13.兄の手合わせ
昼間の喧騒が戻ったかのように、闘技場から歓声が聞こえ、やけに盛り上がっている。
二日間にわたる建国祭は幕を閉じ、城内には関係者だけが残っていた。
広間に殿下の姿が見えず、騎士たちが闘技場に集まっていると聞いて、ユドリムとそちらへ向かうことにしたのだけれど――。
「何してるの、お兄様!?」
みんなが注目する闘技場の中央。そこに立っていたのは、木剣を持って悪役さながらに笑う兄と、探していた殿下だった。
「我が妹にふさわしい男なのか、私が見極めてやろう! アルヴィン第三王子!」
「望むところです、ルーカス殿」
何がどうして、こんな展開になっているの!?
王子に挑む馬鹿を止める者はおらず、むしろ第一王子が「よしいけルーカス、やってしまえ」と煽るものだから、賭けを始める者までいる始末だ。
兄に近い観客席では青ざめたエミリア様が挙動不審になっており、この事態が兄の暴走によるものだと一目で分かった。
「身内に外堀を埋められてるな」
「ぜんっぜん笑えない!」
他人事のようなユドリムの言葉に腹が立つ。理不尽だとはわかっているけれど、ユドリムが殿下を置いて私のところに来なければこうはならなかったのでは、と八つ当たりの気持ちまで湧き上がってくる。
兄は兄なのでどうしようもないとして、殿下にしたってどうしてこんな状況を受け入れてしまったのか……。
「……? 殿下、お顔が赤いような」
「殿下も結構飲まされてたからなぁ」
付き合いで、とユドリムが呑気に言う。
「そういうのって、従者がほどほどに止めたりしないの?」
「殿下は酔っても理性的だよ。お前が絡んでこなけりゃな」
「私のせいみたいな言いかたやめて」
「お前のせいっていうか、酔っ払ったお前の兄のせいじゃね?」
「お兄様は酔ってなんか……」
エミリア様と一緒にいたのだから、お酒を飲もうとすればきっと止められているはずだ。……けれど、ふと、兄の目がどこか据わっている気がした。
「酔ってるように見える……?」
「お前の兄様、顔に出ないの羨ましいな」
王子付きとしては人間性に難のあるユドリムだ。けれど、中庭のやりとりからも警戒心と人を見る目だけは確かだった。
ユドリムの一言で、さっと血の気が引いた。
「おい、どこいくんだよ」
「二人を止めるのよ! 怪我しちゃう!」
観客席の人混みを縫って走る私を、ユドリムが軽い足取りで追ってくる。
「殿下も剣は握れるって。大丈夫だよ」
「違うのよ! 怪我をしちゃうのは……」
その瞬間、ガンッと鈍い音が響いた。周囲が静まり返る。
目を向けると、兄の木剣が一瞬で弾かれていた。
「お兄様……!」
間髪入れずに、殿下の一太刀が入る。「ぐっ……」と低く唸り、ぐらりと倒れる兄。
エミリア様の悲鳴が上がり、私も思わず声を上げた。
「もう、お兄様のばか! 不器用で剣なんて握ってこなかったくせに!」
兄は、他者に愛情を向ける才能も壊滅的だが、剣を操る才能も残念なことに持ち合わせていなかった。
護身用にと稽古をつけたことはあるものの、剣を振る手と同じ足が出るなど、危なっかしい動きしかできなかったのだ。
先生は「この子はだめです」と言い、父は「お前はペンだけを握れ」と宣言した。それ以来、兄が剣を握ることはなかったはずなのに。
ふらふらと立ち上がった兄は、もう一度、殿下に木剣を構えた。殿下も酔っているせいなのか、いつもの優しい雰囲気が消えている。
「だ、だめだめ! 止めなきゃ!」
「やめとけって、お前が怪我すんぞ」
「じゃあユドリムも手伝って!」
「嫌だね。めんどくせぇ」
「私が怪我をしたら、あなたのせいだからね!」
「はー? 脅しかよ。仕方ねぇな……」
観客席から木剣を振り回す兄の元に駆けつけると、私を制してユドリムが止めに入ってくれた。他の騎士にも指示を出し、数人がかりで兄と殿下を引き離す。
ユドリムから「兄様よろしく」と渡され、私も騎士の力を借りてやんややんやと文句を言う兄を地べたに伏せさせる。仰向けになった兄の口にはエミリア様がすかさず持ってきてくれた水を流し込んだ。なんかちょっと溺れていたけど、兄がお酒を飲んだのが悪い。
「アルヴィン殿下に何してるのよ、お兄様! エミリア様が見ているわよ!?」
私が叱ると、もがいていた兄の動きがぴたりと止まった。口の中の水を飲み下し、そして見る間に、にやけ始めた。すごく気持ちが悪い。エミリア様はなぜか、私の後ろに隠れてしまった。
「まだだ。まだ、私は納得していないぞ」
暴れて騎士を振り払い、起き上がる兄。にやにやと緩む口元で、身じまいを正す殿下に木剣を向ける。
「どんなにスマートに告白ができようとも、殿下は妹から返事をもらっていないだろう。それが、妹の答えだ!」
「ちょっと、お兄様!」
何を言い出したのよ!
わかりやすく挑発した兄に、殿下は一瞬、すっと冷たい目つきを向けた。
「……えぇ。返事はいただいておりません。あれは、皆へ向けたお手本でしたから」
殿下は一度目をつぶると、静かに燃える瞳で兄を見据えた。兄の隣に私がいることなど、お構いなしに。
「僕の本心からの告白は、あんなものでは収まりません。ですから、今回の返事はそもそも望んでおりませんよ。ルーカス殿」
ばちばちと、兄と殿下の間で火花が散る。酔っている殿下は柔和さがなく真剣で、木剣を持っているせいもあって迫力があった。兄もなぜこんなに意固地になっているのか、殿下の前から一向に引こうとしない。
木剣を支えに立ち上がった兄に、殿下は容赦しなかった。
「もう一度、僕に負けますか?」
兄にとって、それは屈辱的な煽りだ。
言い返すことがひとつもない兄は唇を噛むと、やり場のない鬱憤を急にユドリムに向けた。
「ならば、殿下の剣であるお前が私の相手をしろ!」
「え。俺?」
殿下の後ろに控えていたユドリムが、とっさに私を見た。
やめて。絶対やめて。断って。と、ユドリムに念を送る。が、ユドリムは殿下と兄を交互に見た上で「俺に拒否権なくね……?」とばかりに小刻みに首を振った。
「僕のユドリムは強いぞ」
殿下の言葉が、ユドリムにプレッシャーとなってのしかかる。私が送る念など比じゃなく、ユドリムはあっさりと上着を脱いだ。
「殿下のおおせのままに」
ユドリムは殿下から木剣を受け取ると、前に出てきた。そんなユドリムに挑もうとする兄を、私は必死に引き留める。
「だめよ、ユドリム! 殿下も、焚き付けないでください!」
その瞬間、殿下が一瞬動きを止めた。
「お兄様も! ユドリムがどれだけ強いか、わかっているでしょう!?」
殿下の視線が、まっすぐに私に向いている。驚いたような殿下の瞳に疑問を抱いたが、私はそれどころではなかった。兄がまた、木剣を振り回して暴れようとしているのだから。
すると兄は、しがみつく私の腕を振り払って、気合を入れるかのように叫んだ。
「私は、戦わねばならないのだ! エミリアに、いいところを見せるためにも!」
……ん?
「エミリア! エミリア、見ていてくれ! 私の愛しのエミリア!」
な、何? 何があったの? お兄様どうしちゃったの!?
こんなに人目があるところでそんなこと叫んだら、エミリア様は恥ずかしがって震えてしまうに決まっている。というか、この戦いって私のためではなかったの? 私が困惑していると、案の定ぷるぷる震えたエミリアが私に泣きついてきた。
「ブランカ様ぁ……!」
「エミリア様! 兄は一体どうしちゃったんですの!?」
「ごめんなさい、止められず……ワインをグラス一杯、飲んでしまいましてぇっ……」
「ワインを……グラス一杯も!?」
兄は、実はお酒に弱い。ワインなら一口で気が大きくなり、グラス半分で厄介になり、グラス一杯で手に負えなくなる。つまり、今の兄は最悪の状態ということだ。
普段なら付き合いでグラスを渡されることはあれど、うまくかわして飲まずに過ごす。世渡りだけは器用なのだ。なのに、なぜ今回はお酒を飲んでしまったのか。……兄のエミリア様への態度からこの状況を見るに、察することはあるが、私はそっと目をそらした。
「それは、大変ですわね……」
兄の必死の告白は、おそらく成功したのだろう。それで気が高まり、一口くらいなら……から気が大きくなって飲み干したのが事実なんじゃないかと思う。
私情から私だけでなく、エミリア様も殿下がたも巻き込んだはた迷惑な兄を、もう止める気にはならなかった。
結局、兄はユドリムに挑み、殿下の時よりもあっさり剣を払われ、デコピンを食らっていた。大袈裟に膝をついた兄は「さすがだな」と敗者とは思えぬセリフを吐き、その場で酔い潰れた。
私たちが介入したことで少なからず白けだしていた会場は、第一王子による「解散」の一言でお開きとなった。
「ブランカ、あの……すまない。このような状況にしてしまって……」
バツが悪そうに謝ってくれる殿下は、剣を持っている時と打って変わっていつも通りの優しい雰囲気に戻っていた。
どうせ吹っ掛けたのは兄だろうから、私が殿下を責める理由などない。
「どちらにも怪我がなく、よかったです」
そう返すと、殿下はホッと笑顔を見せた。
「建国祭は、楽しめただろうか? 僕は二日間、君とゆっくり話すことができず残念だったよ」
「殿下はお忙しかったですもの。本当にお疲れさまでした。私は、有意義に過ごすことができました」
「そうか。何か、良いことでも?」
「話す機会を得て、仲良くできそうな方が増えました」
エミリア様が、まさにそうだ。これまでは対等に話すことがあまりできず、萎縮させてしまっているのではと会うたびに心配をしていた。けれど、今回のことでエミリア様から話しかけてくれ、そして思っていた以上に兄を慕ってくれていたことがわかった。
兄の暴走はこれからも度々あるだろうが、無様に酔い潰れた兄を介抱してくれる姿に、私は微笑ましい気持ちになった。
「……ユドリムか?」
「あ、そうですね。ユドリムもです」
殿下に言われて、そういえばそうねと、私は肯定した。けれど、ふと、殿下の声音が少し堅かったことに気がついた。殿下を振り返ると、私を見つめる瞳が不安そうに揺れた。
「殿下? どうかなさいましたか?」
「……少しだけ、君との時間がほしい。王宮の馬車で送るから、その間だけでも」
殿下が私の手を強く握った。その手が、お酒のせいなのかやけに熱かった。
殿下の申し出に、私は困ってしまった。頭をよぎるのは、酔い潰れた兄を連れて帰らなきゃいけない、とか、昨日今日のことがあったのに送ってもらうのは、とか。断るための言葉ばかりだ。間違った理由ではないのに、殿下に伝えるのが心苦しくて、言葉が詰まってしまう。
「いこう、ブランカ」
「はい、ストーップ」
断ることができず連れられそうになったところで、ユドリムが私と殿下の間に腕を割り入れた。
「殿下もお嬢様も、夜遊びはおしまいです」
「夜遊びって、僕は十八だぞ」
「殿下がいくつかなんてどうでもいいんです。酔っ払いの世話ばっかりで、俺が疲れちゃいました」
ユドリムが、私を掴む殿下の手を躊躇なく剥がした。そして殿下の肩に手を置くと、くるりと方向転換させてぐいぐいと背中を押す。
「さぁ、帰りましょう。さっさと帰りましょう」
「おい、僕への態度がぞんざいだぞ」
「殿下だって働き詰めでしょうが。休まないと、倒れちまいますよ」
ユドリムに押されて不満たらたらな殿下に、私も声をかける。
「殿下、時間ならまたいつでも作れますから。今日はもう、お休みください」
「ブランカ……」
私が言うと、渋々ではあるが、殿下は頷いた。「送れずにすまない」と名残惜しそうに微笑んで、自ら王宮へ戻っていった。
放った上着を拾いに戻ってきたユドリムに、私はそっと声をかける。
「ユドリム、ありがとう。お兄様に手加減してくれて」
「酔っ払いに怪我はさせらんねぇよ」
その加減が、難しいと思うのだけれど。事もなげなユドリムに、そういえばと話を振る。
「武闘会、優勝したのはユドリムでしょう?」
「おう。知ってたのか」
「いいえ、途中で離席したから知らないわ。でも優勝するなら、あなただろうなと思って」
ユドリムが不思議そうな面持ちをした。
「殿下といい、お前といい、俺のこと過大評価しすぎだろ」
「だって、強いのは事実だもの。過大評価じゃなくて、それだけ信頼されてるってことよ」
「……お前も?」
「強さにおいてはね」
無言になったユドリムは、ほんのわずかに、機嫌がよさそうに見えた。
「優勝おめでとう」
「まぁ、当然の結果だよ」
上着を肩にかけたユドリムは、勝ち誇ったような笑顔を見せて殿下の後を追った。




