16.招かれた罠
「カルミラ嬢について思い出したんだが。以前は、アルヴィン殿下がいらっしゃるパーティーによく出席していたそうだ」
出がけに、兄からそんなことを告げられた。使用人が私を送り出すための準備を進める中で、急になぜそんなことを言い出したのか。意図をはかりかねた私は、兄の言葉で引っかかった部分だけを問う。
「出席していたそうだ、というのは、どなたからの伝え聞きですか?」
「我が殿下だ」
つまり、第一王子殿下ということ。ならば、カルミラ様の情報は嘘偽りのないものだろう。なおさら、兄が私に何を伝えたいのかがわからなかった。
黙って見つめる私に、兄は小さく息を吐いた。
「無理に行かなくても、いいんじゃないか?」
「こんな直前で、そうはいきませんよ」
カルミラ様からのお誘いを受け、今日がお屋敷を訪問する日なのだ。すでに身支度と気持ちを整えてしまった私は、兄の優しさ(?)に首を振った。
「行ってまいります」
なんとも言えない表情で、兄に見送られる。まだ何か言いたげだったが、結局それ以上は何も言ってこなかった。兄がそうであるように、私だってカルミラ様のお誘いにはなんとも言えない感情を抱いている。正直なところ、気が重い。けれど貴族として、それも兄の同僚の家からの招待を、ただの違和感だけで断ることはできない。兄は気にするなと言うだろうけど、兄の立場にも関わってくるかもしれないのだ。
「はぁ……」
馬車がゆっくりと進むたびに、心に鉛が沈んでいくようだった。
重たい気持ちを抱えたまま馬車に揺られ、ロゼンベルク家へ向かう途中で、私はお気に入りのケーキ店に寄った。カルミラ様へお土産のケーキを買うためだ。ショーケースの中にいちごのケーキを探していると、そこに、お馴染みの顔が入店してきた。
「……あら、ユドリム」
「おう」
気安い返事をするユドリムの後ろには、妹だと教えられた女の子がいた。瞳をきらきらとさせて、物珍しそうに店内を見回している。
「お休みなの?」
「そう」
「殿下の専属騎士なのに、そんなに休めるものなの?」
私の問いに、ユドリムはちらりと女の子を見た。
「定期的にもらってる。こいつの……家庭教師の仕事があるから」
「家庭教師……」
私も女の子を見た。女の子は私と目が合うと、はわわわ! と頬を染めた。
「綺麗! かわいい! 素敵なお姉さま!」
「こら、挨拶」
ユドリムに即座に促され、女の子は慌ててスカートの端を摘んだ。
「リゼル・ラシュタインと申します。以後、お見知りおきいただけると光栄です」
「ラシュタイン、というと……」
数年前に、王都からずいぶんと離れたところに領地を与えられた男爵家だ。男爵家ではあるが、王都の衛兵団の統括をしており、その功績で領地を希望したと噂に聞いたことがある。
ユドリムは「上手に挨拶できたな」と、女の子――リゼル様を褒めていた。
「男爵家に引き取られたはいいものの、故郷に帰りたくていつまでも泣いてるもんだから、困った男爵が俺を家庭教師につけたんだよ」
なるほど。心の安定と、貴族社会のことをそれとなく教えているのね。
私はリゼル様に向き合うと、同じように挨拶をした。
「ブランカ・シュトラールです。お会いできて嬉しいわ」
微笑むと、女の子はまた、はわわわ! と隠すことなく反応した。ユドリムと違い、素直で可愛らしい子だわ。
私はリゼル様にほのぼのとした気持ちになって、尋ねた。
「ここのケーキがお好きなの?」
「実は、はじめてなんです。でも人気だからって、ユドリムが連れてきてくれたんです」
「センスはいいのね」
「どういう意味だ」
ユドリムが呆れたように眉を寄せた。
「ブランカ様は、ここのケーキを食べたことがありますか?」
「えぇ、何度も」
「じゃあ、じゃあ、おすすめはありますか?」
「ここはフルーツタルトが美味しいわよ」
答えて、「あっ」と内心で思う。何も考えず自分のおすすめのケーキ店を選んでしまったが、カルミラ様への手土産を購入するなら、いちごのケーキが美味しいお店を選べばよかったかもしれない。
そんな私の後悔をよそに、リゼル様はショーケースに魅入っていた。
「フルーツがたっぷりで美味しそうです」
無垢な可愛らしい反応をされて、私はほっと息を吐いた。
「フルーツたっぷりで美味しいわよ。でも、他のケーキももちろん美味しいわ。好きなものを好きなだけ、ユドリムに買ってもらいなさい」
「げっ。高ぇ」
嫌そうに顔をしかめるユドリムに、私は思わず笑ってしまった。
「予定があるから、先に注文していい?」
ケーキ選びに迷うリゼル様に断って、私はいちごのケーキを二つ購入した。
ラッピングの合間に、リゼル様が同じイチゴのケーキを注文し、さらにいくつもケーキを選んでいて、ユドリムが迷惑そうな顔でこちらを睨みつけた。そんなに睨まなくたって、殿下の元で稼いでいるでしょうに。
「お前、どこいくの」
「友人の家に」
「友達なんていたのかよ」
「失礼な男ね」
軽口を叩き合う空気は、以前よりずっと自然なものになっていた。最初は顔を合わせれば睨み合っていたのに、不思議なものだと思う。……変わったのは、私だけかもしれないけれど。
「友達って、男?」
「女性よ。兄の同僚の、妹さん」
「もしかして、建国祭で一緒にいたやつ?」
「そうだけど」
ユドリムは少し思案して、口を開いた。
「大丈夫なのか?」
「……なんのこと?」
ユドリムはケーキに夢中になっているリゼル様を見て、周りを確認した上で、私に手招きした。ふわりと、建国祭の時には気づかなかった爽やかな香水が香る。
「あの男の妹、前は殿下が出席するパーティーに必ずいたぞ」
そっと耳打ちをされて、私は驚く。ユドリムが、カルミラ様を認識していたことにもだけれど。兄と同じく、私にそのことをわざわざ教えてきたことに、驚いた。
「でも、パーティーだもの。偶然じゃない?」
「そんな性格そうに見えるか?」
私はエトワル様から、カルミラ様は「内気」だと聞いていた。だから、自己紹介をするまでのカルミラ様の印象を、私も「内気」だと思っていた。その後は、なんだかよくわからない人だなぁと思いはしたけれど……。
直接の関わりがないユドリムから見てもカルミラ様の印象が「内気」なら、そんな内気そうな女性が、どうして殿下の出席するパーティーだけを選んで出席していたの?
兄の伝えたかった意図を、私はようやく理解した。
「殿下がお前を誘うようになった頃から、めっきり姿を見なくなったんだ」
黙り込んだ私に、ユドリムは声を低くした。
「気をつけたほうがいい」
カルミラ様の異様な様子を思い出す。私に向けていた目。矢継ぎ早な質問。畏怖を感じるほどの、圧。
ただでさえ気が重い訪問に身構えているのに、不安が込み上げてくる。でも、どれもこれも、私たちの憶測でしかない。
「……忠告は感謝するわ。何かあれば、すぐに距離を置くことにする」
「そうしな」
「えぇ、もう行くわね。あなた達も楽しんで」
店を出て馬車に揺られている間も、胸の奥のざわつきは消えなかった。兄とユドリム。別々の人間が、まるで示し合わせたように同じ忠告をしてきた。
――本当は、わかっている。カルミラ様の様子はあまりにも奇妙だった。私に対して、友好的な態度だなんて絶対に思えなかった。
けれど、確証もないのに、簡単に約束を反故にはできない。私は膝の上でそっと手を握りしめ、気持ちを落ち着かせようと息を吐いた。
そうしているうちに、馬車はロゼンベルク家へ到着した。
「いらっしゃい、ブランカ様!」
「お招きいただき、ありがとうございます。カルミラ様」
以前お会いした時とは違い、弾んだ声でカルミラ様が迎えてくれた。リゼル様のように無邪気ではあるが、どうにも奇妙で痛々しく感じてしまう。私の中の不安が、カルミラ様をそう見せているのかもしれない。
「お土産を持って参りました。お好みだといいのですけれど」
「まぁ、そんなものよかったのに」
ケーキの箱を渡すと、カルミラ様はくるりとスカートを翻した。
「どうぞ、こちらへ。今日は父も母も兄も、みんな仕事で家を空けているんです。ですから、気兼ねなくお過ごしくださいね」
うふふ、とカルミラ様が笑う。私は頬が引き攣らないように、笑みを返した。
「ブランカ様がいらっしゃるのが嬉しくて、離れにいろいろと用意したの。きっと気に入ってもらえるわ」
使用人を下がらせ、カルミラ様が案内をしてくれる。
離れへ向かう廊下は妙に静かで、靴音だけが響いていた。それは不自然なほどの静けさだった。本邸では何人もの使用人が迎えてくれていたのに、こちらへ来てからは人払いされているかのように、人の気配を感じない。嫌な予感が、じわじわと胸を這い上がる。
「どうかなさったの?」
「あ、いえ。素敵な邸宅だと思いまして」
それでも、ここで露骨に警戒を見せるのは違う気がして、私は平静を装った。根拠もなく、疑うのは失礼だ。
カルミラ様はそんな私に、ふわりと微笑む。
「ここまで来て、そんなに警戒することはないんじゃないかしら」
「えっ?」
「やっと、二人きりになれたわね」
いきなり、カルミラ様に体を強く押された。扉にぶつかる! と身構えた瞬間、その扉が開き、私は受け身も取れないまま床に倒れ込んだ。したたかに打ちつけた腰に痛みが走る。
私が動けずにいると、そこに見知らぬ男たちが現れ、私はあっという間に羽交い締めにされてしまった。
「なっ……なに? カルミラ様、どういうことですか!?」
カルミラ様は、にこにことして拘束された私を見ていた。
「うーん、そうねぇ……私からすると、あなたこそ何者なの?って感じなんだけど。……あら」
私と話しながら手土産のケーキの箱を開けたカルミラ様は、ぱっと目を輝かせた。
「いちごのケーキ。私、いちごが大好きなのよ」
場違いの反応に、ぞっと背筋が冷える。カルミラ様は、マナーなどお構いなしに素手でいちごをつまみ持った。
「この熟れた赤。まるで、アルヴィン殿下の髪色みたいでしょう? 」
うっとりと呟くカルミラ様の声音に、背筋が粟立っていく。まるで恋に酔う少女のような顔をしているのに、その瞳だけが妙に熱を帯びている。ねっとりとした執着が滲み、私は無意識に息を呑んだ。
「……私にはもっと、優しい太陽のような色に見えます」
「まぁ、その綺麗なはちみつ色の瞳は節穴なのね。あんなに燃えるように、美しいお方なのに」
「私とカルミラ様では、見えているアルヴィン殿下のお姿に差があるようですわ」
「は?」
低く冷たい声で、カルミラ様の怒りが私に向いた。
「気安く、殿下のお名前を呼ぶんじゃないわよ!」
荒く息を吐きながら、カルミラ様は私を睨みつけた。
「だいたい、殿下の目に留まるのは私だったのよ。優しくてあたたかい、あの方に名を呼ばれるのは、私だったの」
カルミラ様は夢を見るように宙を見つめ、頬を染める。ころころと変わる態度に、改めて異様さを感じる。なぜ私は、いろいろと理由をつけてここまで来てしまったんだろう。兄の言葉もユドリムの言葉も、私の直感だって、決して蔑ろにしてはいけなかったのに。
「ずーっと待ってたのよ。あの方が私を照らしてくれるのを。目立たない日陰の花に気づいてもらうために、いつでも殿下のスケジュールに合わせていたの」
パーティーのたび、殿下の視界に入るどこかに彼女はいたのだろう。殿下を見つめ、名前を呼ばれる日を夢見て、ずっと。その執着の深さに、恐怖より先に寒気が込み上げた。
「なのに、あなたは一体、どこからしゃしゃり出てきたのかしら?」
憎悪を滲ませた声が、部屋に落ちる。まるで、私の存在そのものが許せないと言わんばかりだった。
「王子妃候補だなんて、もてはやされて……宰相の娘だからって、いい気になってんじゃないわよ!」
吐き捨てる声には、私への嫉妬がべったりと張りついていた。
カルミラ様がそう言う通り、周囲は私と殿下の関係を親密なものとして見ている。勝手に盛り上がり、婚約はいつかと期待を寄せている。けれど、私はまだ答えを出していないのだ。当の殿下本人だって、私に答えを急かすことをしない。それなのに、まるで未来まで奪われたように私を責め立てるカルミラ様は、一体何様だというのだろう。私のことも、一方的な目線で語る殿下のことも、何も知らないくせに。こんな女に、ここまで言われる筋合いはない。
私の中に怒りが込み上げ、カルミラ様を見据えた。
「カルミラ様は、殿下に恋をしているんですね」
「えぇ。あなたよりもずっと前からね」
「その恋を実らせるために、カルミラ様はなにか努力をしたのでしょうか?」
「殿下の目につくように努力していたわ」
「それは努力といえるのですか? ただ、待つことが?」
「……何が言いたいの?」
「何もしていないくせに殿下がこっちを見てくれなかったなんて、おかしな主張です。カルミラ様が臆病で、行動しなかっただけなのに」
「な、う、うるさい!」
激昂したカルミラ様に、思いきりビンタをされた。痛みに私もカッとなり、私はカルミラ様の顔面に頭突きをして返した。男たちが慌てて私を押さえ込んだが、カルミラ様は鼻から血を吹き出した。
「うっ、このっ……! お前たち、早くやっちゃいなさい!」
男たちに軽々と持ち上げられ、部屋の中に置かれたベッドに放られた。体を起こそうとしたけれど、すぐに手足を押さえられてしまう。ベッドに縫い付けられた私を見て、ハンカチで鼻を押さえたカルミラ様が勝ち誇った。
「殿下に選ばれたとしても、他の男と関係を持った女じゃ王子妃にはなれないわよね」
「そんなことをしたって、すぐにカルミラ様の仕業だとばれて終わりよ!」
「あら、いいのよ。そんなことは、どうでもいいの」
カルミラ様は、光の宿らない瞳で私を見下ろした。
「私は、お前を殿下の隣から引きずり下ろしさえすれば、あとはいいの」
「理不尽にも程があるわ……!」
怒りで頭が熱くなる。けれど、全力で暴れても男の力からは逃れられない。男の指が無理やり口内にねじ込まれ、顎を掴んで顔を近づけてくる。抵抗する私は男の指を思い切り噛み、嫌悪のままに睨みつけた。しかし、男は私の抵抗に喜んだだけだった。
男がナイフを取り出し、ドレスの胸元を乱暴に裂いた。無残に破られ、肌があらわにされる。恐怖で全身が強張り、悔しくて涙が浮かんだ。
「綺麗な肌ね。まだ、誰にも触られたことがないんでしょう? この野蛮な男たちに、あますとこなくねぶられるといいわ」
男たちの手が伸びてくる。ぞわりと、怖気立つ。怖い。
カルミラ様は、本気で私の人生を壊すつもりなのだ。




