19.夢物語は、おしまい
荘厳な煌びやかさを放つ、夜の王城。
建国祭の時とは一転した雰囲気を纏うのは、今日の主催が国王陛下で、ここに集まるのが貴族だけだからだろう。
夜のパーティーに合わせた落ち着いた色合いのドレスで着飾った私は、私を待つ殿下の元へと歩みを進めた。
「ブランカ」
私の姿を認めた殿下は、一瞬だけ悲しげな表情をして、すぐに笑顔をつくった。
「来てくれて嬉しいよ」
「お招きいただきありがとうございます。アルヴィン殿下」
――殿下から贈られた、髪飾りとピアスは付けてこなかった。翡翠の宝石に合う色のドレスも、着てこなかった。
それでも殿下は、私に「綺麗だよ」と微笑んだ。私の手を取って、柔らかな表情を向けてくれた。
まわりから見た私たちはきっと、以前と変わらぬ私たちだろう。期待と羨望を込めた、たくさんの眼差しが私と殿下に向けられている。
「……?」
ただ、そのたくさんの眼差しの中に、私の探す人物がいなかった。こんな場であれば、必ず殿下に付き添う騎士なのに。
ダンスのパートナーがいるから離れてるのかしら、と広間の隅を見たが、どこを探しても黒髪の騎士服は見つからない。
私がきょろきょろし始めた理由を察した殿下が、寂しげに眉を下げて口を開いた。
「ユドリムは、今日は僕から離れているよ」
「そう、ですか」
途端に、私と殿下の間に冷たい空気が流れる。
「顔の怪我が治りきらなくて。それが理由で出てくるなと言いたくはなかったんだが、こんな場だから」
王城で、国王主催のダンスパーティーだ。いくら殿下の心遣いがあったって、頬が変色したままの騎士を連れ歩くのはさすがに、ということなのだろう。
ユドリムが護衛から外された理由が私にあることに、殿下も私自身も心苦しさを感じている。強張った私の表情を見て、殿下は私の不安を取り除くようにまた微笑みを向けてくれた。
「僕らも踊ろう。ブランカ」
流れ始めた音楽に、まわりはパートナーと手を取り合ってダンスホールに移動していく。
私を窺う殿下は、私を強引に引いていくことはなく、私の返事を待ってくれる。
「はい」
殿下に気遣わせて、申し訳ない。私が微笑んで答えると、殿下は安堵したようだった。
殿下に手を握られ、もう片方の手が腰に添えられる。殿下とのダンスは、思えばこれがはじめてだった。
エスコートが気遣いにあふれている殿下とのダンスは、こんなにも踊りやすいことはないと思うほどにリードがさりげなくて、上手だった。私を見つめる眼差しは優しくて、包みこむ手のひらはあたたかくて、腰に添えられた手は力強く支えてくれて。
この方は、こんなにも愛にあふれている。今後、どこを探したって、こんな素敵な方には二度と出会えないだろう。
「ブランカは、ダンスが上手だね」
「殿下のリードがお上手なんです」
……そう思うけれど、私たちの歯車はもう狂ってしまった。うまく噛み合わない二人の時間には、どうしたってぎこちなさが付き纏ってくる。
「っ、すまない。ステップを間違えてしまった」
「ほんのちょっとです。お気になさらず」
私も殿下も、何も悪いことなどしていないのに。
後ろめたさが、ずっと離れてくれない。殿下も同じことを思っているのか、私をリードしてダンスはしてくれても、見つめ合う時間は長く続かなかった。
一曲が終わり、余韻の中で礼をする。
また次の曲が始まろうという時に、殿下が私を力強く引き留めた。
「——ブランカ。これで、最後にしよう」
「最後……?」
「僕を選んでくれるなら、この手をとって。もう一度、僕と踊ってほしい」
差し出されたのは、いつでも私を大切に扱ってくれた、あたたかな太陽の手。そらさずに見つめるのは、隠しきれない好意を私に伝えてくれた、深い碧の瞳。
「あ……」
ここにきて私は、殿下の大きな心に触れた。
殿下はもう、私の答えを知っているはず。それなのに、なあなあにして終わらせずに、ちゃんと区切りをつけてくれようとしている。
殿下はどこまでも誠実で、本当に素晴らしい人だ。――私には殿下のその誠実さが、今は苦しくてたまらない。
「……っ」
私はそっと殿下から離れると、スカートを持って頭を下げた。
息が詰まって言葉が出せなかった。殿下の手を取らないという行動で、私は精一杯に殿下へ気持ちを返した。
殿下は、私の前からゆっくりと手を引いた。
「……泣かないで、ブランカ。君は、君の気持ちを選んだんだ」
殿下は穏やかに、静かに私の返事を受け止めてくれた。
殿下と一緒の時間を過ごす時、私はまるで夢の中にいるように幸せな気分だった。お姫様や宝石を扱うように大切にされて、守られて。愛しく尊く、包み込むように私の気持ちに触れてくれた。こんなにあたたかな人を、私は他に知らない。
「ごめんなさい、アルヴィン殿下……」
でも、私が選んだのは、私をお姫様にしてくれる素敵な王子様じゃなかったの。
「ブランカ。僕と踊ってくれて、ありがとう」
殿下がダンス終わりの礼をとった。何も知らない周囲からは、拍手が送られてきた。
私の肩を抱き、殿下は私の涙を隠してくれる。さりげなく寄り添って、ダンスホールから退場させてくれた。
殿下が与えてくれる夢のような物語は、これでおしまい。長く続いた私たちの曖昧な関係に、しっかりと答えが出た。
私の肩を離した殿下を、涙の残る瞳で見上げる。
友人として、大好きだった人。どうか幸せになって。
別れを告げようとして、殿下の瞳が不思議に揺れたことに気がついた。私に対する後悔ではなく、迷いを秘めたような……。
「殿下?」
「あ、いや……」
殿下は一瞬躊躇して、それから私を見つめた。
「……ごめん。僕は、君に嘘をついた」
「嘘?」
殿下は私に再び近づいた。耳元に寄せられた殿下の唇が、小さく本当のことを告げる。
「実は、ユドリムは——……少し前に、僕の騎士を辞めたんだ」




