17.助けてくれるのは、やっぱり
部屋の中には、男たちの荒い息遣いだけが満ちている。
逃げなければと思うのに、押さえつけられて恐怖で体が動かない。
男たちの手が伸びてきて、私は必死に顔を背けて抵抗した。
――嫌、助けて……!
涙がこぼれそうになった、その時。
ガシャンッ! と大きな音を立てて、部屋の窓が割れた。男たちがとっさに振り向き、カルミラ様は音に驚いたのか小さく悲鳴を上げる。
割れた窓から、素早く人影が入り込んだ。
「っ……! ユドリム……!」
ユドリムは私を見つけると、私に覆い被さっている男を蹴り上げた。突然の侵入者に驚いた男たちは、ユドリムの攻撃をかわしてベッドから離れていく。
ユドリムは男たちを睨みつけて牽制すると、険しい表情のまま私に目を向けた。
「! おい、打たれてんじゃねぇか。大丈夫かよ」
ユドリムが労しく私の頬に手を伸ばす。指が触れると、そこにピリッと痛みが走った。
「いたっ」
「早く冷さねぇと」
「ユドリム、どうしてここに……」
「やっぱり、止めればよかったと思って」
ユドリムは悔しそうに眉を寄せて、私の頬から手を離した。
「ちょっと待ってな。すぐ、片付けるから」
ベッドを下りたユドリムは、男たちに向き合う。男が三人いたことに、私はその時はじめて気がついた。
ユドリムを上から下まで確認し終えたらしい男たちが、バカにするように鼻で笑った。
「なんだ? こいつ。威勢よく飛び込んできたと思ったら、丸腰じゃねぇか」
「いいところだったのに、邪魔しやがってよ」
「カルミラ様ぁ、こいつ始末しちゃったほうがいいっすよね」
茶化すように喋る男たちだが、カルミラ様はユドリムを見て青ざめていた。殿下の騎士だと気づいているのだろう。
男たちはカルミラ様の様子などお構いなしに、ユドリムを挑発しはじめた。
「武器もなく一人で、どう戦おうってんだ? 勇敢な兄ちゃんよ」
「今日は非番なんだよ。剣なんて持ってるわけねぇだろ」
「おいおい、騎士様か? 衛兵団か? こりゃ、なおさら始末しねぇとな」
「お前ごときに俺はやられねぇよ」
「強がんなよ。本当は、怖くなって震えてんだろ?」
「震える?」
ユドリムは、嘲笑う男たちを相手に低く笑い返した。
「お前らごときに、俺が震えるわけねぇだろ」
床を思い切り蹴ったユドリムは、一人の顔面に拳をめり込ませた。男たちは武器を持たないユドリムに完全に油断していた。
驚いた隙をついて、ユドリムはすぐさまもう一人の膝を容赦なく蹴った。骨の潰れる不快な音に、悲痛な叫び声が響く。
「この野郎……!」
「武器がなきゃ戦えないのは、お前らのほうじゃねぇの?」
「くそ、調子乗んなよ!」
それぞれにナイフを持った男たちが、入り乱れてユドリムに向かっていく。ユドリムは荒々しい攻撃を軽くかわしながら、一つずつナイフを叩き落としていく。
剣がなくても、ユドリムは強い。これまでの私なら、口の悪さ通りに粗暴なのね、と思っていただろう。でも今は、ユドリムの男たちに対する軽口が妙に私を安心させた。
――けれど、その隙に。
私たちの目を掻い潜って動いたカルミラ様が、私の背後に迫っていた。
「こ、この女がどうなってもいいの!?」
首筋に当てられた冷たい感触。それがナイフだということに、私はすぐに気がついた。カルミラ様の声もナイフを持つ手も、小刻みに震えている。加減など知らず、ナイフは私の首に薄い切り傷をつくった。
痛みに思わず顔を歪めると、私を見て怯んだユドリムが男に殴られた。
「さっきのお返しだぜ。それと、これは膝を壊されたそいつの分、なっ!」
蹴り飛ばされたユドリムは、テーブルに背中を打ちつけた。けほっ、と苦しげな咳をしたところを、また別の男が蹴り上げる。胸ぐらを掴んで無理やり立たされたユドリムは、それまでの仕返し以上に男たちに殴られた。
「やめて! もうやめて、殴らないで!」
ユドリムが死んでしまうわ……!
私が身を乗り出すと、首筋にさらにナイフが食い込んだ。カルミラ様が慌ててナイフを引いたが、私の首からは血が一筋流れ落ちた。
それに気づいたユドリムが瞳を見開いて、殴りかかってきた男を殴り返した。男は鼻を潰されたのか、床に転がって悶え叫んだ。
「こいつ……!」
もう一人、向かってきた男の腹に肘を入れた。男がえづいて崩れた隙に、ユドリムは私に目を向けた。
腰につけていた小さな布袋を手に取り、私たち目がけて振りかぶった。
「目と口閉じて、息も止めとけ!」
ユドリムの言う通りに目を閉じ、唇も固く結んだ。すると、顔にぱちぱちと小さな粒がいくつも打ちつけた。私にナイフを当てていたカルミラ様が「ぐうっ……!?」と呻き、力が緩む。
鈍い打撃音と、えづいていた男の呻き声のあと、カルミラ様も短い悲鳴をあげて私から引き離された。
そっと目を開けると、ユドリムの顔が目の前にあった。
「首、大丈夫かよ。なんて無茶すんだ」
大丈夫かよ、だなんて。男たちに殴られて、ユドリムのほうが痛々しい見た目なのに。
ズボンからハンカチを取り出したユドリムは、自分のことなどお構いなしに私の首の血を拭った。押さえときな、とそのまま渡され、ユドリムはベッドの下に転がっていたカルミラ様を見下ろした。
カルミラ様はベッドの下で「痛い、痛い」としきりに瞳をこすっていた。ユドリムがベッドから下りると、その気配に気づいたカルミラ様は、涙のあふれる真っ赤な瞳でユドリムを見上げた。
「あ……」
「あとはお前だけだ」
「ま、待って、待ってください! 私は、あの男たちに脅されて……!」
カルミラ様はユドリムの足に縋りついた。
「こ、怖かったんです。脅されて、ブランカ様を差し出せと。だから、仕方なく……!」
縋りつくカルミラ様を、ユドリムは真顔で見下ろしていた。
「私は無実です! だって、私も殺されると思ったから。怖くて、仕方なかったんです。だから殿下には、私は無実だと……!」
「お前さぁ」
ユドリムの声が、低くカルミラ様を制した。
「誰に手出したかわかってんの?」
ユドリムがカルミラ様を睨みつける。その表情は見たことのないほど静かに、怒りをはらんでいた。
「脅されて、仕方なく? だったら、怯えて大人しく震えてろよ。ナイフなんか握って、こいつを盾にしてんじゃねぇよ」
ユドリムの怒りに、カルミラ様は縋るのをやめて腰を抜かした。ユドリムはカルミラ様の前に膝を折ると、涙で濡れた顔を鷲掴んだ。
「テメェの醜い嫉妬でこいつを傷つけんなよ。こいつを傷つけて、許されるわけがねぇだろ」
カルミラ様の顔が、どんどん苦痛に歪んでいく。
「なぁ。このまま顔、潰しちまうか? あいつらみてぇによ」
カルミラ様が怯えながら床に伸びる男たちに目を向けた。そして再びユドリムを見ると、ガクガクと震え出し、恐怖で失神してしまった。スカートの端から、じんわりと水たまりが広がっていく。ユドリムは舌打ちをして、カルミラ様の顔を放るように離した。
立ち上がったユドリムはベッドのブランケットを取ると、それで私を包んでくれた。
「前、これで隠しとけ」
「あ、ありがとう……」
「衛兵団呼んであるから、もうちょっと待ってろ」
私を気遣うユドリムの表情は、怒りで強張ったままだ。男たちを一人で制圧して、カルミラ様には容赦のない制裁を加えて。それでも収まらない怒りに、私は戸惑いを隠せない。
どうして、そんなに怒っているの……?
ユドリムの腕をそっと掴む。私の視線に気がつくと、ユドリムは「はー……」と大きく息を吐いた。
「久しぶりにやばかったわ」
隣に、ユドリムがどさっと腰掛ける。部屋の中は散々だ。これだけ暴れたというのに、屋敷の使用人が一人も駆けつけてこないというのが不気味である。
ユドリムが出すいつも通りの声に、私は次第に張り詰めていた気が緩んだ。安心感に包まれ、先ほどまで我慢していた涙が一気にあふれた。
「え? うわ、なんで泣いてんだよ。傷が痛むのか?」
「違う……。怖かった……」
「もう終わったって。大丈夫だよ。ちゃんと助けただろ?」
私が泣いていることに、なんともデリカシーの欠ける声かけばかりしてくるユドリムに、私はムッとした。
「……っ、あなたが、ボロボロじゃない! いつもは余裕で勝つのに!」
ユドリムは頬も瞼も腫れていて、唇の端だって切れて血が滲んでいて。男たちを殴った拳も赤くなっている。服の下にだって、痣ができているはずだ。こんな余裕のない、汗を滲ませたユドリムを、私ははじめて見たんだから。
「ユドリムがやられちゃうんじゃないかって、怖かったの!」
私の主張に、ユドリムはぽかんと返した。
「俺は負けねぇよ。強さだけは、信頼してたんじゃねぇの?」
「信頼してる! でも、怖かった! あなたが死んじゃうかもしれないって、怖かったの!」
私はぎゅっとユドリムの胸元を掴んで、涙がこぼれるままに泣いた。ユドリムは深く息を吐いて、しがみつく私の背中にそっと腕を回した。
「ごめんって。……もう、お前を不安にさせないよ」
私の背中を、優しくなでた。
「頼むから、泣くなって……」
それから少しの間、ぐすぐすと泣き続ける私をユドリムはずっと抱きしめてくれていた。落ち着いてきた私は、ユドリムの温もりに身を預けたまま気になったことを口にした。
「……あの、カルミラ様に投げつけた布袋は何?」
「あー。あれ、砂」
「砂……?」
「なんかの時に目眩しに使えるから、持ち歩いてる」
卑怯じゃないの……?
そうは思ったけれど、それで助けられたのだからなんとも言えない。まさか、砂を持ち歩く騎士がいるなんて。でも、武闘会でも相手の足を引っ掛けたのを見ている。それがユドリムだから、なんだか納得できて笑ってしまった。
そんな私を見て、ユドリムは顔を顰めた。
「あーもー……なんなの、お前……」
「え?」
ぎゅっと、先ほどとはまったく違う強さで抱きしめられた。
「なんでお前は、俺の心配をして泣くの」
「そんなの、当たり前じゃない」
「自分の心配だけしとけよ。俺のために泣くなよ」
「ちょっとユドリム、苦しいわ……」
胸を叩く私に、ユドリムは「ごめん」とつぶやく。
それでも離してはくれず、それからまた少しの間そうして、ユドリムは深く息を吐いた。
「……もう、見てらんねぇんだよな」
ユドリムは腕を緩めて体を離すと、真剣な面持ちで私を見つめた。
「殿下との友達ごっこで悩んでるなら、さっさと身を引いたほうがいいよ」
「急に、なに……?」
「自分の知らないところで襲われて怯えて泣くお前を、殿下が知ったらどう思うか」
なぜ、そこで出てくるのが殿下なのだろう。
私の危機に駆けつけてくれたのも、自らがボロボロになりながら助けてくれたのも、私が傷ついて怒ってくれたのも、ユドリムなのに。
ユドリムの言葉を不満に感じる。なぜ私を心配する口実に、あなたは殿下を使うの?
私の視線にまっすぐに応えるユドリムは、小さく口を動かした。
「……俺にしとく?」
その言葉に、私は驚きに見開く。とっさに返す言葉が出なかった。迷ってしまった。決めかねている道より、そっちを選んでしまいたいと思ってしまった。
私の瞳に迷いを感じ取ったらしいユドリムの瞳にも、焦りが見えた。きっと、揶揄ったつもりだったのだろう。
気まずくなってしまった空気を流すように、ユドリムがふっと笑った。
「冗談だよ」
「……知ってるわ」
私はこのやりとりに、覚えがあった。でも、あの時のような冗談を言い合える心持ちではなかった。
ユドリムがどう思って仕掛けてきたのかはわからない。けれど、ユドリムの瞳にも迷いがあった。今だって、涼しく笑ってみせたその笑顔に、ぎこちなさがある。
そして、私はその提案に――魅力を感じてしまったから。
冗談で終わらせてしまった話題に、ほんの小さな後悔を残しながら、私はまたユドリムに体を寄せた。ユドリムは今度は私を抱きしめてはくれず、けれど押しのけることもなく、そのままでいてくれた。
その後やってきた衛兵団により、男たちは捕えられた。
ラシュタイン男爵家が衛兵団を統括しているおかげで、通報も衛兵団の駆けつけも早かった。ひとえに、リゼル様のおかげである。ケーキ店で私と分かれてすぐに、ユドリムはリゼル様にこのことを伝えるよう走らせていたらしい。
「何もなかったらどうするつもりだったの?」
「今回は何もなくても、どのみちいつかは同じ目にあってただろうよ」
牽制だよ、牽制。連行されていく男たちを眺めながら、ユドリムは言い放つ。
カルミラ様も身柄を拘束された。きっとすぐに、エトワル様も事情聴取されるだろう。私はなんとも言えない気持ちで、衛兵団の動きを見ていた。
「お前は何も悪くないよ」
「……慰めてくれるの?」
「俺が言ってやれるの、今しかないから」
殿下には、確実にこのことが知られるだろう。そうなれば、思い詰めた殿下がすぐに頭を下げにくる。なんだかそれが、憂鬱に思えた。
「殿下だって、悪くないわ」
私はぽつりとこぼした。
今回のことは、私のせいで起こったことだもの。だから、謝りにこなくていいと思ってしまう。誠実な殿下に対して、私は最低だ。
「お前も殿下も悪くないよ。だから、そんな顔すんな」
ぽんぽんと、ユドリムが私の頭をなでた。
「……助けてくれてありがとう、ユドリム」
「ん」
その手が優しくて、大丈夫だよと伝えてくれることに、私は救われる。
その優しさに縋るように、私は静かに涙をこぼした。




