しのぬくもり
戻ってきたユドリムが持っていたものは、布団というにはいろいろと物足りなかった。枕と、掛け布だけ。お祭りを控えて、そもそも宿の備え自体が足りていないようだった。
「宿なんだからちゃんと余分に用意しとけよ」と不満をこぼすユドリムは、そのまま床に転がった。
「体、痛くないの?」
「慣れてるよ」
むこうを向いてしまったユドリムの背中を見ながら、私もベッドに入る。こんなにも硬いベッドははじめてだけど、不思議と居心地の悪さは感じなかった。灯りを落とした室内は雨音がより鮮明になったのに、ユドリムがいてくれるからもう怖くはない。よく眠れそうだわ、と私は瞼を閉じた。
しかし、男たちの騒がしい笑い声がまた廊下に響き渡った。
「うるせーな、あいつら」
「こういう宿は、壁も薄いのね……」
お酒を飲んでいるのか、他の宿泊客にはお構いなしの声量だ。
「黙らせてくるか」
「ちょっと待って、ユドリム」
立ち上がったユドリムを、私は慌てて止めた。
「ほっといていいわよ。そのうち静かになるでしょうし」
騒がしくて不安になるけれど、それよりもユドリムが傷つくほうが怖かった。ユドリムが強いことはわかっていても、複数人を相手にする状況はカルミラ様の一件を思い出してしまう。
ユドリムも私が止めた理由をわかっているのだろう、「お前がいいなら」と素直に止まってくれた。そして、枕と掛け布を持ってベッドに近づいてきた。
「奥、つめて」
「え?」
「何もしねぇから、もう少し奥いって」
ユドリムは私の隣にくると、向こう側を向いてベッドに横になった。これは、一体……?
「お嬢様は意外と怖がりだからな。これで怖くねぇだろ」
ユドリムの言葉に、私は目を細めて笑った。
「そんなこと言って、床が硬かったんでしょう?」
「硬いし、体がいてぇよ」
狭いベッドに、自然と触れてしまうぬくもりが優しい。近くなったユドリムの匂いが、強張った緊張を解いてくれる。廊下から笑い声が聞こえても、もう不安に感じることはなかった。安堵しきった私は、ユドリムの背中に話しかけた。
「ねぇ、お祭りがあるの?」
「二日後にな」
「どんなお祭り?」
「花結び祭っていう、いわゆる豊穣祭」
農作がさかんな領地で行われる、作物の豊穣を願い自然の恵みに感謝するお祭りだ。王都では豊穣を謳ったお祭りを大々的に行うことは少ないので、私は興味が湧いた。
「私、そのお祭りを見てみたいわ」
「いやー、やめといたほうがいいよ」
「どうして?」
「お前は目立つから」
「目立つといけないの?」
「いけないっていうか……」
ユドリムが言い渋る。目立つなんて理由で、まさか否定されるとは思ってもみなかった。小さな町だから部外者がいれば多少は目を引くかもしれないけれど、宿が満室になるくらいには出入りだってあるのに。それに、ユドリムが一緒なら私だけが目立つこともない。
「あなただって目立つでしょう」
「なんでだよ」
「なんでって、自分の容姿に自信満々じゃない」
「別に自信なんかねーよ」
……? あれだけ自画自賛していたのに?
何を言ってるのかしら、とユドリムの背中を見つめていると、私の考えを察したらしいユドリムが「あのな」と起き上がった。
「あれはめんどくせぇやつらを除けるために言ってたんだ。本気なわけねぇだろ」
「本気で自意識過剰なんだと思ってたわ……」
「んなわけねぇだろ。お前の目に俺はどう映ってんだよ」
どう、と言われても。正直なところ、ユドリムが自意識過剰になるのも納得の見た目だと思っている。それは好意があるから盲目的に、ということではなくて。私だけでなくまわりもユドリムの「俺、容姿だけは誰よりも優れてるんで」に言い返せなかったはずだ。ユドリムも、演技だというならそれをわかって言っていそうなのに。
「無礼で不遜で怠惰でナルシスト……」
「おい、前より増えてるぞ」
「でも、いざという時には私を守ってくれる、かっこいい騎士様よ」
——本質はきっと、そこだから。
ユドリムが驚き目を丸くする。私は体を起こして、そんなユドリムの頬に手を伸ばした。
「痣、消えたのね。よかった」
ユドリムは私の手に自らの手を重ねた。私をじっと見つめる瞳に、胸が跳ねる。暗い室内に、灯りは蝋燭のみ。屋根を叩く雨音は少しずつ弱くなり、騒がしい男たちの声もいつの間にか静まっていた。狭いベッドに、ユドリムの体温を間近に感じる。
ゆっくりと、ユドリムが私の肩を押した。ベッドに横たえられると、ユドリムは私を見下ろして——。
「誘うな。寝ろ」
また、私に背を向けて横になった。さっきよりベッドの端に寄って、足がはみ出てしまっている。
私の胸はどきどきと暴れて、恥ずかしくてたまらなかった。顔が熱くて、手が震えて、どうにかなってしまいそう。そんなつもりはなかったのに、ユドリムが明け透けに「誘う」なんて言うから……!
騒がしい胸の音を隠すように私も反対を向くと、ユドリムが声を落としてお祭りの話題を戻した。
「花祭りは、俺は仕事があるからお前とは一緒に行ってやれない」
「そう、なのね」
まっとうな理由で断られ、高鳴っていた胸がわかりやすく落ち着いていく。そもそも私が一緒に行く前提で話していたのが間違いだったのだ。ユドリムは、私の護衛ではないのだから。
「代わりにお前と一緒に行けるやつのあてを作るから、そいつと行って」
知らないかたと行っても……と冷静になってしまう。はじめは純粋に花祭りを見ていたいと思ったけれど、ユドリムに断られたあとでは魅力が半減した。
「あと、祭りに行くときは絶対にフードをかぶれ」
「フードのある服なんか持ってきてないわ」
「俺のを貸すから、絶対にそれ着ろよ」
「そこまで……?」
そんなに目立ってはいけないの? 貴族といえど、私だってそんなに目立つこともないと思うんだけれど。問題を起こすなということ?
私の疑念に、ユドリムは「絶対だぞ」と念押ししただけで答えてはくれなかった。
「俺、明日は用事があるから。お前は……孤児院にいるといいよ。あそこには、子供しかいないから」
「そうさせてもらおうかな……」
なんだかんだとすれ違っているような気はするけれど、やっぱりユドリムは面倒見がいい。私のことなど放っておいてもいいのに、こうしてそばにいて、自分がいない時は一人にならないように気遣ってくれる。
——遠回しな優しさが、嬉しくてたまらないわ。
ユドリムから感じる体温と、布団に残る匂いに包まれて、私は静かに眠りに落ちていった。




