20.二つの手紙
王城でのダンスパーティーが終わってから、私は抜け殻のように過ごした。
悩んでいた殿下との関係に答えを出し、胸に溜まった色濃い靄がすっきり晴れたのも束の間。ユドリムが騎士を辞めたと聞いて、私の胸にはぽっかりと穴が空いてしまった。あのあと、私はどうやって家路についたのか覚えていない。殿下になんと返したのかも、まったく覚えていないのだ。
それほどに、ユドリムがいなくなったことがショックだった。
「どうして?」
それも、このタイミングで。
俺にしとく? なんて言っていたくせに。私のことを、あんなふうに抱きしめたくせに。
揶揄い混じりだったことはわかる。それでも、ユドリムの言葉に救われたのは事実だったから。
「どうして、何も言わずに消えてしまったの……」
こんなにあっさり別れが訪れるなんて、思ってもみなかった。
*
「ブランカ様、ごきげんよう」
「エミリア様……」
兄にお茶に呼ばれて渋々自室を出ると、用意された部屋にはエミリア様が待っていた。
私を呼んだ兄の姿は見えず、使用人も私が席につくなりみんな退出してしまって。エミリア様と二人きりにされ、会う予定があったかしらと私は困惑した。
「ルーカス様に、ブランカ様が思い悩んでいるとお聞きしました。何か、私にできることはありませんか?」
なるほど……。お兄様が気を回したのね。
「以前もお見舞いにいらしていただいたのに。二度もお気遣いただいて、申し訳ありません」
私が謝ると、エミリア様は大袈裟に首を振った。
「違います! 違うんです、ブランカ様。私がブランカ様のお力になりたかったんです」
「いいんですよ、エミリア様。兄が頼んだのでしょう?」
「ルーカス様は関係ありません! 私が、ブランカ様に会いたいとルーカス様にお願いしたんです!」
「エミリア様、そんなに必死にならずとも……」
「私、ブランカ様にお返しがしたいんです。私とルーカス様がケンカをした時、仲を取り持ってくれたのはブランカ様でしたから」
ケンカ……? というと、建国祭の一件かしら。
あの時の兄とエミリア様のすれ違いの原因の一端には、不本意ながら私が含まれていた。そのこともあり兄には少しばかり助言をしたが、結局解決したのは当人たちがちゃんと向き合ったからなわけで。エミリア様が私に恩を感じる必要はない……の、だけれど……。
「ブランカ様ぁ……」
小動物のようなつぶらな瞳に懇願されては、エミリア様の気遣いを断ることができなかった。
「……では、聞いていただけますか」
私は小さく息を吐いて、エミリア様にこれまでのことを話した。
殿下に誘われ、ユドリムも交えて過ごした日々は、どれもこれもがひだまりのようにあたたかな思い出だ。
友人という立場に甘えた時間ではあったけれど、殿下は私にとって本当に良き友人だった。ユドリムだって、最初のうちはお互いにいがみ合ってはいたけれど、それも次第になくなった。思ったことを言い合える仲というのは、とてもいいものだった。
日々を過ごす私は常に「殿下とどうなるべきか」を悩んでいて、その時間にあまり向き合えていなかった。今なら、あの日々がどれだけ尊いものだったかわかるのに。
――ユドリムへの想いに気づくのも、きっと遅かったのだ。
殿下の立場に障らぬようエミリア様に話し終えた私は、また気持ちが沈み込んでしまった。
「私は、どうしたらいいのかわからないんです」
思い出は、こんなにも優しいのに。
鎖で縛られたように、私はどうしてか動けずにいる。
「ブランカ様は、その騎士様のことが本当にお好きなんですね」
「……はい」
「ブランカ様にそれほど想っていただける騎士様は、幸せ者ですね」
「そうでしょうか。私は、嫌われてしまったんじゃないかと……」
頬に涙を伝わせた私に、エミリア様はふわりと笑んで手を握ってくれた。
「そんなことありません。嫌ったならむしろ、騎士様はブランカ様の前から去ることをしていないはずです」
涙があふれるままに、私はエミリア様を見つめた。
「私は思うのです。騎士様は、ブランカ様を想っているから離れたのではないかと」
「そんなこと……」
「お話を聞いている限り、そうとしか思えません」
ユドリムが、私を……?
「ブランカ様も、そう感じていたのではありませんか?」
エミリア様に言われて、私の中に募っていた感情があふれた。ずっと蓋をして、考えないようにしていたこと。
――私だって、同じように思っていたから。
そうじゃなければ、一人で窓を割って、あんなに荒々しく突入して助けになんか来ないもの。殿下の想い人というだけなら、ちゃんと応援を呼んで万全の体制で助けにくるはずよ。自分がぼろぼろなのに、私の傷ばかり心配しないでしょう?
……あんなふうに、抱きしめたりもしないわ。
エミリア様は、ハンカチで私の涙をそっと拭ってくれた。
「私、お話を聞いて最初は、ブランカ様はどうして追いかけないんだろう? って思ったんです。そんなに想ってる方を、諦めちゃうの? って」
一拍置いて、エミリア様は憐れむような眼差しになった。
「……でも、違うんですね。ブランカ様は追わないんじゃなくて、追えなかったんですね」
「……」
「騎士様を追えば、殿下に申しわけが立たないと思うのでしょう。だから、追えずに塞ぎ込んでいたんですね」
心がからっぽで、考えようとしたら思考はとりとめがなくなって。それでも理性で留まっていた私をエミリア様が言語化してくれた。それが、ストンとからっぽの心に落ちていった。
「でもね、ブランカ様」とエミリア様は続ける。
「もし、今回のことで騎士様が殿下の元に残られたとしても、ブランカ様は想いを秘めたままだったと私は思います」
「……そうだと思います。ユドリムは、殿下の騎士ですから」
ユドリムが殿下の騎士である以上、私はユドリムに想いを伝えない。エミリア様のいうとおり、殿下に申しわけが立たないから。
もしユドリムが本当に私に想いを寄せてくれていたとしても、ユドリムも私を望むことはないだろう。きっとずっと、想いは平行線のままだった。
答えた私に、エミリア様は諭すように柔らかな口調になった。
「ブランカ様。もっと、心のままに自由にしていいんですよ」
「心のままに?」
「アルヴィン殿下も、それを望まれているのではないでしょうか」
「殿下も……」
その言葉に、私の涙がぴたりと止まった。
――どうして、そのことに気づかなかったのかしら。
殿下は、あんなにも優しい人なのに。勝手に申し訳ないと遠ざけて、決めつけて。殿下なら、当たり前に私の気持ちを押してくれるだろうに。ユドリムのことだって、私以上に一緒に過ごしてきた騎士なんだから。
私たちが殿下に遠慮して何もせず、想いを隠したまま離れ離れになってしまうほうが、殿下は傷つくだろう。
「ブランカ様は、どうしたいですか?」
「私は……」
ユドリムが好き。それは、揺るぎのない想い。
ただ、行動に移す勇気だけがなかった。エミリア様のおかげで、私の心はようやく決まった。
「ユドリムを、諦めたくない」
私の決意に、エミリア様は笑顔に満ちた。
「えぇ、えぇ、ブランカ様! それでいいんです。心のままに求めていいんです!」
席を立ったエミリア様が、わざわざ私のほうへ小走りで回り込んで抱きついてきた。
私の決意に、私よりも嬉しそうに涙をにじませる。殿下にしても、ユドリムにしても、エミリア様にしても。私のまわりにいる人たちは、いつだって私の背中を押してくれる。優しい人たちばかりだ。
そこに、コンコンと扉がノックされた。
「お兄様」
「決めたようだな、ブランカ」
部屋に入ってきた兄は、ジャケットの懐から二通の封筒を取り出して私に見せた。
「アルヴィン殿下から手紙を預かっていた。お前が決めたら渡してくれ、と」
「殿下から?」
私は手を差し出す。しかし兄は、封筒をさっと引っ込めた。
「……お兄様? 手紙をください」
「本当は、こんな手紙など私は燃やしてしまいたかったのだが」
兄の封筒を持つ手に力が入り、くしゃりと皺が入った。
「お前を振り回した張本人だ。振られてなお、まだお前を振り回そうとしている。そんな男の手紙を、私がお前に渡したいと思うか?」
兄なりの心配なのだろう。兄だって、私に優しさをくれる大切な一人だ。けれど、決意をした今の私に兄のその心配は邪魔なだけだった。兄の心配と優しさは、これまでに私の背中を押してくれたことはなかったから。
「お兄様、ご心配おかけしました。エミリア様にお話を聞いていただいて、私は心が決まったのです。手紙をください」
兄は便箋を持った腕をあげて、私が届かないようにした。
「お兄様……」
「ブランカ、男は他にもいるぞ。お前を振り回したりしない、穏やかな男が他にも」
大人気のない兄にどうしようか困っていると、そこでエミリア様が口を開いた。
「ルーカス様がそれをおっしゃるの?」
途端に、固まる兄。エミリア様からそんな言葉が、と驚く私。エミリア様は兄に、無邪気な笑顔を向けた。
「でしたら、私にも紹介していただきたいですわ」
「エ、エミリア!」
焦った兄は、封筒を放り捨ててエミリア様の前に膝をついた。エミリア様の両手を握って、涙を溜めて懇願し始める。
「そんなことを言わないでくれ。こんな私だが、君への愛は誰にも負けない。不器用ゆえどうしても君に心配をかけるが、それでも私は……っ!」
兄の告白をにこにこと聞きながら、エミリア様が横目でちらりと私に視線を送った。
私はハッとして兄が落とした封筒を拾う。そのまま、自室へと戻った。
殿下からの手紙は二通。一通は私宛。もう一通は、ユドリムに宛てたものだった。
私は、私に宛てられた封筒を開いた。
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君がこの手紙を読んでいるということは、ユドリムの元へ行く決意をしたということだね。
これまで君の気持ちを我慢させてすまなかった。
前を向いてくれてありがとう、ブランカ。
僕は、君とユドリムの間に何があったのかは知らない。
僕が踏み込むべきじゃないことはわかっているから、詮索もしない。
けれど、ユドリムが僕の元を去った理由を、僕は理解することができる。
だから、僕ではあいつを連れ戻せないんだ。
ブランカ、お願いだ。
ユドリムを連れ戻してくれないか?
君なら、あいつを連れ戻せるだろう。
僕の騎士も、僕の友人も、君たち以外にはありえない。
一人の友人として、僕は君の心を応援するよ。
最良の友 アルヴィン・オルフェリウス
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殿下は、どこまでも誠実であたたかい。太陽そのものだ。
手紙を抱きしめた私は、ぼろぼろと涙をこぼした。悲しい涙ではない。最良の友にもらった、優しい涙だ。
「ありがとうございます、アルヴィン殿下」
私は涙を拭うと、ユドリムの元へ行くために荷造りを始めた。




